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0012 さよなら花畑

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「ねぇ」
 と、その女は言った。「ごめんね」とも。
 俺は何も言わない。女も何も言わなかった。少しずつ女の体から力が抜けていき、ついに動かなくなった。
 やせ細って棒のような手足とやたらに化粧が濃い顔はもう動かない。
 その様子を見て、人が死ぬとこうなるんだな、と一人で納得する。

 女に頼まれていた通り、俺は山に深い穴を掘って埋めてやる。
 この山は私有地で、この山の所有者は俺の親父だから見つかるのも何年も先だろう。
 代々受け継いでる山で、祖父の代で廃品回収もどきの小遣い稼ぎをした際にできたゴミ畑がある。女を埋めるのはの近くだ。

 女を穴に放り投げ、上から土を被せる。あまりの重労働で明後日が憂鬱だ。

 掘り返したせいで女を埋めた土の色が一か所だけ違う、なんとはなしに寂しい墓だと思う。
 可哀想に思い、俺はゴミ山を眺めて女の上に電子レンジとテレビをいくつか重ねて弦の切れたギターを添えてやった。ロックスターの墓みたいでかっこいいんじゃないだろうか。

 はあ、とため息をついて不愉快な気持ちをかみ殺す。
 気が向いたらここに花でも植えてやろうか。



 女と出会ったのは昨夜の夜もかなりふけた頃だった。

 最近、よく眠れない。気候のせいもあるだろう。

 俺は常連しかいないやる気のない居酒屋でちまちま枝豆を食っていた。そこに女がやってきた。
 女は馴れ馴れしく俺の横に座った。

「ねぇ、私の事覚えてる?」
「しらないよ」
「そうね、小さかったからね」

 誰かと勘違いしている事は明白であった。
 ボケているんだろうと俺は刺激しないように、生半可な返事しかしなかったが女は嬉しそうだった。
 女は酒を頼んだ。

 酔えば酔うほどに、泣き喚く。

 最終的に店主に追い出された。ついでに知り合いだと思われた俺もだ。

 ここで見放して万が一にでも女が暴行されたなんてことになったりしたら犯人の有力候補は俺になるだろう。

 女の容姿と年齢を考えるとほとんど心配はないと思うが、人の好みは分からない。

「家どこだよ」
「こっちに家はないの」
「じゃあホテルか?」
「違う違う。私ここに死にに来たのよ」

 死? 何とも馬鹿げたことに俺は巻き込まれたのではないだろうか。
 ろれつが回らない女の言う事だ。
 真面目に取り合うこともないだろう。

「なんでもいい。場所を言え」
「E山」
「そこは私有地だ」
「いいの! 私はそこにいくの!」

 駄々っ子のような女を俺は車に乗せた。ゲロでも吐いたら車から引きずり降ろして山の上だろうが置き去りにしてやろうと思っていた。
 女は山につくまでの間に、自身の生い立ちを語る。

 数年前に記憶障害になり、今は治療中であるということ。
 しかし治療の成果は芳しくないという。
 元は記憶喪失であり、記憶が戻ったと思ったらそれは自分の記憶ではなかったらしい。

「誰の記憶なんだ?」
「あなたの母親」

 俺は三十過ぎだが、母を名乗る女は多分四十かそのくらいだろう。

「俺の母ちゃんはピンピンしてるぞ。大体あんたいくつだよ」
「四十二、らしいわ」

 女はケラケラと笑う。これ以上妄言に付き合うのも疲れる。
 俺は運転に集中しているふりをして女の言う事を無視することにした。

 会えてよかったという女はまた記憶障害について語った。
 自分だと思っているのが別人だといわれとても混乱し、記憶の場所をようやく探し当て実在することを突き止めた。

 女自身にも子供がいる。まだ中学生だという。

 中学生という時期にこんな母親を見せられないと夫の家族がアパートを借り別居状態。

 そんな子供を放っておいて、戻った記憶の場所が分かったなら知っている人もいるはずだと、ふと入った居酒屋に俺がいたらしい。
 迷惑な話だ。

 記憶にある俺は幼少期までだったが、すぐに分かったという。

 でも女は、確かに自分の産んだ子供がいるし俺にもキチンと母親がいる。そのことが分かっているが、そうなると自分の居場所がないと思ったという。
 そして腹いせに死に場所にE山を選んだという。

「E山にゴミがたくさんある場所があるでしょう。私が死んだらそこに埋めてね」
「なんで知ってんだよ」
「小さい頃、あなたそこで遊ぶのが好きだったじゃない。危ないって言っても聞かないで」
「……」

 そんな事実はない。
 俺はここで生まれたわけではない。隣の県から親の仕事の都合で小学生の頃に引っ越してきたのだ。そして山で遊び始めたのは中学生からだ。

 やはりこの女は気がどうかしているんだな、俺はにこやかに話す女を忌々しく思い鏡越しに睨みつける。女はそれを見て嬉しそうだ。

 車から降り、ゴミを越えた向こうに女は歩いていく。

「ここに埋めてちょうだいね」

 女の手首にはびっしりと横線が入っていた。

「本当にあなたがいてくれてとてもうれしかった」

 そう言うと女はカッターナイフを取り出した。

「おい、何をするつもりだ」

 戸惑う俺をよそに、手首の切れ込みを深くしていく。太い血管まで達したのか血はどんどんと出てくる。

 俺は先ほどまで女を馬鹿にしていた、今も馬鹿にしている。だが、それでも覚悟を決めた人間というのはここまで迷いがないものかと怖くなった。

 もしかしたら、この女はこのまま行方不明になってしまった方が、幸せなんじゃないだろうか。彼女の家族はきっと捜索願なんか出さない。出したとしても探さないだろう。
 短い間だったが、混濁した記憶の中にあった母の記憶はあっていた。

「じゃあな。母ちゃん」

 女は光のない瞳でゆっくりと俺を見上げた。ずっと孤独と戦っていた人に対してのやさしさ、これは間違っていただろうか。

 唇は震えているが、口角が上がっていた。「ねぇ」女がか細く声を絞り出した。
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