僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。

梅屋さくら

文字の大きさ
6 / 62
Perfume1.アロマセラピストは幸せ?

5. 相変わらず慣れてない。

しおりを挟む
 翌日、ヒカルの体調はすっかり戻っていた。
セラピストに効く薬はないので、ただほとんどの時間を寝て過ごし、昼にはイノウエが作ったたまご粥、これが薄味ながら旨味があって絶品なのだが、それを小さい鍋で食べ、夜にはマコトが剥いた林檎を食べただけだった。
幸い軽い風邪だったので1日で治った。
 二階で寝癖のひどい髪に少しワックスを付けて軽く整え、一階に制服のエプロンを取りに行くと、開院時間よりかなり早い時間なのにすでにマコトが受付の奥にあるパソコンで何かの表を作成していた。
 彼はヒカルと、ヒカルの仕事モードのヘアスタイルを見ると、微笑んで「おはよう」と言った。

「昨日はごめん、すっかり元気になったよ」

 と腕を曲げて、ない力こぶをどうにか作って見せた。

「イノウエさんの粥のおかげだな。後でお礼を言えよ」

 力こぶのことにはまったく触れず、すぐにまたパソコンに顔を戻したマコトにヒカルはゆっくりと近付き、肩にそっと手を置いた。
マコトの男性にしては小さく細い肩がヒカルの大きい手に包まれる。

「マコトも近くにいてくれたし、林檎も剥いてくれたでしょ。ありがとう」

 そう言った途端、マコトはパソコンからも顔を背けて、ヒカルとは正反対の方向に顔を向けた。
しかし彼は気付いていないが、耳はヒカルからも見える。

「お、おお……」

 小さい声でそう言ったマコトの耳は真っ赤だった。

「相変わらず、感謝されるの慣れてないんだね?」
「なっ⁉︎」

 マコトががたっと音を立てて椅子から立ち上がり、腕を振り上げる。
ははは、と陽気に笑いながら、ヒカルはエプロンのあるさらに奥のバックヤードに入った。
ドアの外でマコトの足音と、「もう!」と呟く声が聞こえた。
 ヒカルはエプロンを着けながら、マコトとの思い出を振り返っていた。

 ヒカルとマコトは幼稚園児の頃からの幼馴染みだ。
というより、産まれてすぐ嗅覚判定をし、そこで嗅覚有りと判定された者は産まれた都道府県に1つ(ホッカイドウやトウキョウなどには2つ)あるセラピストスクールと言われる幼稚園や学校に通うことになる。
そしてセラピストが産まれるのはおよそ10万分の1の確率。
ゆえに同じトウキョウ出身で1歳差の同世代セラピストは彼らに限らず大体のセラピストと幼馴染みなのだ。
 学校は縦の繋がりが強いシステムになっていて、上級生が1年間、1つ下の学年の3、4人を受け持つ“クラス”というものがある。
その“クラス”単位で実験したり遠足に行ったりするのだが、ヒカルが受け持つ“クラス”にマコトがいた。
 そのときからマコトはぶっきらぼうな性格と口調で、同学年と上手く馴染めていなかった。
実は、だからこそ人当たりが良く誰からも愛されるヒカルの“クラス”に割り当てられた、という背景があるのだが、本人たちはそれを知らない。
 遠足の一環としてキャンプに行ったときのこと。
 カレーを作っている最中、ヒカルの“クラス”の1人である男子生徒が怪我をした。
にんじんを切っているときに、包丁で指を切ってしまったのだ。
 そのときちょうどヒカルは生徒の落とし物を探す手伝いをしていてその場にいなかった。
周りの生徒たちはだらだらと流れている血が恐ろしく、先生を大きな声で呼ぶのがやっとだった。
 しかしマコトは、先生が来る前に怪我をした生徒に駆け寄り、声を掛けた。
唯一、怪我をした生徒に寄り添ったのだ。
 その一件が収まった頃ヒカルはその騒動とマコトの取った行動を聞いた。
そしてヒカルはカレーを食べるときにマコトの隣に座り、

「すぐ駆け寄って声を掛けてあげたんでしょ? すごいね、優しいし、えらい」

 と言うと、マコトはスプーンを持つ手にぎゅっと力を入れて、

「でも『大丈夫、泣かないで』くらいしか言えなかった。結局何もしてないよ」

 と言った。
暗く低く、泣きそうな声だった。
 ヒカルはマコトの、そのときはまだ真っ黒だった髪に手をそっと置いて、

「それだけでも支えになったと思うよ。ありがとう」

 と言って微笑むと、今度はマコトは何も言わなかった。
しかし言葉の代わりにその少年は耳まで真っ赤にして、ヒカルと目を合わせないまま、自分のカレーに入っていた大きめの肉をヒカルの皿に置いた。

 ……あのときのマコト、本当に可愛かったなあ。
 ヒカルはその出来事からマコトをそれまで以上に可愛く思い、ついには一緒にクリニックを開くほど長く、そして深い関係になったのだ。
 このエピソードを一通り思い返している間にエプロンの紐は結び終え、名札も付け、診療に取り掛かる準備が整った。
ヒカルはクリニックの受付へと出て行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

処理中です...