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化け物バックパッカー、授業を体験する。【後編】
しおりを挟む校舎の中の小さな光は、階段を通り、2階の廊下の窓を照らす。
光は廊下を突き進み、職員室の隣の部屋で止まった。
光を上に懐中電灯をテーブルの上に置き、テーブルを挟む2台のソファーのうちの片方にチョークの男は腰掛けた。
「どうぞ、おかげください」
応接間でチョークの男に促された坂春とタビアゲハは、チョークの男の反対側のソファーに座った。
「私は……変異体のための学校を作りたいと思っています」
チョークの教師は両手を合わせ、ふたりに真剣な目線を向けた。
「まさか、廃校になったこの小学校で?」
坂春の考察に、チョークの教師は穏やかな目つきに戻して首を振る。
「最初はそうしようと考えていました。まさか廃校になっていたとは思っていませんでしたから」
「ソレジャア、ドコデ授業ヲスルノ?」
「この街に、“変異体の巣”と呼ばれる、変異体の集落があると聞きました。後日そこに引っ越して、学校を開くつもりです」
「それじゃあ、ここで懐中電灯をもって歩いていたのは、思い出に浸るためか」
「この姿になった直後に逃げ込んでからの付き合いですけどね」
チョークの教師は自分の言葉にも関わらず、恥ずかしく台本を読むように下を向いた。
「そういえば、お孫さんは……だいたい何歳なのですか?」
「……」
チョークの教師の質問に、タビアゲハは首をひねった。
「……タビアゲハ、自分の年は覚えているか?」
「ウウン……私、人間ダッタコロノ記憶ガナクッテ……」
話を理解した教師は、「そういうことですか」とうなずいた。
「それでは、おふたりは普段何をなさっているのですか?」
タビアゲハは唇を緩める。
「……旅、シテイルノ」
「旅……そうだったのですか。珍しいものですね。人に恐れられる変異体は、警察に見つかると捕獲か駆除されるこの世界で、祖父と孫のふたり旅……素晴らしいです」
「ン……? チョットマッテ……」
突然、タビアゲハは戸惑ったように坂春に顔を向ける。
坂春は言葉を探すように天井を見上げた。
「……えっと、実は……俺たちは血のつながりはない。ただ一緒に旅をしているだけだ」
「え」
「私ガ強引ニ……押シカケチャッタンダケドネ……」
苦笑いをしながら、タビアゲハは指で頬をなでた。
一息ついたところで、チョークの教師は本題に入った。
「あの、お孫……じゃなかった、タビアゲハさん……もし良ければ、僕の授業を受けてみませんか?」
「授業ッテイウト……」「変異体の巣でか?」
ふたりの解釈に、チョークの教師は「いえ、この学校で」と笑みを浮かべた。
「僕はまだ……変異体になって日がたっておりません。だから、変異体のことを理解できていないのかもしれません。なので、1時間でいいので練習をさせていただきたいのです」
坂春がタビアゲハの顔を見ると、タビアゲハは「ウーン」と考え込むように拳を口に当てた。
「具体的ニハ、ドンナ授業ヲスルノ?」
タビアゲハがたずねると、チョークの教師はいきなり人差し指を立て、白い歯を見せた。
その笑顔は、もはや緊張で固まった様子は見当たらなかった。
「私の得意分野である理科の実験……それも、カエルの解剖です!」
「ワア! 面白ソウ!!」
突然意気投合したタビアゲハと教師のそばで、坂春は瞬きを繰り返した。
「ネエ坂春サン、授業ヲ受ケテモイイヨネ?」
「あ……ああ、別にかまわないが……」
坂春は戸惑いつつも了承すると、教師はさっそく懐中電灯を手にした。
「さあ、理科室で授業を始めますよ!」
「ウンッ!」
応接間の扉を懐中電灯で照らしながら歩み始める教師とタビアゲハ。
「……今の時代、カエルの解剖って小学校でやるものなのか?」
小言でつぶやきながら坂春は席を立ち、ふたりの後を追った。
小さな光は再び移動し、複数の教室の前を横切り、理科室に入っていった。
試験管やフラスコ、骸骨の模型に人体模型が見守る中、
3人は蛇口と流し台の付いた机を囲んだ。
机の上には、用紙と鉛筆、そしてティッシュでくるんだ何かがあった。
白衣に着替えたチョークの教師がそっとティッシュを脱がすと、中からはピクリとも動かないカエルが天井を見ていた。
「コノカエル……死ンデル?」
「ええ、急に動き出したりはしないので、安心して観察してください」
タビアゲハはカエルの姿をさまざまな方向から観察を始めた。
時に身を乗り出し、時にテーブルと垂直な位置に目線を合わせたりする。
「タビアゲハ、用紙に記入するのを忘れずにな」
後ろから見守る坂春の言葉に、タビアゲハは「ウン、ワカッテル」と答え、机の上に置かれていた鉛筆を手に取る。
続いて、これもまた机の上に置かれていた用紙。
用紙のスペースに、握った鉛筆でスラスラとカエルの模写を行う。
「コンナ感ジデイイ?」
タビアゲハはチョークの教師に模写の内容を見せる。
「ええ、十分ですよ。それでは、今からカエルの解剖を行います」
チョークの教師は白衣のポケットからメスを取り出し、カエルの腹を引き裂いた。
「ワア……スゴイ……!!」
カエルの腹の中身を見て、タビアゲハは眼らしきものを輝かせた。
前のめりになって観察するだけでなく、
つい顔を隠すフードを下ろしてしまうほどに。
「……!! ぎゃああああああ!!」
突然、チョークの教師は悲鳴を上げた。
その勢いで教師は後ろに下がり……
後ろの壁に思いっきり後頭部を強打してしまった。
「……い、いきなりどうしたんだ?」
坂春は戸惑いながらも教師に近づき、意識があるかどうか確かめる。
しゃがんで肩を軽くたたいても、反応はなし。しかし、息は止まっていない。
「ダ……ダイジョウブナノ?」
「ああ、意識を失っているだけだ……ん?」
何かの違和感を感じた坂春は、ある考察が思い浮かんだように首をひねり、ポケットからハンカチを取り出しながら立ち上がった。
「ちょっと水でぬらせてもらうぞ」
近くの水道でハンカチをぬらし、その水滴で教師のチョークのような右腕をこすってみる。
ハンカチに、白いペンキが付着した。
こすった部分には、人間の肌がのぞいていた。
「……やはりな。肌ざわりがペンキのようだったからな」
坂春は納得したようにうなずくと、タビアゲハに教師の右腕を見せた。
フードを下ろしているタビアゲハは、影のように黒い顔で、本来ならば眼球に収まっている部分から生えている青い触覚を出し入れしていた。
教師が目を覚ましたのは、保健室のベッドの上だった。
「頭は痛むか?」
他に保健室にいたのは、ベッドの横の椅子に座っていた坂春だけだ。
「え……ええ、まだ少し……」
「そうか。まあ、これに懲りたら変異体の巣の件をもう少し考えることだな」
坂春の言葉に、教師は目を見開いた。
「まさか、私が変異体ではないことに……」
「ああ、ペンキで変異体に化けていたこともな」
教師は自分の右腕を見て、事態を把握した。
「……やはり、無理がありましたか。人間の肉眼で変異体の体を見ると、恐怖の感情を呼び起こす……姿を偽っても、本質を変えることはできないんですね……」
坂春は黙ったままうなずき、教師が何も言わなくなったタイミングでこちらから話しかけた。
「なぜ人間であるのに変異体の巣で教師をしようと思ったんだ?」
「個人的なことなので詳しくは言いたくないのですが……私はもっと変異体の理解を深めたかったのです。そのためには、授業を通じて変異体と親しくなることが一番だと思っていたのですが……無理がありましたね」
「……変異体の中には、人間を嫌う者もいるからな」
「……」
「……」
しばらく、両者は無言を暗闇に溶かした。
「ひとつだけ聞いてもいいか? おまえは、まだ変異体に授業を教える気はあるのか?」
「……はいっ」
教師は力強く答えた。
「今回のことで私の考えが甘いことは証明されました……ですが、ここで諦めたくありません。私が理解を深めるためにできることを、もう一度考え直します」
坂春はまぶたを閉じてその言葉を聞き、まぶたが開くとバックパックからスマホを取り出した。
「自分ひとりで考える必要はないと思うぞ。おまえのような考えを持つ人間は、他にもいるんだからな」
「……ほ、本当ですか?」
「俺の知り合いに、変異体相手に商売をしている男がいる。俺はそいつにメールを送れるが……おまえしだいになるな」
教師は、まっすぐ手を伸ばした。
「……はいっ!」
保健室の様子を、窓からこっそりのぞいていた影はつぶやいた。
「ナンダカ坂春サン、本物ノ先生ミタイ」
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