女神回収プログラム ～口外できぬ剣士の秘密と、姫への永誓～

還

【４９】回想１（２）

「そうだね」
　やけにあっさりと忒畝トクセは返答する。まるで、誄ルイに会いたい気持ちを、バッサリと切り落とす発言のようで、充忠ミナルは言わずにはいられなくなった。
「やっぱり何かあるんだな。あの人と」
　忒畝トクセは耳に入らなかったというように、書類に視線を送る。──それが、どうにもらしくなくて、充忠ミナルはため息をついた。
「別に、俺は何も言う気はないけどさ」

　忒畝トクセなら、どちらであったにしても『何もない』とサラリと言うだろう。充忠ミナルが何も言う気がないと言ったなら、『はっきり言えばいいのに』と返すだろう。

　なのに、一向に忒畝トクセはまったく耳に入れようとしていないのだ。

　充忠ミナルは言葉を呑もうと思っていた。言わないやさしさがあると知っているからだ。──けれど、どうにも充忠ミナルはどかしさが込み上げ、我慢できなくなった。
「い～や！　やっぱ、ひとつだけ言う！　俺たちは、お前の心配を『お前が思ってるより、必要以上に』するからな！」
　瞬時、忒畝トクセが充忠ミナルを見上げた。ただそれだけで、間があき──忒畝トクセは笑う。
「何だよ？」
「充忠ミナルって……『一人娘を思うお父さん』みたいだよ」
「はぁ？」
　忒畝トクセは笑い続けた。何がそんなに笑いのツボに入ったのかというほど、楽しそうに。
　充忠ミナルは笑える話をした気はまったくない。笑い転げる忒畝トクセを前に、混乱しそうになる。
　そうして、笑い続けた忒畝トクセが──ポロポロと涙をこぼし始めた。
「おい……どうしたんだよ？」
　充忠ミナルが忒畝トクセの涙を見たのは初めてで、パニックになりかけた。パニックにならなかったのは、忒畝トクセがあまりにもぼんやりとしていたからだ。
　忒畝トクセは充忠ミナルの問いかけをふしぎに思ったかのように一瞬止まり、雫に気づき、困った顔をした。
「あれ？　ああ……年を取ると涙腺が弱くなるって本当だ」
「バカヤローだ。お前は本当に！　お前は、そんなになっても俺すら頼ろうとしない」
　責めた。忒畝トクセを、充忠ミナル自身を。
　忒畝トクセは零れた涙を拭き、呟く。
「充忠ミナル……どうして結婚を、延期しているの？」
「体調悪いお前を放っておいて、ふたりで休みが取れるか」
　苛立たしさを隠さずに言う充忠ミナルに、忒畝トクセはまた笑った。
「そんなんじゃ、一生結婚できなくなるよ？　僕は馨民カミンに恨まれたくないんだからね」
　からかうような忒畝トクセの口調に、充忠ミナルはつい笑ってしまう。そう、これが『いつもの忒畝トクセだ』。
「ったく、つくづくバカヤローだ！　早く治せ。いつもみたいに『早く治す』ってサラッと言って退けるくらい、早く治せ！」
「仕方ないなぁ……あ～あ、充忠ミナルは静かに眠らせてくれそうにないよね」
　忒畝トクセは独り言のように言ったが、妙に耳に付いて充忠ミナルは聞き返す。
「は？」
「はいはい、『早くこのくらい治してみせます』……どう？　満足？」
「うわっ！　小悪魔口調かと思いきや、ドＳか」
「人聞きが悪い発言だなぁ」
「いや、真実だと思う」

