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『第二部【前半】花一華』 君を愛す
【2】君を愛す(2)
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「誰って、それを聞きたかった」
ポカンと宙に浮かびそうな瑠既の言葉に対し、大臣の口調は厳しかった。尚且つ、顔をしかめている。
伝わらなかったかと瑠既は思ったようで、『誰』と言えない変わりに状況を説明し始める。
「沙稀の披露宴の前に大臣と一緒にいた……ほら、ちっちゃくて髪がリラで天パっぽい女の子、あの子のことさ。何か人目を避けるようにして、沙稀に会わせてたでしょ?」
身振り手振りをつけつつ瑠既は話したが、大臣は無関心そうに答える。
「そうでしたっけ」
しらばっくれた態度に、瑠既はムッとする。
「あの辺りで、沙稀に会わせてたじゃん。何話してたの?」
「別に、あいさつを……」
「ほら。やっぱ、来てたんじゃん。誰? あの子」
無邪気を装いながら追及する瑠既に、大臣は渋い顔をする。──だが、ちょうどそのとき、鐘が鳴り響いた。挙式前を告げる鐘だ。
「瑠既様、お時間のようです。ご自分の挙式に、出遅れるわけにはいかないでしょう? ほら、急がないと。それとも、また誄姫を待たせるおつもりですか」
大臣はしたたかに微笑む。今度は瑠既が苦い表情を浮かべる番だ。噛み付きたくても、反抗する時間がない。
「また、今度ね」
これで言及は終わらないと言い残し、瑠既は控室へと戻っていく。
後ろ姿を見ながら、大臣は安堵のため息をついた。
秋の日差しを浴びながら、瑠既は誄を待つ。わあっと歓声が沸き、拍手が起こると、一本の道の先に、淡い水色のウエディングドレスに身を包んだ誄が見えてきた。
父にエスコートされ、ゆっくりと歩いてくる。一歩、一歩とゆっくり歩いてくる誄と同じペースで、トクントクンと瑠既の鼓動が鳴る。微かに、息苦しい。
瑠既の前で歩みを一度止めた誄は、父に礼を告げる。誄の父は感極まり、その場で号泣し始める。そんな父を前に、誄も涙がじんわりと滲んだ。
誄の父が、誄の母に手を引っ張られて中央から姿を消す。うつむきながら回転した誄が、瑠既を見上げてにこりと微笑んだ。潤んだ瞳で見つめ、右手をスッと差し出す。
緊張のあまり瑠既の頭が真っ白になっていると、誄は察したに違いない。瑠既は、誄を迎えるように、一歩踏み出さなかったのだから。──けれど、それすらも瑠既はわからないほど、頭が真っ白だ。
誄が手を差し出して、呼吸が一瞬止まりそうだった。一度、息を呑む。視界に映る手に、導かれるように同じく右手を伸ばす。だが、それだけでは届かず、一歩踏み出し。ふたりの手がわずかに触れた刹那、瑠既は誄を抱き寄せる。
悲鳴のような歓喜が上がり、次第に祝福の拍手がふたりを包む。それは、瑠既にはやっと貴族に戻れたような感覚で。
「瑠既様」
と、囁かれた声がとても愛おしく。これから、新しく何もかもが始まるような気がした。
挙式は感動を巻き起こして進み、順調に執り行われた。
招待客は、鴻嫗城に宿泊し明日帰っていく。新婚の沙稀たちが、先日見送れなかったことを詫びながら送り出すのだろう。挙式のあとも沙稀たちが儀式に縛られていたのを、他の者たちは知らないのだから。
