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第七話 人間の光と闇

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 ──夢を見ていた。

 みんなが笑顔で、母親も笑顔。でも、みんなが遠くにいる。みんなは光がある方にいるのに僕は一人で暗闇の中にいる。

 ──消えればいいのに。

 光があるからって羨ましいとは思わない。むしろ僕のいる暗闇に呑み込まれて消えてしまえばいいと思う。
 アイツらは、他人を踏み台にして「愉悦」を得た者達だ。自分勝手な理由で楽しみのために利用され、必要なくなればゴミのように捨てる。それが、僕が思う人間という種族だ。

「これもお前のためだ」
「クラスの皆は仲間だ」

 そんな言葉も所詮は口から出たただの音に過ぎない。聞いているだけで不愉快になる音だ。そんなもの、僕は聞きたいとは思えない。
 それにこの言葉は、僕を縛り付けるための単なる押し付けだ。お前のためだなんて、それは僕の意思ではなく発言者側の意思。誰も慰めるつもりでなんて言っていない。

 何が仲間だ。何が友達だ。何がお前のためだだ。結局はみんな、自分より格下の僕に圧力を掛けて従わせたいだけじゃないか。
 昔から何も変わっちゃいない。何が平和だ。何が平等だ。結局根本的には何も実現していない。

「お前が必要なんだ」

 ──嘘だ。

「お前がいたから、──はここにいる」

 ──利用されただけだ。何かを得たのはそいつだけ。

「よくも──を……!」

 ──結局は誰かが死んでも赤の他人からは利用できる駒がいなくなっただけ。その誰かを愛していた者以外はそんな人がいたなんてすぐに忘れる。

 この世界はアニメみたいな綺麗事の塊で出来た世界ではない。人は人を見下し、人は人を殺す。とても愚かで醜い種族がのうのうと生きているのがこの世界なのだ。それは例え異世界であろうと変わることは無い。

 そして、そんな人間の一人が僕だ。その中でも闇の中に引きこもり、光の先に向かう強者の背中を見るだけのゴミのような存在だ。

 今、隣にいた人が光の方にいた人の手を掴んだ。そして、その人は闇の中から光の方へと向かった。きっと、何か希望を見出したのだろう。
 しかし、そんな行動も僕からすれば愚かなことだとしか思えない。

 見てみろ。僕の隣にいた人は光の方にいる他の人達を追い越したが、決して自分を闇から連れ出してくれた人には追い付けない。どんなに努力をしたところで、「恩人」という壁が塞いでくる。どんなにその人の立場が上だとしてもだ。
 するとどうか。あの人よりも連れ出した人の方が注目を受けた。自分よりも頑張りもしなかった人なのに。ただ偶然にも希望を見出すような言葉を言っただけなのにだ。
 そんな小さなことでも一気に差がつく。そしてその差は縮めることはできず、希望を見出したとしても社会的には負けている。

 結局、いいように利用できる駒を増やしただけ。善意でこんなことをする人なんていない。名誉と金と社会的な立場、それのみのために自分と同じ人間を利用したのだ。

 人を助けると気分がいい? 結局は自己満足なだけで助けた人の後の人生なんてどうでもいいんじゃないか。
 じゃあ人助けをやめろとでも言うのか? そう反論する時点で図星だ。本気で人助けをしたい人ならば、こんな言葉を無視して人助けをしている。自分を犠牲にしてまで誰かを助ける。
 それが、誰もを幸福にできる本当の正義の味方だ。普段の人間達がしている人助けはただの偽善に過ぎない。

 少なからず本当に良い人達はいる。良い人達が増えれ、全ての生き物が理解し合えれば差別や事件、事故も起こらない。他人を蹴落として名誉を手に入れようともしない。

 だがそんな人が増えれば、同時に他人への善意を理由に対立が起こる。理解し合えたとしても同じ考えをしない生き物達はいずれ再び争い始める。己の正義を貫き正当化する為に。

 結局、どう動いたとしても人間は争うことをやめられない愚かな生き物だ。平和な世界なんて理想に過ぎない。

 だから僕は、この真っ暗な闇から出ないと決めた。こんな絶望しかない未来を理解した上であえて人間達のいる光の方へ行きたいとは思えない。行ったとしても、見出した希望を悉くに打ち砕く絶望が待っている。
 そんな場所へは行きたくない。何もしないことが逃げたというのならばそう言えばいい。所詮僕という存在はその程度なんだ。

 ──そんな時、人間側ではない真逆の方に人間のとはまた違う光が見えた。

 他の人達には見えていない。必死に光を求めて思考を巡らせているからだ。前しか見ていないために周りを見ていない。
 見えているのは僕だけ。だから向かうのも僕だけ。一人孤独にその光に向かって歩く。

