おとなしあたー

音無威人

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終業式

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「いよいよ明日から夏休みだな。おめでとう。学校を休めるぞ」
 教壇に立つ線の細い男は、淡々とした声で祝いの言葉を告げた。生徒たちは緊張した面持ちで、先生を眺めている。
 教室内には張り詰めた空気が蔓延していた。
「分かっているだろうが、これから終業式が始まる。先生も昔、散々な目に遭った。いいか心してかかれ」
 空気が静まり返る。教室内の緊張感は頂点に達していた。
「これより終業式を始める。起立、礼、着席」
 ――恐怖の時間が幕を開けた。

「山田」
「はい!」
「今夜が山田と言って、何度も無断欠席したお前の罪は重い。お前には夏休みの間、墓地の一角にテントを張って暮らしてもらう」
「そ、そんな。僕、お化けが苦手で」
「本当に『今夜が山田』にしてやろうか?」
「……分かりました」
 しくしくと泣きながら、山田は椅子に座った。

「次、佐藤」
「はい」
「砂糖と塩を間違え、男子の半数近くを病院送りにしたお前の罪は重い。俺も一週間休むことになったしな。顔は可愛いし、体つきも最高なのに、なぜ料理ができない。惜しい人材だ」
「先生、セクハラは罪にならないんですか?」
「……さてお前に与える罰だが」
「誤魔化さないでください」
「終業式に俺は関係ないから問題なし。お前にはこれから一週間、俺の家で手料理を作ってもらおうか」
「はい?」
「俺はセクハラという罪を犯した。俺自身にも罰を与えねばなるまい。お前の下手な料理を味わうというな」
 ふっと息を吐き、先生はきらりと目を輝かせた。まるで――今の俺かっこいい――とでも思っていそうな顔だった。
「先生、ジョロキアってどこに売ってましたっけ?」
 佐藤はにこりと笑い、椅子を持ち上げた。
「早まるな!」
「えー」
「仕方ない。夏休みの間に二品の料理を作れるようになること。それでいいだろ」
「先生ってほんと私に甘いですよね。"さとう"だけに」
 佐藤はドヤ顔を決めた。まるでさっきの先生のようだった。
「全然うまくないからな」


「次、新藤」
「おう!」
「トイレの便器を詰まらせた罪は重いぞ。先生たちが必死になって詰まりを取ろうとしてたからな。まぁ、俺は参加してないが」
「な、なぜそれを?」
「お前、紙がないからってパンツで拭いたろ? 便器から出てきたぞ、お前の名前入りのパンツが」
「し、しまったぁ」
「お前はおつむをなんとかしたほうがいいな。罰は俺特製のプリント用紙十枚を三日以内で解くこと。それと一週間、一人でトイレ掃除な」
「先生ひどいよ」
「俺は糞人間だから仕方ねぇ」
「ガーン」

「次、剣崎」
「はい、なんでしょう」
 剣崎はニコニコと楽しそうに立ち上がった。
「覗きにセクハラ、下着泥棒とお前の罪はガチすぎる。女の敵だな。先生、感心しないぞ」
「セクハラに関しては先生だってやっているでしょう」
「否定はせん」
「そこは否定するべきでしょうに」
「俺は正直者だからな。嘘はつけないんだ」
「わーお、嘘臭い」
「お前にだけは言われたくない」
「まぁまぁ、僕と先生は同じ穴の狢でしょう。仲良く女子の着替えを覗きましょうよ」
「少しは反省しろ。俺みたいに」
「まるで覗いたことがあるような口ぶりですね」
「高校の頃にちょっとばかし覗いたことがある。まぁ、若気の至りって奴だ」
「やっぱり同志でしたか」
「いや違うぞ。俺はお前と違って反省できる人間だ。一緒にするな」
「罪を犯していることに変わりはないでしょうに」
「うるせえ。つべこべ言わずに反省しろ。お前への罰は女子に決めてもらう」
「ふふっ」
「喜ぶなよ。気味が悪いから」
 先生は女子生徒たちを見渡した。
「さてどうする?」
 一人の女子生徒が手を挙げる。彼女の名前は山本清美。クラスの学級委員長だ。
「先生、剣崎君が変態的行為に勤しむのはモテないからです。満たされない欲求を持て余しているに違いない。今罰を与えても剣崎君は変わらず変態的行為をするはずです。だってモテないんですから」
「委員長、僕だって泣くよ」
「そこで提案があります」
「わーお、無視されちった」
「土に埋めるというのはどうでしょう?」
「ちょっと待って!」
「それは名案だな」
 先生はその手があったかと言わんばかりに目を輝かせた。女子生徒たちはパチパチと拍手をしている。
「よし剣崎の罰は土に埋めるに決定」
「罰というか罪ですよね、それ?!」
「ちょうど私、砂風呂の無料券持ってるんで」
 山本はポケットから砂風呂のチケットを二枚取り出して見せた。
「あっ、そっちか」
 剣崎は安心したようにため息を漏らした。
「良かったな剣崎。デートを楽しめるぞ」
「えっ?」
「せ、先生、何を言ってるんですか?」
 山本は立ち上がった拍子に椅子を倒してしまう。頬はうっすらと赤く染まり、ちらちらと剣崎のほうを見ている。剣崎は首をかしげ、目をきょとんと瞬かせた。
「大丈夫。先生はきちんと分かってるから。みんなカップルの誕生に拍手を」
 教室中に盛大な拍手の音が鳴り響く。山本は顔を真っ赤に染め、机に顔を伏せた。
「山本、お前への罰は剣崎と一緒に砂風呂に行くことに決定な」
「私が何をしたと言うんですか?」
「七つの大罪の一つ、嫉妬を俺の心に生み出したじゃないか。それを罪と言わずに何と言う」
「なんて身勝手な!」
「何せ俺は傲慢の罪の持ち主だからな。仕方ない」
「そんなぁ」
 山本は悲しそうな、あるいは嬉しそうな複雑な感情を浮かべ、諦めたようにため息をついた。
「何がなんだか分かりませんが、僕は委員長と一緒に砂風呂に行けばいいんですね?」
「そういうことだ」


