39 / 71
少年期 港町小旅行編
(41)巌の民
しおりを挟む
港町カーライルの朝は早く、日が昇り始めたかと思うと俄かに外が騒がしくなる。大学構内での朝とは異なり、人々の生活が壁を隔ててすぐ向こう側に営まれているということがフィンの寝起きの頭に新鮮に映えた。
フィンは些か新鮮な気持ちで窓を開けようとしたが窓はギシギシと嫌な音を立てて抵抗する。嵌め殺しの窓でもないのに随分と立て付けが悪い。
「窓は無理に開けない方がいいですよ。塩で窓が傷んでいるのでしょう」
既に出掛けの支度を終え、ゆったりと椅子に腰かけて本を読んでいるドロシーが言う。彼女の前の丸テーブルには宿が用意してくれたらしき朝食が置かれている。
「塩で、ですか?」
塩がどういった事情で窓に付着するのか。フィンは首をかしげる。窓を開けるのを諦めて食卓に着き朝食を口に運ぶ。テーブルには小ぶりな鍋と取り皿として陶製のボウルが用意されていた。ドロシーが魚介スープには魚肉に貝にと具のふんだんなスープをよそってくれる。
「いただきます」
「ええ、いただきましょう」
トマトをベースにしたスープは香からして豊潤で、魚介の淡い味わいに色どりを添える。弾けるような具の食感が咀嚼するのに心地よい。小鍋の中身はしばらくもするとすっかり空になってしまっていた。
「そうそう、塩の話でしたね」
宿を出てしばらく歩いているとドロシーが思い出したように口にした。左腕には大きめの封筒が抱えられている。見た目にかなり嵩があるようだった。
「この道からでは海は見えませんが海水には多量の塩が含まれています。それが風に乗り海岸線付近に吹いて降りてきます。塩は微細な……極端に表現するならば砂のような形状をしていますから窓の動きを阻害することもあればやはり塩ですから蝶番を錆びさせてしまうことも多々あります。こうした塩を由来とする不便のことをひとまとめに塩害と呼びます」
「塩が風に……」
フィンは鼻をすんすんと鳴らしてみた。ロンゴミニアドではしない匂いが鼻孔に広がるのを感じる。塩、であろうか。
「今あなたが感じている匂いの正体は海中の微生物の死骸が放つ匂いだと言われています。その匂いはその近海が温暖で魚介類が豊富であることを示す香りだそうですよ」
「死骸」
「ええ」
不思議と心地よい匂いだ、と思った矢先に飛び出てきた単語の威力にフィンは驚きつつ落胆する。いや、でも死骸とわかっていてもやはり不思議と心地よいように感じられた。
ドロシーの足は海の方とも中心街とも街道とも遠ざかっていった。視界に石造りの建物より木造の建物の方が目立ち始めた頃、ドロシーは「こちらです」と一件の家の前に足を止めた。その建物は決して立派なものではなかったが、周囲のものと比べれば石造りの上、扉がある分頭一つ抜きん出て造りのよいものであった。
「ごめんください」
扉を開けつつドロシーが中に声をかけると、「おう」と不機嫌そうな声が返ってきた。
中に入るとそこは武具屋であった。様々な長さ、形状の槍が壁にかけられている。返しの着いた槍、刃が交差する槍と様々ある他に、剣や斧、山刀や盾なども並んでいた。
所狭しと並ぶ品々はいずれも静謐な恐ろしさと、空気としての重さを纏って見え、フィンは息を飲み瞬きもできずにそれらを眺めていた。
「すごいですね……」
「フン。素直な賞賛は悪くないもんだな」
先生に向けたつもりの言葉に不機嫌げな男の低い声で返され忽ちフィンは正気に戻った。見てみれば店の奥、カウンターには頬杖をついた男がいた。眉間に皺を寄せ難しそうな表情をしている。髭が濃いために口の形はよく見えなかったが、少なくとも微笑んでいないようだとはわかった。顔の彫りは深く眉上弓は庇のように張り出している。頬杖に使っている腕は角張っており太く荒々しく見える。
「大学の先生が学生を連れてくると聞いたがどっちが先生だい」
「初めまして。ロンゴミニアドより参りましたドロシーと申します。本日は彼の……」
「おう、お弟子さんの槍を作ろうってんだろ。さっさと始めよう」
