糸魔術師の日常

3号

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寝不足シャワー

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「お、終わった……ふふふ、勝利だ。発想の勝利だぁ!!」
「ほら叫んでないで身なり整えてこい。相手は貴族様だぞ」
「はーい、すんません」

乱れた店内をいつのまにか目覚め掃除していた親父に促され、若干ふらつく足取りで店のバックスペースに向かうエグジム。
机の角や柱に足をぶつけ、扉を開けそこない激突し、浴室までの僅かな距離で負傷が増えていく。寝不足は身体に毒とはよく言ったもので。

「前に八百屋のオヤジに酒飲まされた時に似てるなぁこれ。頭痛もすげぇし」

おまけに吐き気も若干。
何より眠い。
受け渡しのその場で裾の調整などあるため起きてるが、平民向けの既製服販売しかないなら親父に任せてベットに飛び込んでいるところだ。
しかし実際には貴族のお客な上、わりとお得意様ときている。顔を出さないわけにはいかないだろう。
何度目か分からない欠伸を殺しすらせず間抜け面を晒しながら洗面所を通過し、シャワー室で蛇口をひねる。
ちなみに捻ったノブは青。お湯は隣の赤のノブが対応している。
身体に降り注ぐ、4の月のまだ冷え切った水しぶき。
エグジムの脳が覚醒した。

「ぎゃーー!! つめ、つめ、つめ!!」
「どうした息子よ! 爪がどうかし……」

エグジムの叫びに慌てて店舗から欠けてきた親父が、なんとも言えない顔で浴室を覗き込んでいた。

「……服は、脱いでから入った方がいいと思うぞ」
「うん、そうだね」

なんと返せば正解なのか。いやこの状況がまず不正解か。

「暖かい飲み物、いるか?」
「お願い」

親父の気遣いが心に痛い。
無言でシャワーを浴び身支度を整えてから店舗に戻る。眠気は冷水シャワーでだいぶ冷めた。同時に頭が空腹を自覚したのかお腹から間抜けな音が響いたため、買い置きのパンを戸棚から取り出し、行儀が悪いかもしれないが自身の作業スペースで齧っている。
馴染みのパン屋から買っているものだが、バターの加減が絶妙で飽きのこない味だ。具材なくこれだけで食べられる。

「三時前か。そろそろかな」

などと言ったそばから店の前に馬車が横付けされた。通りは大きく馬車の往来もそれなりにあるが、その中でも一回りくらい大きい。
光沢のある黒の車体に、植物の蔦を彷彿とさせる金の彫刻。ありきたりな黒と金の組み合わせだが、細部まで手を抜かずに作り込まれているからか申し分ない気品を漂わせている。
ついさっきようやく完成した制服三セットの注文主だろうか。デザインが同じだ、きっとそうだろう。
魔法学校の制服はある程度の型と校章を左胸につけるルールを守ればある程度は自由にカスタムできる、らしい。何度かカスタムしたからそこは確かだ。学校として良いのかはよく分からないが。
そんな事を考えているうちに御者が軽い身のこなしで降りてきて、恭しく傅くようにドアを開けて降車を促した。

「おい、用意しろ」
「あいよ」

ぼーっと座ってるわけにはいかない。残ったパンを口に放り込み急いで飲みくだしつつ軽く身だしなみを確認し、店の入り口を此方から開けて出迎える。
カウベルの音が響く中、馬車からは上質の服をラフに着こなした中年男性と、続くようにしてエグジムと同い年くらいの少女が降りてきた。
エグジムより少し低い背丈に百合の花をイメージさせるシンプルなワンピースを纏い、腰まである艶やかな黒髪は飾りが邪魔にすら思えるほど美しい。隣の紳士が薄い金髪なところを見るに母親似だろうか。きっと彼女が今回のお客様だろう。

「ようこそエルフェン伯爵。それにご息女様。この度は我が工房に発注いただき感謝の極みでございます」

親父が気持ち悪い挨拶と共に頭を下げている。長いものには巻かれろ、エグジムも続いて頭を下げる。

「よいよい。そのような気持ちの悪い話し方をしなくても。いつも通りにしてくれ」
「気持ち悪い、ですか?」
「うん気持ち悪い」
「こらっ! このバカ息子こらっ!」

あ、やべ。つい本音が。
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