1 / 12
幕の前で
Twilight Beginning
しおりを挟む
夢を見るのが怖かった。
私の夢はいつも同じで、眠るたびに悪夢を見た。
喉が裂けるくらいに悲鳴を上げて、心臓は飛び出して破裂しそうで、痛いくらいに脈打つ。
空気を吸っても吸っても酸素が足りなくて、まるで溺れているようで。
飛び起きてすぐに体を確認する。
肩は焼けていないか。
頬は切れていないか。
腹は裂けていないか。
脚の穴は塞がっているか。
背の水膨れは治っているか。
そうして、ひと通りの確認が終わった後に私の胃はひとりでにひっくり返って、中身をそっくり出してしまう。
食道が酸で焼かれる感覚に嫌気がさした。
こんなの、命がいくつあっても足りない。
私は眠るのが怖くなった。
あの夢はきっと私の魂を切り刻んでいる。次にあの夢を見たなら、私は本当に死んでしまう。
ただの予感でも、私を不眠症にするには充分だった。
一睡もしないまま三日過ぎ、五日過ぎ……七日目に入ろうとしている時、このまま眠らなければ睡眠不足で死ぬとハッキリ自覚した。
笑えてしまう。なんという負け戦だろう。眠っても死、眠らなくても死だ。せっかくあの壮絶な日々を乗り越え生き延びたのに。
今ここで死ぬというなら何故私は生き延びてしまったのだろう。苦しみが増えただけじゃあないか。
ベッドの上で膝を抱えてぼうっと虚空を見つめていると視界の端で包丁が落ちた。目をやってもそこには何もない。どうやら目を開けたまま夢を見始めたようだ。
夢の方から来るなんて、随分と酷い結末もあったものだ。逃げ道なんて最初から無かったのか。
どうせ起きていてもあの夢を見るなら、もう眠ってしまってもいいかな。
諦めて意識を手放しかけたその時だった。
「ひとつだけ、君が夢を見ないで済む方法があるよ」
私の爪先で兎が言った。
これも夢だろうか。もしそうなら、我が脳ながら突拍子も無いものを思い付くものだ。人語を操る蜜柑色の毛並みのノウサギなんて、どこで見たんだろう。
どこから来たのか分からない兎は後脚で立ち上がる。
「『管理者』になれば君は眠っても夢を見ない」
兎は訳の分からないことを言う。
口を開くのも面倒で、私が何も言わずにいると、兎は続ける。
「君の体が眠る時、君の精神は『管理者』として働くことになる。『管理者』が見るのはどこまでも他人の夢だ。だから、君の精神を蝕む夢は見ないで済むよ」
「『管理者』の仕事は夢を散らして、その夢を見ている人を目覚めさせること。もちろん、任務遂行の為の『管理者権限』を与えるとも」
なんだかゴチャゴチャ言っているが、管理者とやらになれば、どうやら私はあの悪夢から救われるらしい。
「但し、一度『管理者』になれば、精神活動が終了するまで辞められない。精神が擦り切れて無くなるまでだ。魂と呼ぶ方が理解を得やすいかな?肉体の有無は関係ない。体が滅びても、その自我がある限り『管理者』として働き続けてもらう。どう?それでもいいかい?」
どこにデメリットがある?
