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第41話

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「ほらほら! 休憩は終わりだよ! さっさと仕事しな!」

 お昼ご飯のパンとシチューを食べ終わってゴロゴロしていたアリエルでしたが、女看守さんがやって来ました。このまま食って寝て過ごす事は出来ません。すぐに大部屋から追い出されました。

「あんたはちょっと待ちな」
「えっ、私ですか?」

 アリエルは先輩達に付いて行こうとしていると看守に呼び止められました。

「そうだよ。新入りは私が直々に指導するのがここの決まりなんだよ。付いて来な」
「はい…」

 少し緊張しながら、アリエルは黒服の看守に付いて行きます。街でも女性に呼び出される事は多かったです。『何、人の男にちょっかい出してんのよ!』と三人組の女性にいきなり喧嘩を売られるのです。今のところの対戦成績は、826戦321勝82敗413引き分けです。なかなかの勝率です。

「まったく……さっきあんたの罪状を見たけどデタラメもいいところね。国家反逆罪に王子の暗殺、証拠もないのに死刑にしろって、現場の仕事舐め過ぎてんのよ」

 赤髪の縮れ毛が印象的な女看守ブレンダは牢獄勤務7年目の31歳です。数々の罪を犯して連れて来られた女達を見てきました。苦しみ悩み葛藤し、助けを求めてもその声が届かなかった。そんな哀れな女達の辿り着く場所がここなのです。
 それが使用人が気に入らないという馬鹿馬鹿しい理由で送られて来たら我慢できません。文句の一つも言わなければ、こんな仕事やっていられません。でも、今重要なのはそこではありません。

「えっ⁉︎ 私、死刑になるですか?」

 アリエルは突然の死刑宣告に衝撃を受けています。

「ああ、そうだよ。あんたが使用人だったから我儘お嬢様に送られて来たと思っていたけど、確認したら送ったのは国王様じゃない。うっかり入れる牢を間違ったんだから、まったく、あんたもしっかり言いなさいよ!」
「はい、ごめんなさい…」

 入れる牢を間違えたのならブレンダのミスなのに、何故かアリエルが謝らされました。
 もしかすると、これも新入りを怖がらせる為だけの悪い冗談の可能性もあります。だって、アリエルは何もしていません。国家反逆罪に王子暗殺とまったく身に覚えがありません。きっと、王子かララノアか誰かが助けに来てくれるはずです。

 女看守は階段を下に下に向かって下りて行きます。階段の掃除だったら上から下に向かって掃除した方がいいので、階段掃除ではなさそうです。お城の階段と同じならば、もう六階分の階段を下りました。結構地下深くに行くようです。
 分厚い鉄の扉を一枚、二枚、三枚抜けると、やっと目的地に到着したようです。ブレンダが立ち止まりました。

「あんたはラッキーだよ。ちょうど個室が空いたところにやって来たんだから。さあ、ここがあんたの新居だよ」
「物置ですか?」

 違います。大人二人が横にピッタリと並べばギリギリ寝られる広い石床。しかも、毛布にトイレ付きです。仕事は部屋の中に入っているだけという簡単な内容です。当然、お給料は出ません。左右の隣人は一晩中誰かと話したり、何かと戦って忙しいです。アリエルも頑張ってくださいね。

「物置じゃないよ。ここで食って寝て、あんたは死ぬんだよ。それがあんたの人生だよ」
「そんなの嫌ですよ! 私、死にたくありません!」
「そんなの誰だって一緒だよ! さっさと入りな!」
「嫌です! 絶対に入りません!」

 アリエルを独房に入れようとブレンダは、アリエルの服を掴んで独房に押し込んでいきます。負けじとアリエルもブレンダの服を掴んで抵抗しますが、力の差は歴然です。
 流石のブレンダも100キロを超える重量級の凶悪犯には一人では勝てませんが、体重40キロ前後の16歳の小娘に負けるはずがありません。

「ぐっぬぬぬぬ! ふん!」
「きゃああ!」
「生まれ変わって出直して来な!」

 ブレンダは力で押して押して押して、アリエルを独房の中に突き飛ばしました。そして、勝ち誇った顔で決め台詞を言うと、鉄の扉を勢いよく閉めて、素早く鍵を掛けました。悔しいです。アリエルは83敗になってしまいました。

「出してください! 私、何もやっていないんですよ! 無実です!」

 ドンドンドンと鉄扉を叩いて、アリエルは無実を訴えます。でも、この部屋に入れられるほとんどの凶悪犯は同じ事をやります。ブレンダの心に響くはずがありません。

「それを決めるのは、あんたでも私でもない……国王様だよ! 国王様の決定が気に入らないなら、他の奴らと同じように神様に祈りな! あっはははは、本当に無実なら助けてくれるかもしれないよ。じゃあ、頑張りな。夕食は上の奴らと同じだから、それだけは楽しみにしておきな」
「行かないでください! こんな臭くて寒い所に一人でいたくありません!」

 アリエルは去って行くブレンダを必死に呼び止めますが、直ぐに鉄扉に空いた四角い穴からブレンダの姿は見えなくなりました。

「諦めな。ここに連れて来られた奴を誰も助けに来てくれないよ」
「だ、誰ですか⁉︎」

 突然、お婆さんのようなしゃがれた声が左壁から聞こえてきました。アリエルは少し戸惑っています。事故物件とは聞いていません。

「お隣さんだよ。私はダコタ。あんたはなんていう名前なんだい?」
「私はアリエルです」
「そうかい。若くて綺麗なのにこんな所に入れられるなんて、私と一緒で余程のわるだったんだろうね。ひっひっひ…」

 ダコタと名乗る隣人の冷たい笑い声が、アリエルの体温を冷やしていきます。アリエルは独房の毛布を頭からスッポリと被いました。けれども、毛布が臭くて投げ出しました。

「違います! 私、何もやっていないんです!」
「ひっひっひ、皆んなそうだよ。ただ捕まっただけ。私は信じているよ。あんたは何も悪い事はしていない。ただ捕まっただけさぁ。私と一緒でね」
「そんなぁ…私、本当に何もやっていないのに……」

 こんな所で死にたくない。アリエルは心からそう思いました。お城の豪華な部屋や食事から、こんな野宿とほとんど変わらない場所に連れて来られたのです。天と地、貴族から平民になったような大きな変化です。

「神様、お願いします。助けてください。神様、お願いします——」
「ひっひっひ。無駄な事はやめておきな。夕食までは飲み物は出て来ないよ。私みたいに喉が渇いて、ガラガラ声になって終わりだよ。看守の言う通り、食って寝て過ごすんだよ」

 困った時の神頼みとアリエルは神様にお祈りを始めました。その必死のお祈りをダコタは笑います。ここに入れられて数年。神様には何千、何万回も祈りました。その結果がこの声です。誰も助けに来ないのです。

「嫌です、私は諦めません。神様、お願いします…」
「やれやれ、これじゃあ眠れそうにないねぇ」

 ダコタは呆れて毛布を頭から被りました。神様が来ないのは馬鹿でも分かります。ここにはサンタクロースも妖精も来ない。来るのは飯を運んで来る看守だけです。
 けれども、アリエルは無実です。隣人の凶悪犯とは違うのです。きっと神様がいれば助けてくれるはずです。アリエルは鉄扉に向かって祈り続けました。


 

 

 
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