微弱な癒しの力しかない異世界人が、呪われ辺境伯に溺愛されるまでの物語

水月音子

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13.隣国

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 顔のすぐそばにある水面が波打ち、頬を叩かれて唯奈は意識を戻した。
 ぼんやりとする頭で自分の体の状態を確かめる。うつ伏せではあるものの川岸の岩に引っ掛かって、水面から頭が離れたことで息ができ溺れ死ぬことは免れたらしい。
 途中流されていたときはどうだったのか分からないが、意識が戻ったということは何かのはずみで顔が水面を出たのか、あるいは魔物の攻撃を受けて意識を失ったことで仮死状態にでもなったのか。
 唯奈自身わかろうはずもないが、生きていることだけは確かだった。

(まさか、あれで生きていられるとは思わなかったけど……)

 それでも魔物から受けた攻撃のせいか、強い痺れが全身の感覚を鈍らせ異様に重たく感じる。背中に激しい痛みは無いし若干手足も動かせるので、神経が断絶していることはないようだ。
 きっと背中の怪我や火傷は治っているんだろう。なのに、体がこんなに重いのは血をたくさん失ったからだろうか。
 そんなことを考えていた唯奈の耳に、地面を踏みしめる足音のようなものが聞こえた。
 一瞬あの魔物が現れたのかと思ったが、それにしては軽すぎる音だった。
 では、きっとあれは人間の足音なのだろう。
 そう思ったとき、果たして自分はどちらの川岸に流れ着いたのかと、ようやく唯奈はそこに思い至った。意識がぼんやりしているせいか方向感覚がわからないのだ。
 だが、どちらにしてもきっと自分は断罪されるに違いない。
 せめてデルベイル側ではありませんようにと、思わずそう祈ってしまった唯奈の脳裏に、ふとテクラとのおしゃべりを思い出す。彼女の情報では隣国は悪逆非道な人たちだろうという話だった。
 すべての人がそうだとは思わないが、こんな国境に居るのはきっと兵士に違いない。つまり、ずっと昔に隣国に迷い込んだデルベイル人を捕らえ、拷問し、殺した者たちだということだ。
 結局はどちらに流れ着いても自分は拷問されるんじゃないかと、唯奈の胸の内に暗い感情が広がる。
 それでも再び意識を失う前にどちらに流れ着いたのか確認したくて、唯奈は重い頭をわずかに持ち上げて視線を向けた。
 低い視界のなか足だけしか見えなかったが、騎士が履くようなしっかりとした革のロングブーツが見えた。さらに上へ視線を向けるとブーツの履き口が視界に入り、その縁をどこかで見たことがある文様が飾っているのが見えた。
 その既視感は初めてではない。唯奈に癒しの力の使い方を教えていた神官が、豹変して頭を蹴り上げて来たときに履いていた靴にも同じような文様があった。その時は、リニ・ホーレンが持っていた杖に同じような文様が描かれていたことを、唯奈は思い出していた。
 思わず落胆の息を吐く。

(できれば拷問は無しでお願いしたいな……)

 そしてどうせ殺されるならひと思いに命を絶ってくれたらいいんだけど、と思いつつ唯奈はまた意識を失ったのだった。





 次に唯奈が意識を取り戻したとき、その目覚めはとても緩やかだった。
 朝、普通に目覚めるように覚醒し、自分が布団にくるまっているのだということに気づく。
 一瞬デルベイルで働かされていた救護院の、あの四人部屋に自分はいるのだろうかと思った。
 だが天井が違う。そもそも四人部屋なら自分は二段ベッドの下を使っていたから、上段のベッドの底が視界を覆うように目の前にないとおかしい。
 しかし今見えている天井は遠く、あの四人部屋にはなかったランプのようなものが吊るされている。
 両手に納まるくらいの大きさだ。木枠で四角形を作り、その木枠の間にはガラスがはめ込まれた箱状のようなランプだった。唯奈はガラスもまた珍しいと思ってしまう。デルベイルでは身近にガラスなど見たことがなかった。
 ただ、木枠の底にあたる部分には何もなく、上部に当たるところにはきちんとガラスがはめ込まれている。そして、木枠から伸びる細い鎖のようなもので天井に吊るされていた。

(あれはどうやって使うんだろう?)

