遠き御国

満井源水

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汝の隣人を 4

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「今から言う地点に向かってほしい。いいかい」

 承諾する。

「いい子だ。それじゃあ言うよ。東京都○○区……」

 小包を発見。幾重もの新聞紙と保護シートを剥ぎ取る。

「見つかったかい?」

 肯定する。

「やってくれるね?」

「はい、……やります。」震える足を一歩、前に出す。

 ♦

「今時立てこもりなんてしたって、視聴率は取れないだろう。全国民がテレビ、ネットにかじりつくようなスペクタクルが必要になる。」大げさな身振りを交え男が語る。

「だから猿渡って人がヒーローをやるの?」訊いてみた。

「その通り。君たちは囚われのヒロインだ。」男が俺と木島を両手人差し指で差す。

「猿渡に危害を加えないなら」木島は向かう人差し指の先端ごと、男を睨んでいる。

「約束しよう。ただし、君らが、猿渡くんは造られた英雄の虚像でしかないということを我々以外の存在に漏らした場合は、その限りでないけれどね」

 要は作戦を誰にも言うなと言うことだろう。

「OK、やろう。」木島がそれに頷く。

 そしてこちらを振り返る。「いいな?」

 有無を言わせないような圧に頷く。

 時間をかけてゆっくりと、俺たちは両足の爪を五枚ずつ、十枚ともべりべりと剥がされ、それらの指の骨を万力のようなもので砕かれた。歯を食いしばって痛みに耐える。人質が自分一人なら、もしかしたら泣きわめいていたかもしれない。

「やれやれ、やる側も思ったよりキツイんだな。」男がため息をつく。

「休憩する?」いたずらっぽく訊く木島の目は充血している。

「そうだな。」男は煙草を胸ポケットから取り出し、回れ右。

 バタン、と扉が閉まる。小さな唸り声に顔を向けると、木島の頬に涙の跡があった。

「大丈夫……?」

 尋ねると木島の正面顔がこっちを向いて、そのまま両の目からビーズみたいな大粒の涙がぼろぼろ落ちた。

「お、おい、木島……?」

 くしゃくしゃになった木島の顔が下を向く。

「う、ぐ、うう…………」

 なんと声を掛けたらいいのだろう。

「えっと、大丈夫だって、猿渡って人がいるんだろ。そのうち警察だって来るし。きっと生きて帰れるって。」生きて帰れる、の部分は自信が無かった。あの男はひとことも「殺さない」とは言っていない。

「……ありがとう。ごめんな、心配かけちまって。お前だって同じ状況なのに。」同じ状況。確かにそうだが心持はまるで違うだろう。俺と木島では死への意味がまるで異なる。それは天国どうこうのせいだけじゃなくて、俺の命は、あの事故以来何かがこびりついてるせいで、キズモノになっているからだ。

「万が一のときは、俺が犠牲になってでも木島を助けるから」

 木島の表情がこわばる。あ、しまった。しくじった。

「お、お前……お前までそんなこと言うのかよ!そうやってお前が死んで、俺が生き延びて、俺が『ああ、助かって良かった~』なんて言うと思ってんのか!?残される側の気持ち考えたことあんのかよ!なあ!」

 木島が地団太を踏む。じゃらじゃら鎖の音がする。木島ってこんな風に感情を露にするのか。

「……ごめん。」残される側の気持ち。俺が一番わかっていたはずなのに。あれだけ従兄や他人のことを恨んでおいて、俺は同じ呪いをかけようとしていたなんて。

「俺はどっちかだけ生き残る、なんてのはご免なんだ。『二人とも生き残る』それ以外の結末には絶対にしない。」

「……わかった。そうしよう。」他人に嫌われることを表面的に嫌がってる奴は、すぐ安請け合いをする。

 男が食料を抱えて入ってきた。

「ふふふ、『飯テロ』さ」野菜のこぼれそうなサンドイッチを齧る。

「バカじゃねーの」木島の強がり。

 普段なら「良いなぁ」で済まされるが、「もしかしたら、このまま何も食えないまま死ぬのかな」という意識がちらつく今、目の前で飯を食われるだけで泣きそうになる。

 その日は顔や手足に、見えやすい痣をいくつも作られた。夜は痛みと空腹で、ずっと寝付けなかった。隣からかすかに聞こえるすすり泣きには知らないふり。

 ♦

「痣と目の隈がいい塩梅になってるじゃないか。メイクの必要はなかったね。上出来上出来。」男がぱちぱちと手を鳴らす音で起きる。何が上出来だ。

 目覚めると目の前に機材が並んでいた。木島はまだ眠っている。

「さあ、クランクアップだ。準備はいいか?」

「よくないって言ってもやるんでしょ?」

「わかってるじゃないか」レンズがこちらを向く。

「悪いが木島少年を起こしてやってくれ。」男はカメラを覗いて、ツマミをいじる。

 二日酔い明けの叔母みたいに木島が起きる。起こしても殴らないぶん、木島はいい奴だ。

「あー、あーあー。この声は届いているだろうか?私は誘拐犯だ。映っているのは、あわれな二人の人質だ。繰り返す。これは誘拐犯からの放送である。」

 始まった。俺たちは、指をくわえて見ているしかない。

「とはいえ、だ。有能な警察諸君。職務を果たすのは少し待っていてくれたまえ。心配せずとも、交渉さえ終われば私を捕まえることなど容易《たやす》いさ。我々はあと二人の男子生徒にスポットを当てねばならない。」

 ♦

 友人と、その友人が誘拐犯に捕まったらしい。現実離れしている。しかし連絡はつかないし、送られる映像の内容が、それが事実だと訴えている。

 誘拐犯から送られてきた場所。確かに廃ビルはあった。しかし内装がおかしい。テレビ番組でおなじみの反り立つ壁、ロープが張り巡らされた通路、滑りやすそうな平均台、雲梯《うんてい》の原理で渡るのだろうつり革などが並べられ、落ちれば氷水、と来ている。完全にアスレチックだ。最上階に彼らがいるのなら、ビルの高さからして数十種類の難関を越えねばならないだろう。やらねばならない。これは、あの日々をくれた吉備と木島のためだ。

 ♦

 「さあ猿渡少年は現在飛び石ゾーンに突入……あーっと転倒!おお!?執念で喰らいつき、なんとか体勢を立て直す!」

 誘拐犯の男はノリノリで実況している。SNSで少しずつライブ放送は拡散されつつある。場所を警察に特定されるのも時間の問題だろうが、そんな事お構いなしだ。

「さあ、良いところだがここで速報だ!」速報?……何の?

「現在、我々の交渉人《ネゴシエイター》がFoS本社に到着した。」

「超音波を使い瞬間的な広範囲の大量殺人を行える兵器、センダーの開発にFoSが関わっている。これは告発ではないため、視聴者諸君が信じるかどうかは関係ない。我々が対話したいのはFoSの吉備叡輔社長、あなただ」やはり噂は事実なのか。そして、俺たちはそのためにここにいる。

「我々の要求はひとつ。センダーの製造を停止せよ。そうすればこの人質は解放する」

 ♦

「息子さんの叡次くんを名乗る方が面会を希望していますが」定食屋で見た誘拐犯の発言は虚言ではないようだ。

「入れろ」

 入ってきたのは少年。汗でぐっしょりな制服の腕に赤いバンダナを巻いている。

「何しに来た」組んだ足を机に乗せたまま、息子への第一声。

「放送見たろ。これだけニュースにもなってるんだ。」

「ああ、見たな。それがどうしたんだ?」高圧的。ビジネスを邪魔する者は息子でも容赦しないのか。

「仕方ない」叡次くんは流れるような動作でズボンに入った切り込みからするりと拳銃を出し、構える。親が親なら、子も子だ。実の親に拳銃を。

「考え直した方が良いですよ」

「黙れ。俺は今父さんと話している。」刺すような流し目は父親譲り。

「答えろ。センダーを作るのをやめるか、やめないかだ」叡次くんは父親に向き直る。

「浅はかだな」

「何がだよ」中学生の少年があの吉備社長と正面切って渡り合っている。社長が昔話していたのからして、天国のせいでやけになっているのではない。拳銃で気が大きくなっている、というのでもないだろう。丸腰でも食らい合いそうな気概が溢れる。

「俺がセンダーを作るのをやめることで、何が、どうなるのを望んでいる?まさかそれで世界が平和になるとでも?」

「そんなこと、俺一人でできるなんて思っちゃいない。ただ、俺ならセンダーで死ぬ人間を減らすことができる。父さんの息子に生まれた俺なら」

 ああ、この子は懸命に生きている。そうか。ひとって、こんなに生きることに、生かすことに、まっすぐだったっけ。

「センダーが無くなっても人は争いを止めんぞ?現にお前がそんなもの構えているじゃないか」

「屁理屈並べてんじゃねえ!」吉備社長の顔の横、十数センチの壁に穴が開く。

「次は当てるぞ、さあ、答えろ」叡次くんの息が荒い。

「撃ってみろ。俺はセンダーで何百人を殺す。お前は銃で俺一人を殺す。仲良く地獄に落ちようじゃないか。我が息子よ」

「て、てめえ……」叡次君はゆっくり膝をつき、拳銃を置いた。歯を食いしばっている。強い子だ。

「それを回収しろ」吉備社長が顎で銃を指す。私はそれを拾い上げ。

 吉備社長へ向けた。

「すみません。命令がよく聞こえなかったもので。もう一度お願いします。」

 私は、ここで戦わねばならない。
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