口外はできない。鴻嫗城を狙うなら、この日に定めろと言うようなものだ。懐迂の儀式もそう。知っているのは、内部の人間だけ。
瑠既は挙式を以って、鴻嫗城の人間ではなくなった。少しだけ喪失感があり、鴻嫗城のことを振り返ったら、ふしぎと自由になった気がする。
半球体や円錐の屋根は、嘆きの血の色にも見える。アーチを描いた外壁に似合わず、強固な守りの城。
不自由だと思ったことはなかったのに、外から見れば鴻嫗城は孤城のように思えた。
そんな風にしんみりとしたのは束の間。瑠既は、あることを思い出す。幸いにも、少しなら姿を消しても大丈夫そうだと、瑠既は人混みに紛れていく。
気がかりなことがある。どうしても忘れられない、気がかりが。
人混みを見渡しながら、瑠既は特徴を頭の中で繰り返す。
──背は、そんなに高くない。色は……透き通るような薄い緑色の髪だった。眼鏡をかけた男。
見かけなかったが、彼の立場を考えれば必ず来ているはずだと探す。そうして、人混みを抜けたとき、自然の風景と混ざり彼はいた。瑠既はやっと見つけた背中を追う。
「よっ」
声をかけた男は、ビクリと体を震わせたように見えた。グルリと振り向いた顔は、どこか慌てているようにも思える。
「あ……ああ、久しぶり」
苦笑いに、瑠既の目は丸くなる。この男──忒畝にしたら珍しい反応ではないかと。
ふたりが会うのは、ずい分久しぶりだ。瑠既が緋倉から船を乗ったときに話したきり。でも、あのとき忒畝は普通に接してほしいと言った。瑠既が貴族と知る前に言った言葉なのだから、今更、態度を改めろとは言わないだろうと判断して声をかけたのに。
それとも、あの言葉はもう二度と会わない人間と判断して言ったことだったのだろうか。まぁ、そうであるとしても、鴻嫗城の出身者に悪い態度をとりはしないだろう。
瑠既は忒畝への違和感を気にしないことにした。
「ちょっと、聞きたいことがあって」
右手で手招きし、瑠既は声をひそめる。『聞きたいこと』と言いつつ、ひそめた声は、忒畝にはあまり聞き取れなかったのか。忒畝は周囲を一瞥してから、瑠既に近づく。
瑠既は前傾し、忒畝の耳元でやっと聞き取れる程度の声を出す。──それは、『綺』の状況はどうかということ。
耳にした忒畝は、緋倉で目に付いた宿屋だと瞬時に理解する。目に付いてしまった理由も、何となく。
「前に会った次の日に僕は帰って、そのときには閉まっていた。まだ……変わらずの状態だったよ」
チクリと胸が痛む。叔が塞ぎ込んでしまったのではないかと心配になって。けれど、忒畝はこれでも言葉を選んで答えたのだろう。
まして瑠既はもう、楓珠大陸に行けるかどうかはわからない。だから、どんな状況であれ、綺の近状を知れたのはありがたい。
「そっか。さんきゅ。……悪いな」
瑠既は寂しげに笑う。それなのに、忒畝はピクリとも表情を動かさない。
「おめでとう。誄姫を抱き寄せたのには、驚いたけど……」
「ん? あれは……ほら、演出だよ」
「そうなんだ」
瑠既は飄々と笑ったが、忒畝の反応は冷ややかだ。船の上で話したときとは、明らかに違う。更には、
「早く戻ったら?」
とまで。
──何か俺、悪いことでもしたかな?
