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帝都武闘大会編
第 三百十三話 閑話 アイシャの憂鬱(前編)
しおりを挟む「どうしよう……」
栄誉騎士爵授与による宴会の翌日。帝都武闘大会の九日前のこと。
「どうしたのアイシャ?」
「あっ。ヨハンさん」
朝早くに目が覚めたので孤児院の食堂に顔を出すとアイシャが困り顔で顎に手の平を当てていた。
「いえ、昨日の料理で張り切り過ぎてフライパンを一つ焦がしちゃったんです」
アイシャの視線の先には黒く煤けたフライパンがある。
「他のはないの?」
「ここはそんなに物が潤沢にあるわけじゃないですから。それに……」
口籠るアイシャ。最近では孤児院の料理を一手に担っているアイシャは順調に料理の腕を磨いていた。その中でも焦がしてしまったのは使い慣れたフライパンではあるのだが、再度磨きをかけるとなると買い替えた方が安いかもしれない。
「新しいのを買えば?」
「そんなお金ないですよ」
「じゃあ僕が出そうか? この間の依頼でそれなりにまとまったお金が入って来たし」
「いえ、なんでもかんでもヨハンさんに甘えるわけにはいかないです。もう十分お世話になりましたから、これからは私も自立を目指さないといけないのです」
既に孤児院の中でも立派に自身の役割を務めているアイシャには十分な自覚が芽生えている。その頑張りはミモザからも聞いていたし、見合うだけの逞しさも見せていた。
「そっか」
そのアイシャの姿を見ていると変に手を出さない方が良いと思えるのだが、頼ってもらえないとなると解決する方法が見つからない。
「何か問題でも起きたの?」
「カレンさん」
そこにカレンが姿を見せる。
昨晩遅くまで宴会をしていたということでカレンも孤児院の客室に泊まっていた。
「それがですね――」
首を傾げるカレンにアイシャが困惑していた理由を話すとカレンはニコッと笑顔を見せる。
「なんだ。そんなことね。なら良い方法があるわ」
指を一本立てて何か考えがある様子を見せていた。
「要はアイシャちゃんが一人で稼ぐことができればそれでいいのよね?」
「それはそうですけど」
「じゃあちょっと付いて来て」
疑問符を浮かべながらアイシャと顔を見合わせた後、ニコニコとしたカレンに連れられて帝都の大通りをアイシャと三人で歩いている。部屋でグーグー寝ているニーナを置いて来たのだが、カレンに言わせれば居たら邪魔になるのだと。
(どこに行くんだろう?)
どこに連れられるのかということは着いてからのお楽しみだと言われて全く教えてもらえなかった。そのまま大通りを奥に向かってしばらく歩いて行く。
「ここよ」
「え?」
「ここですか?」
着いた場所は大通りの中でも一等地。高級ドレスや衣類に装飾などを扱う服飾店や高級食材を取り扱う飲食店が立ち並ぶ貴族ご用達の通りであった。
見上げる先はどう見ても孤児院の子どもには分不相応なオシャレな猫の絵が描かれた看板。
「ヨハンさん。ここって私でも知ってるぐらい有名ですよ」
「そうなの?」
帝都で有数の菓子店『ガトーセボン』。
美味しいお菓子の意が込められたその店名はその名に恥じぬ通り色とりどりな菓子が並べられ、形も多種多様で味も絶品。しかし孤児院の子ども達には明らかに手の届かない高級品。
「でもここがどうかしたのですか?」
「いいから付いて来て」
笑みを浮かべたままカレンは店の中に入っていく。
アイシャと二人、疑問符を浮かべたまま後を付いて行った。
「こーれはこれはカレンお嬢様。こんな朝早くからお越しいただきありがとうございますぅ。すーぐにお席に案内いたしますねぇ」
背の高いコック帽を被り派手な化粧をした店員がカレンの姿を確認するなり揉み手をしながら真っ直ぐに出迎える。
「スーザン。今日はお客じゃないの。ごめんね」
「んぅ?」
「最初はね」と、小さく呟くカレンに疑問符を浮かべるスーザンと呼ばれた店員なのだが、ヨハンとアイシャもまた更に疑問を抱いていた。
「ヨハンさん。あの人……男の人ですよね?」
「そうだね。見た目で判断したら悪いけど、声と体格からすればそうだと思うよ…………」
化粧をしているにしてはというと言い方が悪くなってしまうのだが、それでも中々に苦笑いするしかない。カレンとスーザンが何やら話している中で思わず呆気に取られるのは、スーザンのその独特な化粧の仕方と筋骨隆々なガタイの良さの落差が気になってしまい、そもそもここに何をしに来たのかということがごっそりと頭から抜け落ちてしまう程。
「お待たせ」
カレンがスーザンと話し終えてヨハンとアイシャの下に戻って来る。離れたところに見えるスーザンはジロリと疑念の眼差しを向けてアイシャを見ていた。
「じゃあそこのちっさいの。とりあえずこっちに来なさい」
店の奥に姿を消すスーザンの後にわけもわからずアイシャを先頭にして続けて入る。
「ほら。まずはこれに着替えることよ」
従業員用のバックヤードに案内されて、スーザンからアイシャにスッと差し出されたのは店の調理用の制服。
「さすがに子ども用のはないから多少のサイズ違いは我慢することね」
若干不機嫌に話すスーザンは一切媚びる様子を見せず、入店当初とは態度が全く変わっていた。
「え?」
「はやくなさい」
「は、はいっ!」
わけもわからず制服を手渡されたアイシャはスーザンに案内されるまま更に奥の部屋に消えていく。
「カレンさん。どういうことですか?」
ニヤニヤとしているカレンを横目に疑問でならない。一体あの人と何を話していたのか。
「いいからいいから」
意味がわからず首を傾げていると、すぐに調理服に着替えたアイシャが姿を見せた。一番小さいサイズの制服をあてがっているにも関わらないのだがどう見てもダボダボ。
「か、かわいいわねっ! 思ってた通り!」
「そうですか?」
「もうバッチリよ!」
嬉しそうに見るカレン。確かに小さい料理人の姿に加えてアイシャ独特の可愛らしさがあった。隣には未だに不機嫌そうにしているスーザン。
「カレン様のお話ですからとりあえず様子は見てみますが、使えないと判断すればすぐに帰ってもらいますからね」
「もちろんよ。じゃああとはよろしくね」
「かしこまりました」
「あっ。それと評価はきちんと平等にして頂戴よ」
「当然ではありませんか。ワタシもこの道のプロ。お世辞にも不味い物を美味しいとは口にしませんよ。それぐらいご存知でしょう?」
「それならいいわ。じゃあ行くわよヨハン」
カレンに腕を引かれて再び店の中に戻る。開店して間もないというのに既に客席は満席近くになるほど店は繁盛していた。
(とりあえず予定通りね)
小さくニッと笑うカレンは店内を見回す。
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