 唯奈が知っているランプは、あの中に明かりを灯す電球があるが、いま目の前にあるランプは何もない。そもそも、この世界に電気はないから電球も存在していない。
 あの底部分にろうそくを立てた燭台をはめ込むようになっているのかとも考えてみたが、それにしては天井までが遠い。

「……もしかしてあれは拷問器具?」

 思わず口に出していた唯奈だが、もちろん本気で言ってはいない。
 目が覚めてみれば意識を失う前に予想していたような、最悪な状況ではなかったから少しだけ気持ちに余裕が持てただけだ。
 ところが呟いたのと同時に戸の鍵が音を立てるのを聞いて、にわかに緊張が走った。
 とっさに身を起こすと体がそれほど重たくはなく、そして着替えさせられていることにも気づく。
 デルベイルの救護院で夜着として配給された寸胴のワンピースと似てはいたが、あれよりはまだ多少上等で清潔感があった。
 自分の体を見下ろしてそんなことを考えていると、戸が開いて一人の少々小柄な男が姿を現した。無言で表情もなくこちらを見下ろしている。
 鍵がかけられていてノックもなく入って来たということは、ここはやはり軟禁部屋ではあるのだろう。牢屋には見えなかったが、唯奈は客人というわけではなくここに囚われているらしい。
 現れた男はなぜか部屋を見回し、天井を見て、そして唯奈にまた視線を止めてから口を開いた。

「目が覚めたか。言葉はわかるな?」
「……はい」

 黙っていても仕方がないので頷く。
 この世界に来てから唯奈は話し言葉なら理解できるが、そのために彼が何語を話しているのかはわからなかった。
 そもそもデルベイルと隣国では言語が同じなのか、似通っている程度のものなのか、まったく別物なのかも知らない。
 それでも自動翻訳なく彼の話す言葉を聞いて理解できていたら、言語が同じか似ていても、その発音や訛りなどでデルベイルと違う国かどうかわかるのに――と思ってしまった。
 ここはどこかと聞きたかったが、いきなり質問をするのは心証を悪くするかと思い黙っておく。
 だが、そんな唯奈の考えを見透かしたように、男が「ここはブローケシュだ」と言いながら、部屋の隅にあった椅子を自ら持って来て座った。そして脚を組むと膝のあたりに組んだ両手を置く。

「ブローケシュ……」
「一応な」

 この世界の国の名前といえばデルベイルしか知らない唯奈だが、川を渡った先にある隣国にきちんと辿り着いたようだ。
 少し距離を置いて椅子に座る男を唯奈はまじまじと見つめる。
 一六〇センチ後半と思われる身長ながらも、兵士か騎士だろう逞しい体躯をしている。明るめの茶色の髪と目と、薄い眉に切れ長の細い目が印象に残りそうだが、人混みですれ違ったならすぐに忘れそうなごくありふれた容姿に見える。
 服装も確かにデルベイルの兵士が着ているものとは多少違う。そう思ったところで意識を失う前に見たブーツを思い出し、男の足元を確認した。
 だが意識を失う前に見たブーツとは違い、文様は描かれていないように見えた。
 唯奈を発見したのはまた別の人物らしい。
 そんな唯奈の視線が気になったのか、男はしばし黙考したのち口を開いた。

「そういえば川縁に流れ着いた時、一時的に意識が戻っていたんだったな。お前を発見したのはおれの上司だ。運んだのはおれだが」

 十センチほどしか身長が違わない小柄な男に運ばれているところを想像した唯奈は、お礼を言うべきかお詫びをするべきか一瞬迷ってしまった。が、迷っているうちに男が先を続ける。

