契約妻ですが極甘御曹司の執愛に溺れそうです

冬野まゆ

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1巻

1-1

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   プロローグ 淡い恋心への終止符


 六月某日。
 企業のホームページ作成を生業なりわいとするマキマオフィスに勤務する須永千春すながちはるは、打ち合わせの終盤、左手のスマートウォッチに微細びさいな振動を感じて視線を落とした。
 母の綾子あやこからメッセージが届いたらしい。

『本当に結婚するつもりなの?』

 小さな画面に表示された文章に、千春はそっと息を吐いた。

「須永さん、なにか?」

 声をかけてきたのは、クライアントである化粧品メーカーTUYUKAツユカの広報部長である五十嵐いがらし涼弥りょうやだ。
 癖のない黒髪に、高い鼻梁びりょうと涼しげな二重ふたえの目が印象的な彼は、薄い唇の形も流麗で、完璧な容姿をしている。
 整いすぎるほど整った彼の容姿は、見る者に冷淡な印象を与える。
 だけど笑った時の彼が、花が咲き誇るような魅力を放つことを千春は知っている。
 年齢は二十六歳の千春より四歳年上。
 つい最近、三十路みそじを迎えたばかりだけど、同年代の千春の兄とは比べものにならない落ち着きがあり、大人の男の色気をただよわせている。

「いえ。なんでもないです」

 軽く首を振って、千春は目の前の仕事に意識を集中させる。

「御社の従来商品は肌に馴染みやすく、保湿効果も優れていると評価が高い反面、原料に使われている日本酒独特の香りが気になるとの声がありました。しかし今回のリニューアルで、そうした面も改善されたと伺っております。パッケージデザインを一新し、ターゲット層を広げたいとのことでしたので……」

 これまでTUYUKAのホームページの管理は、笹波企画ささばきかくという大手企業がになっていた。けれど、基礎化粧品のリニューアルに合わせて、サイトも新しくすることとなり、委託先を変更する流れとなったらしい。
 そして幸運にも、その委託先に千春の勤務するマキマオフィスが選ばれたのである。
 大手企業からの依頼に色めき立った社内は、これを機に、TUYUKAの配信動画を始めとした他のSNSコンテンツの管理も任せてもらえないだろうかと、静かな野心を抱いている。
 そんな社内の期待を一身に背負っている千春は、いつにない緊張を覚えつつプレゼンを進めていく。
 若い女性のアイディアで自由な提案をしてほしいと言われたので、色使いや、アイコンのデザインをポップなものにすると共に、商品画像や各種リンクをクリックした際の音に遊び心を持たせてみた。
 持ち込んだノートパソコンを使用しながら、丁寧に説明を続けること約一時間。一通りの説明を終えた千春は「以上になります」と頭を下げた。

「……なるほど」

 涼弥があごこぶしを当てて呟く。
 千春はその表情を見つめた。
 手元の資料に視線を落とし深く考え込む彼の顔は、整いすぎていて感情が読み取りにくい。
 自分のプレゼンを彼がどう思ったのか気になって、千春はジッとその様子を窺った。
 同席しているTUYUKAの四人の社員も、神妙な面持おももちで涼弥が言葉を発するのを待っている。
 涼弥の反応に周囲がここまで緊張するのは、彼が特別な存在だからだ。
 今はTUYUKAの広報部長を務めているけれど、涼弥は『喜葉竹きよたけグループ』という大企業の後継者なのである。
 この会社は喜葉竹グループの子会社であり、社長は涼弥の叔父が務めていた。
 涼弥がここで働いているのは、将来喜葉竹グループを任されるための社会勉強だ。
 喜葉竹グループは、もともと関東に拠点を置く喜葉竹酒造という酒造メーカーだったが、現在の当主である涼弥の父が、ずば抜けた商才の持ち主だったことで流れが変わった。
 涼弥の父は、国内で日本酒の消費量が低迷すると、いち早く自社製品の販路を海外に求め、業績を伸ばしていった。
 その成功を足掛かりに事業を拡大し、社名も『喜葉竹グループ』と改め、他分野へも進出し、一代で会社を多角経営の大企業へと飛躍させたのだ。
 千春が何故そこまで詳しいかといえば、彼女の実家も小規模ながら歴史のある一乃華銘醸いちのはなめいじょうという酒造会社で、喜葉竹とは事業規模がかなり違うけれど、創業した土地が同じということで、両家には多少の面識があったからだ。
 といっても、千春の父が屋号から『酒造』の文字を消した喜葉竹を目のかたきにしていたため、たいした交流ではないのだけど。
 父が亡くなり家業を継いだ兄の俊明としあきと涼弥には、多少の接点があるらしいが、千春は子供の頃に数回、彼に遊び相手をしてもらった記憶がある程度だ。
 ――それに……たぶん私、五十嵐さんに嫌われていたし。
 そこまではいかなくとも、年下の子供の相手をするのが面倒だったのか、たまにイベント事で顔を合わせても、いつの頃からか涼弥に避けられるようになっていた。
 とはいえそれも本当に幼い頃の、今から二十年近く昔の記憶である。
 だから今回、千春がこの仕事を任されたのはただの偶然で、最初の打ち合わせにおもむいた際、その場に涼弥がいてかなり驚いたくらいだ。

