村人Aさんの冒険譚

西光

文字の大きさ
上 下
1 / 2

第壱話 門番は有事の事態じゃないと暇そうです

しおりを挟む
 王国の主要街道から離れたそこは本来なら誰の目にも留まらない寂れた寒村。旅人も行商も姿を現さない寂れた村は、それでも自給自足という手段によって独自で在り続けた。

 そんな、来客を迎える機会に久しく巡り会わない村の門に一人、退屈そうに欠伸を漏らす者が凭れていた。近くの畑にてクワを振るう農夫や川で洗濯に勤しむ主婦の簡素な木綿のチュニックとは異なる、ゆったりとしたそれは遥か東国のキモノなる衣服。しかし、黒のシャツや膝に穴の開いた麻のズボンはこの界隈でも珍しくない格好だ。多国籍というか、無国籍というか、ある意味で自己流を貫く当人は、それでも周囲の茶髪や金髪といった色調の中にあっては一際の異彩と艶のある黒の長髪を後ろで結っている。
 簡素な剣を携えているところから察するに、一応は門番としての体裁は保っているのだろうが、何を護ろうという気概も感じないほどに、その人物には覇気が無かった。


「よう、エイ。また昼寝かい?」


 いつしか日も傾き、働き手も家路につく時分。
 籠を担ぐ村人が笑いながら門番に声を掛けた。対する門番――――《エイ》はというと、面倒くさそうに目を開けて、これまた億劫そうに声を出す。


「……いつも通り、村の警備だっつうの。魔物が入って来ても困んだろ?」
「ハッハッハ! ま、いつも通り頼むよ。門番さん!」
「へいへい、分かりゃあしたよーっと」


 村人とエイは互いに手を振って別れる。とはいえ、エイは変わらずその場にて胡坐をかいているだけだ。加えて、先の別れた村人から分けて貰った野菜が隣に置かれている。そして、次々と戻ってきた村人から気さくに声を掛けられつつ、野菜や川魚のお裾分けが徐々に積み重なってゆく。空も夕暮れのオレンジから藍色に変わるころ、村に戻った住人を全員確認したところで、もう頃合いと門番業を切り上げて家路につく。


「今日は一杯やっていかないのか?」


 帰途につく道中でも、エイは大抵誰かしらに声を掛けられる。今回は村の鍛冶屋。エイとは武器の手入れや新調といった仕事の遣り取りがあるだけに、親密な仲にあると言える人物だ。
 寒村、人口の少ない村だからこそのアットホームな連帯感の為せるコミュニケーションは、普段は他者にぶっきらぼうな当たり方をするエイ個人も密かに気に入っているところであった。


「今日は気分じゃねえんだ。また今度誘ってくれな」
「そうか。明日にでも一緒しよう」
「………アンタはさ、ちっとばかし肝の臓を労われよな」
「馬鹿言うな、こちとらこれで鍛えてるんだ。それじゃあな」


 忠言も空しく聞き流され、意気揚々と酒場へ引き寄せられる鍛冶屋を見つめるのもそこそこに、エイは溜息を零す。せめて願うのは、鍛冶屋が彼の女房が繰り出すレバーブローの餌食とならないことくらいである。幾度か現場を目撃したからこその心配は、されど学習しない男には無意味な説法でしかないのである。
 これが見納めかも知れない鍛冶屋の後ろ姿に合掌し、一日を終えた門番もまた家へと戻る。既に空は星が瞬き、山際から覗く月が僅かに顔を出し始めた。王都から離れた立地だからこそ大都市の煌々とした灯りに夜空も褪せず、山間部だからこそ清澄な空気に満ちたこの村は、彼が見たどの村よりも美しい夜空だった。しかし、夜空で腹は膨れないというのがエイの持論である。身も蓋もないが、意外と即物的なのである。

 ともあれ、村は並べて事も無し。
 決して多くはない村人が寄り添い、助け合い、忙しなくも楽しく日々を謳歌する村を守護することそれ自体は、エイもまた吝かではない。胸の奥にある充足感を実感したような笑みを僅かに零しつつ、間借りしている村の教会の門を開けた。


「うっす、帰ったぞー」
「おかえりなさーい!」


 気だるげなエイの声に柔らかい女声が返して奥から少女がパタパタと走ってくる。修道服にウィンプルという出で立ちの、絵に描いたような聖職者然とした少女は、邪気の欠片もないような柔和な笑顔を見せている。


「で、準備は出来てんのか?」
「任せてください。リリさんだってやれば出来る子なんですから!」
「………そっか。偉いなぁ」
「えへへ~」


 エイの問いかけに自信満々に返す修道女――――《リリ》は褒められたことに気を許して笑顔を更にとろけさせている。とりあえず頭を撫でてやりながら、日課である夕食の献立を脳内で構築する。リリに出来るのは薪に着火して湯を沸かすまで。そこから先を任せれば異界の物質を生み出す悪癖があるのだから致し方ない。宿を借りる恩義に報いるべくエイが率先して行動しているというのもあるが、どんなに料理を教えても暗黒物質を精製してしまうのだから始末に負えないのである。噴き零れた赤茶けた液体でかまどが炎上した際は、流石に肝を冷やしたものだ。


「じゃあ、台所行ってくっから。あとは任しとけ」
「お願いしますね~」


 穏やかな時間。流れている事さえ忘れてしまいそうな平穏の中にあっても、運命がその歯車を止めることは決して在り得ない。
 まだこの時、エイは知らなかった。この居候生活の終焉が迫っていることに。

――――運命は、ゆっくりと動き出していた。
しおりを挟む

処理中です...