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第五話・K.O.

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 三ヶ月が経とうとしていた。
 俺はセフレとの夜をいつも通りに過ごして、ストレスを発散させていた。
 貰ったコンドームは手付かずのまま。
 金曜の夜にホテルから朝帰りをキめていたら、マンションの部屋前でばったり……

「あ! 竹葉!」
「…姉ちゃん」

 一個上の姉が扉前で待っていた。

「仕事?」
「……うん」

 スーツで通勤カバンも持ったままだ。セフレとのSEX朝帰りなんて言えるわけなくて、見たまんまで都合よく解釈してもらおう。
 
「ちょっと今から付き合って欲しいんだけど良い?」
「(良い……って聞いてるけど、答えは“YES”か“はい”か“了解”か“承知”しか認めねぇじゃねえか)」

 姉はいつもそうだ。聞く癖に自分の中ではもう決定してる。それを乱そうとすると痛い目をみてきた。

「いいよ」
「よっしゃ! 流石持つべきものは土日休みの弟ね!」
「はぁ……どこ行くの?」
「えっと、なんだっけ……えむ、なんちゃらって言う大会。彼氏と行く予定だったんだけど……休日出勤で行けなくなっちゃったの」

 彼氏さんに同情はするが、わざわざ俺と行く必要は無いと思う。

「そんなの友達と行けばいいじゃん」
「男ばっかのところに女だけで行くのは危険でしょ!」

 男ばっかいるのかよ。
 姉に急かされ着替えてから、朝食を奢ってもらった。

「チケット渡しとくわね」
「………は?」

 チケットには、総合格闘技の文字が見えた。
 一切興味もないし、今後関わる気もないし、縁もない分野の大会だ。

「姉ちゃん興味あんの?」
「筋肉は好きよ」

 血は争えないな。俺も筋肉は嫌いじゃない。
 興味が無いからと一蹴していたら、何も始まらないか。
 殴り合いは好きじゃないけど、行くからには損はしたくない。

「あそこ」
「……うわ、すごいな。」

 会場でたむろしているのは男ばかりだ。大会内容からして仕方ない気もするが。
 女性も居ないわけではない。が、やはり少ない。
 俺達は会場に入ってチケット番号の場所へ向かう。

「(ボクシングのリングみたいだ)」

 そこまで大きな会場ではないが、中央のリングは漫画で見た事がある。
 今回はトーナメント制らしい。何人の選手がいるのかも知らない。

「総合格闘技って……普通の格闘技と何が違うの?」
「さぁ?」
「あ、あのあの!」
「「!」」

 俺達に声をかけてきたのは、後ろに座っていた黒いフードを被った地味な女性だった。

「総合格闘技は、あらゆる格闘技と武術の技を組み込んで戦う格闘技の事です。柔道やボクシング、ムエタイも全部」
「へ~」
「ぱ、パンチやキックなどの打撃系格闘技とレスリングや柔道などの組技系格闘技…両方の技術をミックスした幅広い……ご、ごめんなさい……話し過ぎました!」

 同じ女性が格闘技を見に来ていてテンションが上がったのか、饒舌に説明してくれた。


「いえいえ! ありがとうございます。私達何も知らなくて、助かります!」
「(総合格闘技の総合って、マジで全部込みって意味なのか。すげえな)」

 結構ヤバい大会に来てしまったかもしれない。
 内心ドキマギしていると、照明が落とされ、リングにスポットが当てられる。

 そして俺は……

「うわうわうわああ! あの人すっごい!」
「…………」
「竹葉! 聞いてる!?」
「ぁ、うん」

 気が遠くなるような驚愕の事実を目の当たりにし、放心状態になった。
 会場も大いに湧いているが、その声も俺には入ってこない。

 リングで相手を翻弄し、テクニカルプレイで観客の心を掴んで放さない。
 ギラギラとした鋭い眼光で、キスマークなんて浮ついたモノ一つない引き締まった肉体から技を繰り出す。
 整えられ、ハーフアップに結われた髪が揺れる。髭も無い。
 俺の知らない、八手盃さんが活き活きと殴り合いをしている。

「すっごい! 全部防いでるし!」
杯杯多ハイハイタ……流石連勝チャンピオン……」
「え? はいはいた? チャンピオン?」
「ぁ、えっと! 彼、リングネームは杯杯多って言うんです! 四年連続で優勝してるフリーの格闘家……ブラジリアン柔道や中国武術に長けた選手です」
「………すごいんですか?」
「見ててわかりませんか?」

 地味めな女性が、八手さん…杯杯多の動きを見つめて、こぼす。

「異常です」
「あ! K.O.だ!」

 手数の多い総合格闘技において、全ての技を回避又は防ぎ、無傷で優勝するなど前代未聞。それを四年連続で貫く杯杯多の格闘技術は異常でしかないと……詳しい説明がなくとも、俺ですらその凄さを感じ取れる。

 そして、杯杯多は勝ち上がっていく。
 またしても無傷のまま……伝説を培っていく。
 格闘技に精通したもの達は、杯杯多に信仰めいたい羨望の眼差しを向けている。
 俺は、ハラハラしているだけだった。
 八手さんが怪我をしてしまったらどうしよう……そんな心配に胸がギリギリと絞られているように痛い。
 
「やっば……ファンになりそう。筋肉も顔も悪くないわ。それに身体がすごい柔らかい」
「………………」

 そういえば、八手さんめちゃくちゃ身体が柔らかかったな……と、不意に情事の八手さんが脳裏に浮かび、試合中の八手さんとダブった。

「ッ……!」

 目は見開いてるし、雰囲気も違うのに、同じだ。

 「(笑ってる……)」

 全力で楽しんで生きている人の笑顔というのは、とても……眩しい。
 胸に何か鋭いモノが突き刺さるような衝撃を受けた。

「(……ぁぁ、まずい……コレは……)」
「あ、勝っちゃったよ!? 優勝って事!?」
「………好きだ」
「うん! 私も好きになっちゃたわ~! めちゃくちゃかっこいいね!」

 ああ……めちゃくちゃ、かっこいい。
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