「……いかがでしょうか?」

 沈黙に耐えかねて千春が尋ねると、涼弥は小さく頷いて視線をこちらに向ける。

「悪くない。念のため社長の意向も確認したいので、少しお時間をいただいてもいいかな?」
「もちろんです」

 千春が返事をする間も、涼弥は資料を確認している。

「ウチの企業理念やコンセプトをよく理解した上で、提案してくれているのがわかるよ」

 しみじみとした口調で言われた言葉に、思わず頬が緩む。
 彼に認めてもらえる仕事をしたくて、これまでの経験でつちかったノウハウだけじゃなく、家業で得た知識も活かして練りに練った企画なだけに、そう言ってもらえると素直に嬉しい。

「ありがとうございます」

 子供っぽいと思われないように、澄ました表情でお礼を言って、千春は片付けを始める。
 それを眺めていた涼弥は、ふとなにかを思い付いた様子で声をかけてきた。

「そうだ。須永さん、少し待っていてもらっていいかな?」

 それだけ言うと、涼弥は会議室を出ていった。

「マキマオフィスさんに担当が代わってから、部長の機嫌が良くて助かりますよ」

 涼弥が出ていくと、彼の部下である男性社員がそう声をかけてきた。

「え? そうなんですか?」

 というか、普段の彼を知らない千春には、十分厳しい表情をしているように見えたけど、そうではなかったらしい。
 思いがけない言葉に驚く千春に、男性社員が大きく頷いた。

「もともと部長は仕事に厳しい人だけど、以前の打ち合わせの時はもっとピリピリしていたから、僕たちも緊張しっぱなしだったけど、今日は空気が柔らかくて打ち合わせがやりやすかったよ」

 そんなふうに言われると、変な期待をしそうになる。だけど、少し年嵩としかさの女性社員の言葉に気を引き締めた。

「前の担当さんと違って須永さんは真面目だし、部長に変な色目を使ってこないから、仕事がしやすいんじゃない?」
「確かにそれはあるだろうな」

 女性の言葉に、最初に声をかけてきた男性社員も頷く。

「前の担当さんと、なにかあったんですか?」

 思ったことをそのまま口にすると、女性社員は口元に手を添えて、とっておきの秘密を打ち明けるような口調で話してくれた。

「部長がいい男すぎるの。仕事を円滑に進めるために多少愛想を良くするくらい普通のことなのに、相手がイケメンだとそれを忘れちゃうみたいで。仕事先の女性の中には、部長にちょっと優しくされただけで『自分は特別な存在なんじゃないか』って勘違いしちゃう人も多いのよ……」

 女性はそこまで話すと、やれやれといった感じで首を振る。

「なるほど」

 それはなんとなく想像がつく。
 地元にいた頃も、事あるごとに涼弥がモテるという話は兄から聞いていた。

「前の担当さんもその辺を勘違いしちゃったみたいでね。仕事を口実に部長とお近付きになろうとしているのが見え見えで、部長も扱いに困っていたのよ。それでサイトのリニューアルを口実に、委託会社を変更することにしたんだけどね」
「そうだったんですね」

 そのまま続けられた話に、千春はなるほどと頷く。
 突然仕事の依頼が舞い込んできたのは、そういう経緯もあってのことだったらしい。

「それに比べて、須永さんは全力で仕事をしているのが伝わってくるから、俺たちも仕事がしやすいよ。これからも期待しているから」

 最初に話しかけてきた男性社員が、そう話を締めくくる。
 千春の場合、涼弥が自分に恋愛感情をいだくなんてありえないとわかっているので、そんな勘違いをする心配はない。
 千春が「頑張ります」と笑顔で返すと、片付けを済ませた社員が部屋を出ていく。
 その背中を見送り一人部屋に残された千春は、スマホを取り出して、先ほど届いたメッセージを確認した。
『本当に結婚するつもりなの?』で始まる母からのメッセージは、『千春がそれでいいなら、お見合いの話を進めるけど、家のために無理してない?』と続いている。

