上 下
56 / 57
第二章 封じられた鬼神

不穏な痕跡

しおりを挟む
翌日である。

あの後ヒルダとお風呂に入ったり、またしても一緒に寝ようとするヒルダを何とかなだめたりと色々あったけど・・・まあそれはとりあえず置いておいて。

「体調良し、音響頭角ヘッド・ホーンの魔力残量良し、装備良し。色々準備を手伝ってくれてありがとうね、ヒルダ。」
「いえ、私は大したことはしていません。装備の整備はフレアに任せていたので、礼ならば彼女に。」
「あ、そうなんだ。わかった、出る前に挨拶していくよ。」

ヒルダの家の前で簡単なやりとりを交わす。
今日の僕はフル装備だ。
もっとも、里に来た時と比べるとバックパックの中身が大分寂しくなってるけど。
というのも、サンプルで持ってきていた汎用戦闘強化薬をあらかたヒルダに渡しているのだ。
自分用の薬はちゃんと残してあるし、戦闘になったら深層励起ディープトリップの方が都合が良いことも多い。

総合的に考えて、身軽な方が良いと判断したわけである。

「渡した薬は好きに使ってくれて良いよ。里の人達の食べてるものとか確認した感じ、重大な副作用とかは起きないと思う。鬼人種の強靭な体なら滅多なことはないだろうしね。・・・でも少し意外だったかも。鬼人種みたいに武人気質な人達には、薬による強化とかは受け入れにくいものかなぁって思ってたからさ。」

ヒルダに薬を渡した時のことを思い出す。
多少なり複雑な表情をされるかと思っていたけれど、彼女はむしろ興味津々といった表情で僕が渡した薬の入った袋を受け取った。

更に驚いたのは、ヒルダ意外の鬼人・・・それこそヴァンクのような戦士までもがそれを受け入れたことだ。

「あんまり鬼人の価値観に詳しい訳じゃないけど、それでも昔会った人達はみんな自らの体と武器が至上って感じだったからさ。」
「私達に言わせれば、それは傲慢であり怠慢です。我々は強さを尊びますが、それは詰まるところ強さが必要だからに他なりません。」
「強さが必要・・・あー、例の『封印』関係か。」
「お察しの通りです。」

伝説級の鬼神を相手にするかもしれないと思えば、手段なんて選んでいられないだろう。
とはいえ、本当に戦うことになるかも分からないのに備え続けているのは純粋に凄いことだと思う。
平和はっていうのは人を緩ませるものだ。僕個人としてはそれが悪い事だとは思わないけれど、往々にして『平和ボケ』と言われるそれは災害や戦の時に多くの人を殺す。

「そういうことなら、僕の薬は役に立つと思うよ。あれは、圧倒的強者に抗うために作ったものだし。・・・まぁ、個人用に調整している訳じゃないから現時点ではそこまで劇的な強化とはならないと思うけど。」

さて、ヒルダとの会話は楽しいけれど、いつまでも立ち話を続ける訳にもいかない。
僕はバックパックを背負い直して位置を直す。

「とりあえず、細かい調整はまた里に戻ってきてからってことで。」
「ええ、よろしくお願いします。とはいえ、そう急がなくても大丈夫ですよ。ゆっくりと目的を果たしてきてください。」
「うん、そうさせてもらうよ。じゃあ行ってくるね。」

軽く手を挙げてヒルダに挨拶をして、僕はその場を離れる。

さて、里を出る前にフレアさんに挨拶をしていこう。服とか諸々を修理してくれたらしいし。

そう思って例の作業小屋に向かったわけだけど・・・

あれ、気配を感じないな。音がしない。 
作業する場所なわけだし、誰かいれば音なり振動なりして然るべきだ。
ということは、家とかにいるのかな?ここに住んでるって訳じゃないのかも。
うーん、さすがに家は知らないし、探すのもなぁ。いや、本気で痕跡を追えば探せるけども。
それを無駄にここでやったらほぼ犯罪者だろう。仕方ない、挨拶はまた後日にしよう。

その場を離れ、そのまま僕は里に背を向ける。

再度の山登りを考えると、ほんの少しだけ憂鬱になるけれど・・・最初に里を探していた時に比べれば随分と気が楽だ。
なんなら、ヒルダが居ることを考えれば楽しみですらある。

何事も、モチベーションは大事だ。
 
やる気を奮い立たせることを色々と思い浮かべながら、僕は山を降り始めた。





山を降り初めてから数十分後。
幸いにして動物や魔獣に襲われることも無く、僕はのんびりと歩いていた。

もちろん周囲を警戒しながら進んでいるっていうのもあるけれど、根本的に生物が少ない。
恐らく、これも封印されている鬼神の影響だろう。
ある程度のラインを越えた時に、上にいない分数が多くなるか・・・あるいは、この山は割に合わないと判断されていて、街に至るまで全く出会わないか。
そのどちらかだろう。

まぁ魔獣も、山の獣も賢いし後者の方が可能性は高そうかな。
鉱石蟻グレイアントの1件の後、生態系に影響出てたら困るので軽く文献とかを調べたけど、バレーナ近辺の魔獣は危険度が高いとされるだけあって戦闘力だけでなく知能も高い。

マンティコアを筆頭に、他の地方では災害扱いされるような魔獣が野良猫感覚でその辺をうろついているあたり、ここが魔境と言われているのもうなずける。


っと、あまり集中を欠くべきじゃない。少ないだけで、敵対的な生物は確実に存在するんだ。
山の中みたいな遮蔽物やノイズの多い場所は、どれだけ注意していても事故が起こり得る。

小さい音や振動というのは、より大きいものにかき消されやすい。そこから目的の情報を引き出すには、元の情報を分解しなければならない。
師匠いわく、音も振動も『波』である。そして目の前のひとつの大きな波は、数多の小さな波の集合体なのだ。情報処理能力の強化に特化した薬を使えば、自力でそれを分解して目的の情報を得られるんだけど・・・

今は薬無しの状態だから、情報の取得はともかく処理が完璧じゃない。無意識レベルで情報を処理できる程、便利で器用な頭はしていないし。
ちなみに嗅覚は薬なしだと嗅ぎ分けがろくにできないから、普通により強い臭いにかき消されてしまう。
嗅覚強化用に作った追跡鋭化ナイトチェイサー深層励起ディープトリップでも効果の再現率が低いし、今後の課題だ。



そんなふうに警戒を続けながら、山を降りていく。
道中、2回ほど近くに動物の気配を感じたけれど、結局それ以上近付いてくることは無かった。

そうして山を降り、歩いている道も山道と言うよりは街道と言えるような場所まで来た時。

僕はそれを見つけた。

「・・・んん?」

最初にあったのは違和感だ。
街道を少し外れた場所から、かすかな死臭を感じた。それ自体はおかしくない。ここは魔境と呼ばれる地域だし、魔獣同士の縄張り争いや狩りなどでいくらでも生き物の死体は発生する。
この辺りには屍肉食スカベンジャーの性質を持つ生物はほぼ居ないはずなので、死体は結構な期間残る。

ここまで無かったのは、あくまであの山にそもそも生き物が少なかったからだ。
つまりここに生き物の死体があるということは、例の鬼神の影響の範囲から出たということだろう。

では、何が違和感か。

それは、匂いの種類だ。

僕は立ち止まり、追跡鋭化を服用する。
死臭の場所は薬を使わなくても分かるけど、この違和感を言語化するには分析が必要だ。

周囲に敵性存在が居ないことを一応確認してから、臭いの元に向かう。死体を餌にした罠ってのも賢い魔獣だったらやったりするし。


道から少し外れ、1分ほど歩く。予想に違うことなく、そこには魔獣の死体があった。

「これは・・・双頭猪ツインベッドボアか。」

巨大な体躯に、2つの頭をもった猪の魔獣だ。戦闘能力は高いけど、比較的穏やかな性質をしている。ただし、縄張りを犯した存在には容赦しない。
可食部があまりに少ないため、人が狩ることはほとんどないけど、肝臓などの内蔵が薬効を持つ為薬師には重宝される素材になる。

天敵らしい天敵も居ないため、地方によっては山の王ともなる存在だけど・・・まぁバレーナ近辺ではそんなに生態ピラミッドの上の方でもないんだろう。

僕は死体に近付いて簡単に検分を始める。
そして、すぐに異常に気が付く。
 
死体が綺麗すぎる。具体的に言えば、外傷があまりに少ない。
全く無いのならばまだ分かる。老いや毒、あるいは飢えなどで緩やかに死を迎えれば、外傷らしい外傷も無い死体は出来上がる。まぁそれも大抵の場合鳥とか虫とかに食べられてすぐに形を無くすけど。


でも、この死体は違う。

背中から左の脇腹にかけて、三筋の裂傷がはっきりと存在している。
しかも、かなり深く、太い。 
だけど直接的な死因がこのキズかと問われると・・・正直そうは考えにくい。

双頭猪程の大きさの魔獣は生命力も高いし、頭が2つもあるからか魔力も多少扱い応急処置もする。だけど処置したような跡も、自然治癒が始まっているような跡もない。
なんなら虫もさほど沸いていない。この傷がついてからそんなに時間が経っていない証拠だ。
つまりこの傷がついてから魔獣が死ぬまで、それこそ一瞬・・・即死だった可能性も高い。

軽い検分を終え、違和感の正体を言語化する。

「・・・臭いが、弱い。」

一般に、死臭と呼ばれるものは腐敗臭だ。生命活動を終えた肉体は、細菌や微生物といった外部の存在に抵抗する手段を失う。
それにより、肉体がゆっくりと分解されていき、腐敗が進行していく。温度や湿度によって腐敗の進行速度が異なるのは、腐敗が他の生物による作用だからだ。生物には活動に適した環境というものがある。
ちなみに理論上、生命体が全く存在しなければ腐敗は進行しない。風化とかはするだろうけど。

ともかく今の気温だと、なんの処置もしていない死体は6時間程で腐り始める。僕の鼻なら、僅かにでも腐敗が始まっていれば臭いでわかる。
もっとも、今漂っている臭いは僕でなくてもわかる程度には強い。

が、しかし。本来こういった死体にあるべきもうひとつの臭いが無い。ついでに言えば、見た目でわかるはずの痕跡も。

「・・・あー、これは面倒くさいことが起きてる気がするなぁ。」

端的に言って、この感想に尽きる。

「なんでこんなところに・・・身体中の血を失った・・・・・・・・・死体があるんだろうなぁ。」

そう現実逃避混じりの言葉を漏らす。
実際、違和感の原因なんて一目見たときから分かっていた。なんなら、追跡鋭化の効果で、臭いを細分化できるようになった時点で。

血痕も無し、傷口からの流血も無し。
新鮮な血特有の鉄の臭いも、逆に古い血が腐った臭いも無い。

その上で、死因は間違いなく他者による攻撃。恐らくは失血死か。
こんなことが出来る、と言うよりわざわざやるような存在は世界広しといえどたった一つの種族だけだ。

すなわち・・・『吸血種ヴァンパイア』である。しかも、十中八九『はぐれ』だ。

「とりあえず、アルスとかデュラスさんに聞くしかないか。」

ため息混じりに呟き、僕はその場を離れる。
ひとまず、バレーナに行かないと話が始まらなそうだ。

頭の中でやるべきことを組み立ながら、僕は街道を急いだ。
しおりを挟む

処理中です...