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混乱と渇望
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藍の心は恐怖で埋めつくされていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
この家が怖い。この家に住む家族が怖い。雫が怖い。地下の部屋に入る前はこんな恐怖心を抱くなんて考えもしなかった。
藍はこの異常な家から逃げたい一心で足を懸命に動かす。しかし、小刻みに震え続けている足ではもつれてしまい、うまく走れなかった。
それでも外に出ようと玄関に向かう。書斎から距離があるわけでもないのに、藍はまるで迷路に迷い込んだかのような感覚に陥っている状態だった。
「あった」
だからこそ玄関を目にした途端、藍は一気に駆けだした。
これで逃げられる、この異常な空間から。
「あっ!」
焦っているせいか、大きくその場で転倒した。
藍は廊下に手を付き息を整えるため、何度も息を吐く。
「…………ふ………ぐ」
無意識下で漏れる嗚咽。いつのまにか視界が歪んでいた。目頭が熱くなり、瞬きする。
涙が零れた。一滴、また一滴と透明な水滴が床に落ちていく。藍は溢れ出る涙を拭わず、床に落とす己の涙をただ眺め続けた。
なんで、こんなことになってしまったんだ。
どうして雫から逃げなくてはいけないんだ。
なぜ、雫に恐怖を感じなければいけないんだ。
ただ、雫のために何かしたかっただけなのに。それが間違いだったのだろうか。
決して軽い気持ちじゃなかった。でも、安易ではなかったのかと聞かれれば言葉に詰まってしまう。
自分はただの霊が視えるだけの人間。特別な人間ではない。望んで得たものでも努力して得たものでもない能力。
そんなこと、わかっていたはずだった。でも、心のどこかでは思っていたのかもしれない。
「何でもできる」という思い上がった考えに。
今まで感じたことのない身の毛もよだつ思いをしているのはそんな傲慢な思考を持ってしまった罰なのだろうか。
「わからないわからないわからないわからない」
藍は次から次へと脳内に飛び込んでくる疑問に対処も処理もできなくなっていた。
早く逃げなくてはいけないのに足に力が入らない。
足だけではない。身体にも力が入らなくなっていた。まるで、鉛のように体が重い。それが混乱のせいなのか後悔のせいなのか恐怖のせいなのか、藍にはもう何もかもが分からなくなっていた。
ただただ、藍はとめどなく溢れ出る涙を流し続けていた。
時間を巻き戻したい。
恐怖を感じる前の自分に戻りたい。
足に力が入らないままでいたとき、玄関のほうからガチャガチャと鍵穴に鍵を差し込む音が耳に入る。
「!!」
その音に一気に現実に引き戻される。
誰かが帰ってきた。
(もし、出くわしてしまったら私は………)
「早く立って」
いつのまにか雫と玖月が藍の傍にいた。
「………………へ?」
藍はその場に似つかわしくない呆けた声を出す。
「見つかったらヤバイ、早く」
雫は立ち上がるように藍の耳元でせっつく。雫を得体のしれない恐怖の対象だと捉え、逃げ出したというのにその雫の声音は明らかに藍の身を案じているものだった。
「あ………………」
何か言葉を出そうと思っても喉につっかえて出てこない。
ただ、不思議なことに雫の顔を見てもさきほどの恐怖心が沸き上がってこなかった。次々と予測不可能な出来事が起きすぎて恐怖心が麻痺してしまったのだろうか、それとも自分を案じてくれている雫に無意識に気を許し始めているのだろうか。
いや、どちらも違う。おそらく本能的に察したのだろう。
状況的に今は恐怖を感じている場合ではないということを。
今は一時の猶予もない。
藍は足に力を入れ、ふらふらになりながらも立ち上がった。恐怖と混乱で小刻みに震え続けているが逃げてきた時よりも足を思うように動かすことはできる。
ガチャガチャと容赦なくドアから音が鳴るたびに、藍は身体を強張らせた。
「ひっ」
藍は小さな悲鳴を上げずにはいられなかった。聞き慣れたドアノブに鍵を回す音さえ、今の藍にとっては初めて耳にするような得体の知れないものだったからだ。
藍の全神経がドアに集中する。
早く逃げないと。でも、頭が働かない。ドクドクと心臓が嫌な音を立てているのに思考が真っ白だ。
藍は呼吸を浅くしながらドアから一目散に逃げようと二階に駆けだそうと身を翻す。
「待って、今駆け上がるのはちょっとヤバイ。足音で絶対気づかれる。それに絶対姿だって見られる」
引き留める雫の声に藍はピタリと足を止める。
「え、じゃあどうすれば」
混乱しながら周りをきょろきょろ見回しているとガチャリと鍵を回す音が聞こえた。
「!」
心臓がここ一番に跳ね上がる。
ドアがついに開く。見つかる。
「今はとにかく、脱衣所に隠れて。私に考えがある」
混乱している藍に雫は捲し立てながらすぐ横の半開きになっているドアを指差す。
「え、えっと」
「早く」
不安定な思考に陥っている藍は正常な判断ができなくなっていた。ただ、ここにいてはいけないということだけは理解していた。その考えだけが藍を突き動かし、足音を立てないように電気が消された薄暗い脱衣所に入った。考えがまとまらない今の頭で行動しては碌な結果にならない。今を生き残るためにはこの状況を脱する術を知っている雫の言葉に耳を傾けるのが賢明だろう。
