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1巻
1-3
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「あの……これは…………?」
鈴香はおぼつかない足取りで男性に歩み寄り、リムジンを指差す。
「伊ノ瀬雅洸様より、花宮様のお迎えを承っております」
男性の言葉に、鈴香は「でしょうね」と心の中で返した。自分で質問しておいてなんだが、こんな派手なお迎えをよこす知人など彼しかいない。
「雅洸さんは、『仕事が長引いて迎えに来られない』のパターンですか?」
「左様でございます」
と、運転手の男性は手でリムジンを示し、鈴香に乗車を促す。
婚約時代も雅洸は、仕事が長引いて約束の時間に迎えに来られなくなったときには、こうしてリムジンをよこしていた。
当時の鈴香は深く考えることなく、はしゃいでリムジンに乗り込んでいた。きっとあの頃と同様、リムジンの中には花束と、鈴香の好きな飲み物やスイーツが用意されているのだろう。
でも、ごく一般的な社会人生活を四年も送った今、それがどれだけ無駄遣いだったのかわかる。
そして今さらながらに、もう雅洸とは住む世界が違うのだと痛感した。
鈴香は、やれやれと眉間を押さえて、きっぱりと言う。
「迎えは必要ありません。目立って恥ずかしいから帰ってください」
「それでは、私が伊ノ瀬様に怒られます」
運転手の男性が、すかさず返してきた。
「そもそも今日、会う約束なんてしてないんですけど」
「当方では、そのようにはうかがっておりませんので」
彼は鈴香に乗車を求めるべく、さらに深く頭を下げる。そんな二人のやり取りを、通行人が興味津々な目で眺めていた。
「…………」
高級感あふれるリムジンを前に、いつまでもここで話している方が恥ずかしい。
鈴香は仕方なく、つやつやと車体を光らせるリムジンへと乗り込んだ。
そして革張りのシートの上に置かれている花束に、「やっぱりね」と、溜息を漏らした。
滑らかに動き出すリムジンの中で、鈴香は花束を抱え、それに添えられていたメッセージカードに視線を向ける。そこには「久しぶりに会えるのを楽しみにしている」と書かれていた。
――雅洸さん、誰にでもこういうことするのかな?
大人になるにつれうすうす感じていたことではあるが、やはり雅洸は女性の扱いに慣れていた。
鈴香を……というより、女性を喜ばせる手法を熟知している。
――まあ、よく考えれば当然のことだよね。
有名企業の御曹司。完璧な学歴と経歴に、端整な顔立ち。レディーファーストを心得ていて、大人の魅力にあふれている。そんな雅洸を、世の女性たちが放っておくわけがない。
雅洸にその気があれば、いくらでも恋愛を楽しむことが出来たのだろう。
――結局私たちの結婚って、将来的にINSがハナミヤ産業を傘下に収めるためのものだったんだよね。
伊ノ瀬の一族は、野心家が多い。鈴香と雅洸の婚約を取りまとめたのは、一族の中でも特に野心が強い、雅洸の伯父の豊寿だった。
花宮家には鈴香しか子供がいないから、もしあのまま結婚していれば、夫の雅洸がハナミヤ産業の経営に強い影響力を持つことになっていただろう。
それを狙って許嫁にした鈴香が、ハナミヤ産業の娘という価値を失ったとき、雅洸がとっさに「結婚してあげる」と言ったのは、愛情ではなく彼の優しさだ。
――あの頃の私は子供すぎて気付かなかったけど、今ならわかる……
少しも対等な関係でなかった雅洸に、鈴香の知らない恋人がいても不思議はない。同情で結婚してもらったとしても、きっと誰も幸せにはなれなかっただろう。
それに今になって考えると、鈴香自身、雅洸のことをどう思っていたのかよくわからない。
ただ雅洸に大人の女性として扱ってほしくて必死だった。
それは間違いなく、当時の鈴香の正直な感情だ。でもそのときの鈴香は本当に子供で、雅洸と結婚することが人生の正解なのだと思い込んでいた。自分が抱いていた雅洸への感情が、恋なのか憧れなのか、今となってはよくわからない。
「…………やっぱり、まだ会いたくないな」
どんな顔をして会えばいいのかわからないし、下手に会って、あの頃雅洸に抱いていた感情の正体を知ってしまうのも怖い。
鈴香は、雅洸からのメッセージカードを裏返して花束に挿すと、シートに置いて出来るだけ遠くに押しやった。
やがてリムジンが辿り着いたのは、閑静な場所にある会席料理の店だった。
歴史を感じさせる大きな門の前で車が停まると、和服姿の仲居が出迎えてくれた。
深々と頭を下げた仲居は、車から降りる鈴香を見て怪訝な表情になり、リムジンの奥をうかがう。そして乗客が鈴香一人だと確認して、もう一度頭を下げてきた。
きっとリムジンで乗り付けた客が、安物のビジネススーツを着た女性一人で、しかも高そうな花束を抱えているというパターンが初めてで、戸惑ったのだろう。
それでも彼女は何事もなかったかのように笑みを浮かべ、鈴香を中に招き入れた。
仲居に案内されたのは、立派な座敷だった。漆喰の壁に日本の植物が描かれていて、和紙を使った照明が部屋全体を柔らかな色調に染めている。
まだ雅洸の姿はなかった。仲居が座敷の上座に座るよう勧めるのを断り、鈴香は下座に腰を下ろす。
――高そう……
個室に一人残された鈴香は、金額の書かれていないお品書きを手に取り、思わず眉をひそめた。
想定外の成り行きではあるが、せっかく会うのであれば、雅洸の出世を祝して自分がご馳走したいと思う。もう彼の婚約者ではないのだし、働いてお給料をもらっているのだから当然のことだ。
そうは思っても、店の格調が高すぎて会計が不安になってくる。
――最悪カードで払って、その後しばらく節約生活を送れば大丈夫だよね。
そう結論付けてお品書きを元の場所に戻したとき、入り口の襖が静かに開いた。
「待たせたな」
そう言って、雅洸が部屋へと入ってくる。
そして鈴香の向かいの席に腰を下ろした。
――雅洸さん、一段と大人っぽくなってる……
老けたという意味ではない。体格や風貌に大きな変化はないが、海外で仕事をこなしてきたゆえの貫禄のようなものをまとっていて、オリジナルの美しさにあふれた雅洸の存在感をさらに際立たせている。
きっと海外でも、女性にモテていたのだろう。
そう思うと、心の奥のほうが意味もなく軋んだ。
仲居に日本酒の銘柄を確認していた雅洸が、ふと鈴香を見た。
「鈴香、酒は呑めるようになったのか?」
当然のようにファーストネームで呼ばれて、鈴香は「度数が低いのなら」とぎこちなく答える。
すると雅洸は口元だけで笑って、酒の注文を済ませた。
そして仲居が運んできた酒を一口呑んでから、「久しぶり」と改めて挨拶をしてくる。
久々に聞く雅洸の低く掠れた声が、耳に心地よい。
「お久しぶりです。それと、ご昇進おめでとうございます」
鈴香は一度ぺこりと頭を下げた後、「でも……」と言って厳しい表情を雅洸に向けた。
「今日、会う約束をした覚えはないです」
自宅マンション前での運転手とのやり取りを思い出し、鈴香はむくれる。しかも仕事用の地味なスーツ姿で、リムジンで高級会席の店に乗り付けるなんて恥ずかしすぎた。
「沈黙は肯定のサインだと思った」
悪びれる様子もなく返す雅洸に、鈴香は抗議を続ける。
「あと、あんな恥ずかしい迎えをよこすのは、やめてください。ちゃんと約束をしていれば自分の足で会いに行きます」
「女性を一人で店に向かわせる。……そんな恥ずかしいこと、出来るわけないだろう」
いや。リムジンで迎えに来られるほうが、よっぽど恥ずかしい。
「そもそも私、雅洸さんに住所を教えた覚えはないんですけど」
「共通の知り合いが、何人いると思ってるんだ?」
雅洸はそう笑うと、杯を軽く持ち上げて中身を飲み干した。
「……確かに」
鈴香が知人の噂話から雅洸の近況を知ることが出来たのと同じように、雅洸にも鈴香の情報が筒抜けになっていたのだろう。
「それより遅くなったけど、荻野ガラスへの就職おめでとう」
就職したことはメールで報告したが、会社名まで教えた覚えはない。どうやら鈴香の与り知らぬところで、かなりの個人情報が流出しているらしい。
「ストーカーみたい」
鈴香の苦言に、雅洸がニヤリと笑う。
「ちゃんと気にかけてるんだよ。お前だって俺の近況、尚也に聞いてたくせに」
「……」
いつもこうだ。
全てが雅洸のペースで進んでしまう。
鈴香は、雅洸が注文した梅酒の炭酸割りに口を付ける。深い梅の味が、炭酸の刺激と一緒に広がった。
上品な梅の味に思わず顔を綻ばせていると、食事が運ばれてきた。
先付から始まる会席料理をゆっくり食べ進めながら、ポツリポツリと言葉を交わす。
会話の主導権を握っているのはもちろん雅洸で、鈴香は彼の質問に答えたり、彼の近況報告に相槌を打ったりするだけだった。
けれど、昔と変わらない空気感に、自然と心が和む。むしろ昔より雅洸の態度が気安くて、距離が縮まった気さえしていた。
「だいたい、迎えでもよこさなきゃ、お前は会おうとしないだろ」
ハイペースで酒を呑む雅洸が、さっきの話を蒸し返す。
「どうしてそう思うの?」
「一時帰国するたびに食事に誘ってたけど、お前いつも、俺の誘いをのらりくらりと断ってたじゃないか」
「のらりくらりって……雅洸さん、自分の予定に空きが出来たときに突然誘ってくるから、タイミングが合わなかっただけです。……ほら、就職してからは私も色々と忙しかったし」
それは半分嘘だ。
雅洸が短い帰国の合間に食事に誘ってくれることがあっても、鈴香は適当な理由を作って会うことを避けていたのだ。
「ふうん」
疑わしげな目を向けてくる雅洸に、鈴香はペコリと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
いざこうして顔を合わせてみれば、意外と普通に話せる。
こんなことなら必要以上に避けたりしないで、ただの幼なじみとしてもっと気楽に会ってもよかったのかもしれない。
素直に謝る鈴香を前に、雅洸はどこか照れた様子で首筋をかく。こんな些細な仕草も、婚約していたときには見られなかったので、鈴香は少しドキドキしてしまう。
「まあ、別にいいけど……でも今日は大事な話があるから、どうしても鈴香に来てもらわないと困るんだ」
だからといって、マンションの玄関先にリムジンをよこすのはやめてほしい。
そんな思いで溜息を吐く鈴香に、杯を食卓に置いた雅洸が真剣な眼差しを向けてきた。
「……? どうかしましたか?」
「実は、そろそろ結婚しようと思うんだ」
「――っ!」
突然の宣言に、鈴香は一瞬固まってしまう。
――ああ、そういうことだったんだ。
鈴香はそっと箸を置く。
雅洸が強引にでも鈴香を食事に誘い出したのは、元婚約者である自分にそのことを報告しておきたかったからなんだ。
「……そうなんですね」
「ああ」
伏し目がちにうなずく雅洸が、とっくりに手を伸ばす。
婚約を破棄したときから、いつかこういう日が来るのはわかっていた。でもいざその日を迎えると、なんだか変な気持ちになる。
鈴香は、動揺を抑えて頭を下げる。
「おめでとうございます」
「ん?」
鈴香の言葉に、雅洸がキョトンとした。
「――?」
不思議そうな顔をされ、鈴香も同じような顔をする。
「なんだか、妙に他人行儀な反応だな」
「だって、もう……」
もう自分たちは他人同士だ。
そう思う鈴香を指差し、雅洸が苦笑いを浮かべる。
「自分の結婚なんだから、もうちょっと違う反応があるだろう」
「はい?」
うしろにのけぞって驚く鈴香に、雅洸が怪訝な目を向ける。
「ん? なにを驚いているんだ?」
「……雅洸さん、誰と結婚するつもりなんですか?」
「……」
雅洸が無言のまま、鈴香を顎で示す。
――いやいや、ありえない。
鈴香は慌てて首を横に振る。
「ちょっと待ってください。なんで私が雅洸さんと結婚するんですか? だって婚約は、とっくに解消したはずですよ」
「そんな覚えはない」
雅洸が強い口調で断言した。
いや。ハナミヤ産業が倒産した日に、確かに婚約破棄を申し出たはずだ。
そのことを指摘する鈴香に、雅洸が事務的な口調で返してくる。
「その申し出は覚えているが、受諾した覚えはない」
「……」
思わず黙り込む鈴香だったが、当時の記憶を探り、「で、でも」と声を上げる。
「あのとき雅洸さん、『とりあえずわかった』って言ったじゃないですか」
「とりあえず……だろ? その後、『今は動揺しているだろうから、落ち着いたら話し合おう』とも言ったはずだ」
「うっ……」
確かにそう言われた気がする。
ひるむ鈴香を見て、雅洸はさらに痛いところを突いてくる。
「それ以降、お前は俺がどれだけ誘っても会おうとしなかったな」
「……っ」
「あのときの鈴香は『一方的に頼るだけの結婚なんてしたくない』と言っていた。就職して立派に自活している今なら、結婚しても問題ないだろう」
「……」
いや、問題だらけだ。
とっくに婚約破棄したつもりでいたのに、今さらそんなことを言われても困る。
感情が追い付かず言葉を失う鈴香に、雅洸がたたみかける。
「というわけで、結婚式はいつがいい? あと、希望の式場はあるか? あるなら、そこを予約しよう。それと、結婚後の新居だが……」
「ちょ、ちょっと待って……っ!」
鈴香は慌てて話を遮る。
「ん?」
「雅洸さん、本気で私と結婚するつもりなんですか?」
「当たり前だろ」
「どうして?」
「海外赴任が終わり、しばらくは日本での勤務が続く。年齢的にもちょうどいい。そろそろ落ち着くのに、妥当なタイミングだと思わないか?」
鈴香の戸惑いの理由を理解することなく、雅洸は淡々と話す。そんな雅洸の声を鈴香はふたたび遮った。
「そっ、そういうことじゃなくて。私と結婚しても、雅洸さんにメリットはないですよ」
鈴香の言葉を、雅洸が「なんだそれ」と鼻で笑う。
「だって私と雅洸さんの結婚は、ハナミヤ産業ありきの政略結婚だったんでしょ? だったら今の私と結婚しても、伊ノ瀬家にはなんのメリットもないはずです」
「ああ。そうだな」
雅洸は、政略結婚の事実をあっさり認めた。
鈴香と違い、婚約したときにはもう十分大人の考え方が理解できる年齢だった雅洸は、二人の結婚の意味を理解していたのだろう。
「じゃあ、なんで今さら私と結婚しようと思うんですか?」
「鈴香が、俺の許嫁だからに決まってるだろう」
即答する雅洸に、鈴香は目眩を感じて額を押さえた。
指の隙間から雅洸の様子を確認すると、余裕の笑みを浮かべて鈴香の反応を待っているのが見えた。
――同情……だよね?
自分で認めるのは癪だが、それ以外に理由が思い付かない。お嬢様だった鈴香が安物のビジネススーツに身を包み、毎日あくせく働いていることを憐れんでいるのだろうか。
それなら心配無用と、鈴香は片手を前に出してきっぱり宣言する。
「お断りします。私、雅洸さんがいなくても平気ですから」
「平気?」
「今の仕事を気に入っているし、雅洸さんに頼らなくても暮らしていけるくらいには稼いでます。だから、雅洸さんに結婚してもらう必要はありません」
その言葉に、雅洸の眉がぴくりと動く。そして彼は「ほう」と息を吐いた。
「だから雅洸さんは遠慮なく、他の誰かと結婚してください。……今まで婚約の件が保留になってたって言うなら、今日この瞬間、正式に婚約を破棄しましょう」
お互いの幸せのためには、それが一番いい。そう思う鈴香だったが、雅洸は「却下だ」と低い声で言った。
「はい?」
「婚約破棄を却下する。そう言っているんだ」
「なんで……?」
意味がわからない。顔を引きつらせる鈴香に、雅洸が胸を張って答える。
「俺が誰と結婚しようが俺の自由だ。誰かに指図される筋合いはない」
「そうだけど……いや、そうじゃないでしょ」
結婚には、双方の合意が必要なのだから。
なかば呆れつつ説明する鈴香に、雅洸は「なるほど」と一応の納得を見せた。
「わかってもらえましたか。じゃあ、今度こそ……」
婚約を破棄しましょう、と言いかけた鈴香に、雅洸が強気な視線を向ける。
「それなら、鈴香が俺と結婚する気になれば、なんの問題もないな?」
「……」
なんでそうなるの? と言い返そうとしたタイミングで「失礼します」と、襖が開けられた。
慌てて話を中断させる鈴香に、雅洸が不敵な笑みを浮かべて高らかに宣言する。
「言っておくが、俺は一度決めたことを、そうそう諦める人間じゃないぞ」
それは鈴香もよく知っている。
面倒くさいことになった。そう感じつつ、鈴香は新たな料理を運んできた仲居に頭を下げるのだった。
3 婚約者的距離感
雅洸との再会から一週間。
あいかわらず仕事熱心な鈴香は、荻野ガラスの開発部とのランチミーティングに参加していた。
――ガラス開発は、強度だけでなく軽さも重要だよね。
参加者の話を聞きながら、鈴香は改めて納得する。
ただ頑丈なガラスを作りたいのであれば、単純に厚くすればいい。でもそうすると厚みの分、重さも増してしまう。
最近のスマホが初期のものよりずいぶん軽くなった理由の一つに、ガラスの軽量化が挙げられる。
「花宮さん、部長が呼んでたわよ」
ミーティングが終わって自分の席に戻るなり、隣の席の千夏に声をかけられた。
鈴香が部長のデスクに視線を向けると、そこには誰もいない。千夏が「応接室で待ってるって」と付け足した。
「応接室?」
なんでわざわざそんな場所に……と思いつつも「了解」と返して、鈴香は応接室へと向かった。
「失礼します」
重厚な木製のドアをノックして中に入ると、部長がソファーに腰かけたまま「呼び出してすまんな」と軽い口調で詫びてきた。
応接室にはもう一人、開発部の責任者である佐々木という四十過ぎの男性もいた。
長身でヒョロリとしている佐々木は、仕事は出来るが人と話すのが苦手とのことで、ランチミーティングにも参加しない。今日も鈴香の顔を見るなり、「じゃあ、あとはよろしくお願いします」と部長に声をかけて部屋を出ていった。
「適当に座ってくれ」
部長にそう言われ、鈴香は彼の向かいのソファーに腰を下ろした。
「早速だが、花宮君に頼みたい仕事があるんだ」
と、部長が話を切り出した。
「はあ」
それならデスクですればいいのに。そんな鈴香の心を読んだように、部長が続ける。
「まだ正式に決まってはいないので、公にはしてもらいたくないのだが……」
なるほど、それでわざわざ呼び出したのか。
納得する鈴香に、部長は仕事の内容を話し始めた。
鈴香はおぼつかない足取りで男性に歩み寄り、リムジンを指差す。
「伊ノ瀬雅洸様より、花宮様のお迎えを承っております」
男性の言葉に、鈴香は「でしょうね」と心の中で返した。自分で質問しておいてなんだが、こんな派手なお迎えをよこす知人など彼しかいない。
「雅洸さんは、『仕事が長引いて迎えに来られない』のパターンですか?」
「左様でございます」
と、運転手の男性は手でリムジンを示し、鈴香に乗車を促す。
婚約時代も雅洸は、仕事が長引いて約束の時間に迎えに来られなくなったときには、こうしてリムジンをよこしていた。
当時の鈴香は深く考えることなく、はしゃいでリムジンに乗り込んでいた。きっとあの頃と同様、リムジンの中には花束と、鈴香の好きな飲み物やスイーツが用意されているのだろう。
でも、ごく一般的な社会人生活を四年も送った今、それがどれだけ無駄遣いだったのかわかる。
そして今さらながらに、もう雅洸とは住む世界が違うのだと痛感した。
鈴香は、やれやれと眉間を押さえて、きっぱりと言う。
「迎えは必要ありません。目立って恥ずかしいから帰ってください」
「それでは、私が伊ノ瀬様に怒られます」
運転手の男性が、すかさず返してきた。
「そもそも今日、会う約束なんてしてないんですけど」
「当方では、そのようにはうかがっておりませんので」
彼は鈴香に乗車を求めるべく、さらに深く頭を下げる。そんな二人のやり取りを、通行人が興味津々な目で眺めていた。
「…………」
高級感あふれるリムジンを前に、いつまでもここで話している方が恥ずかしい。
鈴香は仕方なく、つやつやと車体を光らせるリムジンへと乗り込んだ。
そして革張りのシートの上に置かれている花束に、「やっぱりね」と、溜息を漏らした。
滑らかに動き出すリムジンの中で、鈴香は花束を抱え、それに添えられていたメッセージカードに視線を向ける。そこには「久しぶりに会えるのを楽しみにしている」と書かれていた。
――雅洸さん、誰にでもこういうことするのかな?
大人になるにつれうすうす感じていたことではあるが、やはり雅洸は女性の扱いに慣れていた。
鈴香を……というより、女性を喜ばせる手法を熟知している。
――まあ、よく考えれば当然のことだよね。
有名企業の御曹司。完璧な学歴と経歴に、端整な顔立ち。レディーファーストを心得ていて、大人の魅力にあふれている。そんな雅洸を、世の女性たちが放っておくわけがない。
雅洸にその気があれば、いくらでも恋愛を楽しむことが出来たのだろう。
――結局私たちの結婚って、将来的にINSがハナミヤ産業を傘下に収めるためのものだったんだよね。
伊ノ瀬の一族は、野心家が多い。鈴香と雅洸の婚約を取りまとめたのは、一族の中でも特に野心が強い、雅洸の伯父の豊寿だった。
花宮家には鈴香しか子供がいないから、もしあのまま結婚していれば、夫の雅洸がハナミヤ産業の経営に強い影響力を持つことになっていただろう。
それを狙って許嫁にした鈴香が、ハナミヤ産業の娘という価値を失ったとき、雅洸がとっさに「結婚してあげる」と言ったのは、愛情ではなく彼の優しさだ。
――あの頃の私は子供すぎて気付かなかったけど、今ならわかる……
少しも対等な関係でなかった雅洸に、鈴香の知らない恋人がいても不思議はない。同情で結婚してもらったとしても、きっと誰も幸せにはなれなかっただろう。
それに今になって考えると、鈴香自身、雅洸のことをどう思っていたのかよくわからない。
ただ雅洸に大人の女性として扱ってほしくて必死だった。
それは間違いなく、当時の鈴香の正直な感情だ。でもそのときの鈴香は本当に子供で、雅洸と結婚することが人生の正解なのだと思い込んでいた。自分が抱いていた雅洸への感情が、恋なのか憧れなのか、今となってはよくわからない。
「…………やっぱり、まだ会いたくないな」
どんな顔をして会えばいいのかわからないし、下手に会って、あの頃雅洸に抱いていた感情の正体を知ってしまうのも怖い。
鈴香は、雅洸からのメッセージカードを裏返して花束に挿すと、シートに置いて出来るだけ遠くに押しやった。
やがてリムジンが辿り着いたのは、閑静な場所にある会席料理の店だった。
歴史を感じさせる大きな門の前で車が停まると、和服姿の仲居が出迎えてくれた。
深々と頭を下げた仲居は、車から降りる鈴香を見て怪訝な表情になり、リムジンの奥をうかがう。そして乗客が鈴香一人だと確認して、もう一度頭を下げてきた。
きっとリムジンで乗り付けた客が、安物のビジネススーツを着た女性一人で、しかも高そうな花束を抱えているというパターンが初めてで、戸惑ったのだろう。
それでも彼女は何事もなかったかのように笑みを浮かべ、鈴香を中に招き入れた。
仲居に案内されたのは、立派な座敷だった。漆喰の壁に日本の植物が描かれていて、和紙を使った照明が部屋全体を柔らかな色調に染めている。
まだ雅洸の姿はなかった。仲居が座敷の上座に座るよう勧めるのを断り、鈴香は下座に腰を下ろす。
――高そう……
個室に一人残された鈴香は、金額の書かれていないお品書きを手に取り、思わず眉をひそめた。
想定外の成り行きではあるが、せっかく会うのであれば、雅洸の出世を祝して自分がご馳走したいと思う。もう彼の婚約者ではないのだし、働いてお給料をもらっているのだから当然のことだ。
そうは思っても、店の格調が高すぎて会計が不安になってくる。
――最悪カードで払って、その後しばらく節約生活を送れば大丈夫だよね。
そう結論付けてお品書きを元の場所に戻したとき、入り口の襖が静かに開いた。
「待たせたな」
そう言って、雅洸が部屋へと入ってくる。
そして鈴香の向かいの席に腰を下ろした。
――雅洸さん、一段と大人っぽくなってる……
老けたという意味ではない。体格や風貌に大きな変化はないが、海外で仕事をこなしてきたゆえの貫禄のようなものをまとっていて、オリジナルの美しさにあふれた雅洸の存在感をさらに際立たせている。
きっと海外でも、女性にモテていたのだろう。
そう思うと、心の奥のほうが意味もなく軋んだ。
仲居に日本酒の銘柄を確認していた雅洸が、ふと鈴香を見た。
「鈴香、酒は呑めるようになったのか?」
当然のようにファーストネームで呼ばれて、鈴香は「度数が低いのなら」とぎこちなく答える。
すると雅洸は口元だけで笑って、酒の注文を済ませた。
そして仲居が運んできた酒を一口呑んでから、「久しぶり」と改めて挨拶をしてくる。
久々に聞く雅洸の低く掠れた声が、耳に心地よい。
「お久しぶりです。それと、ご昇進おめでとうございます」
鈴香は一度ぺこりと頭を下げた後、「でも……」と言って厳しい表情を雅洸に向けた。
「今日、会う約束をした覚えはないです」
自宅マンション前での運転手とのやり取りを思い出し、鈴香はむくれる。しかも仕事用の地味なスーツ姿で、リムジンで高級会席の店に乗り付けるなんて恥ずかしすぎた。
「沈黙は肯定のサインだと思った」
悪びれる様子もなく返す雅洸に、鈴香は抗議を続ける。
「あと、あんな恥ずかしい迎えをよこすのは、やめてください。ちゃんと約束をしていれば自分の足で会いに行きます」
「女性を一人で店に向かわせる。……そんな恥ずかしいこと、出来るわけないだろう」
いや。リムジンで迎えに来られるほうが、よっぽど恥ずかしい。
「そもそも私、雅洸さんに住所を教えた覚えはないんですけど」
「共通の知り合いが、何人いると思ってるんだ?」
雅洸はそう笑うと、杯を軽く持ち上げて中身を飲み干した。
「……確かに」
鈴香が知人の噂話から雅洸の近況を知ることが出来たのと同じように、雅洸にも鈴香の情報が筒抜けになっていたのだろう。
「それより遅くなったけど、荻野ガラスへの就職おめでとう」
就職したことはメールで報告したが、会社名まで教えた覚えはない。どうやら鈴香の与り知らぬところで、かなりの個人情報が流出しているらしい。
「ストーカーみたい」
鈴香の苦言に、雅洸がニヤリと笑う。
「ちゃんと気にかけてるんだよ。お前だって俺の近況、尚也に聞いてたくせに」
「……」
いつもこうだ。
全てが雅洸のペースで進んでしまう。
鈴香は、雅洸が注文した梅酒の炭酸割りに口を付ける。深い梅の味が、炭酸の刺激と一緒に広がった。
上品な梅の味に思わず顔を綻ばせていると、食事が運ばれてきた。
先付から始まる会席料理をゆっくり食べ進めながら、ポツリポツリと言葉を交わす。
会話の主導権を握っているのはもちろん雅洸で、鈴香は彼の質問に答えたり、彼の近況報告に相槌を打ったりするだけだった。
けれど、昔と変わらない空気感に、自然と心が和む。むしろ昔より雅洸の態度が気安くて、距離が縮まった気さえしていた。
「だいたい、迎えでもよこさなきゃ、お前は会おうとしないだろ」
ハイペースで酒を呑む雅洸が、さっきの話を蒸し返す。
「どうしてそう思うの?」
「一時帰国するたびに食事に誘ってたけど、お前いつも、俺の誘いをのらりくらりと断ってたじゃないか」
「のらりくらりって……雅洸さん、自分の予定に空きが出来たときに突然誘ってくるから、タイミングが合わなかっただけです。……ほら、就職してからは私も色々と忙しかったし」
それは半分嘘だ。
雅洸が短い帰国の合間に食事に誘ってくれることがあっても、鈴香は適当な理由を作って会うことを避けていたのだ。
「ふうん」
疑わしげな目を向けてくる雅洸に、鈴香はペコリと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
いざこうして顔を合わせてみれば、意外と普通に話せる。
こんなことなら必要以上に避けたりしないで、ただの幼なじみとしてもっと気楽に会ってもよかったのかもしれない。
素直に謝る鈴香を前に、雅洸はどこか照れた様子で首筋をかく。こんな些細な仕草も、婚約していたときには見られなかったので、鈴香は少しドキドキしてしまう。
「まあ、別にいいけど……でも今日は大事な話があるから、どうしても鈴香に来てもらわないと困るんだ」
だからといって、マンションの玄関先にリムジンをよこすのはやめてほしい。
そんな思いで溜息を吐く鈴香に、杯を食卓に置いた雅洸が真剣な眼差しを向けてきた。
「……? どうかしましたか?」
「実は、そろそろ結婚しようと思うんだ」
「――っ!」
突然の宣言に、鈴香は一瞬固まってしまう。
――ああ、そういうことだったんだ。
鈴香はそっと箸を置く。
雅洸が強引にでも鈴香を食事に誘い出したのは、元婚約者である自分にそのことを報告しておきたかったからなんだ。
「……そうなんですね」
「ああ」
伏し目がちにうなずく雅洸が、とっくりに手を伸ばす。
婚約を破棄したときから、いつかこういう日が来るのはわかっていた。でもいざその日を迎えると、なんだか変な気持ちになる。
鈴香は、動揺を抑えて頭を下げる。
「おめでとうございます」
「ん?」
鈴香の言葉に、雅洸がキョトンとした。
「――?」
不思議そうな顔をされ、鈴香も同じような顔をする。
「なんだか、妙に他人行儀な反応だな」
「だって、もう……」
もう自分たちは他人同士だ。
そう思う鈴香を指差し、雅洸が苦笑いを浮かべる。
「自分の結婚なんだから、もうちょっと違う反応があるだろう」
「はい?」
うしろにのけぞって驚く鈴香に、雅洸が怪訝な目を向ける。
「ん? なにを驚いているんだ?」
「……雅洸さん、誰と結婚するつもりなんですか?」
「……」
雅洸が無言のまま、鈴香を顎で示す。
――いやいや、ありえない。
鈴香は慌てて首を横に振る。
「ちょっと待ってください。なんで私が雅洸さんと結婚するんですか? だって婚約は、とっくに解消したはずですよ」
「そんな覚えはない」
雅洸が強い口調で断言した。
いや。ハナミヤ産業が倒産した日に、確かに婚約破棄を申し出たはずだ。
そのことを指摘する鈴香に、雅洸が事務的な口調で返してくる。
「その申し出は覚えているが、受諾した覚えはない」
「……」
思わず黙り込む鈴香だったが、当時の記憶を探り、「で、でも」と声を上げる。
「あのとき雅洸さん、『とりあえずわかった』って言ったじゃないですか」
「とりあえず……だろ? その後、『今は動揺しているだろうから、落ち着いたら話し合おう』とも言ったはずだ」
「うっ……」
確かにそう言われた気がする。
ひるむ鈴香を見て、雅洸はさらに痛いところを突いてくる。
「それ以降、お前は俺がどれだけ誘っても会おうとしなかったな」
「……っ」
「あのときの鈴香は『一方的に頼るだけの結婚なんてしたくない』と言っていた。就職して立派に自活している今なら、結婚しても問題ないだろう」
「……」
いや、問題だらけだ。
とっくに婚約破棄したつもりでいたのに、今さらそんなことを言われても困る。
感情が追い付かず言葉を失う鈴香に、雅洸がたたみかける。
「というわけで、結婚式はいつがいい? あと、希望の式場はあるか? あるなら、そこを予約しよう。それと、結婚後の新居だが……」
「ちょ、ちょっと待って……っ!」
鈴香は慌てて話を遮る。
「ん?」
「雅洸さん、本気で私と結婚するつもりなんですか?」
「当たり前だろ」
「どうして?」
「海外赴任が終わり、しばらくは日本での勤務が続く。年齢的にもちょうどいい。そろそろ落ち着くのに、妥当なタイミングだと思わないか?」
鈴香の戸惑いの理由を理解することなく、雅洸は淡々と話す。そんな雅洸の声を鈴香はふたたび遮った。
「そっ、そういうことじゃなくて。私と結婚しても、雅洸さんにメリットはないですよ」
鈴香の言葉を、雅洸が「なんだそれ」と鼻で笑う。
「だって私と雅洸さんの結婚は、ハナミヤ産業ありきの政略結婚だったんでしょ? だったら今の私と結婚しても、伊ノ瀬家にはなんのメリットもないはずです」
「ああ。そうだな」
雅洸は、政略結婚の事実をあっさり認めた。
鈴香と違い、婚約したときにはもう十分大人の考え方が理解できる年齢だった雅洸は、二人の結婚の意味を理解していたのだろう。
「じゃあ、なんで今さら私と結婚しようと思うんですか?」
「鈴香が、俺の許嫁だからに決まってるだろう」
即答する雅洸に、鈴香は目眩を感じて額を押さえた。
指の隙間から雅洸の様子を確認すると、余裕の笑みを浮かべて鈴香の反応を待っているのが見えた。
――同情……だよね?
