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Perfume3.悲痛な決断と伯剌西爾での三日間。
46. 左頬に刻む。
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はっと振り向くと、目と鼻の先で鋭い刃が軌道を描く。咄嗟に上体を反らせていなければちょうど目のあたりを切られていただろう。
ナイフを持ったガタイの良い男の腕を掴む。筋肉のついた太い腕は抵抗するが、ヒカルは我を忘れるほど必死に力を入れて掴んでいるため逃げられない。
片腕を抑えたままもう片方の腕に視線を滑らせ、そのまま身体全体を素早く眺める。しかしナイフ以外の凶器はなさそうだ。
掴まれた腕は抵抗をやめて、ナイフが手から滑り落ちた。
ヒカルが安堵の息をついたとき、男はもう片手で落下するナイフの柄を器用に掴んだ。そしてそのまま刃は再びヒカルの顔を無遠慮に横切ろうとした。
「いっ……」
刃物はヒカルの左頬に3センチメートルほどの切り傷を刻んだ。
しかしあの勢いのナイフを振るわれたことを考えると、それほどの傷で済んだのは不幸中の幸いと言えよう。
頬を通り過ぎて空を切るナイフを足で蹴り飛ばし、もう抵抗の手段が残っていない男の腕を軽く引く。そして足を掛け、地面に仰向けに転がした。
ヒカルよりだいぶ大きな身体を持つ男であったが、幼い頃短期間習っていた柔道の知識がここで活きた。ちょうど“合う”と体重や体格に関係なくいとも簡単に投げられるのだ。
未だ腕を押さえ込まれたまま無様に転がった男を冷静に見ると、彼の肌がイエローであることに気が付いた。凹凸が少ない、アジア系の顔立ちだ。
彼はもう抵抗の姿勢を見せていない。ただヒカルとは絶対に目を合わせようとしなかった。
「ペドロさんに、雇われたのですか」
静かにニッポン語でそう尋ねると、男は一瞬だけヒカルと目を合わせ、何も言わずに再びその視線をカラフルな建物に向けた。
「Are you hired by Mr.Pedro?」
同じことを、今度はエイゴで尋ねる。
すると彼は今度は一切視線を向けることなく小さく頷いた。先ほど返答がなかったのは、ニッポン語が分からなかったからかと合点する。
騒ぎを聞きつけた警察がバタバタと駆けて来た。防刃ベストを着て、角ばった帽子を被るその姿は、ニッポンの警察とそっくりだな、だなんて呑気なことを考えているうちにアジア人の男は警察に連れられて行った。
彼はきっと、いわゆる悪の組織の中でもかなり地位が低い人物であろう。トップはナイフを持って街中で襲い掛かるなんてハイリスクな仕事は行わないはずだ。
ただ上に命じられただけだと思うと彼を逃してやってくれと乞いたくなるがどうせヒカルにそんな力はない。
気分が重いままヒカルも事情聴取のため警察に連れられて柔らかい椅子に案内された。
警察官から聞いた話では、切りかかった男はまだ十九歳だという。ヒカルより二つも歳下で、伯剌西爾では成人ではあるものの、ニッポンの法制度では未成年である。
彼が事の経緯を正直に話したためヒカルは突然襲われたことくらいしか話すことはなかった。
頬の切り傷は消毒され、ガーゼを当てられている。消毒液が傷に滲みた。
手続きなど面倒な手順を待つ間、ヒカルは伯剌西爾の街を少しでも楽しもうとした。とは言っても警察で出来ることは窓から見える青色の建物を眺めるくらいだが。
すると窓の外を何かが物凄い速さで横切って行くのが見えた。
「ん?」
目を凝らして見ていると、先ほどより速度を落として再び何かが横切った。
それは灰色の翼を大きく広げるハヤブサだった。
胸元の黄色が、青色の建物に映える。
ちょうど窓の下に急降下していくのを見て傍に立っているいかつい警察官に、
「恐らくハヤブサが私宛てに手紙を持ってきました。取ってきて良いですか」
と尋ねると、制止されて警察官が取りに行った。
「あのハヤブサがくちばしに咥えていましたが」
彼はハヤブサに翻弄されたようで、渡された手紙は破れる寸前というくらいボロボロだった。
ハヤブサを使うミカゲのことを説明し、くちばしの開かせ方を教え忘れたことを謝ると、彼は意外にも人懐っこい笑顔を見せた。
「初めて間近で見たのですが、遊ばれていたのですね。手紙ぐちゃぐちゃですみません」
室内の空気が少し緩む。
手紙には案の定ミカゲの文字が並んでいた。
『伯剌西爾に行くなら私にも声掛けてや! どうせ行ったならそっちの図書館に嗅覚の歴史に関する文献がないか見てきてくれへん? あったら片っ端から借りてきて』
声掛けるって言ってももう休み取れないだろとか大量の文献なんか持ち帰れないだろとか、そういう些細な突っ込みどころはあったものの、ヒカルはこの手紙からとあるアイデアが浮かんだ。
「ペドロ……ペドロ・アルメイダと話をすることは出来ませんか」
「あなたは彼に二回も危険な目に遭わされている。彼の話を聞く権利はあると思いますが、いかんせん、彼は誰ともまともに話そうとしませんので難しいかと」
