2月のマリアージュ

北大路京介

文字の大きさ
1 / 1

2月のマリアージュ

しおりを挟む
二月の夜は、硬い氷の塊に似ている。

タワーマンションの最上階、磨き上げられた大理石のテーブルに、ミーナとカズキは並んで座っていた。ミーナは深い深紅のシルクを纏い、カズキはボタン一つにまで潔癖さが宿る白いシャツを着ている。その姿は、一幅の絵画のように完成されていた。

テーブルには二本の恵方巻。

「一本食べ終わるまで、何があっても喋ってはいけない」

二人が決めたそのルールは、単なる行事の模倣ではない。言葉という不確かな道具に頼りすぎて、すれ違い続けた二人に課された、最後のリハビリテーションだった。

二人は無言で南南東を向いた。

最初の一口を噛みしめた瞬間、ミーナの脳内では濁流のように思考が溢れ出す。

(沈黙は、こんなにも暴力的に私を内側から叩く。咀嚼する音が、まるでお互いの腹の底を探り合うノイズみたい。カズキは今、完璧な角度で恵方を向いているけれど、その横顔の美しさに酔っている自分を、彼はどこかで客観視しているんじゃないかしら。この静寂を美徳だと思っている彼の潔癖さが、今は少しだけ鼻につく)

ミーナは我慢できなくなり、傍らにあった金縁のレターセットを引き寄せた。万年筆の先が、紙の上で鋭い音を立てる。

「沈黙は、雄弁な嘘つきね」

カズキは咀嚼を止め、その文字をじっと見つめた。彼は少しも表情を崩さず、緻密な設計図を書くような正確な筆致で返した。

「嘘をつけないから、黙っているんだ」

張り詰めた空気の中、ミーナは恵方巻を咥えたまま、挑発するように書き殴った。

「私の舞台、本当は退屈だと思ってたんでしょ? 拍手しながら、心の中ではクローゼットの整理のことでも考えていたんでしょ?」

カズキの手が止まる。彼はミーナの目をじっと見つめた。その瞳は、清廉な湖のように静かだ。彼はゆっくりと次のページをめくり、たった一行、こう記した。

「君の喉の震えだけが、僕に世界を信じさせてくれる」

ミーナの瞳に、不意に涙が溜まる。感情の昂りと、口いっぱいに詰まった恵方巻。その滑稽な対比が、彼女の自尊心を激しく揺さぶる。 (泣いている私、今、最高にドラマチック。でも、恵方巻を咥えたまま泣くなんて、どんな舞台でもあり得ない)

カズキは彼女のそんな葛藤を見透かしたように、自分の恵方巻を最後の一口まで飲み込むと、ペンを走らせた。

「全部、飲み込んだら、名前を呼んでいいかな」

ミーナも最後の一口を、必死に飲み込んだ。それは、過去のしがらみや、互いへの疑念をすべて胃の中に流し込む儀式のようだった。

沈黙が、解ける。

「……ミ―ナ」

カズキの声は、冬の夜気のように透き通っていた。ミーナはレターセットを乱暴に閉じ、言葉よりも先に、カズキのシャツの胸元に顔を埋めた。

「もういい。何も言わなくていいから」

豪華なシャンデリアの下、二人は抱き合った。外を追い出すべき鬼なんて、初めからどこにもいなかった。二人の内側にいた、疑いという名の鬼が、たった一本の太巻きと、不器用な筆談によって退治されたのだ。

窓の外では、春の気配を孕んだ風が、静かに夜を撫でていた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

まぼろしのミッドナイトスクール

木野もくば
児童書・童話
深夜0時ちょうどに突然あらわれる不思議な学校。そこには、不思議な先生と生徒たちがいました。飼い猫との最後に後悔がある青年……。深い森の中で道に迷う少女……。人間に恋をした水の神さま……。それぞれの道に迷い、そして誰かと誰かの想いがつながったとき、暗闇の空に光る星くずの方から学校のチャイムが鳴り響いてくるのでした。

うちゅうじんのかこちゃん

濃子
絵本
「かこちゃんは あきらめない」 発達ゆっくりさんのかこちゃんを、友達に笑われたお姉ちゃん かこちゃんは変じゃないんだよ、かこちゃんはこんないいこなんだよ ねーねと同じ みんないいこ

ユリウスの絵の具

こうやさい
児童書・童話
 昔、とある田舎の村の片隅に売れない画家の青年が妻とともに住んでいました。  ある日その妻が病で亡くなり、青年は精神を病んでしまいました。  確か大人向けの童話な感じを目指して書いた話。ガイドラインから児童書・童話カテゴリの異世界禁止は消えたけど、内容・表現が相応しいかといわれると……うん、微妙だよね、ぶっちゃけ保険でR付けたいくらいだし。ですます調をファンタジーだということに相変わらず違和感凄いのでこっちにしたけど……これ、悪質かねぇ? カテ変わってたり消えてたら察して下さい。なんで自分こんなにですます調ファンタジー駄目なんだろう? それでもですます調やめるくらいならカテゴリの方諦めるけど。  そして無意味に名前がついてる主人公。いやタイトルから出来た話なもので。けどそもそもなんでこんなタイトル浮かんだんだ? なんかユリウスって名前の絵に関係するキャラの話でも読んでたのか? その辺記憶がない。消えてたら察して下さい(二回目)。記憶力のなさがうらめしい。こういうの投稿前に自動で判別つくようにならないかなぁ。  ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。

そうして、女の子は人形へ戻ってしまいました。

桗梛葉 (たなは)
児童書・童話
神様がある日人形を作りました。 それは女の子の人形で、あまりに上手にできていたので神様はその人形に命を与える事にしました。 でも笑わないその子はやっぱりお人形だと言われました。 そこで神様は心に1つの袋をあげたのです。

ゆまちゃんとヤン丸の12ヶ月

万揮/マキちん
絵本
まん丸な子犬のヤン丸とゆまちゃんという女の子の一年間の物語です。

ぼくのだいじなヒーラー

もちっぱち
絵本
台所でお母さんと喧嘩した。 遊んでほしくて駄々をこねただけなのに 怖い顔で怒っていたお母さん。 そんな時、不思議な空間に包まれてふわりと気持ちが軽くなった。 癒される謎の生き物に会えたゆうくんは楽しくなった。 お子様向けの作品です ひらがな表記です。 ぜひ読んでみてください。 イラスト:ChatGPT(OpenAI)生成

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
*「第3回きずな児童書大賞」エントリー中です* 最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

処理中です...