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王国滅亡編
第12話 白嶺の市、膨張
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雪解けの風が砦の内外を撫でた。外郭には布屋根が並び、塩と粉と油の樽、干魚の串、薬草の束が色で道を作っている。鍋の湯気は絶えず、子どもが歌い、角笛が合図を返す。昨日まで城塞だった場所が、確かに「市」へ変わりつつあった。
朝の鐘と同時に参謀室。各部局の首が集まり、エリアス大尉が板書を広げる。
「総帥閣下、現状の統計です。総人口一万七千二百九十六。うち兵七千五百二十、民九千六百七十六、捕虜千。常備兵内訳――歩兵五千二百、騎兵六百、砲兵二百八十、工兵三百五十、通信二百五十、医療百五十、魔導兵団千二百」
「備蓄は」
ラインハルト兵站大佐が帳簿をめくる。「穀物四十五日分、干し肉二十五、塩十五。市の黒字は一日一・五トン相当。三毛作は輪作順調、来季は麦一八〇〇石、豆五五〇石、牧草三〇〇石見込み」
「よし。市をもう一段広げる。――軍は市を守り、市は軍を養う。二つで一つだ」
⸻
午前、門前に異形の列が現れた。槌を背負う鍛冶師、土埃の石工、煤の鋳物師、染めの香りを纏う女たち。先頭の男が膝をつく。
「王都の重税で工房を潰されました。ここで、打たせてください」
掌は煤に黒く、しかし温かい。俺はその手を取る。
「粥を食え。そして打て。――剣も鍬も、旗より重い」
その日のうちに工兵隊と職人たちが協働し、砦の一角に大炉が組まれた。風術士が送風を担い、炎術士が熱を制御する。石と粘土の胴に風が唸り、火床で鉱石が赤から白へ、白から橙へと色を変える。
「送風、一定。――熱位、維持」
炎術士が低声で唱える。「温度調律〈カルド・レギュラ〉」
風術士が追う。「等圧送風〈エクイ・ヴェント〉」
やがて、最初の涸れた鉄が流れ、クラウス少佐が槌で延ばす。鐘のような音が砦全体に走った。
「本日より――白嶺の鉄が生まれる」
魔導兵団の符術班も駆けつけ、木と紙に術を刻む。幻術士セリーヌ大尉が指で符を撫でた。
「術士でなくても使えるわ。生活の道具に」
魔導具工房の誕生である。
⸻
午後は「生活系魔法」の実演だ。市の真ん中、即席の台に並ぶのは鍋、桶、壺、農具、灯火。
「携帯水壺。――清浄結界〈バリェーラ・プーロ〉の常膜版」
壺に刻まれた薄膜が微かに光り、濁りが澄みに変わる。農婦が息を呑む。
「夜でも本が読める灯。――微光輪灯〈ルクス・ミニマ〉」
小さな符灯が温い光を放ち、子どもが文字をなぞる。
「火おこし符。――微火起こし〈イグニス・ブレヴェ〉。煮炊き用は燃えすぎない」
「携帯暖石。――温石符〈カルド・ピエドラ〉。凍傷避けに」
「農具強化。――土の援け〈テッラ・アジュダ〉。鍬の負担を三割減」
「収穫乾燥。――低温乾燥〈セッカ・レント〉。干魚・乾菜の歩留まりが上がる」
「防鼠防虫粉。――忌煙散〈フマス・ノクス〉。人畜には害薄」
「路面固化。――土面締結〈テッラ・シギルム〉。泥道を締める」
「簡易通信札。――符文伝言〈メモ・シギル〉。井戸番と倉係の伝達に」
「薬湯加護。――煎薬護符〈フェルマ・デコクタ〉。沸かし過ぎ防止」
最後にエスメラルダ軍医大尉が水桶に手を翳した。「消毒。――微光殺菌〈ルクス・ピュリタス〉」
人々の顔に、安堵が広がった。生活の便は即、心の余裕に変わる。心が満ちれば列は崩れず、列が崩れなければ軍は強い。
⸻
続いて「産業系+軍用」の演示。鋳場に運ばれる鉱石、溝を走る光、刻まれる符。
「粉砕運搬。――震粉符〈トレモル・プルヴァ〉で鉱石を粒に」