「よろしくお願いいたします」
ドロシーが頭を下げるのを見てフィンも慌てて頭を下げた。
「よ、よろしくお願いいたします!」
「おう。おれっちはダグってんだ。よろしくな坊主」
ダグはカウンターから回り込んで来るとドロシーから封筒を受け取り中身を広げて眺めた。大きな一繋がりの紙には槍のような長物の図と文字が所狭しと敷き詰められていた。ダグは一瞥、フンと鼻を鳴らすと「なるほどな」と言いつつ巌のようなごつごつとした手で几帳面に丸めていく。
「芯材にはこれを」
続けてドロシーは封筒を差し出す。先の封筒の半分もない大きさであった。これもまたダグは中身をちらと見ただけでしまうものだからフィンはその中身が把握できず些かのもどかしさを覚える。
「フン。この内容なら今すぐに取り掛かればお前さんたちの滞在中には仕上がるだろうな」
フィンは少しずつわかってきたのだが、彼は不機嫌でフンフンと鼻を鳴らしているのではなく単に癖のようなものらしい。
「そうですか。間に合いそうでよかった」
ドロシーが誰に言うともなく胸を撫でおろしているのをフィンは不思議に眺めていた。
その後、ドロシーとダグはいくつかのことを打ち合わせると前金を支払い改めて「よろしくお願いいたします」と頭を下げて辞去する運びとなった。
「おい坊主」
ダグの声はよく響く。発話の最初の音が弾けるように出力されるので背後から急に声をかけられるとどうしても身が竦む。
振り返るとダグがすぐそこに立っていた。こうして相対してみるとわかるが人間の大人と比較すると幾分背が低い。自分やドロシーよりは背丈があるが、それも僅かだった。
「この後は観光だろう。よかったら二人でドラブ丘の鐘でも観てくるといい。丘なんて言っているがあそこは展望広場だからな」
「あ、ありがとうございます」
「フン。それとこれもやろう」
ダグはやけに重さのある紙袋をフィンに押し付けるように渡すと、フンフンと鼻を鳴らしつつカウンターの奥、作業場に引っ込んでいった。
生まれて初めてのドワーフとの会話は、見た目や振る舞いは怖いけれどとても温かみのあるものだった。
フィンは些か新鮮な気持ちで窓を開けようとしたが窓はギシギシと嫌な音を立てて抵抗する。嵌め殺しの窓でもないのに随分と立て付けが悪い。
「窓は無理に開けない方がいいですよ。塩で窓が傷んでいるのでしょう」
既に出掛けの支度を終え、ゆったりと椅子に腰かけて本を読んでいるドロシーが言う。彼女の前の丸テーブルには宿が用意してくれたらしき朝食が置かれている。
「塩で、ですか?」
塩がどういった事情で窓に付着するのか。フィンは首をかしげる。窓を開けるのを諦めて食卓に着き朝食を口に運ぶ。テーブルには小ぶりな鍋と取り皿として陶製のボウルが用意されていた。ドロシーが魚介スープには魚肉に貝にと具のふんだんなスープをよそってくれる。
「いただきます」
「ええ、いただきましょう」
トマトをベースにしたスープは香からして豊潤で、魚介の淡い味わいに色どりを添える。弾けるような具の食感が咀嚼するのに心地よい。小鍋の中身はしばらくもするとすっかり空になってしまっていた。
「そうそう、塩の話でしたね」
宿を出てしばらく歩いているとドロシーが思い出したように口にした。左腕には大きめの封筒が抱えられている。見た目にかなり嵩があるようだった。
「この道からでは海は見えませんが海水には多量の塩が含まれています。それが風に乗り海岸線付近に吹いて降りてきます。塩は微細な……極端に表現するならば砂のような形状をしていますから窓の動きを阻害することもあればやはり塩ですから蝶番を錆びさせてしまうことも多々あります。こうした塩を由来とする不便のことをひとまとめに塩害と呼びます」
「塩が風に……」
フィンは鼻をすんすんと鳴らしてみた。ロンゴミニアドではしない匂いが鼻孔に広がるのを感じる。塩、であろうか。
「今あなたが感じている匂いの正体は海中の微生物の死骸が放つ匂いだと言われています。その匂いはその近海が温暖で魚介類が豊富であることを示す香りだそうですよ」