「諸君、これにて終業式は終わりだ。自分の罪を悔い改め、与えられた課題を全うし、精進しろ。いいな」
「はーい」
 生徒たちは一斉に立ち上がり、教室を後にする。
「で、なんでお前らは帰らないんだ」
 教室には佐藤と剣崎、山本の三名が残っていた。
「先生、僕と一緒に夏休みナンパ旅行に出かけませんか?」
 剣崎はニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべ、カバンの中から一冊の本を取り出した。本の表紙には『混浴温泉ガイドブック』の文字が記されている。
「ふっ、吠え面かくなよ」
「いえいえ先生こそ、僕に女を取られて泣かないでくださいよ」
 二人はしばし睨み合った。
「剣崎、俺と勝負をしよう。どちらがより多くの女をナンパできるか」
「いいですよ。僕は女の扱いは心得ていますからね。勝ったも同然です」
「くくくっ」
「ふふふっ」

「―先生?」
「――剣崎君?」
 先生と剣崎の体を悪寒が襲う。ぞくりと震えるような声に二人は怯えるしかなかった。
「先生、旅行なんて何を言っているんですか? 私の手料理を食べるんですから家にいてもらわないと」
「はっ? 何言ってるんだよ。お前断っただろ」
「先生、家にいますよねぇ?」
 佐藤は笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。先生は佐藤の姿に恐ろしさを感じ「はい」とただ頷くしかなかった。

「剣崎君、ダメでしょ旅行なんて。私と砂風呂に行くんだから。終業式の罰なんだから、ちゃんとしないとね」
 山本はこめかみに青筋を浮かべ、剣崎に迫っていた。剣崎の額に汗が流れ落ちる。
「いや、でも夏休みは長いし、旅行くらい行っても」
「剣崎君」
 一言。山本はただ名前を呼んだだけ。ただそれだけのことで剣崎の心は折れた。
「分かりました。ナンパ旅行には行きません」
「当然でしょ。私と一緒に砂風呂に行くんだから」



「先生、明日、作りに行くから待っててね」
「お、おう。待ってるぜ」
 佐藤は満面の笑みを浮かべ、帰っていった。
「剣崎君、いつ行くかは明日決めようね。これ私の電話番号だから、じゃあ」
 山本は剣崎に紙を渡し、ちらちらと振り返りながら去っていった。
「先生、僕は終業式の前までは早く夏休みが始まればいいと思っていました。でも今は夏休みが来なければいいと思っています。初めてですよ、こんな感情は」
「奇遇だな。俺も今日ほど明日が来なければいいと思った日はない」
「確か終業式って業、つまり罪を終わらせる儀式のことでしたよね?」
「あぁ、そうだが」
「あの二人、明らかに業が増しているような気がするんですが」
「変な方向に振り切ってるよな」
「セクハラなんてしなければ良かった」
「手料理を頼むんじゃなかった」
 二人は同時にため息をつき、「ははっ」と乾いた笑いを浮かべた。いつまでもいつまでも。
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