「浮揚搬送。――荷重浮き〈レヴィ・カルト〉で台車の負荷を半減」
「快速冷却。――均冷水紋〈フリグス・レギュラ〉。刃の焼き戻しに」
「防錆。――錆拒膜〈ルブロ・シール〉。農具と鎧に」
「色素定着。――染色定印〈ティンクトゥラ・シギルム〉。布の歩留まり向上」
「鋼質改善。――炭華導印〈カーボ・フロー〉。刃の芯を通す」
「監視計測。――熱脈視〈テルマ・スコープ〉。炉の温ムラを視る」
クラウス少少佐が頷き、槌を置いた。「出来が違う」
軍側からは新しい強化符と戦術符。
「隊列守護。――集陣護膜〈スクトゥム・コホルタ〉。歩兵が密集で受けられる」
「皮鎧強化。――鋼鱗皮膜〈スキン・フェルルム〉。打撃軽減」
「視界制御。――薄霧偏光〈ミスト・ポラル〉。矢筋をずらす」
「逆位相霧。――音遮〈サイレン・ヴェール〉。太鼓・角笛だけ通す」
「観測増幅。――遠見増視〈ヴィーゾ・アウクタ〉。砲兵の観測役用」
「対幻識破。――虚相剥離〈アンチ・ファンタズマ〉」
「心拍整律。――戦気整脈〈バトル・レゾナンス〉。恐慌防止」
「衝撃投射。――術式圧縮弾〈コンプレッサ〉。破城槌の簡易代替」
ヴォルフガング准将が最後に小さく手を掲げた。「救命用。――痛み封じ〈ドルル・シール〉。撤収を速めるために」
戦うためだけではない。退くためにも、守るためにも、術はある。それを、ここで体系化する。
⸻
夕刻、諸侯の使者が七家、旗を包み持って参上した。北境ハルトマンに続き、西谷エルンスト、辺境ミュラー、南丘ラインドルフ、東谷オスカー、湿地ベッカー、鉄鉱山ゲルハルト。
「王都の徴発使が倉を開けと迫り、兵に粥を与えるなと命じます。――だが、村はもう持ちません」
「答えは一つ。“倉を守り、腹を満たす”。徴発を断り、市を白嶺と繋げ。代わりに塩と布と鉄を送る。市を通せば道が生まれ、道が生まれれば兵は逃げない」
七家は視線を交わし、頷いた。白嶺会盟の文に指印が並ぶ。
会盟条項は三つから五つに増えた。
〈子に粥〉〈市の再開〉〈徴税半減〉に加え、
〈倉の鍵は領に〉〈兵の腹は領が責〉。
旗でなく、腹と鍵で結ぶ同盟だ。
⸻
同じ頃、王都・白大理石の会議堂。影鳩が窓から入り、文官が蒼白に読み上げる。
『白嶺に大炉成立』『魔導具市流通』『七家会盟』『人口一万七千・常備兵七千五百・魔導兵千二百』
宰相ローデリヒが椅子を蹴った。
「鉄を握られたら剣が作れん! 魔導具? 術士でなくとも術が使える道具だと? 禁制だ、禁制にせよ!」
軍務卿オルガンが怒鳴る。「十万を編成――」
「出来ません」兵站大佐ベルナールが掠れ声で遮った。「塩がない。飼葉も。徴発に出す兵の食い扶持すら」
セラフィナ枢機卿が静かに口を開く。「“子に粥”は神意にも適います」
「黙れ! 神殿は王命に――」
老将ジークフリートが杖で床を打った。「王命は腹の上に立つ。腹を空かせた王命は、紙だ」
会議堂に重い沈黙が降りる。机上の言葉は軍を動かさず、倉は空だ。
⸻
夜。工房の火はまだ生き、槌音が細かく続く。鍛冶頭フーゴが汗を拭き、俺に頭を下げた。
「閣下。俺の子は王都で飢えかけましたが、ここでは粥を食い、符灯で字を学んでおります。……それだけで、もう」
「十分ではない」俺は首を振る。
「粥を食わせ、本を読ませ、働かせ、剣を握らせろ。――それが国だ」
工房の隣では染師リネッタが布を伸ばし、色素定着の符で鮮やかな藍を出してみせる。女たちが歓声を上げ、布の端に白嶺の印を縫う。印は旗の代わりに市を回し、噂は矢より速く広がる。
外郭では夜警灯が点々と灯り、警邏の足音が一定のリズムで往復する。憲兵曹長リュカの声が低く響く。
