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後半

第81話

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「本当に豚がいたぞ。おい、何ていう名前なんだ?」
「俺の名前はハンスだ。お前の名前は何だ?」
「ほら、パンだぞ。食べたくないか?」

 檻の中に入れられている服を着た豚に向かって兵士達が聞きます。檻の外には物珍しい豚を見る為に、次から次に兵士が集まって来ます。暇なようです。

「ブヒブヒ?」
「えっ? まさか、これで喋っているとか言うんじゃないだろうな? こんなの詐欺じゃん」

 兵士の質問にアリエルは小首を傾げて答えました。流石にブヒブヒと鳴いて、それっぽい仕草をするだけで喋れると言っているのならば、無理があります。これでは、人間の言葉に反応しているだけです。
 兵士達が喋らない豚にガッカリしていると、ウェインがやって来ました。念願の豚をついに見つけました。内心の喜びは抑えて、邪魔な兵士を追い払います。

「ここはもういい。人手が足りない。お前達も手足が折られた兵士の手当てに回れ。町の住民に何かを頼まれても、出来るだけ自分達の事は自分達でやるように指示しろ」
「分かりました。とりあえず、添え木と布、身体の洗浄と食事の用意だな」

 檻の中に入れられていた負傷した兵士達は放置されていました。衰弱した状態で、糞尿で汚れた床に転がっていました。発見されるのが遅ければ、全員死んでいました。
 例え傷が完治して生き残れたとしても、盗賊にやられ、町の住民を守れなかった生き恥は一生消えません。住民達も回復した兵士達の職場復帰など認めません。二度と兵士の仕事には戻れないのです。いっそ死んだ方がマシだと思っている兵士も多数います。
 これだけの被害を出して、何も得るものが無かったとは言えません。国民全員が一人の詐欺師に踊らされただけなのか、それとも本当に喋る豚が実在するのか確かめる時です。

「私はウェイン。この国の第一王子だ。君の事はお友達のコルトンさんから聞いている。豚のビクトリアではなく、元はアリエルという黒髪の少女なんだろう?」

 素直に答えた方がいいか、それとも豚のままで誤魔化した方がいいか。悩みどころですが、兵士に聞いているのならば、喋れる事は知っているはずです。下手に誤魔化すよりは素直に認めた方がいいです。アリエルはしばしの沈黙の後に喋りました。

「……はぁ、そうです。私がアリエルです。私を助けに来たんですか? それとも殺しに来たんですか?」
「おおっ! 本当に喋った。確かにこれは腹話術と言われても、正直信じられないレベルだな」
「むぅ、失礼ですよ。元は人間だと知っているのならば、喋れるのは当たり前です」
「豚がこうも流暢に人語を喋るか。客寄せには最高の見世物になりそうだが、一匹だけで、しかも量産は不可能か。くぅぅっ、惜しいものだ」

 アリエルは失礼なウェインに少々ご機嫌斜めです。明らかに人間扱いしていません。見た目のまま豚扱いです。

「もういいですか? そろそろ檻から出してください」
「ああ、それは駄目だ。君が盗賊を煽動して町を襲撃させたという情報がある」
「むぅ、そっちも私を捕まえて、王子様とララノア様からお金を脅し取ろうとしてたじゃないですか! 検問していた兵士さんから洗いざらい聞かせてもらいましたよ」
「なっ⁉︎ 検問所の兵士まで襲っていたのか。検問所の兵士はどうした? 殺したのか?」

 ウェインは豚に罪の意識を与え、さらに檻から出さないと脅す事で、少しは協力的になってもらおうとしました。けれども、この豚は根っからの悪い豚のようです。罪の意識どころか、別の罪を日常会話のように普通に話しています。

「タコ殴りにして放置しただけです。早く助けに行けば、助かるんじゃないですか」
「なんて豚だ! おい、すぐに検問所の方に救助隊を送れ! 負傷した兵士が少なくとも20人弱はいるはずだ! ちっ、豚の癖に問題ばかり起こしやがって…」

