大人の隠れんぼ=妻編=

明智 颯茄

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妻の愛を勝ち取れ/22

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 ブラックアウトが一瞬起こると、景色がガラッと変わった。近くにあった空はいつもの高さにあり、天井が少しだけ広がる。かすかに香るヒノキの緑深い匂い。

 キョロキョロとする颯茄の、どこかずれているクルミ色の瞳には白いものが映り込んでいた。

「え? ここどこ?」
「本家の縁側です」

 月命の内手首にある腕時計は、

 十五時五十七分四十八秒。十六時七分まで、残り九分十二秒――。

 ベビーピンクの口紅をしている夫の口から出てきた場所が場所なだけに、

「えぇっ!? 父上の家っっ!?!?」

 颯茄のびっくりした声が屋敷中に響き渡った。この夫は何てことをしてくれたのだと、妻は思うのである。

「えぇ」

 月命は涼しい顔をして、どこから出してきたのか、湯飲みを両手で品良く持って、緑茶をすすった。この家の三女は婿養子に近づいて、小声で懸命に注意する。

「叱られますよ! 玄関からじゃなくて、いきなり中に入ったら……」

 筋の通っていないものを許さない家長である。突然、縁側になんか直接きたら、絶対に畳の上に正座である。その運命は免れない。

「そちらの時はそちらの時です~」

 言っても聞きやしない。いや、家長よりもはるかに長く生きている夫。正座など大したことではないどころか、逆に楽しいのである。ドMにとっては。

 颯茄はあきらめて、自分の隣にいつの間にか置いてあった湯飲みを取り上げた。夫婦そろって眺める景色は、灯篭とうろうや砂紋が広がる和テイストの庭だった。

「でも、久しぶりです。ここのコの字の縁側に座って中庭を見るのって……」

 両斜め前には、きちんと閉められた障子戸が並ぶ。兄弟たちのほとんどが学校で、静かな屋敷。同じスカートを履いて、足を崩して座る妻と夫。

 月命の凜とした澄んだ女性的な声が不意に響いた。

「結婚当初はこちらで暮らしていたそうですね?」

 もう九年近くも前のことだ。子供もいない時。蓮がいきなり目の前に現れて、小さい頃の記憶はそのあとから付け加えられたもの。順番も出会いもめちゃくちゃでバラバラなスタートだった。

 颯茄は湯飲みを両手でそっと包み込む。

「はい。でも、叱られました」
「なぜですか?」

 颯茄のファザコンっぷりが出てくる。

「蓮と結婚してるのに、私は父上、父上だったんです。だから、家から出て、二人で生きなさいって言われて、隣に家を建てたんです」

 ヴァイオレットの瞳は斜め右前にある障子戸のひとつをちらっと見た。

「親心だったんでしょうね」
「はい」

 父の言葉がなかったら、いつまでもたっても、蓮との距離は縮まらず、許嫁のままだったのかもしれない。今の結婚もなかったかもしれない。颯茄は素直に思うのだ。

 月命は基本、口数の少ない男だ。策を張る時は、相手の動きを制限するために、言葉が長く連ねるのであって、本来はあまり話はしない。二人でただお茶を飲んで時がゆったりと過ぎてゆく。

 カコーンと鹿威ししおどしが響いて、精神を清めてくれる。

 不思議な運命だと、颯茄は思う。この縁側を娘として眺めていた頃、この男と結婚するとは思っていなかった。女性を気絶させ、プロポーズまでさせ、それでも独身でいた。

 歴史教師として、カエルの被り物をして、小学校へ行って、どこか別世界の人だった。十五年前は、カエル先生と呼ばれ、今も生徒に慕われている男。

 白のチャイナドレスミニを着て、厳格な家長のいる縁側に堂々と座っている。筋の通った理由があるはずだ。そうでなければ、今ごろ雷が落ちている。

「そういえば、どうして、女装してるんですか?」

 綺麗なメイクをした、ニコニコの笑みがこっちへ向いた。

「こちらの服装で学校へ行くと、生徒たちが、『先生、どうして男の人なのに、女の人の服着てるの? おかしい』と言って、笑ってくれるんです」

 昔もそう。子供が喜ぶから、カエルの被り物をしていた。幸せを分けてもらったようで、颯茄は淡い青に変わり始めた空を見上げた。

「生徒の笑顔のためですか……」
「えぇ」

 だが、気になるのだ。女装する夫。十人いても、一人しかいない。いや、できない。颯茄は湯飲みを置いて、膝の上に乗せられている、月命の手を取り上げた。

「でも不思議ですよね。手とかはどうやっても男の人の線なのに、ドレスが似合ってる……。ティアラもミスマッチなはずなのに合ってる」

 おかしいのだ。よく見ると違うのに、なぜか狐にでもかされたみたいなのだ。

「でも、それが月さんなのかもしれないですね」

 だが、こうやって、この妻は夫のことを、軽く飛び越えて理解していってしまう。

 月命の手から湯飲みは床に座らされて、妻の手を握り返した。凛として澄んだ儚げで丸みのある男性の声で、愛がつづられる。

「愛しい僕のお嫁さん。愛していますよ――」
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