　こんな冗談を言っていたのが懐かしいと振り返る。

　フゥと充忠ミナルはため息をついて、辛そうだった忒畝トクセを思い出す。



　あれからまた誄ルイが来ていて、また忒畝トクセは体調を崩して──ふたりの間に何かがあったかのように、パタリと誄ルイが姿を現さなくなった。

　それから数ヶ月して、忒畝トクセから悠穂ユオの妊娠を聞く。忒畝トクセは我がことのように幸せそうに話していた。だからふと、誄ルイとの関係は清算したのかと、充忠ミナルは聞いた。
「清算も何も、初めから……」
　普段の調子で忒畝トクセは話し始めたが、次第に笑顔を失っていった。誄ルイを思い出しているかのように声は途切れ──。
「バカだよね」
　ふと、自嘲するように笑う。
「わかっていたはずだった。……遊ばれていることくらい。覚悟していたはずだった」
　悲しそうに笑いながら時折、言葉を途切れて話す姿は懺悔しているようにも見え、充忠ミナルは固唾を呑む。
「僕と同じように、愛して、求めているんだって……ずっと、そばにいてくれるんだって、思ってしまった。願ってしまった。そんなこと、あるわけなかったのに。本当に……バカだよね」
　忒畝トクセの手がグッと組まれ、震えている。
「それでも……僕は、彼女を愛しく想う気持ちを止められなかった。一瞬でも信じて願ってしまった。彼女が、僕と同じ気持ちで……」
　堰き止めるように、忒畝トクセが吐露していた感情を止めた。言っても無意味だと戒めるように呼吸を整え、ゆっくりと天を仰ぐ。
　どれほど忒畝トクセが誄ルイを想っていたのか。苦しみが充忠ミナルの心を支配した。
「『子どもができた』と、聞いたんだ」
　天井を見ながら忒畝トクセはポツリと言った。願いだったと言わんばかりに忒畝トクセは悲しげに微笑んで、罪を告白するかのように言葉を紡ぐ。
「ひどい僕は、それをずっと願っていた。生きる術を持たない子でも、彼女との子を抱きたいと、願っていたんだ」
　充忠ミナルは忒畝トクセが昔抱いていた夢を知っている。それを、どんなに欲していたかも感じている。どれだけ幻滅して絶望して、前を向くために切り離したのかも知っているつもりだ。理想を掲げてレールを敷いて一直線に歩いていくような人間が忒畝トクセなのだ。それは、本人もわかっているだろう。
　犠牲を強いるような欲を、忒畝トクセは欲さない。だからこそ、命の犠牲を強いてまで欲したことを『ひどい』と自戒している。
「でも違った。……当たり前だよね」
　忒畝トクセは己を浅はかだと笑っていた。
「彼女は妊娠三ヶ月を過ぎていた。たぶん、わかっていて僕との関係を持った。ずるいと思った。何度も、何度もあの人を憎めたら、嫌いになれたら楽になれるだろうと……でも、それは違ったんだ。自分の行いのせいだ。僕が招いた結果だった」
「忒畝トクセ……」
「僕はいつからこんなに身勝手になって、ひどい人間になってしまったんだろう。こんな僕は大嫌いだ。こんなに醜い感情は、僕のものではないと、思いたかった……」
　忒畝トクセが声を詰まらせてボロボロと涙を落とす。
　充忠ミナルは軽はずみに聞いてしまったかもしれないと悔いた。充忠ミナルが思っている以上に、忒畝トクセは己を責めていた。
「お前は……っ！」
　そんなに辛い想いを抱えているのかと、充忠ミナルは言葉が詰まる。
　誄ルイを目の前にしていたときさえ、忒畝トクセは苦しんでいたのかのかもしれない。理性は叫ぶほどに拒み、心は忒畝トクセを呑み込むように想いで支配して。
「ごめんね。心配かけて」
　忒畝トクセが涙を拭って、あははと笑う。
「お前、こんなときまで……」
「だって、心配だったから聞いたんでしょう？」
『サラッと何でもなかったと言ってしまう』忒畝トクセが、そこにはいた。いつもの雰囲気に、つい充忠ミナルの張り詰めたものがゆるむ。すると、
「充忠ミナルはこんなこと、興味半分で聞くような人ではないのは……わかっているよ？」
　一瞬で無邪気な笑顔に変わる。そうして、『さ～てと！』と、声を弾ませた。
「安心したのなら、今度は僕も安心をさせて」
　何のことかと、充忠ミナルは目が点になる。
　先ほどまでの忒畝トクセはどこへやら。雰囲気は一変し、にこにこと楽しそうに笑っている。
「馨民カミンとふたりで休みを取って。僕の体調は、大丈夫だから」
「本当か？」
「うん、大丈夫。体重は落ちたままだけど、元気だよ？　それに、そんなに寝込んでばかりもいられません」
　以前と変わらない忒畝トクセに見えた。──髪の毛の色が、薄くなってきているように見えた以外は。
　忒畝トクセは『ね？』と笑って返事を催促する。

　結局、充忠ミナルは了承の返事をし、馨民カミンと休みを取った。そうしてふたりで出かけて少ししてから入籍したが──体重を落とした忒畝トクセが体重を戻すことはなく、しばらくして白緑色の髪は、白髪になっていた。