 人間は皆、一人になるのが怖い。だから他人に身を委ねる。集団を作って安心できる場所を作る。群れを作る生き物と同じだ。

 だが、僕にそんなことは関係ない。ただ気になったから動いた。好奇心というやつだ。
 それに、前ではなく後ろへ行くことは逃げているわけではない。むしろ、同じく前へと向かっている。どの道をどの方向で進んだとしても、その人にとってはそれが前になる。生き物はみんな、それぞれの生き方が違っても前を向いている。

 ──そしてその光に手を伸ばすと、何かが僕の腕を掴み、そのまま光の方へと引き込んだ。

 光の中は……特に何も感じない。ただ眩しいだけ。しかし、何かが変わっていく気がした。恐怖を感じたが抵抗する気にはなれなかった。いや、僕が心の奥底で抵抗なんてする必要がないと判断したのだろう。

 少し進むと眩しさで見えにくいが、扉らしきものを発見する。
 根拠なんてないが、そこに行けば何かができる気がした。だから僕は、光の出口に向かって走った。

 そしてその光を出ると、そこは──



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 ──目が覚めた。

 開いたカーテンに襖。そして、僕が被っている布団が薄らと開く僕の目に入った。周りを見渡してみるが、仙狐様の姿はなかった。

「……ん」

 目に何が入った。糸のようなものということから恐らくは前髪だろう。垂れてくる前髪を手で軽く抑える。だが、何故かそれでも前髪は垂れてきた。

 おかしい。いつもならばこれくらい抑えれば垂れてはこなかった。それに、どことなく髪の感触が違う。
 僕の髪質はちょい柔らかめだったのに対し、今の髪質は柔らかくてサラサラだ。よくテレビとかで見た女性の髪質にそっくりだった。
 さらには髪色まで違う。垂れてくる髪の色は元々の髪色だった黒ではなく黄土色だった。

「……鬱陶しい」

 何度も何度も髪を退けるが垂れてくる。流石にしつこい。

 それとさっきの声で気が付いたが、僕自身の声もおかしい。声の出し方や聞こえ方に少し違和感を感じる。
 いや、声や髪だけではない。起きてからのこと、いつも以上に風の音や草木が揺れる音が聞こえる。今いる部屋は密室に近い状態だと言うのに。耳が良くなったにしては良くなり過ぎている。

 僕はその違和感の原因である自分の耳を触る。しかし、顔の横にあるはずの耳がなかった。かなり伸びた髪の中を探すが何もない。

 どこから物音を聞き取っているのかと疑問に思い耳に力を入れる。すると、顔の横ではなく頭の上の方に力が入った。

「…………」

 ゆっくりと頭の上に手を持って行く。そして、髪とはまた違う出っ張りに手が当たる。

「んっ……」

 手が当たった途端にこそばゆい感覚に襲われた。引き続きその出っ張りを触れていくと、犬や猫などの耳のような形だとわかる。毛も生えている。

「これ以上は……」

 可愛らしい声が部屋に響く。この声が自分の出した声だと考えると、まるで自分が女性になったようだ。
 とりあえず、これ以上この耳らしきものに触れていると本能的にダメだと判断し、触れるのを止めた。

 違和感はこれだけじゃない。他にも肩が妙に重いのと、この耳のように自分が眠る以前までは感じることのなかった新しい感覚があったりするなど様々な所に違和感があった。

 とりあえず違和感については後で考えればいいと布団から出て立ち上がり体を伸ばす。その際に無意識に頭を自分の体を見るように下げる。その瞬間、僕は視線の先にあるものを見て呆気にとられた。

「…………」

 僕の視線の先には膨らんだ胸。何かの見間違いかと一瞬思ったが、やはりそこにあるのは紛れもなく女性特有の胸だ。
 興味本位で一応触れて見ると、ムニュッと程よい柔らかさと弾力がある。触れられている感覚がするので間違いなく本物だ。
 やばい、思いっきりガン見してしまった。男としては完全に変態と呼ばれるような行為だ。興味本位ではあったとしても罪悪感を感じる。

 まあそれはいい。いや、絶対よくはないが。それよりも問題なのは男の象徴だ。僕はソレの存在を確認するためにゆっくりと手を股間の方へと伸ばしていく。

 しかし、そこには男の象徴はなかった。

「……なんだろ、この喪失感」

 別に性別が変わっただけじゃないか。なのにどうしてそこまで落ち込む必要がある。
 ……強がるのはやめよう。人間をやめるとしてもせめて男のままの方が良かった。そっちの方が愛着があったから。
 だが、別の存在になるということを考えれば性別が変わったことは良かったのかもしれない。こっちの方が、人間の頃の僕の姿と重ねにくい。人間では無い存在になったことを自覚できて精神的にも余裕が持てる。

「あ、鏡……」

 間違いなく性別が変わったということはわかったが、どうせならばどんな見た目なのかを知りたい。人型であることはわかるのだが、それ以外は情報が曖昧すぎてよくわからない。少なくとも自分の姿は知っておくべきだろう。

