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Perfume1.アロマセラピストは幸せ?
3. 大丈夫大丈夫。
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タナカさんはもうすっかりただの睡眠に入っていた。
赤ちゃんもタナカさんのマスクから漂う香りに誘われたように静かに寝ていた。
窓の外の景色にやっと変化があった。
ここでは唯一の連絡手段として用いられる、モモンガが優雅に飛んできたのだ。
このモモンガはクリニック、またヒカル個人として所有しているものである。
モモンガはセラピストの比ではないほど鼻が利き、匂いを辿らせて文書を届ける仕組み、らしい。
モモンガの長い尻尾に赤いリボンが結ばれ、丸まった紙がぶら下がっている。
イノウエが外に出てリボンを解くと、モモンガは手持ち無沙汰というような様子でそこに留まった。
モモンガの尻尾を毛並みに沿って指で撫でると、それは背筋を伸ばしてクリニック前の棒に吊るしてある籠に自分で入っていった。
入るなり、籠の中に置いてあるぬいぐるみと戯れ始めた。
「タナカさんの旦那さん、あと1時間くらいで迎えに来られるらしいわ」
「良かった。もうすっかり落ち着いて安心です」
「俺、鉢植えに水やってきますね」
一安心したときに花を愛でに出るのはヒカルのいつもの癖だった。
クリニック前の鉢植えに水をジョウロでゆっくりと与えながら、ヒカルが前髪をかき上げる。
かなり伸びて目にかかった前髪が鬱陶しかったのだ。
クリニックの窓からその様子を見ていたらしいマコトが、窓を開けて頬杖をついたまま話しかける。
「ヒカル、そろそろ髪切ったらどうだ。お前癖っ毛だからすごくはねてる」
ヒカルは自分の金色の髪を太陽に透かしてじっと見つめた。
そして髪をぐちゃぐちゃにした。
「たしかに伸びすぎだね」
あはは、と言いかけたとき、向き合っていたマコトの顔が変わった。
なんだかわからないまま、ヒカルは冷たい水を頭から浴びた。
髪から滴る水がヒカルのパンツに次々と落ちるが、パンツももうすでに水に浸っている。
「ヒカルくんごめんなさい!」
クリニックに隣接する花屋を営む女性が慌てて駆け寄ってきた。
彼女は少し太り気味なのだが、その丸々とした姿が相変わらず彼女の愛嬌を演出している。
どうやらバケツにホースで水を入れているときにホースが暴走してしまったようだ。
ホースはなぜああも手を離したときに蛇のように動き回るのか、不思議なものである。
女性が店から取ってきて手渡したタオルをヒカルは受け取って、笑顔を見せた。
「ありがとうございます。でも気にしないでください、こいつも喜んでますし」
そう言って、ヒカルと一緒に全身に水を浴びたモモンガを籠の隙間から撫でた。
モモンガは久々の水浴びがよっぽど嬉しかったのか、籠の網を指で掴んで二本脚で立っていた。
「これ、明日洗って返しますね」
ヒカルはタオルを指して言った。
彼がクリニックに入っていくときも女性は頭を下げて謝っていた。
「大丈夫か? シャワーで温まって来い」
「大丈夫大丈夫、外暖かかったし」
入ってすぐにバスタオルを持ったマコトが待っていた。
後で着替え持って行く、と言う彼にお礼を言って、ヒカルは二階の住居部分に上がっていった。
風呂から出ると、几帳面に畳まれた着替えが脱衣所に置いてあった。
ヒカルは洗濯ばさみに吊るされた服をその都度引っ張り取って着るタイプ、つまり“ズボラ”なタイプなので、マコトが畳んだのだろう。
それに着替えるとヒカルはまた制服のエプロンを着けてクリニックに訪れた患者を診始めた。
この日も定期来院している患者や突発的な怪我をした患者が80人程度来院した。
季節の変わり目だからか、いつもの倍近く多い人数だ。
