ナチス最終兵器 サメ人間

名無しの東北県人

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第四章

◆チャプター36

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 粉塵の帳に包まれたアイアンランドでは、長期かつ凄惨なる包囲戦でとうとう未開人のような姿――伸び放題の髭と隅々まで汚れ切ったドイツ軍の軍服――に変わり果てたエルフ達が、自ら破壊した都市に潜んでの抵抗を続けている。
 突如聞こえてくる負傷者の叫びなど気にも留めなくなった彼らは地下壕の奥で残り少ない馬肉を貪り、時に撃ち殺した東方労務者オストアルバイターのウクライナ人を食糧として『分配』した。
「死によって全てが終わる」
 孤立地帯ケッセルに閉じ込められて以降、全ての面で優勢な敵に絶えず圧迫され続けたエルフ達は自分達の敗北を内心で認めていた。
「それ以外の帰結はあり得ない」
 しかし彼らは同時に、最後の瞬間まで戦うこともまた誓っていた。
 敵の軍門に下ろうとした戦車部隊はIL‐2シュトルモビク攻撃機の恐るべき攻撃に曝されて原形留めぬ肉の塊に変えられ、全ての装備を失った高射砲部隊もまた千切れた手足となって電線に引っ掛かるか、T‐34/85中戦車によって機械油で覆われた道に無理矢理プレス加工されたからだ。
「共に勝つか! 共に死ぬか!」
 今年四十八歳になるオスカール・ヴァイディンガー中佐は、そんな長耳種達の指揮中枢である地下司令部こと『中央工場ミッターベルケ』の廊下に座り込んで酒を飲んだり、うろうろしながら「自殺には拳銃と青酸のどちらがいいか?」を議論する者達を怒鳴り付けながら歩を進めていた。
「ナチ党員にこれ以外の道は有り得ない!」
 人間に率いられたエルフの軍勢が包囲後も辛うじて現状を維持できているのは、逃亡者を容赦なく木に吊るし、その死体に『私は義務を果たしませんでした』と書かれた木札を掛けるという彼の手法に因る部分が非常に大きい。
 ヴァイディンガーはアイアンランドに総進撃したドイツ軍が鼠達の戦争ラッテン・クリークを経て一大殺戮場となったその内部で皮肉にもソフィア・マリューコヴァの豪邸地下に司令部施設等を移し、彼女が行った粘着質なまでの焦土作戦によって地上からはコンクリートの入口に間に合わせの鉤十字の旗が掲げられているに過ぎぬ状態に追い込まれてもなお、ヒトラーに対する強烈な忠誠心と勝利への飽くなき執念をまだ失っていないように見えた。
「国家社会主義は党の綱領ではなく、ドイツ人の神髄である」
 常日頃からそう公言している男は司令室のドアを開けると、中の上官に対してナチ式敬礼を行う。
「報告致します!」
 だが天井や壁に巨大な亀裂が幾つも走っている空間にいる将官はうたた寝から目を覚まさない。
「閣下!」
 死人宜しく俯いて眠っていた五十三歳は、ヴァイディンガーから一喝を受けて弾かれたように飛び起きた。
「ああ……すまない……」
 眼鏡を外して何度も両目を擦りながら謝罪するフォン・シュネーマン将軍は、アイアンランドにおけるドイツ軍の最高司令官であった。
 参謀畑の出身で精神的に強靭ではないタイプの彼は戦況悪化による自信喪失、逃げ場なき『無蓋の要塞』に追い込まれてからの馬鹿げた死守命令と撤退の禁止、エルフの健康問題、更に捕虜となった後に敵から受けるであろう飢えや悲惨への恐怖で心身を酷く擦り減らし、右顔面の痙攣や下痢に常時苦しめられている。
 その辺りの事情もあって、東欧に孤立するドイツ軍を事実上指揮しているのはシュネーマンではなく副官のヴァイディンガーだった。
「我が軍はエネルギッシュに反撃しています」
 執務机に近付いたヴァイディンガーは口端の涎を拭き、裾を直した将軍の前でその上の地図をなぞる。
「市街西部では敵軍の攻勢を見事に撃退致しました。あの胡散臭い小娘の血圧はいつも以上に上がっていることでしょう」
 ロシアの女性兵士に対する侮蔑的思考から逸脱できていない男は司令部という牢獄に囚われ、副官なる看守に常時監視されているシュネーマンに対して続ける。
「更に南部では二キロ前進することに成功したとのことです」
「敵は我々が反撃したことに気付いてくれただろうか……」
「何を弱気な!」
 老将軍が大きくため息を吐く一方、ヴァイディンガーは身を前に乗り出す。
「地上の如何なる力も、我々をこの場所アイアンランドから追うことはできぬ!」
「頼むから大声を出さないでくれ……頼むから……」
 大観衆を前にして、とても使用できぬカスタネットでベートーベンのソナタを弾くことを要求されたギタリストは懇願の声を漏らす。
「スターリングラードと同じだ。出よう」
 そして、シュネーマンはもう何度目になるかわからない弱音を口にした。
「アイアンランドを放棄すれば大量の物資を失うことにはなる。しかしエルフと装備の大部分を救い、それを将来の作戦に使うことが可能だ」
 シュネーマンのこの発言は、一九四二年十二月後半に辛くも包囲殲滅を免れたスターリングラードの第六軍の生還に起因していた。あの時は『我が軍は同地のソ連軍需産業を完全に破壊し、敵兵力を粉砕してヴォルガから撤退した』という形で全てが丸く収まった。
「それに空軍の支援も期待できない……」
 これもまた、人間の悲惨・傲慢・愚がこれでもかと詰まったヴォルガ川西岸の巨大工業都市の場合と同じだった。
 ドイツ空軍は輸送機だけでなく爆撃機まで使い孤立地帯ケッセルに空輸を行っているが最低必要量の三分の一以下しか運べておらず、薄汚い瓦礫の中で戦うエルフ達は今この瞬間も油膜さえ浮かぬスープで飢えを凌いでいる。
 要するにルフトバッフェにはジェット戦闘機と高性能レーダーを組み合わせた防空システムをドイツ本土に構築する能力はあっても、包囲された軍勢を空から養えるだけの余裕はないのだ。
「敵は慈悲など持つまいが、このまま戦闘を続ければ全滅は必至であるのに対し、投降すれば少なくとも人命の大半は助かる見込みがある……」
 やがてシュネーマンは弱々しく降伏の選択肢を口にし始めたが、それに対して副官は何も答えず、ただうわ言のように言葉を並べる将軍のペンを奪って自分の書類に走らせただけだった。
 ヴァイディンガーの中にある上官への敬意は、明日見えぬ過酷な包囲戦の中でとうの昔に消え去っていた。
 残されているのは、ただ――。
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