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妻の暴走2
ミラクル旋風の日常
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昼もだいぶすぎて西に傾き始めた陽光が、廊下の窓からキラキラと入り込んでいた。颯茄はのんびりとした足取りで廊下の絨毯を踏んでゆく。
「ん~、今日はいい天気だなあ」
壁になると日はなくなり、点滅するように彼女の視界を太陽は照らす。
「この間この辺通ったと思うけど、隠れんぼしてたからあまり景色を眺めてなかった」
ふと立ち止まって、窓枠に手をかけた。誰の足音も気配もしない長い廊下で、颯茄は一人黄昏る。
「やっぱり高台に立ってるだけあって、首都の街が一望できる。素晴らしい」
ミニチュアみいたいな街が広がっていた。空には他の宇宙へ行く飛行機が銀の線を引いてゆく。颯茄はじっとしていることができなくて、
「庭に出て――」
瞬間移動で外へ直接出ようとしたところで、背後からマダラ模様の声がかけられた。
「ねぇ。甘えていい?」
「あれ? 学校どうしたんですか?」
まだ子供たちは学校から戻ってきていないとなれば、高校教師は仕事中のはずだ。それなのに家にいる、焉貴。
「お前のために俺、非常勤になったんでしょ? だから、今日の授業は終わったの」
自分のために、好きな仕事を減らしたと言う、この純真無垢のR17夫は。妻の表情は曇り、ため息をついた。
「はぁ……何でみんな、仕事休んだりするんだろう?」
夫なのだから、好きなことを伸び伸びとやってほしいと願う。それなのに、仕事を休止したり変えたり、勤務時間を短くしたりで。
十一人もいるのだ、夫婦は。しかし、夫たちは何かと自分を中心にして動くのである。途方に暮れていると、焉貴のまだら模様の声が皇帝の威圧感を持った。
「いいから、お前こっち来て」
「え……?」
聞き返そうとすると、颯茄の視界はブラックアウトを起こし、一瞬の無音が広がった。
全て正常に戻ると、どこかずれているクルミ色の瞳の前には、首都の街並みが見下ろせる青々と茂った庭の芝生が映っていた。宵闇に美しい紫の月が地平線から顔をのぞかせる。
妻の肩にもたれかかりながら、数学の高校教師は瞳を閉じた。まるで子供が母親に安心して身を委ねるように。
最初の頃は、焉貴が気を利かせて、よく話しかけてくれていたものだった。しかし、ある日、彼は家ではほとんど話さないのだと知った。よく話すのは、仕事モードらしい。
今も何も言わなくなったが、妻はそれはそれでいいと思うのだ。らしくいてほしい。これが焉貴との時間の過ごし方の一つなのだから。
妻は風を感じたり、流れてゆく雲を見上げたり、飛行機を目で追ったりしていたが、風が肌寒くなってきた。
ずっと肩を貸していた焉貴に視線を落とすと、白いはだけたシャツが夕闇に染まっていた。山吹色のボブ髪は肩にもたれかかったままで、颯茄は破天荒夫の名を呼ぶ。
「焉貴さん?」
だが、返ってくるのは、気持ちよさそうなゆったりとした呼吸ばかりで。
「……zzz」
「寝てる……」
純真無垢であるがゆえの、子供みたいな振る舞い。それはいつものこと。吹いてきた風が焉貴の髪を舞い上げ、颯茄の頬をくすぐる。
「起こすわけにもいかないしなぁ~。しょうがない。しばらくここで、景気を眺めておこう」
神がかりな景観の街並みが暮れてゆくのが、どこかずれている瞳の中で移ろいゆく。
「綺麗な場所だから、連れてきてくれたのかもしれない」
優しさにふと触れて、少しだけ微笑んだ。こうして、颯茄は無意識の直感を使う策士――焉貴の罠にはまり、庭から動けなくなったのだった。
「ん~、今日はいい天気だなあ」
壁になると日はなくなり、点滅するように彼女の視界を太陽は照らす。
「この間この辺通ったと思うけど、隠れんぼしてたからあまり景色を眺めてなかった」
ふと立ち止まって、窓枠に手をかけた。誰の足音も気配もしない長い廊下で、颯茄は一人黄昏る。
「やっぱり高台に立ってるだけあって、首都の街が一望できる。素晴らしい」
ミニチュアみいたいな街が広がっていた。空には他の宇宙へ行く飛行機が銀の線を引いてゆく。颯茄はじっとしていることができなくて、
「庭に出て――」
瞬間移動で外へ直接出ようとしたところで、背後からマダラ模様の声がかけられた。
「ねぇ。甘えていい?」
「あれ? 学校どうしたんですか?」
まだ子供たちは学校から戻ってきていないとなれば、高校教師は仕事中のはずだ。それなのに家にいる、焉貴。
「お前のために俺、非常勤になったんでしょ? だから、今日の授業は終わったの」
自分のために、好きな仕事を減らしたと言う、この純真無垢のR17夫は。妻の表情は曇り、ため息をついた。
「はぁ……何でみんな、仕事休んだりするんだろう?」
夫なのだから、好きなことを伸び伸びとやってほしいと願う。それなのに、仕事を休止したり変えたり、勤務時間を短くしたりで。
十一人もいるのだ、夫婦は。しかし、夫たちは何かと自分を中心にして動くのである。途方に暮れていると、焉貴のまだら模様の声が皇帝の威圧感を持った。
「いいから、お前こっち来て」
「え……?」
聞き返そうとすると、颯茄の視界はブラックアウトを起こし、一瞬の無音が広がった。
全て正常に戻ると、どこかずれているクルミ色の瞳の前には、首都の街並みが見下ろせる青々と茂った庭の芝生が映っていた。宵闇に美しい紫の月が地平線から顔をのぞかせる。
妻の肩にもたれかかりながら、数学の高校教師は瞳を閉じた。まるで子供が母親に安心して身を委ねるように。
最初の頃は、焉貴が気を利かせて、よく話しかけてくれていたものだった。しかし、ある日、彼は家ではほとんど話さないのだと知った。よく話すのは、仕事モードらしい。
今も何も言わなくなったが、妻はそれはそれでいいと思うのだ。らしくいてほしい。これが焉貴との時間の過ごし方の一つなのだから。
妻は風を感じたり、流れてゆく雲を見上げたり、飛行機を目で追ったりしていたが、風が肌寒くなってきた。
ずっと肩を貸していた焉貴に視線を落とすと、白いはだけたシャツが夕闇に染まっていた。山吹色のボブ髪は肩にもたれかかったままで、颯茄は破天荒夫の名を呼ぶ。
「焉貴さん?」
だが、返ってくるのは、気持ちよさそうなゆったりとした呼吸ばかりで。
「……zzz」
「寝てる……」
純真無垢であるがゆえの、子供みたいな振る舞い。それはいつものこと。吹いてきた風が焉貴の髪を舞い上げ、颯茄の頬をくすぐる。
「起こすわけにもいかないしなぁ~。しょうがない。しばらくここで、景気を眺めておこう」
神がかりな景観の街並みが暮れてゆくのが、どこかずれている瞳の中で移ろいゆく。
「綺麗な場所だから、連れてきてくれたのかもしれない」
優しさにふと触れて、少しだけ微笑んだ。こうして、颯茄は無意識の直感を使う策士――焉貴の罠にはまり、庭から動けなくなったのだった。
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