「略奪は粥半量・労役倍。器は返せ。列は守れ。――ここは市で、軍で、家だ」
⸻
参謀室に戻ると、地図の上で白嶺色が増えていた。エリアスが指で囲う。
「直轄と会盟領、計九千平方キロ。――小国規模です」
「人口は」
「近郊移民で二万が見えます。職人二百七十、家族を含め六百が流入。産業人口が太り、兵站の基礎が厚く」
ラインハルトが続ける。「黒字は一日一・八トンに拡大。塩は西の商人路から入る見込み。――塩蔵魚を逆に王都へ流して、腹の道を握れます」
「貨幣は」俺は木札を弾いた。
「引換札を限定発行。“粥札”と“鉄札”。市の交換券です。過発行を避け、塩で裏付け」
「よし。噂は矢より速い。札は噂を運ぶ袋だ。袋は破るな」
ヴォルフガングが小声で言う。「魔導兵の補給は術式で軽く出来ます。――魔力蓄電石〈マナ・アキュム〉の試作が」
エレナが顎で炉を示す。「炉の余熱も使いましょう。熱脈視〈テルマ・スコープ〉で回収経路を」
オルドリック中佐が挙手。「砲兵は観測増幅〈ヴィーゾ・アウクタ〉で射表精度が上がります。明日には“面制圧”の弾幕図が」
皆の声が地図の上で重なり、一本の道に収束していく。剣の話より、鍋と灯と符の話が多い。だが、それが戦だ。
⸻
夜半、外は白い息。市の奥で子どもがまだ歌っている。
『橋を渡れ 粥を分けろ 白嶺は腹を満たす
字を覚えろ 旗を倒せ 白嶺は知で立つ』
俺は門楼に上がり、王都の方角を無言で指した。遠い闇の底で、白大理石の塔が冷たく光る幻が見える。指先はそこを刺し、そのさらに先――帝国の峠、宗教帝国の鐘、氷原の狼、黒森の影までを、まとめて突き抜ける。
勝ち戦は拾うものじゃない。
作り、食わせ、学ばせ、働かせ、座らせ、そして――歩かせる。
白嶺の市は膨らみ、火は弱らず、噂はとまらない。
旗ではない方法で、国が立とうとしている。
⸻
夜。外郭の広場では即席の祭りが続いていた。焚き火が列にならび、符灯が揺れ、鉄を打つ槌の残響がまだ空に浮かんでいる。商人が露店を開き、串焼きの匂いに兵と子どもが群がった。踊りの輪に農婦と若い兵が混じり、角笛の代わりに笛が鳴る。
「橋を渡れ 粥を分けろ」
歌は絶え間なく繰り返され、笑いと共に夜気を揺らした。
旅商人が符具灯を掲げて呟いた。「これを都に持ち帰れば……誰も白嶺を笑えぬ」
影鳩が高く飛び、尾羽の印が月をかすめる。噂は矢より速く、王都の耳に突き刺さるだろう。
⸻
その頃、白大理石の会議堂。
「また鳩だ!」文官が蒼ざめて読み上げる。『白嶺、市を拡張』『鉄と粥、黒字拡大』『七家会盟』。
宰相ローデリヒは顔を紅潮させ机を叩いた。「市? 黒字だと? 軍でもなく、ただの砦が国を名乗るつもりか!」
オルガン軍務卿が唇を震わせた。「粥と鉄……兵站はもう勝てん。だが、認めるわけには――」
ジークフリート老将は沈黙のまま杖を突き、ただ一言だけ漏らした。
「……王国は、すでに負けている」
⸻
門楼に立ち、俺は遠い街道へ指を伸ばす。
「次は――鉄の道を掴む。塩と魚と鉄を繋ぎ、王都の腹そのものを押さえる」
焚き火の下、兵も民も拳を掲げ、胸甲を叩く音が夜に広がる。
勝ち戦は拾うものじゃない。
作り、増やし、語らせ、笑わせ、噂させ、そして――国を立てる。
白嶺の夜空に、旗ではなく灯の列が揺れていた。
朝の鐘と同時に参謀室。各部局の首が集まり、エリアス大尉が板書を広げる。
「総帥閣下、現状の統計です。総人口一万七千二百九十六。うち兵七千五百二十、民九千六百七十六、捕虜千。常備兵内訳――歩兵五千二百、騎兵六百、砲兵二百八十、工兵三百五十、通信二百五十、医療百五十、魔導兵団千二百」
「備蓄は」
ラインハルト兵站大佐が帳簿をめくる。「穀物四十五日分、干し肉二十五、塩十五。市の黒字は一日一・五トン相当。三毛作は輪作順調、来季は麦一八〇〇石、豆五五〇石、牧草三〇〇石見込み」
「よし。市をもう一段広げる。――軍は市を守り、市は軍を養う。二つで一つだ」
⸻
午前、門前に異形の列が現れた。槌を背負う鍛冶師、土埃の石工、煤の鋳物師、染めの香りを纏う女たち。先頭の男が膝をつく。
「王都の重税で工房を潰されました。ここで、打たせてください」
掌は煤に黒く、しかし温かい。俺はその手を取る。
「粥を食え。そして打て。――剣も鍬も、旗より重い」
その日のうちに工兵隊と職人たちが協働し、砦の一角に大炉が組まれた。風術士が送風を担い、炎術士が熱を制御する。石と粘土の胴に風が唸り、火床で鉱石が赤から白へ、白から橙へと色を変える。
「送風、一定。――熱位、維持」
炎術士が低声で唱える。「温度調律〈カルド・レギュラ〉」
風術士が追う。「等圧送風〈エクイ・ヴェント〉」
やがて、最初の涸れた鉄が流れ、クラウス少佐が槌で延ばす。鐘のような音が砦全体に走った。
「本日より――白嶺の鉄が生まれる」
魔導兵団の符術班も駆けつけ、木と紙に術を刻む。幻術士セリーヌ大尉が指で符を撫でた。
「術士でなくても使えるわ。生活の道具に」
魔導具工房の誕生である。
⸻
午後は「生活系魔法」の実演だ。市の真ん中、即席の台に並ぶのは鍋、桶、壺、農具、灯火。
「携帯水壺。――清浄結界〈バリェーラ・プーロ〉の常膜版」
壺に刻まれた薄膜が微かに光り、濁りが澄みに変わる。農婦が息を呑む。
「夜でも本が読める灯。――微光輪灯〈ルクス・ミニマ〉」
小さな符灯が温い光を放ち、子どもが文字をなぞる。
「火おこし符。――微火起こし〈イグニス・ブレヴェ〉。煮炊き用は燃えすぎない」
「携帯暖石。――温石符〈カルド・ピエドラ〉。凍傷避けに」
「農具強化。――土の援け〈テッラ・アジュダ〉。鍬の負担を三割減」
「収穫乾燥。――低温乾燥〈セッカ・レント〉。干魚・乾菜の歩留まりが上がる」
「防鼠防虫粉。――忌煙散〈フマス・ノクス〉。人畜には害薄」
「路面固化。――土面締結〈テッラ・シギルム〉。泥道を締める」
「簡易通信札。――符文伝言〈メモ・シギル〉。井戸番と倉係の伝達に」
「薬湯加護。――煎薬護符〈フェルマ・デコクタ〉。沸かし過ぎ防止」
最後にエスメラルダ軍医大尉が水桶に手を翳した。「消毒。――微光殺菌〈ルクス・ピュリタス〉」
人々の顔に、安堵が広がった。生活の便は即、心の余裕に変わる。心が満ちれば列は崩れず、列が崩れなければ軍は強い。
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続いて「産業系+軍用」の演示。鋳場に運ばれる鉱石、溝を走る光、刻まれる符。
「粉砕運搬。――震粉符〈トレモル・プルヴァ〉で鉱石を粒に」
「浮揚搬送。――荷重浮き〈レヴィ・カルト〉で台車の負荷を半減」
「快速冷却。――均冷水紋〈フリグス・レギュラ〉。刃の焼き戻しに」
「防錆。――錆拒膜〈ルブロ・シール〉。農具と鎧に」
「色素定着。――染色定印〈ティンクトゥラ・シギルム〉。布の歩留まり向上」
「鋼質改善。――炭華導印〈カーボ・フロー〉。刃の芯を通す」
「監視計測。――熱脈視〈テルマ・スコープ〉。炉の温ムラを視る」
クラウス少少佐が頷き、槌を置いた。「出来が違う」
軍側からは新しい強化符と戦術符。
「隊列守護。――集陣護膜〈スクトゥム・コホルタ〉。歩兵が密集で受けられる」
「皮鎧強化。――鋼鱗皮膜〈スキン・フェルルム〉。打撃軽減」
「視界制御。――薄霧偏光〈ミスト・ポラル〉。矢筋をずらす」
「逆位相霧。――音遮〈サイレン・ヴェール〉。太鼓・角笛だけ通す」
「観測増幅。――遠見増視〈ヴィーゾ・アウクタ〉。砲兵の観測役用」
「対幻識破。――虚相剥離〈アンチ・ファンタズマ〉」
「心拍整律。――戦気整脈〈バトル・レゾナンス〉。恐慌防止」
「衝撃投射。――術式圧縮弾〈コンプレッサ〉。破城槌の簡易代替」
ヴォルフガング准将が最後に小さく手を掲げた。「救命用。――痛み封じ〈ドルル・シール〉。撤収を速めるために」
戦うためだけではない。退くためにも、守るためにも、術はある。それを、ここで体系化する。
⸻
夕刻、諸侯の使者が七家、旗を包み持って参上した。北境ハルトマンに続き、西谷エルンスト、辺境ミュラー、南丘ラインドルフ、東谷オスカー、湿地ベッカー、鉄鉱山ゲルハルト。
「王都の徴発使が倉を開けと迫り、兵に粥を与えるなと命じます。――だが、村はもう持ちません」
「答えは一つ。“倉を守り、腹を満たす”。徴発を断り、市を白嶺と繋げ。代わりに塩と布と鉄を送る。市を通せば道が生まれ、道が生まれれば兵は逃げない」
七家は視線を交わし、頷いた。白嶺会盟の文に指印が並ぶ。
会盟条項は三つから五つに増えた。
〈子に粥〉〈市の再開〉〈徴税半減〉に加え、
〈倉の鍵は領に〉〈兵の腹は領が責〉。
旗でなく、腹と鍵で結ぶ同盟だ。
⸻
同じ頃、王都・白大理石の会議堂。影鳩が窓から入り、文官が蒼白に読み上げる。
『白嶺に大炉成立』『魔導具市流通』『七家会盟』『人口一万七千・常備兵七千五百・魔導兵千二百』
宰相ローデリヒが椅子を蹴った。
「鉄を握られたら剣が作れん! 魔導具? 術士でなくとも術が使える道具だと? 禁制だ、禁制にせよ!」
軍務卿オルガンが怒鳴る。「十万を編成――」
「出来ません」兵站大佐ベルナールが掠れ声で遮った。「塩がない。飼葉も。徴発に出す兵の食い扶持すら」
セラフィナ枢機卿が静かに口を開く。「“子に粥”は神意にも適います」
「黙れ! 神殿は王命に――」
老将ジークフリートが杖で床を打った。「王命は腹の上に立つ。腹を空かせた王命は、紙だ」
会議堂に重い沈黙が降りる。机上の言葉は軍を動かさず、倉は空だ。
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夜。工房の火はまだ生き、槌音が細かく続く。鍛冶頭フーゴが汗を拭き、俺に頭を下げた。
「閣下。俺の子は王都で飢えかけましたが、ここでは粥を食い、符灯で字を学んでおります。……それだけで、もう」
「十分ではない」俺は首を振る。
「粥を食わせ、本を読ませ、働かせ、剣を握らせろ。――それが国だ」
工房の隣では染師リネッタが布を伸ばし、色素定着の符で鮮やかな藍を出してみせる。女たちが歓声を上げ、布の端に白嶺の印を縫う。印は旗の代わりに市を回し、噂は矢より速く広がる。
外郭では夜警灯が点々と灯り、警邏の足音が一定のリズムで往復する。憲兵曹長リュカの声が低く響く。
「略奪は粥半量・労役倍。器は返せ。列は守れ。――ここは市で、軍で、家だ」
⸻
参謀室に戻ると、地図の上で白嶺色が増えていた。エリアスが指で囲う。
「直轄と会盟領、計九千平方キロ。――小国規模です」
「人口は」
「近郊移民で二万が見えます。職人二百七十、家族を含め六百が流入。産業人口が太り、兵站の基礎が厚く」
ラインハルトが続ける。「黒字は一日一・八トンに拡大。塩は西の商人路から入る見込み。――塩蔵魚を逆に王都へ流して、腹の道を握れます」
「貨幣は」俺は木札を弾いた。
「引換札を限定発行。“粥札”と“鉄札”。市の交換券です。過発行を避け、塩で裏付け」
「よし。噂は矢より速い。札は噂を運ぶ袋だ。袋は破るな」
ヴォルフガングが小声で言う。「魔導兵の補給は術式で軽く出来ます。――魔力蓄電石〈マナ・アキュム〉の試作が」
エレナが顎で炉を示す。「炉の余熱も使いましょう。熱脈視〈テルマ・スコープ〉で回収経路を」
オルドリック中佐が挙手。「砲兵は観測増幅〈ヴィーゾ・アウクタ〉で射表精度が上がります。明日には“面制圧”の弾幕図が」
皆の声が地図の上で重なり、一本の道に収束していく。剣の話より、鍋と灯と符の話が多い。だが、それが戦だ。
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夜半、外は白い息。市の奥で子どもがまだ歌っている。
『橋を渡れ 粥を分けろ 白嶺は腹を満たす
字を覚えろ 旗を倒せ 白嶺は知で立つ』
俺は門楼に上がり、王都の方角を無言で指した。遠い闇の底で、白大理石の塔が冷たく光る幻が見える。指先はそこを刺し、そのさらに先――帝国の峠、宗教帝国の鐘、氷原の狼、黒森の影までを、まとめて突き抜ける。
勝ち戦は拾うものじゃない。
作り、食わせ、学ばせ、働かせ、座らせ、そして――歩かせる。
白嶺の市は膨らみ、火は弱らず、噂はとまらない。
旗ではない方法で、国が立とうとしている。
⸻
夜。外郭の広場では即席の祭りが続いていた。焚き火が列にならび、符灯が揺れ、鉄を打つ槌の残響がまだ空に浮かんでいる。商人が露店を開き、串焼きの匂いに兵と子どもが群がった。踊りの輪に農婦と若い兵が混じり、角笛の代わりに笛が鳴る。
「橋を渡れ 粥を分けろ」
歌は絶え間なく繰り返され、笑いと共に夜気を揺らした。
旅商人が符具灯を掲げて呟いた。「これを都に持ち帰れば……誰も白嶺を笑えぬ」
影鳩が高く飛び、尾羽の印が月をかすめる。噂は矢より速く、王都の耳に突き刺さるだろう。
⸻
その頃、白大理石の会議堂。
「また鳩だ!」文官が蒼ざめて読み上げる。『白嶺、市を拡張』『鉄と粥、黒字拡大』『七家会盟』。
宰相ローデリヒは顔を紅潮させ机を叩いた。「市? 黒字だと? 軍でもなく、ただの砦が国を名乗るつもりか!」
オルガン軍務卿が唇を震わせた。「粥と鉄……兵站はもう勝てん。だが、認めるわけには――」
ジークフリート老将は沈黙のまま杖を突き、ただ一言だけ漏らした。
「……王国は、すでに負けている」
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門楼に立ち、俺は遠い街道へ指を伸ばす。
「次は――鉄の道を掴む。塩と魚と鉄を繋ぎ、王都の腹そのものを押さえる」
焚き火の下、兵も民も拳を掲げ、胸甲を叩く音が夜に広がる。
勝ち戦は拾うものじゃない。
作り、増やし、語らせ、笑わせ、噂させ、そして――国を立てる。
白嶺の夜空に、旗ではなく灯の列が揺れていた。
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14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
魔力0の貴族次男に転生しましたが、気功スキルで補った魔力で強い魔法を使い無双します
burazu
ファンタジー
事故で命を落とした青年はジュン・ラオールという貴族の次男として生まれ変わるが魔力0という鑑定を受け次男であるにもかかわらず継承権最下位へと降格してしまう。事実上継承権を失ったジュンは騎士団長メイルより剣の指導を受け、剣に気を込める気功スキルを学ぶ。
その気功スキルの才能が開花し、自然界より魔力を吸収し強力な魔法のような力を次から次へと使用し父達を驚愕させる。
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