前世江戸町奉行

ジロ シマダ

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幼少期

幼少期

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 忠相は目を開けた。そこは最初にみた天井だった。現世に戻ってきたとぼんやり天井を見つめる忠相に耳に近づいてくる足音が届いた。ふすまが滑らかに開き男が顔をのぞかせる。


「起きたか。母上は部屋で寝ている」
「・・・」
「わしはお前忠相の父だ。忠高という」

思うように声がせず忠相は頷くだけだったがそれでも忠高は嬉しそうに顔をほころばし優しく見つめてきた。忠高は忠相が死なずに生きてくれたことが何よりもうれしかったのだ。

 忠相は張り付いて動かすのがつらい喉の痛みに耐えて母の名前を尋ねる。

「・・・はは・うえは」
「おぉ!そうだな。わしだけ先に教えたと怒られてしまうな」

豪快かつ楽し気に怒られると笑う忠高に忠相に笑顔が浮かんだ。

「母上の名前はゆりという」

忠相は両親の名前を知れてとてもうれしかった。二人を親だと認識しているのに名前がわからないのはとても嫌なことだった。

「医者が言うにはあと数日で床を離れても大丈夫だそうだ」
「は・・い」
「無理に話さなくてもよいぞ」

 優しい忠高に未来の自分の親のことを思い出す。嫌いな時もあったけどやはり優しく温かい大好きな親だったなと、忠相の瞳から涙がこぼれた。忠高は慌てたようにどうしたのだと忠相にきくが忠相は答えることができずただただ寂しさと申し訳なさにに涙した。
 忠高は傷に障らぬように忠相を抱き寄せ頭を撫でくれた、それがより一層忠相から涙をあふれさせ。 




 忠相になってから2年の月日が過ぎ、大分自分の力をコントロールすることができるようになり、両親のことも本当の親のように慕えるようにもなった。

 しかし問題もあった。
忠相を屋敷の外に出すことを恐れ、屋敷の中でも絶対にどちらかが目の届く距離にいる。心配されているのはうれしいけどやはり息苦しさを感じてしまう。贅沢な悩みだろうかと考えているとネズミが走るような小さな足音が近づいてきた。

 “どうしたの?”
 “んー・・・外に出たいなと”

 忠相の読んでいた書物の上に飛び乗ってきた小さな妖”家鳴り”が見上げてくる。最初のころは普通に口で話して両親を心配させたが今では思念?で会話ができるようになっていた。

 “僕は忠相といれてたのしいよ”
 “ありがとう。でも外に出たい・・・2人の気持ちもわかるんだけどね”

 忠相はため息を深くついた。

「若~!」
「源さんだ」
忠相はうれしそうに顔をあげ、家鳴りは忠相の手を撫でるとちょこちょことどこかに消えていった。

 “またあとでね”


「お久しぶりです、若」
「久しぶり、源さん。この間の捕りものどうだった?」
「無事に捕縛できました」

 忠相は部屋に入るように促した。神山源太郎は南町奉行所の同心であり父とどこかで知り合いそのまま意気投合し付き合いが始まったようだった。神山が屋敷に訪れるのが忠相の唯一の楽しみであった。
忠高はお役職柄城に詰めているため江戸の町の些細なことは耳に入らないため普段から江戸の町にいる神山の話は忠相の興味を引いた。

「若の助言で下手人の先回りができました。いやぁ~若は賢いですな」
「そんなことないよ。私はここで考えを言っただけで源さんたちが頑張って捕縛したんだから」

 神山は恥ずかしそうに頬を掻く忠相を見た。自分のことを全くすごいとも思わず相手のことを尊敬している忠相がこのまま真っ直ぐ健やかに育つように願ってしまう。

「先ほどため息が聞こえてまいりましたがどうしたのですか」
「聞こえてた?」

忠相は聞こえていたとい神山に斜め右の部屋にいるゆりの方を確認したが変わらず縫物をやっているようで安心した。

「ゆり様にきかれたくないのですか」
「心配かけたし、これ以上気を使わせたくない」
「では私にはお話くださいますか」

神山のやさしい声に忠相は頷いた。
「うん」

忠相は正直な気持ちを告げた。屋敷から出て江戸の町を歩きたいこと、心配させたくないことを

「でたくなりますよね」

 神山は忠相の気持ちも、酷い怪我を負い生死の境をさまよい記憶をなくした我が子を守ろうとする忠高やゆりの気持ちも理解できた。そして忠相が両親の思いを理解し無理に出ようとせず2年間ずっと屋敷の中にいたことが最もすごいことだと神山は思っていた。
忠相くらいの年の子はかなりわがままになる。変に知識も尽くし少しだけの親離れの年だ。しかし屋敷を出たいと思っても衝動的に行動せず考え我慢していた。

「優しいですね、若は」

忠相は首を横に振り「心配をかけた私が悪いから」とつぶやいた。

 神山はうなだれる忠相をみてこれは早く行動したほうがよさそうだと感じた。神山は2人の子を持つ父親でもある。経験上、このままいくと忠相がふさぎ込んで心が壊れてしまうかもしれないと案じた。

「若、たまにはわがままもいいと思いますよ」
「うん」

神山が立ち上がりゆりのもとに向かうのに、忠相はもう帰るのかと残念に思いながら後姿を見送った。

ーーー

 翌朝、忠相はいつも通り朝餉をすませ部屋に戻ろうとしたが忠高に引き留められた。
「今日は非番でな。散歩に行こうと思うのだがついてくるか」
「ー行きます!」

忠相は外に出られるとわかり顔をほころばせたがすぐ顔を下に向けた。忠高はどうしたのかと顔を覗き込んだ。

「神山さんからお聞きになったのですよね・・・迷惑ではありませんか」
「何をいうかと思えば」

忠高は困ったように頭をかくと忠相の頭に手を置いた。忠相は顔をあげれば忠高は小さく困ったように笑っていた。

「忠相、お前はもっとわがままになれ。遠慮することはない」
「・・・」
「母上に言ってこい」
「わかりました!」

忠相はゆりのもとに足早に向かった。
 
 わくわくした様子を隠さずゆりのもとに向かう忠相の後ろ姿に忠高はもっと早く言えばよかったと少し後悔した。ゆりにうれしそうに散歩に行くことを伝える声とそのあとに聞こえる喜んだ声に神山へ感謝する。急ぎ足で戻ってくる小さな足音が近づいてくるのに忠高は笑顔になってしまう。

「父上!母上も一緒に行くそうです」
「そうか、皆で一緒にいこう」


「寒くないか」
「大丈夫です」

 春先でまだまだ肌寒い日が続いている。屋敷から出たことない忠相は大丈夫だろうかと不安が隠せない。忠相は心配性な2人に笑顔で答え、江戸って広いんだなと思いながら武家屋敷の家紋を見ながら歩く。

「もうすぐ日本橋だぞ」
「日本橋ですか」
「あぁ商人や町人が住む場所でな。活気があるぞ」
「楽しみです」
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