 そして僕は鏡の前に移動し、自分の姿を鏡越しに確認した。

「……仙狐様?」

 そこには、耳や尻尾、その他髪の色などを含め仙狐様そっくりな僕の姿があった。身長や胸の大きさなど少し違っている点はあるがそれ以外は瓜二つだ。

 ……何故だろうか。普通「なんでだー!」なんて叫ぶのだろうがあまり叫ぶ気分になれない。ただ、やっと人間をやめられたんだと嬉しい気分になっている。

「うっ、寒い……」

 自分の姿を見るのに夢中になっていた僕は全裸だったことを思い出し、無意識に近くにあった自分の尻尾を体の前に持ってきてそれに抱きつく。

「ひゃあっ!」

 すると、耳を触った時よりもゾクッという感覚と痛みが走り強く反応してしまう。思いっきり抱きついたのがまずかったようだ。

 それにしても、耳と尻尾がここまで敏感だと少し気を付けて動かないと。壁にでもぶつければ、恐らくかなりの激痛が来る。

「えっと……服は……」

 とにかく服を着ようと最初に僕の制服を探すが、そこに制服はなく代わりに紅色と白色が特徴の服が畳んで置いてあった。間違いなく仙狐様が着ていた巫女服だろう。

 今の僕は男の時よりも少し身長が縮んでいる。肩幅も腰周りも男の時とは違う。恐らく、今制服を着たとしてもブカブカだろう。そのことを考えた上で仙狐様はこの服を用意したのだろう。

「仕方ない……よね」

 少し考えた後、僕は置いてあった巫女服に着替える。しかし、ここで問題が発生した。

「……どうやって着るのこれ?」

 巫女服の着方についての知識が全くない故に、どうやって着ればいいかがわからなかった。そもそも、こういう和服を着るのは初めてで知らなくて当然だ。
 とりあえず白衣を適当に羽織った後、何をするかに迷っていると、この家の玄関から扉が開く音がした。

「帰ったぞぉー」

 入って来たのは仙狐様。今までどこに行っていたのかは気になる所だが、それよりも早く巫女服を着なければ。

「起きとるかー?」
「……よしっ」

 こっちに向かって来る仙狐様の足音を聞き、僕は奇跡的に巫女服の着方がわかったとしても間に合わないと思い巫女服を着るのを諦めた。そして、素早く巫女服を畳んで素早く布団の中に入った。ここは今起きたよ作戦を使うしかない。

「おーい、みーこー」

 部屋の中へと入ってきて布団の中で寝る僕を見る。

「まだ眠っておったか。うーむ、急いで帰ってきたんじゃが、もう少し寄り道してもよかったかのぉー?」

 仙狐様はそう言いながら僕が眠っている布団の周りを歩く。普通眠っているとわかっているのならば部屋を出ると思うのだが、まあ仙狐様は自由気ままな性格。叩き起されないだけマシと思おう。

「ほーれ」
「ひんっ!?」

 このままやり過ごせるかと思っていると、仙狐様が突然僕の尻尾を撫でてきた。突然のことだったので、完全に油断していた僕は声を出してしまった。

「やっぱり起きておったか」
「……えっと、どうしてわかったんですか?」
「尻尾が動いておったぞ」

 全く動かしているつもりはなかったが尻尾が動いていたらしい。まだ完全に尻尾という新たな部位に慣れていないからだろう。

「起きておるのなら、はよー服を着んか」
「とは言ってもですね……ん……」
「どうしたのじゃ?」

 服の着方を教えてもらう前にまたまた問題発生。正直言って一番恐れていたことだ。

「あの……お手洗いってどこですか?」
「……この部屋を出て丁度右に曲がったところじゃ」
「ありがとうございます。それじゃあ」
「ちょい待たれい」
「何ですか、早く行きたいんですけど」
「おぬし、全裸で歩き回る気か?」
「そうですよ、それしかないんですから」

 そう言われても、巫女服の着方もわからないのだから全裸で歩き回るしかないと思う。こればかりは仕方がない。
 それに、女性は男性よりも尿意が来てからの我慢が効かないと聞いたことがある。実際、今もかなりやばい。

「提案じゃ」
「ドア越しにお願いします」

 これ以上は我慢できず、僕は仙狐様に言われた道通りに進み提案を聞き入れる前にトイレの中に入った。

 ちなみにその提案とは、用を足し終えたら巫女服の着方を教えてやるということだった。それもこのトイレの中で。
 別に出てからでもいいのではと聞いてみるが、これ以上全裸でいて風邪でも引かれると困るからだそうだ。全裸になれと指示したのはどこのどなたでしたっけ。

 そしてこの後、裸の体をジロジロと見られるという恥ずかしい行為を受けながら巫女服の着方を教えて貰った。そして同時に、もう二度と特別な時以外は仙狐様の前で服を脱がないと決めた。
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