女神回収プログラム ~口外できぬ剣士の秘密と、姫への永誓~

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

文字の大きさ
34 / 389
招かざる者

【20】確信

しおりを挟む
 梛懦乙ナジュト大陸、鴻嫗トキウ城──剣を振り、剣士たちを厳しく指導する沙稀イサキの姿が稽古場にある。リラの長い髪は意思あるように動き、殺気に覆われている。

 帰城する前、港街の緋倉ヒソウで聞き覚えのある名を耳にし、思わず体が反応した。
 目にした人物は、全体的にやや長めであるものの、クロッカスの短い髪。体格は似ているように見えたが、身長は向こうの方が明らかに高かった。
 名を聞いて一目見ただけで、本人だと断定できた。その人物を目にして、沙稀イサキは現実ではないと、幻だと思おうとした。
 生死もわからないまま長い月日は過ぎた。もし、生きていても、再会することはないと思っていた。──特に、あんな場所では。頭の整理など、気持ちの整理など、あの一瞬でつけられるはずもない。
 それなのに、ふいに視線が合った。恭良ユキヅキの声で我に返り、咄嗟に体の向きを変えたときは、遅かった。
 声は嫌でも鼓膜を振動して伝わり、左腕をつかまれた。その力の強さに、感情が一気に膨れ上がり──だからこそ、あんなことを言ってしまった。
 あの名を呼んだ女の声が再び聞こえたが、沙稀イサキは頑なに振り返ろうとはしなかった。あんな姿を見たくも、こんな姿を見られたくもない。
 ──会いたくなかった。あんな風になんて。
 悲しみにも似た激しい怒り。
 何度も何度も王に探せと言われつつも、探そうとしなかったのは、万一のことを恐れていたからだ。もし、命が尽きていたと知ったら、その悲しみは計り知れない。
 本心を素直に言えば、生きていると知れて何よりもうれしかった。ただ、津波のように感情は押し寄せ、喜びを呑み込んだ。波が引いたら、急激に裏切られた気持ちが沸き上がった。仕来りを軽い気持ちで破っていると感じて、居ても立っても居られなかった。
 ──本当に最悪だ。
 冷たく言い捨てたことを、後悔してはいない。ただただ、言葉にできないほど最悪だっただけだ。生死など、知らない方がよかった。

 帰城してから、大臣には極力会わないようにしている。本来なら、すぐにでも言わなければいけないことだ。
 しかし、どう伝えたらいいのか。答えを出せずにいる。
 緋倉ヒソウで会った人物は貴族の仕来りを破り、髪を短く切っていた。あれは、身分を隠すためではなく、生家との決別の証。やはり、あの男は帰れない状況だったわけではなく、帰らないという選択をしていたということ。
 それを、どう大臣に言えばいいのか。
 いっそ、会わなかったことにして、言わなければいい。そうも思うが、沙稀イサキの中では、なかったことにはできない。