 これ以上の犠牲者はもうたくさんです。犠牲者の数が100人を越えると、どうやって揉み消すかという話ではないのです。エナの町が襲われた時点で、既に揉み消すのは無理です。それなのに、さらに犠牲者が増えるのです。今の王家に対する不信感は、そのまま暴動や内乱という形で姿を現します。

 ドラゴンの炎によって枯れ果てた大地に難民達が集まり、先祖代々少しずつ発展させて作られたのがソヴリス王国です。貧乏な国、犯罪多発地帯と隣国に馬鹿にされ続けた国が、ようやく起死回生の一手を打てるという瞬間に、内乱なんてやらせません。

「くっ、これでは厄病神を隣国から押し付けられたようなものだな。しかも、よくよく考えたら、ただの喋る豚じゃないか」

 最初は物珍しい豚でも、住民にも観光客にも数年で飽きられて終わりです。国自体の特産物がないので、観光客を呼び寄せてもその後が続きません。いっそ、エルミア王国に豚の損害賠償でも求めた方が国益になりそうです。

「ブツブツ言ってないで、私をここから出してくださいよ! そっちが喧嘩を売って来たんですよ! 文句があるなら、私とタイマンで一騎討ちです。それで白黒つけましょう」

 シュッ、シュッと短い腕をウェインに向かって突き出して、アリエルは挑発します。アリエルは賢い豚であり、喧嘩っ早い豚なのです。そもそも盗賊がいなければ、快適な移住生活が出来たのです。ブツブツ言ってないで、さっさと土下座するのが礼儀です。

「やめておけ。私はお前の一万倍は強いぞ。豚を半殺しにする趣味はないし、それに今日は豚カツを食べたい気分ではない。檻からは出そう。城で保護してやる。自由に歩かせるよりは被害は少なそうだ」

 ウェインは持っていた牢屋の鍵で牢屋の扉を開けると、アリエルを外に出しました。半殺しにしたコルトンと一緒に城に軟禁する予定です。ですが、アリエルが待ちに待った千載一遇のチャンス到来です。死に損ないのジジイに勝ったぐらいで調子に乗っています。

「だ、か、ら、私の所為じゃないです! 王家の人達が国民のお金で贅沢三昧しているのは分かっているのですよ。ドラゴンなんて架空の生物を使って脅し、さらに極悪兵士を使って脅し、この国の国民を虐げている駄目王子め。今こそ、正義の鉄槌を振り下ろしてやります! えいっ、えいっ、えいっ!」
「おい、やめろ。豚カツにするぞ」

 檻から自由になれれば、こっちのものです。悪の王子を倒せば全てが解決です。この国に平和が訪れます。でも、軽やかにパンチは躱されました。流石に簡単には倒せません。アリエルは久し振りの強敵に血が騒ぎ、笑みが溢れます。
 
「ふっふ、なかなかやりますね。ですが、正義は必ず勝つのです! えいっ、えいっ!」
「何が正義だ。そんなものが通用するのは善人同士だけだ。さっさと来い」

 アリエルの渾身のパンチは軽々と受け止められました。

「ああっ! 卑怯な!」
「何が卑怯だ。遅過ぎるパンチを受け止めただけだ。あんまり抵抗するようならば、ドラゴンの餌に使うからな」
「くぅっっ! これで勝ったと思わないでくださいよ! この姿は仮の姿です。私の真の姿に戻れば、三秒でミンチに出来るんですからね!」
「ああ、分かった、分かった」

 アリエルは異国の地で84敗目を迎えてしまいました。ウェインは負け豚の遠吠えを聞き流して、豚の首根っこを掴んで引き摺って行きます。あとは手足をロープで縛って、外に止めている馬車に乗せれば、城に向かって出荷するだけです。厨房には送らないので安心してください。
 
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