月の叙事詩~聖女召喚に巻き込まれたOL、異世界をゆく~

野々宮友祐

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第二章 月の国

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 六月のある日、道端でひとり泣いていた生後間もない赤子。
 誰がそこに置いたのか分からない。身元を証明できるものはなにもない。名前さえも分からない。
 それが、私。


 施設に送られた私は高校卒業までをそこで過ごした。
 職員はみんな他人行儀。家族というのは本やテレビの中の存在だった。友達というのもまた、空想の中にしかいなかった。

 学校には行っていたけれど、そのくらいの年の頃は「人と違う」ことが排除の対象だ。親がおらず家族を知らない私も、もちろんそう。親しい人など一人としていなかった。

 いや、違う。
 ひとりだけ。

 ある日、私は図書館で借りた本を持って近くの神社にいた。境内のベンチに座ってひとり、本を読んでいるとどこからともなく老人が現れた。

 穏やかで、上品で、不思議なおばあさんだった。

 いろいろな話をしたけれど、いちばん多かったのは神話の話だった。私はおばあさんからたくさんの神様を教えてもらった。
 まず、そこの神社の神様を。
 それから、日本にいるたくさんの神様を。

 おばあさんはまるで自分が見てきたかのように神様について話していた。それがとても面白くて、何度も何度も話をせがんで。気付けば図書館で神話の本を借りるようになって、隣町の神社にも行ってみて。
 あっちの神社にお参りしてきたよ、と報告すれば偉いわね、と誉めてくれた。

 楽しくて、嬉しくて。
 毎日毎日、神社に通って。晴れの日も、雨の日も。台風の日に行ったら危ないでしょう、と怒られた。

 いちばん親しい人だった。私におばあさんがいたらこんな感じなのかな、と想像して嬉しくなった。
 けれどやっぱり、突然始まったそのおしゃべりの時間は終わる時も突然だった。

 もう来れないのよ、ごめんなさいね。
 悲しそうな顔をしたおばあさんがそう言った。
 とっても楽しかったわ、ありがとう。
 私の手を握って、頭を撫でて。

 そうして、おばあさんはふわりと空気に溶けて消えてしまった。

 その神社の境内の隅、小さな小さな摂社が区画整備で取り壊されたのは次の日のことだった。


 思えば、小さい頃から不思議なものをよく目にしていた気がする。
 尻尾が二つにわかれた猫、笑いながら転がっていく雲、道行く人に纏わり付く靄、古い木の幹にある扉。
 そういういものを見ていたことも、周囲から浮く原因だったのだろう。誰かに言った事はないけれど、子供というのは聡いものだから。

 孤立したまま大きくなって、中学へ入っても高校へ進学してもそれは変わらなかった。
 おばあさんのことを忘れないように言葉遣いを真似してみたけれど、表情筋のあまり動かない顔ではお高く留まっているように聞こえてしまうらしかった。
 それで益々一人になって、ひそひそと何かを言われるようになって。

 幸い、遠巻きにされて小声で何事かを言われるだけで実害はなかった。文房具がなくなる、なんていうのはたまにあったけれど、それだけだ。
 そんなに気にくわないのなら目に入れないようにすればいいのに、自分の気にくわないものには文句を言わなければ気が済まないらしい。

 煩わしい。
 もう放っておいてほしくて。
 誰にも認識されたくなくて。

 悲しくはないし、つらくはない。
 けれど、傷付かない訳じゃない。

 いっその事、誰からも見えなくなってしまいたい。

 
 悩んだ末、何をどうしてその選択に至ったのかは忘れたけれど眼鏡をかけることにした。目はとくに悪くないので、雑貨屋で買った安い黒縁のだて眼鏡。
 
 願いが通じたのか、眼鏡をかけ始めてからは誰かに何かを言われることは減っていった。
 それから、不思議なものを見かけることも。
 そういえばなくなった。

 そこからはもう、代わり映えのない毎日。

 高校を卒業し運良く就職できた会社でサービス残業と休日出勤の繰り返し。朝起きて、会社に行って夜遅くに家に着く。あの頃から変わらず好きでいる神話を隙間の時間で追いかける。
 もっといい条件で働けるところはきっとあるはずなのに。残業も休日出勤も少なくて、もっといいお給料がもらえて、福利厚生もしっかりしてて、上司も同僚も優しくて、そんなところに。
 いつか転職してやるんだと、

――――転職したでしょう?

 お洒落なワンピースで会社に行ってみたい。通勤途中に美味しいコーヒーを買う余裕が欲しい。帰りがけに買い物なんかも楽しそう。

――――うん、楽しかったね。

 明るくて面白くて真面目な同僚。優しくて尊敬できる上司。忙しくて大変だけどやりがいがある仕事。
 そんな素敵な職場があったなら。

――――もう、そこで働いているよ。
 
 …………夢よ、それは。
 だって私は今日も変わらず休日出勤で、会社にいって代わり映えのない仕事をこなしているだけだもの。

 誰のことも気にかけない。
 かわりに、誰からも気にかけられない。

 興味がないの。他人にも、自分にも。
 だって、私は私が誰なのか知らない。
 知る術は、ない。

 だから、いいの。
 これまでもこれからも、私は誰とも、自分とも関わり薄く生きていく。

 それが、私。
 いいの、それで。

――――本当に?

 ほんとうよ。


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