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第18話 上り坂の決闘

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 まず、用意するものは解体用ナイフと死んだレッドウルフだ。生きているものは危険なので取り扱わないように注意しよう。

 最初は腹側が見えるようにひっくり返し、頭の先から尻尾まで綺麗に一直線になるように皮を切っていく。次に四本の足の爪先から、お腹にある切れ目まで皮を切っていく。これを四回繰り返せば作業は半分終了だ。

 あとは四本の足から皮を切り離していって、全て切り離し終わったら、お腹の切れ目から背中に向かって皮を剥ぎ取っていけば、毛皮の剥ぎ取り作業は完了になる。

「分かっていると思うけど、毛皮は五枚だから、一枚は持って帰ってもいいからな」

 素早く三匹分の毛皮を剥ぎ終わると、やっと三匹目の剥ぎ取りを始めようとしているマリクに教えた。

「いや、持って帰んないよ。ゲートで売るよ。金無いから」

「勿体ないなぁ。そのまま売るよりも加工した方が高く売れるんだぞ。手袋とか靴下とかなら簡単だから作ってみろよ。結構面白いぞ」

 毛皮を売っても銀貨1枚程度の価値しかない。たまにアリサの作業を手伝わされているので、簡単な作業は意外に出来るようになってしまった。僕の作った出来の悪い五十足以上の靴下も、一足銅貨2枚で市場に流通しているぐらいだ。

「そんな面倒臭くて、女みたいな事やってらんねぇよ。そんなにやりたいなら俺の毛皮を売ってやるから、自分でやれよ」

「なっ⁉︎」

 何が気に入らないのか、マリクは剥ぎ取ったばかりの毛皮を放り投げてきた。料理する男がモテる時代なのに、未だに裁縫する男がダサいと思っているようなら、とんだ原始人だ。

「まったく、売り物を粗末にするなよ。ほら、銀貨1枚だ。それが相場の値段なんだから、後で文句言うなよ」

「へっへっ、毎度あり! これで今日の晩飯が買えそうだぜ」

 バックパックから財布を取り出して、銀貨1枚を渡すと、マリクは本当に嬉しそうに受け取った。そういえば、今の全財産がこれで銀貨1枚なのか……このままだと、明日の婚活パーティー参加費が足りないから、どうにかして金を作るしかないな。

「そんなにお金に困っているなら、このレッドウルフの死体も運ぶしかないぞ。七匹売れば、銀貨2枚ぐらいにはなるかもしれないんだから」

「ええっーー! 早く帰るなら軽い方がいいじゃん。それにここから山道に置いて来た荷車を取って来るのも、コイツらをそこまで持って行くのも疲れるだけだって! もう、皮だけ持って帰ろうぜ?」

「んんっ~……」

 言ってる事は正しい。早く帰るなら毛皮だけ持って行った方がいい。内臓とかの要らない部分を取り除いても、重さにそこまでの劇的変化は現れない。時間をかけて苦労して運ぶぐらいなら、早く採掘場所に戻って、宝石の原石を見つけた方がマシなぐらいだ。

「分かった。お前の言う通りにそうした方が良さそうだ。茂みに隠した一匹を回収したら、今日は帰るぞ」

「おおっ! やったぁー! たまには言ってみるもんだな」

「まったく、俺はブラックパーティーのリーダーじゃないんだから。意味もないキツイ作業なんてやらせた事ないだろう?」
 
「はぁっ? ……いや、お前以上に金に汚い冒険者に俺は会った事がねぇぞ。間違えねぇ。結構稼いでいるのに、武器も防具も使い古しているし、貯金ばかりしてないで、金をもっと使えよ」

 心配しなくても稼いだ金なら、お前に言われなくても、ずっと使っている。
 
「はいはい、中級冒険者になったら毎日豪遊するから、今は貯めておくよ」

「何言ってんだよ! 使うなら生きている今でしょう! 死んだら使えないんだからね!」

「あっーあ、分かった分かった! そんなに使いたいなら、今日のレッドウルフの報酬は、お前に全部やるよ。その代わりに今日の晩飯は我慢して、銀貨8枚持って、明日の婚活パーティーに参加しろよ。いいな!」

 まったく、僕も甘くなったもんだ。まあ、これでコイツも婚活パーティーに参加できるし、僕は僕で宝石の原石五個で十分に元は取っている。こっちは銀貨25枚、マリクが銀貨7枚なら、毛皮の報酬ぐらいはくれてやるよ。

