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第六話 契約の儀式

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 仙狐様の家の寝室に、僕と仙狐様が全裸でいる。なんとも気まずいこの雰囲気の中に僕は囚われている。今すぐにでも抜け出したい。

「契約の儀式は、神子になる者と神子を遣わす者が契りを交じわす為に存在する儀式じゃ。そして……」

 仙狐様は目を逸らす僕の顔を優しく掴む。そして、しっかりと仙狐様の顔が見えるように正面へと動かされる。

 ──顔が近い。その近さから仙狐様の呼吸音が聞こえる。
 何故か仙狐様は頬を火照らせている。初めてということもあって、仙狐様も僕と同じように恥ずかしいのだろう。

 仙狐様はそのままゆっくりと顔を近づけてくる。その度に心臓の鼓動が早くなってくる。誰かに対してこれ程までに緊張するなんていつぶりだろうか。

「………」

 独特な香りがする。獣特有の臭いではなく、普通の女の子が放つような匂いだ。なんというか、意外だ。

「儀式の内容は、わしがぬしに魔力を与えること。その手段は──」
「………ん」
「……その者達による接吻じゃ。とびきりの、な」

 一度目のキス、それは僕にとっても仙狐様にとっても初めてのキス。ゆっくりとお互いの唇を触れ、ほんの少しで離れる。驚く程に柔らかい感触を持つ唇だった。
 しかし、まだお互いに緊張している。長く続かないのもそれが理由なのだと思う。

「……本気で行くぞ?」

 その言葉に僕は小さく頷く。すると、仙狐様は手を僕の顔から抱き締めるようにより奥へと伸ばす。そして一気に引き寄せ、再びその柔らかな唇を僕の唇に当てた。
 二度目のキスは最初と違い、唇を当てた途端にねじ込むように舌が入り込んできた。その舌は優しく僕の舌を絡め取り、お互いの唾液が絡め合う。

「んむ……ちゅっ……はむっ」
「……んっ……」
「……ほれ、ぬしも、動かさんか……」

 仙狐様は積極的な反面、僕は完全に受け身だ。どう動かすのかがわからない。デタラメにやれば迷惑をかけるだけ。それならば、受け身でいるのが選択肢としては正しいはずだ。

 少し離すだけで絡み合った唾液は糸を引く。キスを続けるうちに仙狐様が僕を抱き締める力は強くなっていく。絶対に逃がさないという意志を感じた。

「……んっ」
「っ……!?」

 僕が絡めて来る舌に対してさらに絡め返すと、仙狐様の体がピクンと動いた。
 必死に動かしている仙狐様を見ていると、僕のためにしてくれていることなので申し訳ない気分になる。仙狐様を少しでも満足させられるくらいには積極的になってもいいだろう。
 ずっと受け身でいるのはダメだ。自分から動かないと、これからもずっと僕は変われない。

 僕が少し積極的になると、さらに仙狐様は僕の口の中全体を舐め回すという行為に出た。他人に口の中を舐められるなんて初めてだ。それに、ムズムズと変な感じがする。

「んはっ……はぁ……はぁ……」
「はぁ……急に……積極的になりおって……」

 段々激しくなって言ったキスは呼吸が出来ないくらいにまで荒々しくなり、仙狐様の限界が来たところで唇を離す。僕自身ももう少しで気を失うところだった。

 頭がボーッとする。体が熱い。まるで炎の中に突っ込まれたようだ。耳も痛い。頭も痛くなってきた。

「っ……!?」

 ──その瞬間、僕の心臓が跳ね上がるように高鳴る。

 これはただの高鳴りではない。心臓を押し出すように何度も何度も鼓動が鳴る。同時に何故か僕の体が自分の意思と関係なしに勝手に横たわる。体に力がまるで入らない。

「ぅ……あ……!?」

 骨を強引に曲げられるような音と共に体に激痛が走る。その時、あの時僕に向けて狼が言った言葉を思い出す。

 ──耐えろ。耐えなきゃ本当に精神が壊れる……!

 骨格がねじ曲がり、何かを失う感覚と作られる感覚。自分の体が丸々別のものになっていくような感じだ。
 ここでもしこの痛みに負ければ、本当に僕は誰からも必要とされなくなる。僕を必要としてくれた人を失望させたくない。

 ──僕は……必要と……されたんだ……!

 その意思が今すぐにでも折れてしまいそうな精神をより頑丈にする。そして、ただひたすらに激痛に耐える。

「接吻の理由は、おぬしとわしの魔力を混ぜた体液を混ぜて飲ませるためじゃ。手っ取り早い方法は性行為なんじゃが、おぬしにはちと早いわい」

 仙狐様が口元に垂れた唾液を舌舐めずりをしてすくい取り口の中へと運ぶ。全裸とニヤついた表情と舌舐めずりという仕草は、その体の大きさの割には妖しく見えた。

「……ぁ……ぅ」

 言葉を発しようとするが、口周辺の筋肉が緩んでいるのか赤ん坊のような言葉しか発せられない。これが人間をやめる感覚、というものなのだろうか。

 心臓の鼓動が早くなり、一体自分はどういう生き物に、そしてどういう姿になってしまうのかという疑問が僕の頭の中で渦巻く。

「ふふ、『スリープ』」

 とにかく体を動かそうとする僕に仙狐様は突然言葉を放つ。その言葉を放った途端に仙狐様の指先から青い光が見え、気が付けば睡魔が襲っていた。
 重くなっていく瞼をこじ開けようとするが、どうしても力が入らず簡単に閉じてしまった。しかし瞼は閉じてもまだ辛うじて意識はある。辛うじて、だが。

「力を抜け。相当に痛みを感じているのじゃろう?」
「……ぇ……ぁ……」
「……可愛い奴よ。とにかく眠るがよい。詳しい話は起きてからでもゆっくり──」

 僕に向けて仙狐様が話している途中で、辛うじて保っていた意識はなくなった。



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 わしの目の前にはすっぽんぽんのまま敷布団で眠る人間。その姿は、段々と変化していっている。

「おっ、耳が生えてきおった」

 眠っている人間からわしの耳と似たような狐色をした耳が生えてくる。中々に奇妙な光景じゃが、何故か目が離せない。これを人は好奇心と呼ぶのじゃろう。

 耳が生え終えると、次に耳から段々髪色が変わってくる。狐色の耳とは違い、その髪色は黄土色。パッと見同じ色じゃが、よく見ればほんの少しだけ違っている。ちなみにわしと同じ髪色じゃ。

 そして、髪色が変わっていくにつれて髪自体の長さも伸びてくる。後ろ髪に関しては既に腰辺りまで伸びておる。

「……んっ……」
「んー、次は尻尾かのぉ?」

 人間がもぞもぞと体を動かす。とても苦しそうな表情をしている。今すぐにでも痛みを和らげたいところじゃが、儀式途中に不要な手出しはできない。ここは我慢するしかないということじゃ。
 わしの種族は尻尾が性感帯でもあるため体に触れている時はこそばゆい。それでもなお苦しむということは相当な激痛が走っているのじゃろう。

「……頑張っとくれ、人間」

 聞こえないとわかっていながらもつい応援してしまう。じゃが、この応援は無駄だとは思わない。きっとこの応援は人間の心に届いておる。わしはそう信じる。

「はんっ………」
「おぉ、出てきおった」

 ピクッと人間が体を動かすと、一気に尻尾が生えてくる。尻尾の色もわしと同じ先っぽが狐色で全体的には黄土色の尻尾じゃ。

 それはそうと、尻尾とは別に先程から人間の口から漏れている声はまるで女子おなごのような甲高く可愛らしい声。声帯の面でもかなり変化しているようじゃ。

 そして、様々な点から見て何故ここまでわしの特徴と似ているのか。それは、儀式による姿の変化は魔力を与えた者──つまりわしの姿がモデルとなるからじゃ。まあ、モデルになるだけで多少わしと違う点はあるがの。例えるならば声や体型などじゃ。

「さてと、このまま待っておっても暇じゃし、わしは色々と準備しておくかの」

 この変化にはとても体力を使う。眠らせたのも、無理に力を入れようとしてさらに体力を消費されて衰弱死なんてされれば困るからじゃ。

 そして体力を消費すれば勿論お腹が空く。つまり、今用意すべきはこの人間の変化後の衣類と食料。衣類はわしの予備……というか、ただ作ったはいいもののサイズが一回り大きくなってしまった物を使えばよいじゃろう。
 ……モデルはわしじゃのに何故か胸とか身長とかが、見る限りではわしよりも大きくなっておるし。悔しくなんかないんじゃからな。

 しかしじゃ。肝心な食料は今朝わしが食べたのが最後。要するに、今この家には食料という食料がないのじゃ。めんどうじゃが、この人間が目を覚ますまでに買いに行くとするかの。

「って、今思えばお金がないんじゃった……」

 そう言えば、最近刀の手入れ道具一式を買ったのを忘れておった。もっと考えてお金を使えばよかったわ……。このままでは本当に何も買えずに餓死してしまうぞ。

 そうわしが悩んでいると、ふと人間が着ていた変わったデザインの服に目が入る。もしかすると、金目の物を持っておるかもしれない。

「ん、何じゃこの巾着袋は」

 ズボンのポケットから謎の巾着袋を見つける。少々湿っているが、中身が紙類じゃなければ問題ないじゃろ。

「中は……人間の使う金銭じゃな」

 巾着袋の中に入っていたのは、人間達が使う金銭である金属で作られた硬貨であった。人間の金銭に関しての知識はあまりないのじゃが、金色の硬貨だということは値段としては高い方に違いない。

「……い、いや、別にこれは盗みではないぞ。人間をやめるということはもうこれを使う必要もないんじゃ。だからこっちの金銭に換金してやろうと思っただけじゃ。買い物はそのついでなんじゃ」

 これは盗みではない。仕方なくの行為なんじゃ。それに、買い物をした後じゃから少しは減るとは思うがちゃんと返すつもりじゃ。

 自分自身の言葉で強引に納得させ、わしが脱いでいた服を着て買い物に行く準備をする。
 そうじゃ、早いうちに人間の服を……いや、今はもう神子か。まあそれはともかく、神子の服を出しておかないと人間の時に着ていた服を着てしまうじゃろう。全く体と大きさが合わないとしても。

 ……どうせならこの服も片付けておくかの。そうした方が、この者にとってはちゃんとした決別をさせられる。

 わしは神子が起きた時に服を着れるように、すぐ隣にわしが着ているのと同じデザインの服を置いておいた。そして、人間の時に着ていた服を回収して綺麗に畳んだ後に引き出しの奥にしまう。

「わしだけで決めるのもあれじゃ。だから、この服をどうするのかは……」

 わしは神子の方を向く。ぐっすりと眠り、今にでも抱きしめたい程愛らしい神子をじっと見つめる。

 この自分が人間であったという証明である服をどうするのかを決めるのは神子じゃ。わしはあくまで、ほんの少し手伝ってやるだけじゃ。

「さてと、それじゃあわしはさっさと出掛けるとするかの」

 硬貨の入った巾着袋を持って、「いってくるぞ」と一言言ってわしは家を出た。

「ウル」
「儀式は無事に終わりましたか?」
「勿の論じゃ。してウル」
「なんでしょうか」
「わしを市場まで乗せてくれはせんか?」
「……俺のことを乗り物か何かと間違えてませんか?」
「神子が目覚める前に戻りたいのじゃ。変化するのも手間じゃしの。まあ、急ぎの用というやつじゃ」

 ウルは溜め息をつく。正直言ってわし自身が狐に変化へんげして走ればいいだけの話なんじゃが、体力的にも速さ的にもウルの方が上。まあ、その気になれば追い越せるのじゃが、めんどうなんじゃなこれが。
 まあ、どうしてもウルが乗せてくれないというのならその手段を使わざるを得なくなるんじゃが。

「……急ぎの用だというのならば仕方ありません」
「やった!」
「では、早く乗って」
「もう乗っておる」
「……行きますよ」

 そして、わしを乗せたウルは一気に階段を飛び降り市場の方に向かって走って行った。

 ──待っておれ、秒で帰ってきてやるわ!

 そう意気込みを入れたものの、市場に着く前に秒を過ぎて分になってしまった。流石に調子に乗り過ぎたとわしはほんの少しだけ反省した。
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