「ここは国境線の近くにある屯所だから、逃げようなんて考えないことだ」

 屯所、聞き慣れない言葉だが、学校の図書館で借りた本で読んだことがある。兵士が詰める建物のことだったはずだ。
 しかもデルベイルとの国境線の近くで、あの大きな川からさほど離れてはおらず、ブローケシュの国境の町からは離れている――と言いたいらしい。
 逃げる意思は今のところ唯奈には無いが、大人しく頷いておく。

「今から質問することに嘘偽りなく答えろ、いいな」

 もう一度唯奈が頷くと、男は脚を組み直して問うた。

「お前はあの大きな川の縁に倒れていたが、どうしてそのような状況になったか、話せ」

 唯奈は思わず口を引き結び視線を泳がせた。
 自分の罪を白状しろと言っているようなものだ。無理やりやらされたとはいえ、それはこちら側には関係のないことではある。
 言い淀む唯奈に男が重ねて命令する。

「お前がデルベイルから来たのは知っている。初めからすべて話せ」

(初めから……)

 “初め”とは、どこを指すのだろうか。
 国境の町を囲む壁の門を出たときか、救護院を連れ出されたときか、それとも救護院で働き始めたところからか、この世界に召喚されたところからか――。
 そこまで考えて唯奈は胸中で首を振った。
 救護院で癒しの力の使い方を教えてくれた神官に、自分がどこから来たか知っているかと尋ねたとき、たったそれだけのことで酷い目に遭ったことを思い出した。
 それ以前にも、施設長に直談判した際には魔力の風で吹き飛ばされ、『二度とその話をするな』と恫喝された。
 それに異世界から召喚されたと言っても到底信じてはもらえないだろう。施設長が言うように「頭がおかしくなった」と思われるのが落ちだ。
 とはいえ、このまま黙っているわけにもいかない。唯奈は恐る恐る重い口を開いた。

「わたしは、国境の町にある救護院というところで働いていました……魔物が町を襲いはじめて少しして、神殿の神官に呼ばれ、兵士に壁の門前まで連れて行かれました……そこで箱に入った石を渡され、それを持って川を渡れと――」

 途中、言葉を切って口をつぐんでしまったのは、唯奈を見る男の視線が鋭くなったように感じたからだ。
 だが、それも一瞬だったので気力を振り絞って続ける。

「――川を渡れと言われ門から外へ出されて、門を閉められたので……箱から意思を取り出し川へ走りました……川の途中で魔物に追いつかれ、川底の石に足が滑って倒れて――そこからの記憶はありません」

 なるべく淡々と事実だけを述べ、感情を省き、そして直接的な言葉も省いて言いにくいことは隠した。
 それを隠したのは、地下室に連れて行かれた日と同じ目に遭いたくなかったからだ。
 男は唯奈が言い終わっても口を開かず、ただじっと唯奈を見つめていた。唯奈がすべてを話していないとしっているぞと、そう言っているような目だった。
 唯奈は緊張に冷や汗が流れるのを感じ、心臓の鼓動が徐々に早くなっていくごとに呼吸も乱れていった。
 これでは嘘をついていると言っているようなものだが、もう一度きちんと話すべきなのか、このまま黙っておくべきなのか焦りに判断もできなくなっていた。
 長い沈黙に感じたが、実際は一分も経っていないのかも知れない。唐突に男が「わかった」と言って立ちあがった。
 ひとまず緊張感から解き放たれ、ホッと息を吐いた唯奈だったが。

「明日、また話を聞きに来る。もう一度言っておくが、逃げようなんて考えるなよ」

 低い声で告げられた男の言葉に、唯奈が顔を上げる。だがそれよりも早く男は立ちあがり、足早に部屋から出て行った。ドアの閉まる音と鍵のかかる音が響き、唯奈は何からも解放されていないことを突きつけられた気がした。
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