僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。

梅屋さくら

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Perfume2.過去への疑問と子供の感情。

26. 格好良い大人になる。

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 昼食の時間までヒカルは戻って来なかった。
警察に今でも話を聞かれているのか、様々な手続きに同行しているのか、または再びタクミと話しているのか……わからないが、何も連絡がないということは心配することはないだろうと思い、マコトはいつも通り弁当を食べていた。
 彼の大好物であるハンバーグを一口食べる。デミグラスソースの深い味わいに惚れ惚れしていると、その様子を見ていたイノウエがおかしそうに笑う。
 もう一口食べようとしたとき外に灰色の大きな何かが広がり、クリニック内が暗くなった。
 それはミカゲのハヤブサだった。
 ハヤブサが豪快に羽ばたくとその風圧でクリニックの窓ががたがたと揺れる。

「ちょっとマコトくん、見て来てくれる?」

 イノウエは普段の頼れる看護師の姿とは考え付かないほどお茶目に笑顔を見せていた。

「俺が鳥苦手なの知ってて言ってますね」
「そんなひどいことしないわよ」

 そんなわざとらしい演技の後にイノウエは「あっはっは」と豪快に笑った。
 ハヤブサの羽ばたきと同じくらいの豪快さだ。

 渋々マコトは外に出てハヤブサと対面する。
相変わらず鋭い目と爪が今にも彼を貫こうとしているように見えて思わず後ずさる。
 しかしハヤブサは早く主人の元へ帰りたいのか、翼で飛ぶのではなくぴょんぴょんと脚だけで跳んでマコトに遠慮なく近付いた。
そして首を前に出し、早く手紙を受け取るよう催促する。

「これからくちばしを撫でるが怒るなよ、手紙を渡してもらうだけだからな」

 真剣にハヤブサに説明してから以前ヒカルに教わった通りくちばしを撫でる。
すると本当に抵抗せず離し、マコトは無事手紙を受け取ることが出来た。
 腕時計をちらと見ると、まだ午後の診療まで時間があった。
 炎天下の中で手紙を開く。
 手紙にはミカゲのサインと、走り書きされた文字列があった。

『ヒカルはトウキョウにいる? 迎えに行ったのにいなくて驚いた』

 そのような内容だった。
あの夜何も言わずにオオサカを出てそれ以来ミカゲに連絡をしていないことに今気が付く。
 彼はクリニックの奥に入り、万年筆で、

『詳細は俺からは言いませんが、とある出来事によって急遽クリニックに戻りました』

 ということと連絡が遅くなったことに対しての詫びを記し、自らのサインをする。
そして手紙に封蝋印を押すために蝋燭《ろうそく》に火を灯そうとしたとき、後ろから何か鋭いものに突かれた。

「ハヤブサッ!」

 咄嗟に出た言葉を聞き、背後の鋭いものは声を上げて大きく笑う。

「本当に鳥苦手なんだねえ」

 それは右手の5本指をきっちり揃えてにやにやと性格の悪そうな表情をするヒカルであった。
ここを出て行ったときよりも寝不足のせいか顔色が悪くなっている。
 怒って良いのか、何があったか尋ねれば良いのか、マコトにはどれが正解かわからなかった。
 彼をよそにヒカルはミカゲから届いた手紙とマコトが書いた手紙を眺め、その隣にある万年筆を手に取る。
さらさらと何かを書き加えると、その内容を見せずに封蝋印を押してしまった。
 赤色の蝋に押されたクリニックの紋様が、ゆっくりと固まっていった。

 ヒカルはもうマコトが思っていたほど落ち込んではいなかった。
 彼は、タクミはこれからこの町の施設に入って暮らすことを話した。
叔母など親戚がいないわけではないが、彼らとの関係性やタクミ自身の意思によって親戚に引き取られずに生活していくことになったらしい。

「偉そうなことたくさん言ったけどタクミくんは俺にすごく感謝してくれて、『成人して1人で生きていけるようになったら会いに行きます』だなんて素敵な言葉もらっちゃった」
「プロポーズと聞き間違えるくらいロマンチックだな」
「うん、彼はきっと格好良い大人になるだろうね」

 朝にヒカルに後で言おうと決めたことは言わなかった。
 俺の励ましなんてなくても、もうヒカルは大丈夫だ。
 そう思ったからである。
 意外にもヒカルがタクミを救ったというよりもタクミに救われたというほうが正しい様子で、車の中で何かを呟いていた彼の姿が頭をよぎり、マコトは胸を撫で下ろした。

「顔色が悪すぎてどっちが患者かわからなくなりそうだ。とりあえず3時まで上で寝て来い」

 安心したのを悟られないようにあえてぶっきらぼうにそう言い放ち、彼は午後の診療の準備を始めた。

 一方その頃、ハヤブサは既にオオサカに着いていた。
 朝ヒカルがホテルにおらず焦《あせ》らされたにもかかわらず彼らとは対照的にぐっすりと眠ったミカゲは、彼女のクリニックの外に降りたハヤブサに軽やかに駆け寄って手紙を受け取った。
 封を切るとそこに見覚えのあるヒカルのサインだけでなく初めて見るマコトのサインもあることに気が付いて気分が高揚する。

「思った通り、マコト君は文面でも優しいし文字も丁寧で美しいなあ。さらに惚れるわ」

 彼の筆跡にうっとりしながらも、その下に連なるヒカルの文字にも目を走らせる。
 ヒカルの字はひどく斜めで直線的、一言で言えば癖が強いのだが強く記憶に残る文字だ。
子供の頃から変わっていないこの筆跡に思わずあの頃の記憶を引き出された。

『今度マコトをオオサカに行かせるよ。例の“歴史”についてお茶でもしながら優秀な彼にも聞いてみたら面白いことが聞けるかもしれないしね』

 ヒカルが「あは」とか何とか言ってウインクしている姿が目に浮かぶ。

「マコト君とお茶出来るなら、私がトウキョウ行っても良いかも!」

 指をパチンと鳴らして閃いたように言った。
 そのとき後ろからげんこつで殴られた衝撃が走る。

「お前は最近仕事を休みすぎだ。働け」
「院長! はあ、見つかっちゃった……」

 ミカゲが勤めるクリニックの院長は寡黙で厳格な大男だ。
 彼はいつも怠惰なミカゲに対し、怒鳴り声の代わりに「ふん」と鼻を鳴らして怒りを露わにして、顎に蓄えた髭を触って彼女が診療室へ入るまで見張っていた。
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