化け物バックパッカー

オロボ46

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変異体ハンター、ジグソーパズルをあきらめる。

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 着信音が鳴り響く、ココアカラーの車の中、

 駐車中の車の運転席に座っている女性は、膝に置いてあるハンドバッグからスマホを取り出した。

「はいもしもしぃ……ああ、大森おおもりさん? おじいさんの様子はどうでしたかあ?」
 その女性はロングヘアーに、薄着のヘソ出しルック、ショートパンツにレースアップ・シューズと、座っていてもわかる素晴らしいスタイルに似合う服装をしていた。
「……なるほどお、それじゃあ今日は病院で泊まるんだねえ」
 話し方はどこかだるそうで、目も少し死んでいるようだ。といっても、電話の相手が彼女を怒らせたりあきれさせているというわけでもなさそうで、普段からこんな感じと言ったほうがしっくりくる。
「別に大丈夫だよお。もともと大森さんが病院で入院しているおじいさんの様子が見たいって言ったときから、こうなるだろうなって思ってたからあ」

 女性は電話で話しながら、ちらちらとハンドバッグの中身に目線を向けていた。ハンドバッグの中から、箱のようなものがちらちらと見えていた。



「うん、わかった。おやすみい」

 スマホの電源を切り、その場で大きく伸びをする。
 その口元が緩んでいることから、この後の予定に困っている様子はなさそうだ。
「さて、そろそろ夕飯を買いにいかなくちゃあ……」
 膝に置いていたハンドバッグを片手に、女性は扉を開き、車内から立ち去った。

 車の鍵が閉まる音は、忘れずに鳴った。





 しかし、次にココアカラーの車に乗り込んだのは、女性ではなかった。

 前方のガラスの上に、球体のようなものが乗っかった。

 球体はガラスに体を押しつけると、

 まるで雨漏りのように、ガラスの外側から内側へと複数のしずくとして侵入する。

 ガラスをすり抜けるためにバラバラになった雫たちは、

 車内に集まり、またひとつの塊に戻った。

 まるでスライムのようなその球体は、車の鍵が外れる音に飛び上がり、助手席の足元に身を隠した。



「ただいまあ……といっても、ひとりかあ」

 女性は何者かが侵入したとは気づかず、まるで車の中が我が家のように独り言をつぶやいた。
「とりあえず、早く夜食夜食……」
 ハンドバッグから取り出したのは、コンビニでよく見かけるカップに入ったレタスとパスタのサラダ。
 ふたを開け、付属のごまドレッシングをかけると、プラスチックのフォークでレタスごとパスタを口に入れる。
 女性の表情は一見無表情だが、時々、一瞬だけ唇が満足そうに上がっていた。

「……ネエ、野菜バッカリ食ベテイルケド、米ハ食ベナイノ?」
「ちょっとした小腹みたしだから、これだけで十分なんだよお。それに、淡水貨物はパスタがあるか――」



 女性はフォークを動かす手を止め、隣の助手席を見た。

 助手席の足元から、スライムのような球体がのぞき見るように姿を現していた。



「……!!」

 スライムのような球体は慌てて助手席の足元に隠れてしまった。

 もちろん、女性はそれを見逃さなかった。ゆっくりと顔を助手席の足元まで持ってくる。

「誰モイナイヨ、誰モイナイヨ、誰モイナイヨ、誰モ――」

「いや、いるじゃないですかあ」

 頭を抱えるように小さくなり、震えながらつぶやく球体に対し、女性は口調を崩さずにツッコミを入れた。
「……オ姉チャン、怖クナイノ?」
 球体は顔を上げるように、恐る恐る体を元の大きさに戻す。
「確かに、“変異体”の姿を見ると恐怖に襲われますが、誰もがそうとは限らないんだよお」
  女性は元の姿勢に戻しながら、再びフォークをレタスに突き刺す。
「といっても、怖がらないからといって通報するときもあるから、逃げるなら今のうちだけどねえ」
 変異体と呼ばれる存在らしきスライムの球体は安心したのか、ほっと一息つくように体を伸び縮みさせた。
「ネエ、イロイロオ話シテヨ。セッカクココニ来タンダカラ」
「……あたしの話、聞いてたあ?」
 パスタを吸い込みながらにらみつける女性に対して、スライムの変異体はとぼけるように体を揺らしていた。
「ソウ言ッテモ、自分、帰リ道ワカラナインダモン。ネエ、オ姉チャンハ変異体ダカラトイッテ、無邪気ナ子供ヲ危険ナ夜道ニ放リダシテイイノ?」
「……朝になるまでには、出て行ってよお」