朝出した表の立て看板を畳み、ドアにかかった札を裏返して“CLOSE”にするのは閉院後の日課のひとつである。
ヒカルがその単純作業の担当であるのに対し、マコトはカルテの整理をする担当になっている。
穏やかで患者人気も高いが忘れっぽいヒカルと、無口で初めは怖がられるが仕事は完璧にこなすマコトは、良いコンビだった。
ヒカルが担当を終え院に入ると、マコトが今日の患者について確認をした。
使った香料について話していると、ヒカルの足がふらふらとしてきた。
まるで足の骨が何本か抜けてしまったように。
「おい!」
がくっと足の力が抜けて倒れかかったヒカルの体を支えると、その体はすごく熱かった。
「熱、あるな」
マコトはヒカルをおぶった。
ヒカルのほうが10センチメートル程度背が高いのでマコトは階段の踊り場で休憩してからまた上がり、どうにか二階に到着する。
彼のベッドルームに運んで厚い布団をかけると、ヒカルは熱に浮かされたまま口を開いた。
「ありがとう、マコト……」
「いいよ、ゆっくり寝て」
微笑みかけると、安心したのか再び眠りに入った。
「俺、隣の仮眠室にいるな」
マコトがそう言って立ち上がると、服の裾をヒカルがぎゅっと掴んだ。
「ここの匂い嫌だ……マコトここにいて」
マコトは匂いを意識して嗅いだが、あまり特異な点はない匂いだった。
しかしヒカルはマコトより嗅覚が鋭く、今日は特に来院数が多かったので彼にとっては色々な匂いが混ざって不快な匂いになっているのだろうと思った。
マコトの能力はセラピストに対してのみではあるが、思い描いた香りを発生させられるというものなので、
「どんな香りがいい?」
と聞いたのだが、
「そのままでいい」
とヒカルが返事をしたのでマコトはベッドに寄りかかって床に座った。
フローリングの床がじわじわとマコトの尻を冷やした。
ヒカルの方を見ると、まだ服の裾を掴んだまま、すーすーと寝息を立てていた。
地毛であるため、彼はその睫毛さえも金色に輝いている。
マコトはその金色の睫毛がとても綺麗で好きだった。
赤ちゃんもタナカさんのマスクから漂う香りに誘われたように静かに寝ていた。
窓の外の景色にやっと変化があった。
ここでは唯一の連絡手段として用いられる、モモンガが優雅に飛んできたのだ。
このモモンガはクリニック、またヒカル個人として所有しているものである。
モモンガはセラピストの比ではないほど鼻が利き、匂いを辿らせて文書を届ける仕組み、らしい。
モモンガの長い尻尾に赤いリボンが結ばれ、丸まった紙がぶら下がっている。
イノウエが外に出てリボンを解くと、モモンガは手持ち無沙汰というような様子でそこに留まった。
モモンガの尻尾を毛並みに沿って指で撫でると、それは背筋を伸ばしてクリニック前の棒に吊るしてある籠に自分で入っていった。
入るなり、籠の中に置いてあるぬいぐるみと戯れ始めた。
「タナカさんの旦那さん、あと1時間くらいで迎えに来られるらしいわ」
「良かった。もうすっかり落ち着いて安心です」
「俺、鉢植えに水やってきますね」
一安心したときに花を愛でに出るのはヒカルのいつもの癖だった。
クリニック前の鉢植えに水をジョウロでゆっくりと与えながら、ヒカルが前髪をかき上げる。
かなり伸びて目にかかった前髪が鬱陶しかったのだ。
クリニックの窓からその様子を見ていたらしいマコトが、窓を開けて頬杖をついたまま話しかける。
「ヒカル、そろそろ髪切ったらどうだ。お前癖っ毛だからすごくはねてる」
ヒカルは自分の金色の髪を太陽に透かしてじっと見つめた。
そして髪をぐちゃぐちゃにした。
「たしかに伸びすぎだね」
あはは、と言いかけたとき、向き合っていたマコトの顔が変わった。
なんだかわからないまま、ヒカルは冷たい水を頭から浴びた。
髪から滴る水がヒカルのパンツに次々と落ちるが、パンツももうすでに水に浸っている。
「ヒカルくんごめんなさい!」
クリニックに隣接する花屋を営む女性が慌てて駆け寄ってきた。
彼女は少し太り気味なのだが、その丸々とした姿が相変わらず彼女の愛嬌を演出している。
どうやらバケツにホースで水を入れているときにホースが暴走してしまったようだ。
ホースはなぜああも手を離したときに蛇のように動き回るのか、不思議なものである。
女性が店から取ってきて手渡したタオルをヒカルは受け取って、笑顔を見せた。
「ありがとうございます。でも気にしないでください、こいつも喜んでますし」
そう言って、ヒカルと一緒に全身に水を浴びたモモンガを籠の隙間から撫でた。
モモンガは久々の水浴びがよっぽど嬉しかったのか、籠の網を指で掴んで二本脚で立っていた。
「これ、明日洗って返しますね」
ヒカルはタオルを指して言った。
彼がクリニックに入っていくときも女性は頭を下げて謝っていた。
「大丈夫か? シャワーで温まって来い」
「大丈夫大丈夫、外暖かかったし」
入ってすぐにバスタオルを持ったマコトが待っていた。
後で着替え持って行く、と言う彼にお礼を言って、ヒカルは二階の住居部分に上がっていった。
風呂から出ると、几帳面に畳まれた着替えが脱衣所に置いてあった。
ヒカルは洗濯ばさみに吊るされた服をその都度引っ張り取って着るタイプ、つまり“ズボラ”なタイプなので、マコトが畳んだのだろう。
それに着替えるとヒカルはまた制服のエプロンを着けてクリニックに訪れた患者を診始めた。
この日も定期来院している患者や突発的な怪我をした患者が80人程度来院した。
季節の変わり目だからか、いつもの倍近く多い人数だ。
朝出した表の立て看板を畳み、ドアにかかった札を裏返して“CLOSE”にするのは閉院後の日課のひとつである。
ヒカルがその単純作業の担当であるのに対し、マコトはカルテの整理をする担当になっている。
穏やかで患者人気も高いが忘れっぽいヒカルと、無口で初めは怖がられるが仕事は完璧にこなすマコトは、良いコンビだった。
ヒカルが担当を終え院に入ると、マコトが今日の患者について確認をした。
使った香料について話していると、ヒカルの足がふらふらとしてきた。
まるで足の骨が何本か抜けてしまったように。
「おい!」
がくっと足の力が抜けて倒れかかったヒカルの体を支えると、その体はすごく熱かった。
「熱、あるな」
マコトはヒカルをおぶった。
ヒカルのほうが10センチメートル程度背が高いのでマコトは階段の踊り場で休憩してからまた上がり、どうにか二階に到着する。
彼のベッドルームに運んで厚い布団をかけると、ヒカルは熱に浮かされたまま口を開いた。
「ありがとう、マコト……」
「いいよ、ゆっくり寝て」
微笑みかけると、安心したのか再び眠りに入った。
「俺、隣の仮眠室にいるな」
マコトがそう言って立ち上がると、服の裾をヒカルがぎゅっと掴んだ。
「ここの匂い嫌だ……マコトここにいて」
マコトは匂いを意識して嗅いだが、あまり特異な点はない匂いだった。
しかしヒカルはマコトより嗅覚が鋭く、今日は特に来院数が多かったので彼にとっては色々な匂いが混ざって不快な匂いになっているのだろうと思った。
マコトの能力はセラピストに対してのみではあるが、思い描いた香りを発生させられるというものなので、
「どんな香りがいい?」
と聞いたのだが、
「そのままでいい」
とヒカルが返事をしたのでマコトはベッドに寄りかかって床に座った。
フローリングの床がじわじわとマコトの尻を冷やした。
ヒカルの方を見ると、まだ服の裾を掴んだまま、すーすーと寝息を立てていた。
地毛であるため、彼はその睫毛さえも金色に輝いている。
マコトはその金色の睫毛がとても綺麗で好きだった。
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