そう思ってみても、瑠既に思い浮かぶわけもなく。やはり立場の問題なのかと思い直すが、ふと、忒畝の視線が瑠既の背後にあると気づき振り向く。
誄が瑠既に向かってきていた。視線が合うと微笑み、手を振る。
探させてしまったと瑠既は反省し、
「あ、ああ。明日は気を付けて帰ってな」
と、瑠既は忒畝に言い、誄に向き直す。手を上げれば誄は走り出し、瑠既はやはり心配をかけたと悪く思う。
『心配した』と誄は言わない。ただ、行動が物語る。
胸に飛び込んできた誄の、しっかりと腕を握り締める両手に、瑠既はもうひとりではないと痛感した。
ポカンと宙に浮かびそうな瑠既の言葉に対し、大臣の口調は厳しかった。尚且つ、顔をしかめている。
伝わらなかったかと瑠既は思ったようで、『誰』と言えない変わりに状況を説明し始める。
「沙稀の披露宴の前に大臣と一緒にいた……ほら、ちっちゃくて髪がリラで天パっぽい女の子、あの子のことさ。何か人目を避けるようにして、沙稀に会わせてたでしょ?」
身振り手振りをつけつつ瑠既は話したが、大臣は無関心そうに答える。
「そうでしたっけ」
しらばっくれた態度に、瑠既はムッとする。
「あの辺りで、沙稀に会わせてたじゃん。何話してたの?」
「別に、あいさつを……」
「ほら。やっぱ、来てたんじゃん。誰? あの子」
無邪気を装いながら追及する瑠既に、大臣は渋い顔をする。──だが、ちょうどそのとき、鐘が鳴り響いた。挙式前を告げる鐘だ。
「瑠既様、お時間のようです。ご自分の挙式に、出遅れるわけにはいかないでしょう? ほら、急がないと。それとも、また誄姫を待たせるおつもりですか」
大臣はしたたかに微笑む。今度は瑠既が苦い表情を浮かべる番だ。噛み付きたくても、反抗する時間がない。
「また、今度ね」
これで言及は終わらないと言い残し、瑠既は控室へと戻っていく。
後ろ姿を見ながら、大臣は安堵のため息をついた。
秋の日差しを浴びながら、瑠既は誄を待つ。わあっと歓声が沸き、拍手が起こると、一本の道の先に、淡い水色のウエディングドレスに身を包んだ誄が見えてきた。
父にエスコートされ、ゆっくりと歩いてくる。一歩、一歩とゆっくり歩いてくる誄と同じペースで、トクントクンと瑠既の鼓動が鳴る。微かに、息苦しい。
瑠既の前で歩みを一度止めた誄は、父に礼を告げる。誄の父は感極まり、その場で号泣し始める。そんな父を前に、誄も涙がじんわりと滲んだ。
誄の父が、誄の母に手を引っ張られて中央から姿を消す。うつむきながら回転した誄が、瑠既を見上げてにこりと微笑んだ。潤んだ瞳で見つめ、右手をスッと差し出す。
緊張のあまり瑠既の頭が真っ白になっていると、誄は察したに違いない。瑠既は、誄を迎えるように、一歩踏み出さなかったのだから。──けれど、それすらも瑠既はわからないほど、頭が真っ白だ。
誄が手を差し出して、呼吸が一瞬止まりそうだった。一度、息を呑む。視界に映る手に、導かれるように同じく右手を伸ばす。だが、それだけでは届かず、一歩踏み出し。ふたりの手がわずかに触れた刹那、瑠既は誄を抱き寄せる。
悲鳴のような歓喜が上がり、次第に祝福の拍手がふたりを包む。それは、瑠既にはやっと貴族に戻れたような感覚で。
「瑠既様」
と、囁かれた声がとても愛おしく。これから、新しく何もかもが始まるような気がした。
挙式は感動を巻き起こして進み、順調に執り行われた。
招待客は、鴻嫗城に宿泊し明日帰っていく。新婚の沙稀たちが、先日見送れなかったことを詫びながら送り出すのだろう。挙式のあとも沙稀たちが儀式に縛られていたのを、他の者たちは知らないのだから。
口外はできない。鴻嫗城を狙うなら、この日に定めろと言うようなものだ。懐迂の儀式もそう。知っているのは、内部の人間だけ。