 女性はため息をつきつつも、助手席のスライムの変異体を放置したまま、レタスとパスタのサラダを完食した。



「ふう……ごちそうさまあ」
 空になったプラスチックのカップを用意したごみ袋に入れる女性の姿を見て、スライムの変異体は首をかしげるように体をねじらせた。
「本当ニ小食ダネ。普通、小腹満タシダッタラサ、唐揚ゲトカ食ベナイノ?」
「あたしは肉は食べられないんですよお。卵はギリギリセーフだけどお」
 女性は球体の変異体と、バッグに入っている箱を、交互に目線を動かし始めた。
「ドウシテイルノ?」
「なんでもない……って言いたいけど、どうぜ聞くんですよねえ?」
「ウン、モチロン」

 しばらくバッグの中の箱をじっと見つめると、肩を下ろしながらその箱を取り出した。



 その箱には、コインロッカーの写真が写っていた。

 続けて取り出したのは、アンケート用紙に使うボードだ。

 女性はボードについていたヒモを首にかけると、ボードを水平にして、その上に箱の中身を取り出した。

 それは、ジグソーパズルのピースだった。

 普通のジグソーパズルよりも少ないピースの数は、アンケート用紙に使うボードをテーブル代わりに使う際にちょうどよかった。



「ソレ、ジグソーパズル?」
「見ればわかるよねえ」
 女性はスライムの変異体をあしらいつつ、パズルを組み始めた。
「フーン、イツモ車ノ中デヤッテルノ?」
「いえ、人生初めてのジグソーパズルだよお」

 ピースをはめる音が、連続して車の中で響く。
 その音が止むのは、たまに2~3秒ぐらい。このペースなら、手応えを感じる前に完成してしまうだろう。


「ドウシテヤロウト思ッタノ?」
「どうしてだろうねえ。同僚に趣味はあるのかって聞かれて、それに答えられなかったってだけで、好きでもないジグソーパズルをやっているんだろお」

 スライムの変異体が横から話しかけても、そのスピードは落ちない。

「同僚ニ負ケタクナイカラ?」
「それも考えたけどお、なんかしっくり来ないんだよねえ。だって、同僚よりもあたしの方が優れているからさあ」
「フーン、複雑ナ気持チッテヤツダ」
 その言葉に対しては引っかかるものがあったのか、一瞬だけ手を止めてスライムの変異体の方向を見る。
 いきなりこちらを見て驚いたのか、スライムの変異体は慌ててイスの下に隠れてしまった。女性は特に気にすることもなく、作業を続けた。



 パズルが半分完成するころ、体を隠し続けていたスライムの変異体がひょっこりと顔を出した。

「ネエ、オ姉チャンノオ仕事、楽シイ?」

「楽しい、ってはっきりとは言えないねえ。この仕事をしている目的も、なかなか達成できていないし」

 
 スライムの変異体は、下の椅子に手のようなものを伸ばした。

「ソレジャアサ、オ姉チャンガ“変異体ハンター”ニナッタ理由ッテ、ナニ?」

 そこから取り出したのは、A4サイズのフォルダーだ。

 スライムの変異体がフォルダーを開き、中身を女性に見せる。



 そこには、スマートスピーカーのような生き物の死体が、プールサイドに放置されている写真が載っている。

 その写真の下には、“駆除”と書かれた赤いスタンプが押されていた。



「……さっさと逃げないのお? あたしは依頼を受けて変異体を駆除する、変異体ハンターなんだけどお」

「デモ、駆除シナインデショ? 人ヲ襲ウ変異体ジャナカッタラ」

 どうやらファイルの中身を全部見たと思われるスライムの変異体に対して、女性はジグソーパズルのピースを落とした。

「ネエ、答エテヨ。ドウシテ変異体ハンターニナッタノ?」

「……とっくの昔に忘れたよお。あの頃のあたしは、ふわふわした夢物語にあこがれていたような気がするけどねえ」

「ソレ、忘レタンジャナクテ、言イタクナイダケジャナイ?」

 女性は「そうかもねえ」と、前の窓ガラスに目線を向ける。



 そこに、大人の女性のシルエットが映っていた。

 スライムの変異体がそれを見つけると、窓ガラスをすり抜けてそのシルエットに向かっていった。

 別れの挨拶も忘れて。





「……これでようやく、こっちに集中できるねえ」

 ひとりごとをつぶやきながら、女性はジグソーパズルの続きを始めた。



 ところが、1ピース埋めたところで、彼女の動きが止まってしまった。

 次のピースを手に持ったまま、女性は集中力が散漫したように車内を見渡している。

 やがて、女性はため息をついて、持っている1ピースを箱に戻してしまった。

「……やっぱやめた」

 残りのピースも箱に戻し、女性は運転席で眠りについてしまった。



 足元に1ピースが落ちていることに、気が付かないまま。
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