 苦悩は剣を荒く導く。鋭い音ではなく鈍い音を立て、剣の筋は迷いが生じ、隙を生む。──これでは、普段息を乱れさせない沙稀イサキの呼吸が上がっても当然だ。
「休憩です」
 突如聞こえたのは、大臣の声。
 ──よりによって。
 呟きをそう心の中だけで抑えても、苦虫を噛みつぶしたような表情はしっかりと顔に刻まれている。
 大臣の声により、剣士は散り散りに癒しの時間をとる。
「どうしたのですか。そんなに隙だらけの貴男は見たことがありません。それに、こんなに根詰めた訓練は、訓練にはなりません」
「ああ、悪い」
 言葉を流しているのは、視線が物語っている。大臣を瞳に映そうとはしない。
沙稀イサキ様。私のこと……避けていらっしゃいますよね」
 疑問形ではなく、断定されたその発言に、沙稀イサキは否定も肯定もしない。尚も大臣は続ける。
「理由はわかっています。沙稀イサキ様は嘘をつくのが苦手な方です。それも、がつくほど。……私に何か、嘘をつかないといけないようなことがあるのでしょう。ただ、その原因までは口を開いてくれない限り、いくら私でもわからないでしょうね」
「そういえば、大臣には聞かないといけない話があった」
恭良ユキヅキ様のご婚約話ですか?」
 沙稀イサキは平然と大臣を見ると、うなずく。すると、大臣はにっこりと微笑む。
「そのお話は、まだ先にしておきましょう。そうですね……沙稀イサキ様が私に話さないといけないそのお話をしてくださったら……にしましょうか」
 それでは、と大臣は踵を返す。
「食えない男だ」
 沙稀イサキは呟く。──同類だという自覚は、更々ない。
 大臣は、要は八つ当たりだと言っていた。確かに、それは訓練にはならない。
「解散だ」
 定時よりも早い時間だが、沙稀イサキは終わりを告げる。そして、次の一言に剣士たちはどよめく。
「今日の飯当番は俺がやる。大丈夫だ。こう見えても、ユキ姫の側近をする前は俺も当番を担っていた。それからも気晴らしで作るときはある。味は保証できるはずだ」
 沙稀イサキが姫の護衛になる前に、ともに一剣士として過ごした者はこの場に少ない。今、当時の味を知る者は数える程度だ。
沙稀イサキ様が……気晴らしに料理」
 と、その姿を想像できないとこぼす者もいるが、
「あの都市伝説のように語り継がれてきた、超絶うまいという沙稀イサキ様の料理を……」
「つ、ついに俺たちが食えるのか?」
 と、動揺と歓喜が広がっていく。
「八つ当たりをしてしまった侘びだ。だたし、ひとつだけ覚悟してほしい」
沙稀イサキの料理には、肉は入らん。皆、心しておけ」
 聞き慣れない声が響き、剣士たちは誰だと口々に言う。しかし、響いた声に驚いたのは沙稀イサキだ。まさかと思いながらも、懐かしい声の方を向く。
 沙稀イサキに敬称を付けずに話したのは、
ガン
 という、愛称を持つ者だった。
 かわいげのなかった一剣士だったころの、幼い沙稀イサキの二人目の相棒だ。尚且つ、沙稀イサキの相棒になり命を失わなかった者は、ガンだけ。
 ガンは片手を上げ、片方の口角を上げる。とはいえ、その手にある指は、わずかなものだ。──そう、今、彼は剣士ではない。
「久しぶりに味見をしてもらおうか。作り終わったら、呼びにくる」
「おう」
 返事を聞き、沙稀イサキは調理へと向かう。

 ガンは何とか一命を取り留めたが、その後、精神を病んでしまった。今は剣士たちの部屋の奥で、ひっそりと療養生活をしている。
 沙稀イサキから会いに行くことはない。それは、心の傷を刺激したくないから。会うのは久しぶりだ。最後に会ったときのガンは、見ていられなかった。
 ──元気になってくれて、よかった。
 思っても、本人には言えない。

 稽古場の奥のキッチンを見渡せば、きちんと清潔に保たれている。剣士たちが変わらず整備している証拠だ。剣士たちは自分たちの食事のすべてを、自分たちで支度し、片付ける。それが鴻嫗トキウ城のル─ル。厳しい稽古のあと、ゆっくりする時間を削っての食事当番は、身体的に辛い時期もあった。
 だが、それも気晴らしだと、気持ちを切り替えるまでの話。そう切り替えてからは、かえって息抜きができ、いい時間となった。だからこそ、沙稀イサキは今でも自身で料理をすることがある。

 大鍋を片手に取り、まな板のとなりに置く。人参や玉ねぎ、茄子とトマトを目の前に置き、ザクザクと包丁を入れていく。
 沙稀イサキには、気になっていたことがある。忒畝トクセのあの言動だ。尚且つ、別れる直前に呼び止めて、釘まで刺した。
 忒畝トクセの譲れない、守りたいものに触れた記憶は、沙稀イサキにない。望んで敵対しようとはしないが、守るためには手段を選ばないとまで言っていた。
 大鍋に切った野菜を入れ、炒め始める。そこへホタテとエビ、イカを入れる。
 忒畝トクセの想いは、沙稀イサキ鴻嫗トキウ城への想いと似るものがあった。──これは、確信だ。忒畝トクセは伝説と密接な関係にある。
 水を大鍋に投入すると、至った結論が弾けるような、大きな音が上がる。結論は、間違いなさそうだ。

