飛竜烈伝 守の巻

岩崎みずは

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其の壱 飛竜覚醒◆親友

飛竜烈伝 守の巻

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「今年も付き合わしちまって、悪かったな、蓮」
「いや、どうせ僕は暇だから」
 蓮と並んで両親の墓の前で手を合わせていた竜は、足元に纏わりつく小さな毬のような塊に気が付いた。
「なんだ、お前。迷子か?」
 黄色に近い褐色の毛並みをした仔猫は背骨が浮き出し、痛々しい程に痩せている。強く触れれば今にもバラバラに壊れてしまいそうな仔猫の身体を、蓮がそっと抱き上げた。
「足の裏がこんなに柔らかい。まだ全然赤ちゃんだね、きみは」
 どこから来たの?お母さんは?
 蓮は、まるで人間を相手にするように仔猫に話しかける。昔から無類の動物好きなのだ。
 突然、仔猫が身を捩って蓮の腕から飛び降りた。その後を追う蓮。あっという間に蓮の背中が視界から消え、竜は少なからず狼狽えた。
「おい、蓮?ちょお、待てって」
 立ち上がり、慌てて蓮を追う。幾ら両親の眠る場所とはいえ、じきに日が暮れようとしているこの時刻、静まり返った墓地にたった一人取り残されるのは出来れば御免こうむりたい。
 蓮を見つけるのにそれ程時間はかからなかった。
 墓地に隣接した広い敷地のなかに寺がある。と言っても、数十年も昔に当時の住職に放棄されたらしく、以来、一度もそこに人影を見たことがない荒れ寺ではあるが。蓮はそのすぐ前に立ち尽くしていた。
 無人の寺の軒端に雨を避けるように、汚れた小さな段ボール箱が一つ置かれていた。蓮の目は、口を開いたままの箱の中身に据えられている。
「ありゃりゃ」
 走り寄り、蓮の肩越しに覗き込んだ竜も、思わず顔を顰めた。
 箱のなかに二匹の仔猫が互いの鼻を突き合わせるようにして横たわっている。毛の色がよく似通っていることから見て、生き残った仔猫の兄弟に違いない。
「可哀想に。こんなとこにペットを放置なんて、ひでえ奴がいるもんだな」
 竜は、竹刀の先で段ボールの中身に軽く触れてみた。死んでからまだそれ程時間が経っていないのだろう、死骸は腐敗の段階まではいっていないが、しかし、それも時間の問題だ。
「このまま放ってはおけないよ。埋めてやらなきゃ」
 蓮が呟く。
 やめようぜ。面倒臭いし、第一、死骸に触るのなんて気色悪いぜ。
 既に上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲っている蓮を前にして、その台詞を口にすることは出来なかった。優しげな外見とは裏腹な、一度言い出したらきかない蓮の頑固さを、竜は子供の頃からよく知っている。相変わらずの友人に半ば呆れ、半ば感心しながら、落ちていた手頃な太さの枝を手に取り、竜は黙って仔猫を埋める穴を掘り始めた。
 白いハンカチに包んだ二匹の仔猫の亡骸を穴の底にそっと横たえ、その上に土を盛る蓮を、竜は無言のまま傍らで見守った。 革靴も、跪(ひざまづ)いた制服のズボンの膝も裾も、細い指先も泥だらけになっているのに、それを気にするふうもない。ただ周りの土を両手で集めて、固めていく。誰が見ているでもなく、誰に褒めて貰えるでもないというのに。
 足元にふと見つけた花を一輪摘み取り蓮に手渡したのは、それ程深い意味があってのことではない。出来たばかりの仔猫の墓にその小さな白い花をそっと供えると、蓮は振り返って微笑んだ。
「ありがとう。やっぱり竜は優しいね」
 真っ直ぐな感謝を込めた、柔らかい視線。そんな目で見つめられると、竜は親友の顔をまともに見返すことが出来ない。
 違うよ。俺は優しくなんかない。優しいのは、お前なんだよ。
 ハンカチを渡してやろうと思いポケットを探るものの、持っていないことに気づき、慌てて両手を後ろに隠した竜を見て蓮は首を傾げ、立ち上がると、自分の鞄からウェットティッシュを取り出し泥だらけの手と指先を拭った。その手が、不意に竜の顔に差し延ばされた。
「え、なに?」
 戸惑い気味の竜に、蓮が悪戯っぽく笑いかける。
「ついてる、泥。鼻のとこ」
 蓮の指先にそっと触れられ、思わず顔面が赤らむのを覚える。
 多分、こんなところが、こいつが昔からヒトに好かれる理由なんだろうな、と思う。
 外見的には、彫像のような整い過ぎた容貌が、冷たい印象を与える蓮。黙っていれば他人を寄せ付けない雰囲気だが、実際の蓮は神経が細やかで、驚くほど気配り上手だ。穏やかな口調と、時折、含羞んだように柔らかく微笑む癖も、十二分に見た目の印象を補っていた。
 進んで人前に出ることは好まないものの、蓮は、子供の頃から目立つ存在と言えた。勉強もスポーツも、何をやらせても鮮やかにこなす優等生。女生徒に人気があるのはその長身と整った容姿が理由だとしても、常に穏やかで気分にムラがなく、誰に対しても分け隔てなく接する蓮は、友人として最高に付き合いやすい相手だった。暴力や争い事が嫌いで、十年来の友人の竜でさえ、蓮が声を荒げたところを一度も見たことがない。まして竜と蓮は口喧嘩さえしたことがなかった。
 当然、蓮と友達になりたがる者は男女を問わず多かったが、その蓮が選んだのは、竜なのだ。その事実は、竜にとって、密かな誇りだった。
  
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