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商人の我輩、変異体の学校を訪れる。
しおりを挟む遠くの山に、緑色に囲まれたピンクを見つけた。
あそこでは、もう桜が咲いているのだろう。
桜と聞くと、我輩は真っ先に花見が頭に浮かぶ。
ひとり静かに桜を見る時期も、そろそろ来たのだろう。もっとも、まだ我輩はそんな気分ではない。なんとなく、もう少し後の時期にしたいと考えているだけである。
そしてもうひとつ、桜と思い浮かべると、なぜか学校を思い浮かべる。
我輩が生まれ育った地域は、卒業式や入学式が行われる時にはいつも桜が咲いていた。思い浮かべるという理由はある。
それならば、桜の咲かない季節に入学式や卒業式をするようになれば、桜を見ても学校を思い浮かべないのだろうか。もしかしたら、桜の代わりに紅葉を見て学校を思い浮かべる人もいるのかもしれない。
……そんなことを思いながらベンチから立ち上がり、数分間の休憩を終わらせる。
ベンチに乗せていたビジネスバッグを手に取り、バス停前の公園から立ち去る。
今から向かう場所は、買い出しの場所でもあり、休暇の場所でもある。
歩道を歩き、山と山をつなぐ橋を渡る。
道中に、目立たない位置に下りの階段がある。
その階段を下り、生い茂る草で隠れた道の上を行く。
やがて、白い壁に1枚の扉が見えてきた。
扉の前には人ひとりもいない。
黒いパーカーのポケットからスマホを取りだし、チャットのアプリからここの管理人に、我輩が到着したことを伝える。
スマホを仕舞うと、すぐにビジネスバッグからゴーグルを取りだし、目元に装着する。
カチッ、と鍵の空く音が聞こえてきた。
扉を開けると、首のない“変異体”の男が立っていた。
「“信士”サン、オ待チシテイマシタ。商売ノ方ハイカガデスカ?」
胸の口から奇妙な声を出すこの変異体は、“変異体の巣”と呼ばれる集落の管理人……村で例えれば、村長の役割を持つ。
「ボチボチというやつである。ところで、彼女はいつもの所にいるか?」
彼女とは、我輩が買い出しによく訪れる店の主人である。
「エエ。イツモ通リノ場所ニイマスヨ」
変異体の男は胸の口で笑顔を作ると、暗闇に手を向けた。
我輩は何も言わず、片手を軽く上げながら奥に向かった。
変異体とは、化け物のように体が変異した元人間のことを指す。
変異した部位を普通の人間が見ると恐怖がわき上がってしまう性質があるため、変異体は人目の付かない場所で暮らしている。その変異体が多く集まった集落が、変異体の巣である。
変異体の巣は各地に見られるが、ここの変異体の巣はある特徴がある。
それは、変異体とよい関係を持とうとする人間を受け入れていることだ。
ここの変異体の巣は、もともと封鎖されたトンネルに変異体が住み着いたものである。
オレンジ色の明かりに照らす通路には、さまざまな姿をした変異体が居座っている。住居としての機能がまだ整っていないことが、この変異体の巣の課題のひとつだ。
座敷をしいて、その上にスポンジを並べている変異体の前に来る。
「アラ、信士クン。マタウチノ旦那ノスポンジヲ買イニ来タノ?」
木箱から手足を生やした変異体が、我輩の姿を見て手招きした。もっとも、見たところ目はないように見えるが。
「ああ。彼はどうしているのだ?」
「地下ノ部屋デ、相変ワラズ商品ノ研究ヲシテイルワ。ウチノ商品ナンテ、スポンジ以外ナイケドネ」
気前のいい女性のように笑う変異体の前に、我輩はビジネスバッグを置く。
木箱の変異体がビニール袋にスポンジを入れている間、我輩はその後ろに置かれているぬいぐるみが気になっていた。
「……ナニカ気ニナルモノデモアッタノ?」
「ああ、そこのウサギ……いや、猫のようなものがな」
そのぬいぐるみは、耳と目がウサギになっている猫だった。パッと見てみるとウサギに見えるのは、やはり耳で判断しているからだろうか。
「ア、コレネ……コノ前ノ地域運動会ノ景品デモラッタノ。ナンデモ、腕ガ6本生エテイル変異体ガ作ッタラシイワ」
「そうか。その6本腕の変異体について詳しく知っているか?」
「サア……当日来テイタッテ聞イタコトハアルケド、直接ハ合ワナカッタカラネ……信士クン、モシカシテ興味ガアルノ?」
「少しだけである」
興味があるのは個人的な意味でもあるし、商売的な意味でもある。
ビニール袋にスポンジを詰め終えると、それを木箱の変異体は我輩のビジネスバッグに入れてくれた。
「マタ売リ尽クシタライツデモ買イニ来テネ」
「ああ、また来る……いや、ひとつ聞きたいことがある」
危うく、聞きたいことを聞き逃すところだった。
「ここに来た教師の男の居場所はわかるか?」
「アア、アノ人ネ。ココノ隣ノ扉ニ入ルトワカルワヨ」
木箱の変異体が指を指したのは、本来ならば避難用に使われる非常口だった。
非常口を開けると、避難経路の通路に出てくる。
その正面に、看板をぶら下げた扉があった。
“化け物学校”
そう書かれた看板に、我輩はノックをする。
「あ、どうぞー」
中から声が聞こえてきたのを確認して、その扉を開いた。
そこは、段ボールの壁に囲まれた教室だった。
狭い空間に机と椅子が6セット、そして、奥には黒板代わりのホワイトボードが設置されている。
そのホワイトボードの隣に立っている人間の男が、我輩の姿に気がついた。
「すまなかった。食事の邪魔をしてしまったな」
我輩の座っている席の机には、紙コップとストレートティーの入った500mlのペットボトルが置かれていた。
「いえ、こちらこそすみませんでした。忙しい中、わざわざよってもらったんですから」
紙コップとふたの空いた弁当箱を乗せた机を動かしながら、男性はぺこぺこと誤っていた。
我輩はただ商品の買い出しのついでで来ただけであるが……
男性はふたつの紙コップにストレートティーを注ぐと、自分の分のストレートティーを口につけた。
「このたびは本当にありがとうございました。あなたがいなかったら、私の夢はかなえることができませんでしたよ」
「……我輩がいなくても、代わりはいる。それに我輩は貴様の依頼を受けて、必要な物資とそれを運ぶ人材を確保しただけだ。必要不可欠なのは、実行する本人だと思うのだが」
思った言葉を出す口に、我輩もストレートティーを入れ込む。
この男性の夢とは、変異体に授業を教えることだと言っていた。
なんでも、過去に変異体と関わった生徒との出会いがきっかけだという。
……ふと、前から聞こうと思ってその度忘れてしまって聞けなかった話題を思い出した。忘れないうちに聞いておくか。
「そういえば、我輩に相談する前から変異体の巣で授業を行おうと計画していたみたいだが、どんな計画だったんだ?」
それを聞いた教師の男性は、紙コップを持ちながら背を伸びした。なぜか顔が赤くなっている。
「……言わなきゃ……ダメ……ですか?」
「いや、ちょっと気になっただけである。不都合なら言わなくていい」
我輩が手を横に振ると、教師は安心したように胸をなで下ろした。
ストレートティを飲み干すころ、教師は壁の段ボールを眺めていた。
「2週間後、ここで入学式を行うんですよ」
「生徒はもう来ることになるのか?」
「ええ。信士さんが売ってくれたゴーグルのおかげで、変異体を見ても半日なら恐怖の感情が抑えられるようになりましたからね。授業机よりも高価なのは痛かったですけど」
「このゴーグルは特殊な素材を使っているから値段は跳ね上がる。あの値段から引き下げることはできない」
教師は「わかってますよ」と笑いながら、不思議そうにホワイドボードに目を向ける。
「それにしても、なんだか不思議な気分なんですよ。もうすぐ入学式なのに、外の山を見てみると桜の木がなっている」
我輩の脳内に、公園でみたピンク色の山が思い浮かんだ。
「……貴様が入学式を経験した時、木はなにを降らしていた?」
「真っ赤な紅葉でした。高校3年の時、蒸し暑さが鳴りを潜め、涼しい風とともに紅葉が降ってくると、卒業式が近いことを感じられましたよ……あ、入学式の話でしたね」
「まあ、どっちでもいい。我輩が暮らしていた故郷では入学式や卒業式の時には決まって桜が降っていた。紅葉を見て感じるのは、2学期だという実感だったな」
「そうだったんですか。しかし、桜の降っている時期に入学式か……」
「紅葉の降っている時期に卒業式……」
我輩は教師とともに天井を見上げ、想像してみた。
しばらくしてから顔を教師に合わせ、顔を横に振る。
教師も同じ反応をしていた。
変異体の巣から立ち去った後、そのまま桜を見に行くことにした。
公園前のバス停からバスに乗り、桜の木がある場所まで移動する。
バスを下りたアスファルトには、既に桜の花びらが落ちていた。
ピンク色の桜の道は、入学式で通る道だ。
そう思うのは我輩の場合であり、人によっては紅葉の道だと答える者がいる。
経験していない相手の経験を思い浮かべても、その心境を完全に再現することはできなかった。
自身が体験して初めて、感じることができるのだ。
“――でも結局、やってみないとわからないですよね。変異体に初めて教える人間の教師だって、人間の授業を受ける変異体だって。信士さんと入学式の話をして、改めて思いました”
首を横に振った後の、教師が言っていた言葉が頭にまた浮かんだ。
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