 ほどよく煮立つと、沙稀イサキはかつての相棒を呼びに行く。
ガン、待たせた。来てくれるか?」
「おうよ」
 下品な笑みは、沙稀イサキとは対照的だ。それにも関わらず、沙稀イサキはうれしそうに笑う。──剣を握れないほど指を失い、年齢以上に歯も失い、心もずいぶん失われたとしても、沙稀イサキにとってガンは大切な存在だ。肉を食べられていたときも、食べられなくなったときも、そばにいたのはガンだった。
 キッチンへと戻ると、沙稀イサキはもう一度煮立たせる。火を止めていくつかのスパイスが混ざった粉を溶かすと、味見をガンに求める。
「ん~、いい香りだ。これは、シ─フ─ドカレ─だな。懐かしい」
 コクリと口に含み、ガンの表情は幸せに包まれる。味がどうだったかは、聞くまでもない。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜
恋愛
✨ 第6回comicoお題チャレンジ『空』受賞作 阿須加家のお嬢様である結月は、親に虐げられていた。裕福でありながら自由はなく、まるで人形のように生きる日々… だが、そんな結月の元に、新しく執事がやってくる。背が高く整った顔立ちをした彼は、まさに非の打ち所のない完璧な執事。 だが、その執事の正体は、なんと結月の『恋人』だった。レオが執事になって戻ってきたのは、結月を救うため。だけど、そんなレオの記憶を、結月は全て失っていた。 これは、記憶をなくしたお嬢様と、恋人に忘れられてしまった執事が、二度目の恋を始める話。 「お嬢様、私を愛してください」 「……え?」 好きだとバレたら即刻解雇の屋敷の中、レオの愛は、再び、結月に届くのか? 一度結ばれたはずの二人が、今度は立場を変えて恋をする。溺愛執事×箱入りお嬢様の甘く切ない純愛ストーリー。 ✣✣✣ カクヨムにて完結済みです。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※第6回comicoお題チャレンジ『空』の受賞作ですが、著作などの権利は全て戻ってきております。

【完結】領主の妻になりました

青波鳩子
恋愛
「私が君を愛することは無い」 司祭しかいない小さな教会で、夫になったばかりのクライブにフォスティーヌはそう告げられた。 =============================================== オルティス王の側室を母に持つ第三王子クライブと、バーネット侯爵家フォスティーヌは婚約していた。 挙式を半年後に控えたある日、王宮にて事件が勃発した。 クライブの異母兄である王太子ジェイラスが、国王陛下とクライブの実母である側室を暗殺。 新たに王の座に就いたジェイラスは、異母弟である第二王子マーヴィンを公金横領の疑いで捕縛、第三王子クライブにオールブライト辺境領を治める沙汰を下した。 マーヴィンの婚約者だったブリジットは共犯の疑いがあったが確たる証拠が見つからない。 ブリジットが王都にいてはマーヴィンの子飼いと接触、画策の恐れから、ジェイラスはクライブにオールブライト領でブリジットの隔離監視を命じる。 捜査中に大怪我を負い、生涯歩けなくなったブリジットをクライブは密かに想っていた。 長兄からの「ブリジットの隔離監視」を都合よく解釈したクライブは、オールブライト辺境伯の館のうち豪華な別邸でブリジットを囲った。 新王である長兄の命令に逆らえずフォスティーヌと結婚したクライブは、本邸にフォスティーヌを置き、自分はブリジットと別邸で暮らした。 フォスティーヌに「別邸には近づくことを許可しない」と告げて。 フォスティーヌは「お飾りの領主の妻」としてオールブライトで生きていく。 ブリジットの大きな嘘をクライブが知り、そこからクライブとフォスティーヌの関係性が変わり始める。 ======================================== *荒唐無稽の世界観の中、ふんわりと書いていますのでふんわりとお読みください *約10万字で最終話を含めて全29話です *他のサイトでも公開します *10月16日より、1日2話ずつ、7時と19時にアップします *誤字、脱字、衍字、誤用、素早く脳内変換してお読みいただけるとありがたいです

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

処理中です...