直近で死ぬか、死後も生きるか。後者を選んだとて、いつかは消え果てる。ただそれだけの話。
自分の口角が上がるのが分かった。掠れた声で呟く。
「……上等だ」
鷹揚に頷いた兎は、私の膝頭の上に飛び乗った。毛皮の感触は無く、ただ熱だけが感ぜられる。兎は左前足を私の額に押し付けた。
「では『管理者権限』を譲り渡そう。夢の世界の理を全て思い通りに書き換えられる力だ。思う存分、働いておくれ」
夕焼け色の光と、仄かな熱が私を包む。どさりと背後で重いものがベッドに落ちる音がした。
ジジジ、とノイズのような音。ぼうっとしていた頭が少しずつハッキリとしてくる。
寝巻きの黒いジャージがレモン色のシャツに変わっていく。視界端で揺れる髪が金髪に変わっている。上着と揃いのズボンが黄色から朱色へのグラデーション鮮やかなボックススカートに変わっている。スカートの下では、夜空の色をしたレースが重なった、名前も知らない衣服が膨らみを作っている。
なんだこの姿は。まるで。
兎は唖然としている私に淡々と訊ねた。
「まだ名前を聞いていなかったね。君の名前は?」
「……コン。早苗 昏」
「昏か。落陽前後の薄暗闇を表す漢字だね」
兎は私の膝から飛び降りた。
「では、君の管理者名は『黄昏』だ。おや、兎の耳が生えてるね。黄昏兎ってのはどうかな」
兎の視線に習って頭上に手をやる。指がふわふわした手触りの何かに当たった。左耳はピンと立っているが、右耳は中折れしている。なるほど兎の耳らしい。
「これを。『管理者権限』の証だ。武器でもあるから、夢でも現実でも肌身離さず持っていて」
私にアンティーク調の小さな鍵を渡すと、兎は踵を返して近くの窓枠に飛び乗った。
遠く、地響きのような音がする。
「じゃあ早速今夜から働いてもらうよ、黄昏兎。人々の心と夢の世界を守るため、悪夢を退治してくれたまえ」
「初心者研修期間も無しか」
何の説明も無しに実戦とはあんまりだろう。とんだブラックバイト。寝不足の頭で重要な契約など結ぶもんじゃない。
「でも、まあ」
ベッドから降りた。横たわるジャージ姿の自分は、呼吸こそすれ生気を感じさせない寝顔をしている。気味の悪い光景だ。
握った鍵が瞬時に金色の鍵型ステッキへと変わる。それを軽く振り下ろして窓の向こうを見据えた。
舞い上がる砂埃の中に、満月に照らされて何やら怪物が立っている。
デッド・オア・デッドを切り抜けられる唯一の方法に文句は言えない。溺れるものは藁をも掴む。少なくとも夢からはきちんと助かる分、ただの藁よりずっとマシだ。
そして世界はギブアンドテイクで廻っている。何もしない者には何も与えられない。逆に、与えられたのであれば、その分働かなくてはならない。
よし、納得した。他の誰もが何と言おうとも、私の中では筋が通った。だから。
「やってやろうじゃあないか」
私は開け放った窓枠を蹴って、空に躍り出た。
――これが、私の始まりだ。
私の夢はいつも同じで、眠るたびに悪夢を見た。
喉が裂けるくらいに悲鳴を上げて、心臓は飛び出して破裂しそうで、痛いくらいに脈打つ。
空気を吸っても吸っても酸素が足りなくて、まるで溺れているようで。
飛び起きてすぐに体を確認する。
肩は焼けていないか。
頬は切れていないか。
腹は裂けていないか。
脚の穴は塞がっているか。
背の水膨れは治っているか。
そうして、ひと通りの確認が終わった後に私の胃はひとりでにひっくり返って、中身をそっくり出してしまう。
食道が酸で焼かれる感覚に嫌気がさした。
こんなの、命がいくつあっても足りない。
私は眠るのが怖くなった。
あの夢はきっと私の魂を切り刻んでいる。次にあの夢を見たなら、私は本当に死んでしまう。
ただの予感でも、私を不眠症にするには充分だった。
一睡もしないまま三日過ぎ、五日過ぎ……七日目に入ろうとしている時、このまま眠らなければ睡眠不足で死ぬとハッキリ自覚した。
笑えてしまう。なんという負け戦だろう。眠っても死、眠らなくても死だ。せっかくあの壮絶な日々を乗り越え生き延びたのに。
今ここで死ぬというなら何故私は生き延びてしまったのだろう。苦しみが増えただけじゃあないか。
ベッドの上で膝を抱えてぼうっと虚空を見つめていると視界の端で包丁が落ちた。目をやってもそこには何もない。どうやら目を開けたまま夢を見始めたようだ。
夢の方から来るなんて、随分と酷い結末もあったものだ。逃げ道なんて最初から無かったのか。
どうせ起きていてもあの夢を見るなら、もう眠ってしまってもいいかな。
諦めて意識を手放しかけたその時だった。
「ひとつだけ、君が夢を見ないで済む方法があるよ」
私の爪先で兎が言った。
これも夢だろうか。もしそうなら、我が脳ながら突拍子も無いものを思い付くものだ。人語を操る蜜柑色の毛並みのノウサギなんて、どこで見たんだろう。
どこから来たのか分からない兎は後脚で立ち上がる。
「『管理者』になれば君は眠っても夢を見ない」
兎は訳の分からないことを言う。
口を開くのも面倒で、私が何も言わずにいると、兎は続ける。
「君の体が眠る時、君の精神は『管理者』として働くことになる。『管理者』が見るのはどこまでも他人の夢だ。だから、君の精神を蝕む夢は見ないで済むよ」
「『管理者』の仕事は夢を散らして、その夢を見ている人を目覚めさせること。もちろん、任務遂行の為の『管理者権限』を与えるとも」
なんだかゴチャゴチャ言っているが、管理者とやらになれば、どうやら私はあの悪夢から救われるらしい。
「但し、一度『管理者』になれば、精神活動が終了するまで辞められない。精神が擦り切れて無くなるまでだ。魂と呼ぶ方が理解を得やすいかな?肉体の有無は関係ない。体が滅びても、その自我がある限り『管理者』として働き続けてもらう。どう?それでもいいかい?」
どこにデメリットがある?