「お願いします。今のように多くのものを失ったままでは彼はもう、一生希望を見られない」
ヒカルの熱意に押され、警察官はペドロのもとへと案内する。
ひどく底冷えする部屋にいたペドロは、金髪の輝きが鈍くなったように見えた。
ナイフを持ったガタイの良い男の腕を掴む。筋肉のついた太い腕は抵抗するが、ヒカルは我を忘れるほど必死に力を入れて掴んでいるため逃げられない。
片腕を抑えたままもう片方の腕に視線を滑らせ、そのまま身体全体を素早く眺める。しかしナイフ以外の凶器はなさそうだ。
掴まれた腕は抵抗をやめて、ナイフが手から滑り落ちた。
ヒカルが安堵の息をついたとき、男はもう片手で落下するナイフの柄を器用に掴んだ。そしてそのまま刃は再びヒカルの顔を無遠慮に横切ろうとした。
「いっ……」
刃物はヒカルの左頬に3センチメートルほどの切り傷を刻んだ。
しかしあの勢いのナイフを振るわれたことを考えると、それほどの傷で済んだのは不幸中の幸いと言えよう。
頬を通り過ぎて空を切るナイフを足で蹴り飛ばし、もう抵抗の手段が残っていない男の腕を軽く引く。そして足を掛け、地面に仰向けに転がした。
ヒカルよりだいぶ大きな身体を持つ男であったが、幼い頃短期間習っていた柔道の知識がここで活きた。ちょうど“合う”と体重や体格に関係なくいとも簡単に投げられるのだ。
未だ腕を押さえ込まれたまま無様に転がった男を冷静に見ると、彼の肌がイエローであることに気が付いた。凹凸が少ない、アジア系の顔立ちだ。
彼はもう抵抗の姿勢を見せていない。ただヒカルとは絶対に目を合わせようとしなかった。
「ペドロさんに、雇われたのですか」
静かにニッポン語でそう尋ねると、男は一瞬だけヒカルと目を合わせ、何も言わずに再びその視線をカラフルな建物に向けた。
「Are you hired by Mr.Pedro?」
同じことを、今度はエイゴで尋ねる。
すると彼は今度は一切視線を向けることなく小さく頷いた。先ほど返答がなかったのは、ニッポン語が分からなかったからかと合点する。
騒ぎを聞きつけた警察がバタバタと駆けて来た。防刃ベストを着て、角ばった帽子を被るその姿は、ニッポンの警察とそっくりだな、だなんて呑気なことを考えているうちにアジア人の男は警察に連れられて行った。
彼はきっと、いわゆる悪の組織の中でもかなり地位が低い人物であろう。トップはナイフを持って街中で襲い掛かるなんてハイリスクな仕事は行わないはずだ。
ただ上に命じられただけだと思うと彼を逃してやってくれと乞いたくなるがどうせヒカルにそんな力はない。
気分が重いままヒカルも事情聴取のため警察に連れられて柔らかい椅子に案内された。
警察官から聞いた話では、切りかかった男はまだ十九歳だという。ヒカルより二つも歳下で、伯剌西爾では成人ではあるものの、ニッポンの法制度では未成年である。
彼が事の経緯を正直に話したためヒカルは突然襲われたことくらいしか話すことはなかった。
頬の切り傷は消毒され、ガーゼを当てられている。消毒液が傷に滲みた。
手続きなど面倒な手順を待つ間、ヒカルは伯剌西爾の街を少しでも楽しもうとした。とは言っても警察で出来ることは窓から見える青色の建物を眺めるくらいだが。
すると窓の外を何かが物凄い速さで横切って行くのが見えた。
「ん?」
目を凝らして見ていると、先ほどより速度を落として再び何かが横切った。
それは灰色の翼を大きく広げるハヤブサだった。
胸元の黄色が、青色の建物に映える。
ちょうど窓の下に急降下していくのを見て傍に立っているいかつい警察官に、
「恐らくハヤブサが私宛てに手紙を持ってきました。取ってきて良いですか」
と尋ねると、制止されて警察官が取りに行った。
「あのハヤブサがくちばしに咥えていましたが」
彼はハヤブサに翻弄されたようで、渡された手紙は破れる寸前というくらいボロボロだった。
ハヤブサを使うミカゲのことを説明し、くちばしの開かせ方を教え忘れたことを謝ると、彼は意外にも人懐っこい笑顔を見せた。
「初めて間近で見たのですが、遊ばれていたのですね。手紙ぐちゃぐちゃですみません」
室内の空気が少し緩む。
手紙には案の定ミカゲの文字が並んでいた。
『伯剌西爾に行くなら私にも声掛けてや! どうせ行ったならそっちの図書館に嗅覚の歴史に関する文献がないか見てきてくれへん? あったら片っ端から借りてきて』
声掛けるって言ってももう休み取れないだろとか大量の文献なんか持ち帰れないだろとか、そういう些細な突っ込みどころはあったものの、ヒカルはこの手紙からとあるアイデアが浮かんだ。
「ペドロ……ペドロ・アルメイダと話をすることは出来ませんか」
「あなたは彼に二回も危険な目に遭わされている。彼の話を聞く権利はあると思いますが、いかんせん、彼は誰ともまともに話そうとしませんので難しいかと」
「お願いします。今のように多くのものを失ったままでは彼はもう、一生希望を見られない」
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