今の藍の思考は雫への恐怖より生き残ることへの渇望が大半を占めていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
この家が怖い。この家に住む家族が怖い。雫が怖い。地下の部屋に入る前はこんな恐怖心を抱くなんて考えもしなかった。
藍はこの異常な家から逃げたい一心で足を懸命に動かす。しかし、小刻みに震え続けている足ではもつれてしまい、うまく走れなかった。
それでも外に出ようと玄関に向かう。書斎から距離があるわけでもないのに、藍はまるで迷路に迷い込んだかのような感覚に陥っている状態だった。
「あった」
だからこそ玄関を目にした途端、藍は一気に駆けだした。
これで逃げられる、この異常な空間から。
「あっ!」
焦っているせいか、大きくその場で転倒した。
藍は廊下に手を付き息を整えるため、何度も息を吐く。
「…………ふ………ぐ」
無意識下で漏れる嗚咽。いつのまにか視界が歪んでいた。目頭が熱くなり、瞬きする。
涙が零れた。一滴、また一滴と透明な水滴が床に落ちていく。藍は溢れ出る涙を拭わず、床に落とす己の涙をただ眺め続けた。
なんで、こんなことになってしまったんだ。
どうして雫から逃げなくてはいけないんだ。
なぜ、雫に恐怖を感じなければいけないんだ。
ただ、雫のために何かしたかっただけなのに。それが間違いだったのだろうか。
決して軽い気持ちじゃなかった。でも、安易ではなかったのかと聞かれれば言葉に詰まってしまう。
自分はただの霊が視えるだけの人間。特別な人間ではない。望んで得たものでも努力して得たものでもない能力。
そんなこと、わかっていたはずだった。でも、心のどこかでは思っていたのかもしれない。
「何でもできる」という思い上がった考えに。
今まで感じたことのない身の毛もよだつ思いをしているのはそんな傲慢な思考を持ってしまった罰なのだろうか。
「わからないわからないわからないわからない」
藍は次から次へと脳内に飛び込んでくる疑問に対処も処理もできなくなっていた。
早く逃げなくてはいけないのに足に力が入らない。
足だけではない。身体にも力が入らなくなっていた。まるで、鉛のように体が重い。それが混乱のせいなのか後悔のせいなのか恐怖のせいなのか、藍にはもう何もかもが分からなくなっていた。
ただただ、藍はとめどなく溢れ出る涙を流し続けていた。
時間を巻き戻したい。
恐怖を感じる前の自分に戻りたい。
足に力が入らないままでいたとき、玄関のほうからガチャガチャと鍵穴に鍵を差し込む音が耳に入る。
「!!」
その音に一気に現実に引き戻される。
誰かが帰ってきた。
(もし、出くわしてしまったら私は………)
「早く立って」
いつのまにか雫と玖月が藍の傍にいた。
「………………へ?」
藍はその場に似つかわしくない呆けた声を出す。
「見つかったらヤバイ、早く」
雫は立ち上がるように藍の耳元でせっつく。雫を得体のしれない恐怖の対象だと捉え、逃げ出したというのにその雫の声音は明らかに藍の身を案じているものだった。
「あ………………」
何か言葉を出そうと思っても喉につっかえて出てこない。
ただ、不思議なことに雫の顔を見てもさきほどの恐怖心が沸き上がってこなかった。次々と予測不可能な出来事が起きすぎて恐怖心が麻痺してしまったのだろうか、それとも自分を案じてくれている雫に無意識に気を許し始めているのだろうか。
いや、どちらも違う。おそらく本能的に察したのだろう。
状況的に今は恐怖を感じている場合ではないということを。
今は一時の猶予もない。
藍は足に力を入れ、ふらふらになりながらも立ち上がった。恐怖と混乱で小刻みに震え続けているが逃げてきた時よりも足を思うように動かすことはできる。
ガチャガチャと容赦なくドアから音が鳴るたびに、藍は身体を強張らせた。
「ひっ」
藍は小さな悲鳴を上げずにはいられなかった。聞き慣れたドアノブに鍵を回す音さえ、今の藍にとっては初めて耳にするような得体の知れないものだったからだ。
藍の全神経がドアに集中する。
早く逃げないと。でも、頭が働かない。ドクドクと心臓が嫌な音を立てているのに思考が真っ白だ。
藍は呼吸を浅くしながらドアから一目散に逃げようと二階に駆けだそうと身を翻す。
「待って、今駆け上がるのはちょっとヤバイ。足音で絶対気づかれる。それに絶対姿だって見られる」
引き留める雫の声に藍はピタリと足を止める。
「え、じゃあどうすれば」
混乱しながら周りをきょろきょろ見回しているとガチャリと鍵を回す音が聞こえた。
「!」
心臓がここ一番に跳ね上がる。
ドアがついに開く。見つかる。
「今はとにかく、脱衣所に隠れて。私に考えがある」
混乱している藍に雫は捲し立てながらすぐ横の半開きになっているドアを指差す。
「え、えっと」
「早く」
不安定な思考に陥っている藍は正常な判断ができなくなっていた。ただ、ここにいてはいけないということだけは理解していた。その考えだけが藍を突き動かし、足音を立てないように電気が消された薄暗い脱衣所に入った。考えがまとまらない今の頭で行動しては碌な結果にならない。今を生き残るためにはこの状況を脱する術を知っている雫の言葉に耳を傾けるのが賢明だろう。
今の藍の思考は雫への恐怖より生き残ることへの渇望が大半を占めていた。
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