自分で認めるのは癪だが、それ以外に理由が思い付かない。お嬢様だった鈴香が安物のビジネススーツに身を包み、毎日あくせく働いていることを憐れんでいるのだろうか。
それなら心配無用と、鈴香は片手を前に出してきっぱり宣言する。
「お断りします。私、雅洸さんがいなくても平気ですから」
「平気?」
「今の仕事を気に入っているし、雅洸さんに頼らなくても暮らしていけるくらいには稼いでます。だから、雅洸さんに結婚してもらう必要はありません」
その言葉に、雅洸の眉がぴくりと動く。そして彼は「ほう」と息を吐いた。
「だから雅洸さんは遠慮なく、他の誰かと結婚してください。……今まで婚約の件が保留になってたって言うなら、今日この瞬間、正式に婚約を破棄しましょう」
お互いの幸せのためには、それが一番いい。そう思う鈴香だったが、雅洸は「却下だ」と低い声で言った。
「はい?」
「婚約破棄を却下する。そう言っているんだ」
「なんで……?」
意味がわからない。顔を引きつらせる鈴香に、雅洸が胸を張って答える。
「俺が誰と結婚しようが俺の自由だ。誰かに指図される筋合いはない」
「そうだけど……いや、そうじゃないでしょ」
結婚には、双方の合意が必要なのだから。
なかば呆れつつ説明する鈴香に、雅洸は「なるほど」と一応の納得を見せた。
「わかってもらえましたか。じゃあ、今度こそ……」
婚約を破棄しましょう、と言いかけた鈴香に、雅洸が強気な視線を向ける。
「それなら、鈴香が俺と結婚する気になれば、なんの問題もないな?」
「……」
なんでそうなるの? と言い返そうとしたタイミングで「失礼します」と、襖が開けられた。
慌てて話を中断させる鈴香に、雅洸が不敵な笑みを浮かべて高らかに宣言する。
「言っておくが、俺は一度決めたことを、そうそう諦める人間じゃないぞ」
それは鈴香もよく知っている。
面倒くさいことになった。そう感じつつ、鈴香は新たな料理を運んできた仲居に頭を下げるのだった。
3 婚約者的距離感
雅洸との再会から一週間。
あいかわらず仕事熱心な鈴香は、荻野ガラスの開発部とのランチミーティングに参加していた。
――ガラス開発は、強度だけでなく軽さも重要だよね。
参加者の話を聞きながら、鈴香は改めて納得する。
ただ頑丈なガラスを作りたいのであれば、単純に厚くすればいい。でもそうすると厚みの分、重さも増してしまう。
最近のスマホが初期のものよりずいぶん軽くなった理由の一つに、ガラスの軽量化が挙げられる。
「花宮さん、部長が呼んでたわよ」
ミーティングが終わって自分の席に戻るなり、隣の席の千夏に声をかけられた。
鈴香が部長のデスクに視線を向けると、そこには誰もいない。千夏が「応接室で待ってるって」と付け足した。
「応接室?」
なんでわざわざそんな場所に……と思いつつも「了解」と返して、鈴香は応接室へと向かった。
「失礼します」
重厚な木製のドアをノックして中に入ると、部長がソファーに腰かけたまま「呼び出してすまんな」と軽い口調で詫びてきた。
応接室にはもう一人、開発部の責任者である佐々木という四十過ぎの男性もいた。
長身でヒョロリとしている佐々木は、仕事は出来るが人と話すのが苦手とのことで、ランチミーティングにも参加しない。今日も鈴香の顔を見るなり、「じゃあ、あとはよろしくお願いします」と部長に声をかけて部屋を出ていった。
「適当に座ってくれ」
部長にそう言われ、鈴香は彼の向かいのソファーに腰を下ろした。
「早速だが、花宮君に頼みたい仕事があるんだ」
と、部長が話を切り出した。
「はあ」
それならデスクですればいいのに。そんな鈴香の心を読んだように、部長が続ける。
「まだ正式に決まってはいないので、公にはしてもらいたくないのだが……」
なるほど、それでわざわざ呼び出したのか。
納得する鈴香に、部長は仕事の内容を話し始めた。
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