僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。

梅屋さくら

文字の大きさ
60 / 62
Perfume4. セラピストの不幸と歴史の秘密。

58. 隠されていた歴史。

しおりを挟む
 嗅覚を奪われたことと引き換えに可能になった、香りによる治療。この治療法のメリットの一つとして挙げられることは治験が不必要になったことである。
 香りによる治療では、体内に薬が直接流れ込むのではなく、薬物中の成分が嗅細胞に付着することによって発生する信号が全身に行き渡る。すべての人類の嗅細胞は等しく、嗅覚を失った代わりに強い免疫を獲得したために拒絶反応を起こすことはない。つまり年齢、性別、人種などによって効果が異なる心配もないのだ。
 香りの成分を分析し、成分中に目的の効果が認められ次第認可が下りる。ゆえにヒカルが認可を申請してからわずか数日で認可を示す文書が届いた。
 この喜びをまずはマコトに伝えたかった。
 閉店後、彼はいつもミカゲのホテルにいることを知っていた。それゆえに手紙を出そうとか明日の朝クリニックに来るまで待とうとか、そういうことは頭に浮かばなかった。
 濡れないように認可の書類の入った封筒を革のバッグに丁寧に仕舞って、自らの足でホテルへ向かうことにしたのだ。
 大通りではなく、初夏にタナカさんのバニラの香りを辿って入った細い路地を通る。書類を受け取ってからというもの大通りを歩くにはあまりにも顔の緩みが抑えきれていなかった。
 傘を差していても吹き込んで服を濡らすほどの雨で、路地には水溜りが出来ていた。走るには水溜りは深い。やや大股で歩く彼の背後から水を踏み付けた足音がした。

 エイゴの連なる文献に目を通し、特に目ぼしい記述が見つかることもなくまた次の文献に手を伸ばす。それを繰り返す作業音のみがマコトたちの鼓膜を揺らす。
 マコトが一冊の本を読み終わり、はあ、とため息をついて目を瞑りながら何気なくページを始めまでぺらぺらとめくった。目を開けたとき、見返し……すなわち表紙を開いて最初にあるページが輝いたように見えた。
 その輝きに惹きつけられて紙を見つめていると、その紙の素材が他とは少し異なることに思い当たった。別に指で擦ったときの感触が異様なわけでも、色が他よりくすんでいるわけでもない。しかし何かが明らかに“違う”のだ。
 指の腹で何度も撫で、傷がつかない程度に爪を立てて引っ掻く。すると茶色がかった紙からぼんやりと黒い文字が浮かび上がってきた。

「あ、あの、ミカゲさん! 隠されていた歴史が分かるかもしれません!」

 そう叫ぶと、彼女は声とも言えぬような音を出して隣に座った。
 ミカゲと肩を寄せて見返しを触ってみる。文字がはっきりせず、今度はコインで擦る。ようやく判別できる文字が浮かび、二人で声を合わせて読み上げた。

「キンモクセイの香りを持つ者の子孫は必ずキンモクセイの香りを受け継ぐ。その特異性から、彼らは三十歳までに子を作らねばならぬという命令を神より下された」

 キンモクセイの香り。そう聞いてマコトたちの頭には、可愛らしい笑みを見せる少女の顔が浮かんだ。
 この記述には続きがあった。続きを読み上げることに恐れを抱きながらもなお彼らは声を重ねる。

「この命令を良く思わぬのがジャスミンの香りを持つ者である。彼らはキンモクセイの香りの者を処刑して根絶しようとしたが、時が経つにつれて皆が神の命令を忘れ、覚えているのはキンモクセイの香りの者のみとなった。しかしジャスミンの香りの者は齢《よわい》二十一の年のうち一日のみ命令のことを思い出したかのようにキンモクセイの香りを探し、見つけ次第処刑を行う。ゆえにキンモクセイの香りはジャスミンの香りを現在に至るまで恐れ、復讐の機会を窺ってきたのである」

 ジャスミンの香りと聞いて彼らはヒカルのことを思い浮かべずにはいられなかった。ヒカルはつい先日二十一歳を迎えたばかりである。
 窓では遮れないほどの雨の音も相まって、なんだか嫌な予感がした。

「嗅覚が奪われた原因は香りによる処刑だったんだな……ヒカル、クリニックの二階にいれば良いが、どうしてだろう、あそこにはいない気がする」
「奇遇やな、私もや。雨やし出来る保証はないけどハヤブサにヒカルの匂いを辿って案内してもらうか」
「でしたら俺の能力が使えるかもしれません!」

 彼らはホテルの玄関に立ち、ミカゲはその腕にハヤブサを止まらせた。
 マコトはジャスミンの香りを想像した。その想像に引っ張られて、ヒカルの輝くような笑顔の記憶も蘇る。
 ミカゲは彼の能力を知らなかったが、男性特有のオレンジの香りはそのままに本来のローズの香りが薄くなり、代わりに彼からジャスミンの香りが漂うのを感じた。それをハヤブサに嗅がせ、

「お願い、この香りを持つ人のところまで連れて行って!」

 と言った。
 するとハヤブサは翼を大きく開き、一瞬で遠くへ飛び去っていってしまった。傘を差してハヤブサを追うが、なかなか見つからない。

「やっぱりだめだったかな……早くその香りの元へ行くことは出来るけど、“案内”はハヤブサの仕事の範疇外だし」

 ミカゲが弱音を吐いたとき、彼らは細い路地の前に止まってこちらを見つめるハヤブサと目が合った。早くここに来い、と言っているようだ。
 雨に濡れるのも厭《いと》わずにハヤブサの元へ駆けつけると、その路地を進んだ先に二つの人影が見えた。
 それは傘を差したヒカルの後ろ姿と、傘も差さずにヒカルと向き合うアヤノだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

処理中です...