瑠既は挙式を以って、鴻嫗城の人間ではなくなった。少しだけ喪失感があり、鴻嫗城のことを振り返ったら、ふしぎと自由になった気がする。
半球体や円錐の屋根は、嘆きの血の色にも見える。アーチを描いた外壁に似合わず、強固な守りの城。
不自由だと思ったことはなかったのに、外から見れば鴻嫗城は孤城のように思えた。
そんな風にしんみりとしたのは束の間。瑠既は、あることを思い出す。幸いにも、少しなら姿を消しても大丈夫そうだと、瑠既は人混みに紛れていく。
気がかりなことがある。どうしても忘れられない、気がかりが。
人混みを見渡しながら、瑠既は特徴を頭の中で繰り返す。
──背は、そんなに高くない。色は……透き通るような薄い緑色の髪だった。眼鏡をかけた男。
見かけなかったが、彼の立場を考えれば必ず来ているはずだと探す。そうして、人混みを抜けたとき、自然の風景と混ざり彼はいた。瑠既はやっと見つけた背中を追う。
「よっ」
声をかけた男は、ビクリと体を震わせたように見えた。グルリと振り向いた顔は、どこか慌てているようにも思える。
「あ……ああ、久しぶり」
苦笑いに、瑠既の目は丸くなる。この男──忒畝にしたら珍しい反応ではないかと。
ふたりが会うのは、ずい分久しぶりだ。瑠既が緋倉から船を乗ったときに話したきり。でも、あのとき忒畝は普通に接してほしいと言った。瑠既が貴族と知る前に言った言葉なのだから、今更、態度を改めろとは言わないだろうと判断して声をかけたのに。
それとも、あの言葉はもう二度と会わない人間と判断して言ったことだったのだろうか。まぁ、そうであるとしても、鴻嫗城の出身者に悪い態度をとりはしないだろう。
瑠既は忒畝への違和感を気にしないことにした。
「ちょっと、聞きたいことがあって」
右手で手招きし、瑠既は声をひそめる。『聞きたいこと』と言いつつ、ひそめた声は、忒畝にはあまり聞き取れなかったのか。忒畝は周囲を一瞥してから、瑠既に近づく。
瑠既は前傾し、忒畝の耳元でやっと聞き取れる程度の声を出す。──それは、『綺』の状況はどうかということ。
耳にした忒畝は、緋倉で目に付いた宿屋だと瞬時に理解する。目に付いてしまった理由も、何となく。
「前に会った次の日に僕は帰って、そのときには閉まっていた。まだ……変わらずの状態だったよ」
チクリと胸が痛む。叔が塞ぎ込んでしまったのではないかと心配になって。けれど、忒畝はこれでも言葉を選んで答えたのだろう。
まして瑠既はもう、楓珠大陸に行けるかどうかはわからない。だから、どんな状況であれ、綺の近状を知れたのはありがたい。
「そっか。さんきゅ。……悪いな」
瑠既は寂しげに笑う。それなのに、忒畝はピクリとも表情を動かさない。
「おめでとう。誄姫を抱き寄せたのには、驚いたけど……」
「ん? あれは……ほら、演出だよ」
「そうなんだ」
瑠既は飄々と笑ったが、忒畝の反応は冷ややかだ。船の上で話したときとは、明らかに違う。更には、
「早く戻ったら?」
とまで。
──何か俺、悪いことでもしたかな?
そう思ってみても、瑠既に思い浮かぶわけもなく。やはり立場の問題なのかと思い直すが、ふと、忒畝の視線が瑠既の背後にあると気づき振り向く。
誄が瑠既に向かってきていた。視線が合うと微笑み、手を振る。
探させてしまったと瑠既は反省し、
「あ、ああ。明日は気を付けて帰ってな」
と、瑠既は忒畝に言い、誄に向き直す。手を上げれば誄は走り出し、瑠既はやはり心配をかけたと悪く思う。
『心配した』と誄は言わない。ただ、行動が物語る。
胸に飛び込んできた誄の、しっかりと腕を握り締める両手に、瑠既はもうひとりではないと痛感した。
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