「いや……それはいいよ。報酬は半々が基本だろ。下手にお前に貸しなんか作りたくねぇし」

「なっ⁉︎」

 せっかくの優しい提案を嫌そうに断った。利子も取らないし、後でやっぱり返せ、とかも言わないのに、何故断る。

「おい、金が無いんだろう? 冒険者ギルドでカードを探す時に、お前の財布の中身を見たけど、銀貨4枚しか入ってなかったぞ。パーティーの参加費が足りないんじゃないのか? 意地を張らずに受け取ればいいんだよ」

「いや、だから、普通に考えて明日の参加費は別に用意しているに決まっているだろう。馬鹿じゃないんだから、明日使うお金を使う訳ないじゃないか。俺、子供じゃないんだぜ。余計な心配するんじゃねぇよ」

「……」

 何だろう、この複雑な気持ちは……いつの間にか、思春期の息子と母親の会話になっている。とりあえず、相棒の顔を思い切りビンタしたい衝動があるけど、我慢しないとな。

「アベル、行くぞ。明日は俺、早いんだから」

「ああっ、分かってる」

 また、朝早くから会場に行くようだ。前は16番のストラップを付けていたから、今度は一桁台かもしれないな。剥ぎ取った皮三匹分を布で包んで左肩に担ぐと、早く帰ろうとしているマリクの後に続いた。

 もちろん、山道に戻る途中、赤い紐の近くに隠したレッドウルフからも忘れずに皮を剥ぎ取り、洞穴六匹と同じように肉は放置する。やはり皮だけならば、軽くて楽に帰れそうだ。山道前に置いてあった荷車まで余裕で辿り着いた。

 けれども、ここからが本番だ。行きの下り坂は犬の散歩のように勝手に進もうとする荷車を、通常の反対向きにして、犬の散歩のように進ませていたけど、今度の帰りの上り坂は嫌がる荷車を引き摺って行かないといけない。

「マリク、出番だぞ」

「えっ? いや、やるよ。やるけど、上り坂は交代制にしようぜ。10分交代」

「10分ねぇ……」

 全部任せたかったけど、流石に嫌か。降りは一時間近くかかったので、10分交代なら、一人30分になる。20分交代制でやってしまうと、先攻が40分、後攻が20分になってしまう。ジャンケンで先攻、後攻を決めるのはリスクが高過ぎるので、ここは下手に賭けに出ようとせずに、無難にいった方が良いだろう。

「分かった。10分交代だぞ」

「よし、じゃあ、俺からやるか!」

 体力が有り余っているのか、マリクは荷車の取っ手横棒を握ると、緩やかな上り坂を登り始めた。

 箱型の荷車の上には、レッドウルフ七匹分の皮、採掘した鉄鉱石、二人のバックパック、採掘用大型ハンマーが載せている。総重量は30キロ以下ぐらいになる。コイツ一人で登れないなら、二人掛かりでやるしかない。

 緩やかな登り坂をスイスイとマリクは登って行く。習得した技も、ランクが上がるごとに強化されていくので、身体能力強化も最初の頃よりも更に強化されているはずだ。簡単に登っているように見えるからといって、僕も簡単に登れるとは限らない。

「ふぅー……10分経ったから交代だな」

 取っ手に巻いている腕時計を見て、マリクが言った。こんな事なら15分交代にすればよかった。やりたくもない作業を何度も交代するのは面倒だ。でも、やるしかないようだ。取っ手を強く握ると、前に向かって歩き出した。

(ぐっう、グググッッ……)

 両足の太腿にズッシリと重みが加わって、足を上げないように抑え付けてくる。30キロ程度がこんなに重いだろうか? そんなはずはない。進み始めたら軽くなるはずだ。歯を食いしばり、両腕に力を込めて、前に前に、ひたすらに前に足を進めた。そして、やっと10分が経過した。

「はぁ、はぁ、はぁ……交代だ!」

「……おい、アベル。お前、絶対にゆっくり登っていただろう?」

「はぁ、はぁ……これが俺の全力なんだ。すまないな。ちょっとしか進めなくて」

 お前の三分の二ぐらいの距離しか進めてないけど、これが今の僕の精一杯の力なんだ。汗はかいてないけど、呼吸は凄く乱れているだろう。こんな辛そうな表情が演技で出来る訳がない。さあ、交代しよう。

「もういいよ。10分交代やめようぜ。お前、狡するから、俺の方が結局は長い距離を進む事になるじゃん。それがお前の精一杯なら、10分じゃなくて、15分かけて俺と同じくらいの距離を登れよ。そうしないと不公平だろ」