「死骸」
「ええ」
不思議と心地よい匂いだ、と思った矢先に飛び出てきた単語の威力にフィンは驚きつつ落胆する。いや、でも死骸とわかっていてもやはり不思議と心地よいように感じられた。
ドロシーの足は海の方とも中心街とも街道とも遠ざかっていった。視界に石造りの建物より木造の建物の方が目立ち始めた頃、ドロシーは「こちらです」と一件の家の前に足を止めた。その建物は決して立派なものではなかったが、周囲のものと比べれば石造りの上、扉がある分頭一つ抜きん出て造りのよいものであった。
「ごめんください」
扉を開けつつドロシーが中に声をかけると、「おう」と不機嫌そうな声が返ってきた。
中に入るとそこは武具屋であった。様々な長さ、形状の槍が壁にかけられている。返しの着いた槍、刃が交差する槍と様々ある他に、剣や斧、山刀や盾なども並んでいた。
所狭しと並ぶ品々はいずれも静謐な恐ろしさと、空気としての重さを纏って見え、フィンは息を飲み瞬きもできずにそれらを眺めていた。
「すごいですね……」
「フン。素直な賞賛は悪くないもんだな」
先生に向けたつもりの言葉に不機嫌げな男の低い声で返され忽ちフィンは正気に戻った。見てみれば店の奥、カウンターには頬杖をついた男がいた。眉間に皺を寄せ難しそうな表情をしている。髭が濃いために口の形はよく見えなかったが、少なくとも微笑んでいないようだとはわかった。顔の彫りは深く眉上弓は庇のように張り出している。頬杖に使っている腕は角張っており太く荒々しく見える。
「大学の先生が学生を連れてくると聞いたがどっちが先生だい」
「初めまして。ロンゴミニアドより参りましたドロシーと申します。本日は彼の……」
「おう、お弟子さんの槍を作ろうってんだろ。さっさと始めよう」
「よろしくお願いいたします」
ドロシーが頭を下げるのを見てフィンも慌てて頭を下げた。
「よ、よろしくお願いいたします!」
「おう。おれっちはダグってんだ。よろしくな坊主」
ダグはカウンターから回り込んで来るとドロシーから封筒を受け取り中身を広げて眺めた。大きな一繋がりの紙には槍のような長物の図と文字が所狭しと敷き詰められていた。ダグは一瞥、フンと鼻を鳴らすと「なるほどな」と言いつつ巌のようなごつごつとした手で几帳面に丸めていく。
「芯材にはこれを」
続けてドロシーは封筒を差し出す。先の封筒の半分もない大きさであった。これもまたダグは中身をちらと見ただけでしまうものだからフィンはその中身が把握できず些かのもどかしさを覚える。
「フン。この内容なら今すぐに取り掛かればお前さんたちの滞在中には仕上がるだろうな」
フィンは少しずつわかってきたのだが、彼は不機嫌でフンフンと鼻を鳴らしているのではなく単に癖のようなものらしい。
「そうですか。間に合いそうでよかった」
ドロシーが誰に言うともなく胸を撫でおろしているのをフィンは不思議に眺めていた。
その後、ドロシーとダグはいくつかのことを打ち合わせると前金を支払い改めて「よろしくお願いいたします」と頭を下げて辞去する運びとなった。
「おい坊主」
ダグの声はよく響く。発話の最初の音が弾けるように出力されるので背後から急に声をかけられるとどうしても身が竦む。
振り返るとダグがすぐそこに立っていた。こうして相対してみるとわかるが人間の大人と比較すると幾分背が低い。自分やドロシーよりは背丈があるが、それも僅かだった。
「この後は観光だろう。よかったら二人でドラブ丘の鐘でも観てくるといい。丘なんて言っているがあそこは展望広場だからな」
「あ、ありがとうございます」
「フン。それとこれもやろう」
ダグはやけに重さのある紙袋をフィンに押し付けるように渡すと、フンフンと鼻を鳴らしつつカウンターの奥、作業場に引っ込んでいった。
生まれて初めてのドワーフとの会話は、見た目や振る舞いは怖いけれどとても温かみのあるものだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる