糸魔術師の日常

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迷子

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「えー。本日は大変お日柄もよく……」

眠たくなるようなお話が永遠と続く講堂。およそ百人におよぶ新入生と、倍の数の保護者を収容してなお余裕のあるそこで、ミリリは控えめに、しかし落ち着きなく視線を巡らせていた。
眼を向けるは保護者来客席。

「ミリリ、なにやってるのよ。目立つわよ?」
「あう、ごめんレフィ」

少ししょんぼりするミリリ。保護欲を掻き立てられるその様子を放っておけず、レフィーラはつい頭を撫でてしまう。

「であるからして、我が校の生徒とし……」
「長いわね、話し」
「そう、だね」
「さっきからどうしたの? 彼氏でも探してる?」
「……ふえっ!?」

ことの外大きいその声を、レフィーラが咳払いで誤魔化す。
少し集中した視線はすぐに散り、また弛緩した空気が場を満たした。
校長の話は、途切れなかった。

「もう、声大きい」
「ご、ごめん……」
「まさか図星とは。あとで紹介しなさいよ」
「ふっんむ」

また叫びそうなところを慌てて手で塞ぐミリリ。呆れ顔のレフィーラだが、彼女以外は誰も気がついていないのに、ミリリはほっと息を吐き出す。
ミリリの探し人。それは昨日なかば勢いで約束を取り付けた幼馴染。
彼の姿は、どう探しても見当たらなかった。




「よーし、現状を整理しよう。迷った」

木々と建物に挟まれた狭い路地で、エグジムは空を見上げ、視線を落として左右に首を振り、途方にくれて立ち尽くしていた。

チチチと和やかな挨拶を交わして戯れ合う小鳥のとまる木の下、校内案内図を開いて現在地を探す。

地図を見るときに重要なもの、それは目印だ。目立つ建物、特徴的なもの、覚えられるなら曲がり角の数。そういったものと目の前の光景を比較して現在地と方角を割り出せば、とりあえず目的地には到達できる。

幸いなことに学内には特徴的な建物が多くあり、曲がり角も入り組んではいない。

ただ問題なのが、学内が広いこと。そして自分の周りには名前も形も不明な建物と、木しかないことだ。

「どこかわかんねぇ」

入学式はもう始まっているだろうか。懐から出した懐中時計が示す時間は、パンフレットで見た開始時間を30分オーバーしている。

静かに拗ねられること請け合いだ。

さてどうしよう。たどり着ける気がしないと思いつつ歩いていると、どうしてだか開けた場所にたどり着いた。

そこは森を突っ切るようにして土が踏み固められ、舗装されてないものの頻繁に人通りがあると分かる。道はそのまま建物で円形に囲まれた広場のような場所に通じており、まるで卸市場の倉庫街を思わせた。

興味を惹かれて広場の中に入ってみるエグジム。建物は広場に向けて大きな扉をはめ込まれており、比喩ではなく広範囲の倉庫街である様子。

目当ては入学式が行われている第一講堂なのだから此処では無いが、それでも明確な目標を見つけたことが嬉しいエグジムは、これで迷子卒業だと地図にて倉庫を探し始めた。

円形の広場。6つ並んだ倉庫。近くに森。それらを目印に地図を流し読みすると、割とすぐに見つけることができた。
エグジムの肩が、なんとも気だるげに下がる。自然と大きなため息が漏れる。

エグジムのいる現在地、今朝入ったはずの正門から校舎をまるまる突っ切った反対側にあったのだ。気持ちはお察しだろう。
やけに長く歩くなと思っていたら、校舎をグルリと囲む遊歩道を半周してしまっていたようだ。

目的地の講堂は幸いにも正面入り口から見て奥まったところ、つまり現在地からほど近い位置にあるらしい。丁度倉庫広場入り口から正面に見える建物の裏手だ。隣接していることから講堂で使われる物品を保管しているのかもしれない。

倉庫の間には、それぞれ人が一人通れるくらいの脇道が作られている。おそらく作業用の通路だろう。抜ければ講堂近くに出られるはずだ。

三十分、いやもう四十分の遅刻か。式は終わってるのかもしれないが、せめて顔を出し、おめでとうくらい言うべきだろう。エグジムとしても折角ここまで来たのだ、何もせずに帰るのも収まりが悪い。

遅刻した言い訳をどうしようかと考えながら路地に入ろとするエグジム。

突如として倉庫の壁にヒビが入り、数度の破砕音の後、まるで内側から爆破でもされたかのように崩壊したのは、丁度エグジムが路地に一歩を踏み入れたその時だった。
吹き飛んだ破片の1つが呆然とするエグジムの頬を掠め、一筋の赤い線が引かれる。

「……は?」

飛び散った大半の破片は対面の壁にぶつかり砕け、路地は一瞬で廃墟のような有様に。一部の無軌道な破片がエグジムの頬を掠めたように、路地の外へも飛び出している。

埃や瓦礫の粉が煙みたいに視界を遮り、反射的にその場を飛びのくエグジム。そんな彼に向かって飛んでくる大きな瓦礫。否、人。

「うおっと!?」

思わず避けそうになったの踏みとどまり、なんとか受け止めるエグジム。結構な勢いで飛来したのだろう、その衝撃は結構すごかった。
もし飛んできたのが重量のある人であれば、受け止めなぞ出来なかったであろう。

水色のショートヘアを乱し、服は少し破れ、見える肌には血や痣のあと。エグジムの頭一つ分は確実に小さい女生徒は、苦しそうに呻くと何とか立ち上がろうと踠き、その頃になってから漸く自分がエグジムの腕に抱えられてることを自覚した。

「ちょ、な、はな……うぐっ」

慌てて離れようとするが、途端に痛みたらかうめき声を漏らして動きを止めてしまう。
脂汗も滴っており、ダメージは大きそうだ。

「怪我してんのか? 無理はやめた方がいいぞ? 何があったか知らんけども」
「そういう訳にも、いかない! うぐっ……はぁはぁ、っく。止め、止めないと。新入生たち……が」
「なに? ミリ……新入生たちが、どうしたって?」
「襲われてしまう、トロールに!」
「はいぃ?」

直後、ドゴンという破砕音に顔を上げると、エグジムの倍はある緑色の巨漢が壁を破砕しながら出てくる所だった。ジャラリ、ジャラリと千切れた鎖が四肢に繋がり、耳障りな音を立てている。

「ぶごぅ、ごごぅ」

涎を垂らし、弛んだ腹を木の皮みたいな爪で掻き毟る様は文明を感じさせず、一目で魔物だと認識させられる。
その野生に染まった黄色い目が、女生徒を抱えたエグジムを捉えた。

「ぶぎゃ、ごっごっ!」
「くっ!」

感じた悪寒に素直に従い、女生徒を抱えたまま空いた手を後方に向け、袖口から糸を伸ばして程よく離れた建物の壁に突き刺し玉止め。糸を戻すことでその建物に向かい飛翔する。
直後、エグジムがいた位置が爆発四散した。

「ぶごっ?」

土煙が晴れた後にいたのは、腕を振り下ろした姿勢のまま首をかしげるトロール。その目の前にはまるで攻撃魔法でも打ち込まれたかと思うほどに大きなクレーターが出来上がっていた。

ズボン裾の糸をアンカーとして打ち込み、壁に座るようにして張り付いたエグジムはトロールの拳の威力に戦慄した。あれをマトモに食らったらヤバそうだと。

「わかった、だろう。逃げるんだ」

こふり、そう小さく地を吐き出した少女。なんだか逃げる気分ではなくなってきたエグジムは、糸を数本、空に漂わせはじめた。

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