直近で死ぬか、死後も生きるか。後者を選んだとて、いつかは消え果てる。ただそれだけの話。
自分の口角が上がるのが分かった。掠れた声で呟く。
「……上等だ」
鷹揚に頷いた兎は、私の膝頭の上に飛び乗った。毛皮の感触は無く、ただ熱だけが感ぜられる。兎は左前足を私の額に押し付けた。
「では『管理者権限』を譲り渡そう。夢の世界の理を全て思い通りに書き換えられる力だ。思う存分、働いておくれ」
夕焼け色の光と、仄かな熱が私を包む。どさりと背後で重いものがベッドに落ちる音がした。
ジジジ、とノイズのような音。ぼうっとしていた頭が少しずつハッキリとしてくる。
寝巻きの黒いジャージがレモン色のシャツに変わっていく。視界端で揺れる髪が金髪に変わっている。上着と揃いのズボンが黄色から朱色へのグラデーション鮮やかなボックススカートに変わっている。スカートの下では、夜空の色をしたレースが重なった、名前も知らない衣服が膨らみを作っている。
なんだこの姿は。まるで。
兎は唖然としている私に淡々と訊ねた。
「まだ名前を聞いていなかったね。君の名前は?」
「……コン。早苗 昏」
「昏か。落陽前後の薄暗闇を表す漢字だね」
兎は私の膝から飛び降りた。
「では、君の管理者名は『黄昏』だ。おや、兎の耳が生えてるね。黄昏兎ってのはどうかな」
兎の視線に習って頭上に手をやる。指がふわふわした手触りの何かに当たった。左耳はピンと立っているが、右耳は中折れしている。なるほど兎の耳らしい。
「これを。『管理者権限』の証だ。武器でもあるから、夢でも現実でも肌身離さず持っていて」
私にアンティーク調の小さな鍵を渡すと、兎は踵を返して近くの窓枠に飛び乗った。
遠く、地響きのような音がする。
「じゃあ早速今夜から働いてもらうよ、黄昏兎。人々の心と夢の世界を守るため、悪夢を退治してくれたまえ」
「初心者研修期間も無しか」
何の説明も無しに実戦とはあんまりだろう。とんだブラックバイト。寝不足の頭で重要な契約など結ぶもんじゃない。
「でも、まあ」
ベッドから降りた。横たわるジャージ姿の自分は、呼吸こそすれ生気を感じさせない寝顔をしている。気味の悪い光景だ。
握った鍵が瞬時に金色の鍵型ステッキへと変わる。それを軽く振り下ろして窓の向こうを見据えた。
舞い上がる砂埃の中に、満月に照らされて何やら怪物が立っている。
デッド・オア・デッドを切り抜けられる唯一の方法に文句は言えない。溺れるものは藁をも掴む。少なくとも夢からはきちんと助かる分、ただの藁よりずっとマシだ。
そして世界はギブアンドテイクで廻っている。何もしない者には何も与えられない。逆に、与えられたのであれば、その分働かなくてはならない。
よし、納得した。他の誰もが何と言おうとも、私の中では筋が通った。だから。
「やってやろうじゃあないか」
私は開け放った窓枠を蹴って、空に躍り出た。
――これが、私の始まりだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。
音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。
だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。
そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。
そこには匿われていた美少年が棲んでいて……
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?
ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」
その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。
「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる