君の声だけ、特別。

空々ロク。

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君の声だけ、特別。

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街を歩いていた。
訪れたことがあるはずの街だが、何かが違う。
違和感の正体が分からないまま歩き続ける。
20分は歩いただろうか。
太陽は空高く登っていて、入道雲が発生している。
夏の昼間なのだと葉月は理解した。
(理解?変だな。当たり前だろ)
昨日だって一昨日だって夏だったはずだ。それなのに何故か今理解したかのような感覚を覚える。
それだけではない。
昨日の記憶も一昨日の記憶もしっかり脳内に残っているのに「何か」が足りない気がする。
そもそも自分は何を目指してこの街を歩いているのだろう。
目的が分からなかった。
(……)
一度立ち止まり思考する。
何かに取り憑かれたかのように歩いていたが、冷静になると自分の目的が思い出せない。
記憶を喪失したわけでもないのに、断片的に思い出せない部分があった。
葉月はキョロキョロと両目を動かし情報を得る。
大都会と言うほどではないがそこそこ大きな都会。人の数もそれなりに多い。何度か親友と訪れた街。
(そうだ。ここに俺が1人で来るなんて珍しいんだよな)
けれど今は1人だ。
左右を見渡しても親友どころか自分の知り合いは1人もいない。違和感と不思議な感覚が入り交じってなかなか思考がまとまらない。
突然ドンッと肩に強い衝撃を受ける。
(痛っ)
葉月の肩にぶつかったのはサラリーマン風の男だった。邪魔にならないよう端に寄って止まっていた葉月にぶつかっていったのだから相手が悪いのは明確で、その証拠に相手も申し訳なさそうに何かを言ってぺこりとお辞儀をしていった。
(……え?)
その瞬間、葉月は気付いた──違和感の正体に。
(そうだ……音が聞こえないのか)
環境音も自然音も人声も何もかも。
葉月には一切届いていなかった。
自分の声すら聞こえず、まともに喋れているのかも分からない。
途端に恐怖心にかられる。
聴覚が作用していないと理解した瞬間から全てが怖くなってしまった。
何せ自分が何をしに来たのかも思い出せないのだ。
葉月は頭を抱えた。
(落ち着け……何かあるはず)
昨日も一昨日も普通に学校へ行っていた。
葉月は都内の有名な私立男子校に通っている。
進学校であるそこは当然勉強に力を入れていて、葉月は置いていかれないよう勉強をし続ける毎日だった。
それが嫌な訳ではない。むしろ勉強で忙しいのは葉月の願い通りとも言える。
勉強がしたくて進学校に入学したのだから。
赤髪に複数のピアス、ヘラヘラとした雰囲気の葉月は外見に似合わず頭がいいとよく友人たちに言われている。
自覚はある。だがどちらも自分だ。
明るい髪の毛の色もピアスも真面目ではない雰囲気も自分が望んでしていることで、勿論勉強も望んでやっていることだ。
葉月はあまり周りに流されることがない為、昔からこのような感じだった。
それをよく知っているのは親友である翠だ。
葉月は昔から翠と一緒だった。
小学校も中学校も高校も同じで、住んでいるのは隣の家。親友であり幼馴染でもある翠は葉月から見てもカッコ良かった。
身長は高く爽やかで文武両道。おまけに優しくて気が利くのだから文句のつけどころがない。
小学校と中学校では女の子たちに追われ、高校に入ると男子からも追いかけられるようになった。
それをいつも笑顔で躱す翠。結局ここまで翠が誰かと付き合っているのは見たことがない。
特定の人物を作らない方が安全だと思っているのかもしれない──葉月は勝手にそう思っていた。
翠が一番長く一緒にいるのは間違いなく自分だ。
毎日のように泊まりにきているし、昨日だって翠は深夜に葉月の部屋に来て散々語ってから帰って行った。
(やっぱりおかしいな。隣に翠がいないのは)
余程理由がない限り、出掛けるならば翠と一緒に行くはずだ。
葉月はまず翠を探すことにした。
何も聞こえない世界で、親友だけを追い求めて。

10分後、店から出てくる翠を見付けた。
そこは翠の好きなブランドだ。買い物が長くなるからと一時的に離れたのかもしれない──そう結論付けた葉月は駆け足で翠に近付いた。
とにかく現状を伝えなければ。
「……!」
「あ、葉月。どうしたの?」
「……」
「え?聞こえないって……大丈夫?」
どれだけ大声を出したつもりでも葉月自身に葉月の言葉は聞こえない。だが翠にはしっかりと届いているようで一安心する。
世界の音がなくなったのだと説明すると共にここへ来た理由も目的も忘れてしまったのだと伝える。
すると翠は不思議そうな顔をした。
「けど葉月。僕の声は聞こえるんだ?」
「!」
言われて初めて気付いた。現状を説明することに夢中になっていたが、確かに翠の声は聞こえる。
何故だろうと考えつつ、無音の世界で響く翠の声は安心感があった。
「僕の声以外聞こえないってこと?」
「……」
「そうか。自分の声も聞こえてないんだ。大丈夫、いつも通り届いてるよ」
にこりと笑ってくれた翠を見て葉月はほっとした。
頭の良い親友は有り得ない出来事にも対応してくれる。不安しかなかった葉月は翠に会ってやっと安心することが出来た。
「ま、とりあえず僕の声が聞こえて良かったよ。歩きながら話そうか」
頷いて翠にぺたりとくっつく。翠は苦笑した。
「葉月がこんなにくっついてくれるなんて変な感じ。今まで1度もなかったから」
「……」
「うんうん。それだけ不安ってことだよね。まぁ僕が同じ立場でも不安だったと思うから葉月の気持ちは分かるよ」
「……」
「お礼言われる程のことじゃないって。いつもの葉月らしくないね、仕方ないけど。早く治してあげたいな。どうしたらいいんだろう」
街中を歩きながら考える。
翠曰く今日はいつも通り2人で遊びに来たらしい。
地元から一緒に来た2人だったが、互いに好きなブランドの店へ行く話になり、一度別れたという。
その間に葉月は音を失い、一部の記憶も失った。
1人になってからの記憶を辿るが、何も思い出せなかった。
気付いた時には音がなくなっていた──葉月にはそうとしか思えない。
ぎゅっと翠の手を握る。突然の行動に翠は驚いた顔をした。
「やっぱり変なの」
「……!」
「分かってるって。茶化してるわけじゃないから。それだけ葉月は不安なんだろうと思うし」
一切音がない中で響く翠の声はやけに心地良かった。
いつも聞いている声と何ら変わりはない。
それでも特殊効果が掛かっているかのように感じられた。
陶酔しそうな感覚に陥りかけ──葉月は首を振った。
やはり自分はおかしい。
親友の声に酔ってしまうなんて。
今日はどうかしている、絶対に。
そんな葉月の葛藤など気付くはずもない翠は葉月を駅に連れてきてくれたようだった。
「……」
「流石に心配だから帰ろうかなって。そもそもここに来たのもただ遊びたいだけだったから大事な予定でもないし。葉月が不安になってるのに連れ回すようなことはしないよ」
苦笑した翠は葉月の頭を撫でた。
子供の頃から一緒にいるが、頭を撫でられたことなど初めてだった。
驚いて身を引く葉月に翠は微笑を見せる。
「ごめんごめん。葉月がらしくなかったから僕もらしくないことしちゃった」
「……?」
「何でって……うーん、そうだなぁ。葉月見てたら何か撫でたくなったんだよね。不安げな所が心配になったのかも」
どうしたって顔には不安が出てしまう。
こんなに沢山の人がいるのに翠の声以外何も聞こえないという現実は思っていた以上に辛かった。
雑音でしかない他人の声もいつもはちゃんと聞いていない信号機の音も電車が駆け抜ける音も──今は恋しくて堪らない。
翠の手を握ったまま黙り込む葉月。
もう一度頭を撫でられた。今度は先程よりもずっと心地良い。
「大丈夫だって。絶対何とかなるから。色々調べてみようよ。何か起きてるのかもしれないし、もしかしたら葉月だけじゃないかもしれない。救いなのは僕たちが意思の疎通出来ることだね。これすら出来なかったら葉月は本当に不安だったと思うから」
その言葉に葉月は何度も頷いた。
その通りだ。自分の声が届かなければ現状を説明することは出来ないし、翠の声が聞こえなければ不安に押し潰されていただろう。
どんなに不可解な出来事でも小さな救いはある。
それを見つけられただけで葉月は幸運だったと言える。
頭の良い親友はきっと一緒に悩み、考えてくれるはずだ。そして必ず解決の糸口を見つけてくれる。
そう思うと葉月の心は少し楽になる。
「とりあえず帰ろうか。うちでも葉月の家でもいいから室内に行って落ち着いて考えてみよう」
頷き、到着した電車に一歩足を踏み入れる。
突然ぐにゃっと地面が歪んだ。
「!?」
まるで柔らかい物を踏んだかのような感触。
バランスを崩し、葉月は倒れ込んだ。
「葉月っ!」
自分を呼ぶ声を聞きながら葉月は意識を失った。

「ん……?」
「葉月っ!」
電車の中で聞いた声と同じ声が脳内でもう一度響く。
身体を揺さぶられて目を開けた。
「……翠?」
「おはよ。寝惚けてるね。珍しく待ち合わせ場所に来なかったからどうしたのかと思って」
「待ち合わせ……来なかった……」
「まだ夢の中って感じ?大丈夫?」
「夢……って、えぇ!?夢だったのか、あれ!」
「あれって言われても。僕は何も知らないけどそうだったんじゃないの?」
きょとんとする翠をじっと見つめる。
それから翠の声以外の音がしっかり届いていることに気付いた。
「うわぁ……ちゃんと聞こえる。雑音も自分の声も全部」
「怖い夢でも見てたの?この部屋に入った時苦しそうに寝てたから」
「怖いなんてもんじゃねぇって!すげぇすげぇ怖かった!何も聞こえなくなって翠の声しか聞こえなくて何したらいいかも分かんなくて!」
捲し立てた葉月は勢いで翠に抱き着いた。
葉月よりも大柄な翠はぎゅっと抱き留める。
「マジで翠がいなかったら終わってたぜ、俺。夢の中で翠が助けてくれたからどうにかなったんだって!夢だと思えないぐらいリアルでさ!」
要領を得ない葉月の言葉を翠は理解出来ずにいるようだったが、葉月は構わず続ける。
「とにかく翠のおかげで助かったってこと!悪夢が悪夢で終わらなかったのは翠のおかげだ。ありがとなっ!」
にかっと満面の笑みを浮かべた葉月は余程怖い夢を見ていたのだろう。
何せ葉月が飛び付いてくるなんて今までで初めてだ。
こんなに捲し立ててくることも、こんなに翠に感謝していることも初めてだ。
あまりにも「初めて」尽くしの葉月に翠も「初めて」のことをしたくなった。
葉月の唇に唇を重ねる。短いキスだったが、葉月を驚かせるのには充分だった。
「……え?」
呆然とする葉月に向かって翠は柔らかい笑みを向ける。
「だって葉月が可愛いことしてくるから」
「いやいや!そういう問題?まぁ確かに夢の所為で俺少しおかしかったけど」
「んー、じゃあはっきり言おうかな。僕、ずっと葉月のこと好きだったんだよね。だから今抱き着かれて抑えられなくなったわけ」
「……え?えっ!?お前が?俺を?」
「そう。葉月は昔から恋愛に鈍感だし僕の気持ちに全く気付いてなかったみたいだけどね」
翠の言う通り葉月は今告白されるまで一切気付いていなかった。翠が自分に向ける感情は自分と同じ友情だと思っていたし、それ以外だなんて考えたこともなかった。
「翠、そんな素振りなかっただろ?」
「そうだね。こうしてハッキリと行動に移したのは初めて。葉月が抱き着いてくれたしチャンスかな、と思って」
「……すっげぇ驚いてるし混乱してるしどうしたらいいか分かんねぇ。夢の中と現実がごちゃごちゃになってる気分だ」
一切音が聞こえなくなった悪夢。
唯一の希望だった翠の声。
目が覚めて出会った翠からは突然の告白。
何が何だか葉月自身にも分からなかった。
「まぁ僕は付き合いたいと思ってるけど、葉月の気持ちを優先したいからどちらでもいいよ」
「そっか……落ち着くまで待っててくれねぇ?今すげぇ頭の中がこんがらがってんだ」
「勿論いつでもいいよ。待ってるね。で、今日はどうする?遊びに行く予定だったけど」
「あ、そうか」
葉月が先程夢の中で見た街は今日翠と行く予定だった場所だ。不思議な繋がりに少し身震いする。
「悪ぃ。今日はパスしていいか?ここでゆったりゲームでもしようぜ」
「賛成。どう見ても葉月、本調子じゃないもんね。それに悪夢と同じ街なんて行きたくないでしょ」
「そうそう。やっぱり嫌なイメージ……って、え?」
夢の中の自分が何処にいたかなど伝えた覚えはない。
それでも翠は知っていた。
「何で翠が知ってんだ?」
「え?何が?」
「俺、夢の中で何処にいたかなんて言ってねぇけど」
「捲し立ててた時に言ってたよ。無意識じゃない?」
「……そうか?」
釈然としないが、捲し立てていた時の自分の言葉など覚えていない。
冷静だった翠の言葉を信じるしかなかった。
「ま、いっか。じゃあお菓子でも取ってくるわ」
「ありがとう。ゲームの準備してるね」
部屋を出ていった葉月にバレないよう翠は溜息をつく。そして小さく笑った。
「危ない危ない。僕が直接夢の中まで助けに行ったっていうのは秘密なんだった」
部屋に入った時、苦しそうな葉月を見て翠は即座に夢の中へ入り込んだ。自分にはその力があると知っていたし、何度も他人の夢に入り込んだことはあった。
まさか好きな人を助ける為に使えるとは思わなかったけれど。
「これからも葉月のこと、守ってあげるから」
親友に恋をした翠は小さな声で決意する。
別に恋が実らなくてもいい。
葉月の隣にいられれば、それで。
「ただいま、翠。翠の好きなクッキー持ってきたぜ」
「本当!?嬉しい」
葉月への隠し事は増えるばかりだけれど。
それと同時に好きだという気持ちも増えるばかり。
翠はその気持ちを自分の中に隠し、鍵をかけて押し込んだ。
──これ以上の愛は、葉月が好きになってくれた時に。
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