「無理は……してるよね」

 文面に目を走らせた千春は、深いため息をつく。

『相手の人、ウチがお世話になっている銀行の重役の息子さんで、結婚したら会社の立て直しに協力してくれるって言ってるんでしょ? 死んだお父さんも、女の子は早く結婚しろってうるさかったし、いいご縁だと思うから、進めて大丈夫だよ』

 打ち込んだ文章を送信した千春は、母を安心させるために可愛いウサギのイラストを付け足す。
 本音を言えば、男性と付き合った経験すらない千春にとって、結婚なんて想像もつかない話だ。だけど……
 ――私が家族のためにしてあげられることなんて、これくらいしかないもんね。
 千春が自分にそう言い聞かせていた時、会議室の扉が開いた。

「待たせて悪かったね」

 打ち合わせの時と比べれば、若干柔らかな表情をした涼弥が部屋に入ってくる。
 視線を合わせて薄く微笑まれるだけで心臓が大きく跳ねてしまうのは、千春にとって彼が初恋の相手だからだ。
 そして、そのほのかな恋心は現在進行形で続いている。
 地元にいた頃は、時々彼の姿を見かけることがあったし、兄を介して彼の話を耳にすることもあった。ただそれだけのことなのに、胸が高鳴るのを止められなかった。
 恋愛経験のない千春にも、その感覚が恋と呼んで間違いないものだとわかる。

「須永さん?」

 はやる鼓動を落ち着けようと、そっと胸を叩いていると、涼弥が不思議そうな顔をする。
 子供の頃は、お互いにファーストネームで呼び合っていたけど、社会人になって再会した今は、お互いファミリーネームで呼んでいる。そのことを寂しく思いつつ、千春は首を横に振る。

「なんでもないです」
「これウチの新商品だけど、良かったら使ってみて」

 涼弥は柔らかな微笑みを添えて、TUYUKAのロゴが入った紙袋を差し出した。

「ありがとうございます。使わせていただいて、紹介文の参考にさせていただきますね」

 TUYUKAの商品はすでに愛用しているけど、彼に手渡された化粧品に特別感を持ってしまうのは、恋する乙女のお約束だ。
 でも千春が紙袋の持ち手を握っても、涼弥は自分の手を離そうとしない。
 そんな千春の耳元に、前かがみになった涼弥が顔を寄せてくる。

「それと、須永さんは可愛い和菓子が好きだって聞いていたから、京都のお土産みやげの和菓子を入れておいた」

 耳に触れる彼の息が恥ずかしくて、千春は思わず少し身を引く。

「……っ」

 なにをどう答えればいいかわからず、赤面して口をパクパクさせていると、涼弥はそっと目を細めて人差し指を唇に当てた。
 それは化粧品のサンプルと一緒にお土産みやげが入っていることを他の人に言わないように、という意味だろう。ただそれだけのことなのに、端整な顔立ちをした彼がやるとやたらセクシーで反応に困る。

「えっと……私が可愛い和菓子が好きって、誰から聞いたんですか?」

 ドキドキとうるさい鼓動が彼に聞こえてしまわないだろうかと、咄嗟とっさに頭に浮かんだ疑問をそのまま言葉にする。

「俊明さんだよ」

 涼弥が口にしたのは、千春の兄の名前だ。
 兄と涼弥が会合などで顔を合わせているのは知っていたけど、自分のことが話題にのぼることがあるなんて初めて知った。
 しかも話を聞いた涼弥が、自分のためにお土産みやげを買ってきてくれるなんて思いもしない。
 ――お兄ちゃん、変なこと言ってないよね?
 恥ずかしくなりつつ、千春は改めて紙袋に手を伸ばした。

「ありがとうございます。こっそり食べます」

 悪戯いたずらっぽい口調で言った千春に、涼弥はクスリと笑う。
 本人にその自覚はないのだろうけど、完璧な容姿を持つ彼は、さりげない表情にさえとろけるような甘さがある。
 ――五十嵐さんって、罪作りな人だな。
 先ほどの話ではないが、仕事を円滑に進めるために、仕事相手にこういった気遣いをすることは往々おうおうにしてある。
 それに過剰反応してしまうのは、受け取る側の妄想がなせるわざだ。
『落ち着け私』と心の中で繰り返し、紙袋を引き取ろうとするのだけど、何故だか涼弥は一向に手を離してくれない。
 不思議に思って顔を上げると、涼弥はうれいのある表情を浮かべていた。

「この前実家に帰った時に、親から先代の一周忌が無事に終わって、俊明さんが一乃華の立て直しに本腰を入れているって聞いたけど、なにか俺に協力できることはあるかな?」

 彼が言う先代とは千春の父、将志まさゆきのことだ。
 千春の実家である一乃華銘醸は、一年半ほど前に父が急逝きゅうせいしたことで、急遽きゅうきょ代師だいしを務めていた兄の俊明が跡を継いだのだけど、正直業績はかんばしくない。
 もともと時代の流れに取り残され、右肩下がりの業績が続いていた会社ではあるが、一流の杜氏とうじとして知られていた父を失ったことで、その動きが加速している。
 兄は業績を回復させようと頑張っているが、正直、倒産まで秒読みといったところまで来ているらしい。
 涼弥が自分のためにお土産みやげを買ってきて、それを口実に引き止めたのは、この話をするためだったのかもしれない。
 一瞬でもドキドキしてしまった自分が恥ずかしくなる。

「……ちゃん」
「え?」

 一瞬、彼に「千春ちゃん」と昔の呼び方をされたような気がして、驚いて顔を上げた。
 千春と視線が合った涼弥は、切れ長の目を細めてさとすような口調で言う。

「一乃華さんとは長い付き合いだし、困った時はお互いさまだから、なにかあれば遠慮なく頼ってほしい」

 今や喜葉竹は、酒造に留まることなく多角経営を成功させている大企業だ。
 頼れるなら、どれほど心強いことか。
 ただ涼弥は、「困った時はお互いさま」と言ってくれるけど、歴史こそあれ、今の一乃華が喜葉竹になにか返せるとはとても思えない。
 ここで涼弥の厚意に甘えれば、それは一方的に頼る形になってしまうのは目に見えている。
 偶然再会したにすぎない彼に、そんな厚かましいことはできない。
 相手が初恋の人なら、なおのこと。
 それに……
 ――五十嵐さんが気にかけているのは、私じゃなくて、一乃華の行く末だ。
 それは当然のことだし感謝すべきことなんだけど、長年の片思いをこじらせている千春は、成長した自分には目もくれない涼弥が面白くない。
 それに、下手に優しくされると、恋心が暴走してしまいそうで怖かった。

「お気遣いありがとうございます。兄も頑張っていますし、私もできる限りのことをするつもりですから大丈夫です」

 家のことは、涼弥をわずらわせるようなことではない。
 今回母が持ってきた見合いを千春が受ければ、きっと今の状況を改善することができるはず。
 涼弥が自分を愛してくれるなんてありえないのだから、もう実らぬ初恋からは卒業して前に進もう。
 ――結婚する前に涼弥さんと再会できて、こうして一緒に仕事をさせてもらえているだけでも幸せだって思わなきゃ。
 自分にそう言い聞かせて、千春は丁寧に頭を下げるとTUYUKAのオフィスを後にした。



   1 契約結婚の始め方


 TUYUKAで打ち合わせをした週の土曜日。関東にある実家に戻ってきた千春は、母の綾子と共に見合いの席に着いていた。
 雨こそ降っていないが、梅雨つゆ時らしい曇天どんてんの空は、まるで今日の見合いの空気を象徴しているようで気が滅入めいる。
 祖母の代から受け継がれている友禅ゆうぜんの着物に身を包んだ千春は、窓から見える空を見上げ胸元の合わせ目に手を添えた。

「今日は、俊明君は同席されないのかな?」

 老舗しにせとして知られるホテルのレストランの個室で、形式どおりの挨拶あいさつを済ませるなり、先方の父親がそう聞いてきた。

「すみません。俊明は、どうしても外せない組合の会合がありまして」

 相手の叱責しっせきするようなきつい口調に驚きながら、母の綾子が返す。
 なにせ見合いが今日に決まったのは、数日前のこと。
 母を介して了承の返事をするなり、こちらの都合などお構いなしに先方が一方的に今日の日取りを決めてしまったのだ。
 当事者の千春でさえ、昨日の夜に慌てて里帰りしてきたくらいで、そのタイミングで見合いの報告を受けた俊明は、すでに同業者が顔をつらねる会合に参加する予定が入っており、そちらを優先せざるを得なかった。
 千春も綾子もそう納得していたのだけど、相手は違ったらしい。