「はぁ、はぁ……こんなに疲れている俺に対して、まだ登れと言うのか? 正気か?」

「じゃあ、いいよ。交代するから。でも、そっちが始めたんだからな。俺がどんなにゆっくりと登っても文句言うなよな」

「待て! ちょっと待て! ……よし、こうしよう! ここからは二人で一緒に引こう。その方が軽くなるし早い。それに、どちらかが手を抜いていたら分かるだろう?」

 僕がまだ中にいるのに、マリクは強引に取っ手と荷車の間の空間に入り込んで、荷車を引き始めた。これはマズイ。このままだと、不毛な戦いが始まってしまう。そうなれば、帰宅時間がドンドン延びてしまうだけだ。それだけは避けなければならない。

「ああ、それならいいぜ。でも、今度手を抜いたりしたら、俺の荷物だけ持って先に行くからな。そう思ってやれよな。じゃあ、行くぞ」

「くっ……分かったよ」

 ほとんど脅迫されたような形だけど、これは僕の作戦ミスだ。仕方ない、今回は諦めて頑張って登るしかない。明日のクエストの為に体力を少しでも残しておきたかったけど、この感じだと無理そうだ。火山中腹までは付き合うしかない。まったく余計な手間を取らせやがって……。

 二人横に並んで荷車を引けば確かに早い。けれども、隣の奴よりも少しだけ速く進まないと駄目だ。俺の方が頑張って進んでいますよ! というアピールをしないといけないからだ。

「おい、ちょい、アベル⁉︎ 歩調を合わせろよ」

 あれ? ちょっと歩くのが速過ぎたようだ。隣を歩くノロマが何か言っている。

「これが俺の普通なんだからしょうがないだろう。お前と違って、ゆっくり歩いてないんだから」

「はぁっー? お前、そういう事言うなら、俺も本気で走るからな! 荷車の下敷きになっても知らねぇぞ! いいんだな!」

「ふっ、お好きなように。それが出来るなら」

 負けられない戦いが幕を開けた。先に相手の体力を奪って、荷車で轢き殺した方が勝者だ。もちろん、荷車で轢き殺す事は出来ない。荷車にそこまでの攻撃力はないのだ。

「ふっ、ふっ、ふっ」

 最初はゆっくり駆け足で始まり、徐々に徐々にスピードを上げて行く。5分、10分ぐらいは楽に走れる。だが、30分以上のランニングは日頃の訓練量が物を言う。こっちは日頃から、筋トレ、ランニング、素振りと時間がある時には、訓練を欠かさずに続けている。こんな水飲み男に負けるつもりはない。

「はぁ、はぁ、いい加減に負けを認めろ……」

「ヘッヘッヘッ、このぐらいは余裕だぜ」

 30分経過しても、隣を走る男の速度は落ちない。まさか、身体能力強化で体力まで強化されている訳じゃないはずだ。それに、このままだと勝負がつかずに、ゴールの溶岩洞窟まで着いてしまう。ならば、やる事は一つだけだ。ゴールが見えた瞬間に最後の力を振り絞って、相手を荷車で轢き殺す。

「「うおおおおぉー‼︎」」

 やはり相棒、考える事は同じだったらしい。溶岩洞窟の入り口が見えた瞬間に走り出した。お互いのコンディションはベストな状態だ。だとしたら、僕に勝ち目は薄い。左隣を走る男の右足に、僕の左足を引っ掛けて転倒させれば、すぐに勝利は手に入るが、勝利の代償にパーティー解散の危機を迎えてしまう。

(もう、手を抜いて勝ちを譲るか……)

 負けるのはもう分かった。いや、頑張れば引き分けに持ち込む事ぐらいは出来るかもしれない。だが、全力を出して負けるのと、手を抜いて負けるのとでは、まったく意味が違う。ならば、今後の為にも全力を出して負けよう。奴に自信をつけさせた方が得になるはずだ。

「「うおおおおぉー‼︎」」

 余計な邪念を捨て去り、走る事にただただ集中した。ついでに保険として、剣の柄を左手で握った。その結果——

「よし! よし! よぉーし!」

 勝った。勝ってしまった。足を引っ掛けて転ばさせずに勝ってしまった。

「ちくしょーう‼︎ 最後に卑怯な手を使いやがって!」

「くっくく。負け犬の遠吠えだな。さあ、帰るとするぞ。荷車は負けたお前がゲートまで引いて行くんだぞ」

 どんな手段を使ってでも勝つ。それが勝負の世界だ。そっちは最初から最後まで技を使っていたけど、こっちはたったの三秒だ。使って、何が悪い。

 ♢♦︎♢♦︎♢
 



 
 

 

 

 



 

 

 



 

 

 



 

 

 
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