「父親がいないなら、代わりに長男が頭を下げるのが筋じゃないのかな?」

 その横柄おうへいな物言いに、一瞬眉を跳ねさせた綾子だが「すみません」と頭を下げる。
 どちらかと言えば気の強い母だが、家の置かれている状況を考えて、どうにか込み上げる感情を呑み込んだらしい。
 千春としても、一方的に見合いの日取りを決めたり、不機嫌さを隠さない相手の態度には思うところがある。
 言い方もそうだけど、兄が頭を下げるのが当然と言い切る感覚が理解できない。
 確かに相手は一乃華銘醸が融資を受けている銀行の重役かもしれないけれど、今日は彼の息子と千春の見合いの席だというのに。

しつけがなってないな」

 相手の父親は不満げに千春をにらんでくるが、兄の行動に恥じるところはない。
 とはいえこのままでは相手が納得しないと判断した千春は、渋々母を真似て軽く頭を下げる。それでどうにか納得してくれたのか、ようやく食事が始まった。
 ――しつけっていうなら、自分の息子はどうなのよ。
 食事をする千春は、心の中でごちる。
 父親と同じ銀行で働くという男は、見合いの席だというのにスーツをかなり着崩して、ろくに言葉を発することもなくスマホをいじりながら食事をしている。
 最初の挨拶あいさつをした際に、断りもなく千春の写真を撮ってきたので、もしかするとそれをネタに誰かとメッセージのやり取りをしているのかもしれない。そう思うと、かなり不快だ。
 そんな非常識な息子の振る舞いを容認する父親に、しつけ云々うんぬんなどと言われたくないというのが本音である。
 ――どうやって育てたら、こんな人が育つんだろう?
 かなり失礼な疑問かもしれないけど、人と食事をする際のマナーについて、両親に厳しくしつけられた千春としては、首をかしげずにはいられない。
 なにより今は見合いの席なのだ。相手に不快な思いをさせないよう気遣うのが、普通ではないのだろうか。
 スマホから目を離さない息子に、不機嫌そうに食事をしている父親。その側に座る奥方は、背中を丸くしてうつむき、ひたすらおのれの存在を消している。
 傲慢ごうまんに振る舞う父子は、そんな彼女を気遣うそぶりもない。
 ――これがこの家庭にとっての普通なのかな。
 亡くなった父は、口うるさくはあったが、面倒見が良く気配りを欠かさない人だった。
 人が集まり食事をする際には、母と二人でグラスがからにならないよう気を配り、食べるペースが速い人に話しかけるなどして、全体のバランスを整えていた。
 そんな両親を見て育ち、それが当たり前のことと思ってきた千春は、就職してから両親譲りの気配りを先輩にめられて驚いたことがある。
 だから少しでもこの場の空気を良くしようと話しかけてみるが、気のない返事をされて、なんとも言えない気持ちになった。
 どうしたものかと思いつつ食事をしていると、不意に見合い相手がこちらに視線を向けてきた。
 目が合った瞬間、品定めするように視線を走らせニヤリと笑う。
 肌に張り付くような粘着質な眼差しに、上手く言葉で表現できない嫌悪感が湧き上がる。

「どうかされましたか?」

 なんとか表情を整えて微笑みかけると、相手はいびつな笑みを浮かべて視線を手元のスマホに戻した。
 ――この人と結婚して、上手くやっていけるのかな?
 この見合い話を持ってきた母によれば、一乃華銘醸が長年融資を受けている地銀の重役直々じきじきに「ぜひ息子の嫁に」と言ってきたのだという。
 理由としては、経費削減のため商品宣伝のポスターなどでモデル役を務めた千春の容姿を気に入ったからだとか。
 もし嫁に来てくれるのであれば、須永家を悪いようにはしないし、一乃華銘醸の立て直しにも手を貸してくれるという。
 相手が融資を受けている銀行の重役ということもあり、母からは「見合い話を受けるのであれば、結婚する覚悟が必要」と言われており、それなりの覚悟を持って見合いにのぞんだつもりでいた。
 けれど、早々に自信がなくなっている。
 千春があれこれ考えながら食事をしていると、見合い相手が「さて」と呟き立ち上がった。

「とりあえず、彼女と庭の散策でもしてきます」
「え?」

 千春は、彼と自分の前の料理を見比べる。
 もともと食事のペースが遅い上に、慣れない着物姿ということもあり、千春の食事はまだ半分以上残っている。
 見合いをする男女が二人で語らう時間を作るのは、見合いにおけるお約束のようなものかもしれないが、食事を中座しなくてもいいのではないか……


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