おやすみ、夏野菜

えーめい

文字の大きさ
上 下
6 / 7

6話

しおりを挟む
 A村で生まれて暮らし、結婚して子供が出来て、A村で死ぬ。桜田(さくらだ) 長作(ちょうさく)の人生はそうやって完結するはずだった。そんな長作の運命が変わったのは、ダム建設が決まってからだった。桜田家は祖母の梅、長作と妻の幸子、二人の子供の隆と京子の5人家族で、川田家と違ってそれほど裕福ではないが、小さな畑を耕して幸せに暮らしていた。故郷に愛着はない事もなかったが、子供達は町での暮らしに憧れていたし、体調を崩しがちだった梅のためにも大きな病院のある町に引っ越したかった。

ダムの建設で立退料が入ると知った時は大歓迎で、家族の皆が小躍りして喜んだものだった。ダム建設に協力的だった桜田家は、十分な金を貰いB町に引っ越した。新しい町での暮らしも悪くはなく、順調だった生活が変わったのは、妻の幸子が急死してからだった。その後立て続けに梅が亡くなり、長男の隆が交通事故で死んでしまった。残された長作と幸子は深い悲しみにくれたが、なんとか気力を奮い立たせて生きていこうとしていた。そんな矢先、幸子が通り魔に刺殺されてしまったのだ。

 家族が全員死んでしまった長作は、その悲劇に耐えられなかった。その日を境に完全に壊れてしまったのだ。見た目はまともだし、話しかければそれなりに受け答えもできる。だが、家族が死んでしまったのは、すいかの呪いだと思い込むようになってしまったのだ。先祖伝来の土地を捨て、すいか農業を否定した事で呪われてしまったのだと。

 長作は、村を出なければいけない原因を作った佐藤四囲作と、周りの取り巻き達を恨んだ。長作は元来穏やかな性格で犯罪の類は一切したことがなかったが、呪いを解くために佐藤の取り巻きの一人を殺した。そして呪いを解く儀式として彼の頭とすいかを交換したのだ。

連続殺人鬼チェンジヘッドの誕生の瞬間であった。犯罪歴がない事や、動機の分かりにくさ。証拠の少なさから、長作は警察のマークを逃れ今日まで活動してきた。

後少し、最後の佐藤四囲作さえ殺せば呪いが解ける。長作の心はウキウキと浮きたっていた。家族全員の位牌に向かって祈ると、お供えにすいかを置いた。ターゲットの頭と交換するために今年はすいかを何個か買ったが、佐藤の分は貰い物になるとは。これは天が自分に呪いを解けと言っているのだろう。

 狂った頭で自分に都合の良い解釈をしていると、家のインターホンが鳴った。誰だろうと長作が玄関に出ると、川田のところの次男坊じゃないか。ダム建設の件では意見が食い違ってしまったから疎遠になってしまったが、狭い村だったし何だかんだと交流はあった。今思えば、川田の意見が正しかった。村を出るべきではなかったのだ。

「どうもご無沙汰してます。」

 そう頭を下げた文治の後ろで、長身の美人が同じように頭を下げていた。何だ、結婚の報告でもして回っているのか?仲は悪くなかったが、そこまで親しくなかった自分にそんな報告必要なのか?色々と疑問はわいたが、元は同じ村の仲間。

「事情は分からないが、久しぶりに会ったのに立ち話もなんだ。お茶の一杯くらい飲んでいきなさい。」

 そう言って優しく微笑んだ長作に、文治と愛華は家に上がって事情を話す事にした。

 居間に通されて仏壇に供えられたすいかを目にした文治は、自分の勘が当たっていた事を確信した。

「桜田のおじさん、そのすいか誰かに貰ったものじゃありませんか?」

 食い気味にそう尋ねてきた文治に、事情が分かっていない長作は少し引き気味に頷いた。

「あ、ああ。確かにこれは貰い物だけど、それが何だというんだい?」

「実はそのすいか爆弾なんです。」

 そう言って文治は今までの経緯を長作に説明した。最初はポカンとした顔で聞いていた長作だったが、徐々に笑いがこみ上げてきた。それを見て信じていないと感じた文治は、説明に力を入れたが、長作が笑っていたのは、荒唐無稽な話に笑っていたのではなく、むしろその逆。文治の話を信じた上で、すいか爆弾という人殺しの道具が運命のように長作の手元に転がり込んだ事に笑ってしまったのだ。

「じゃあ、このすいかは返せないね。」

 静かに、そして狂気を孕んだ表情で長作は言った。

「何故です?そのすいかは危ないんですよ。」

「だからいいんじゃないか。」

 長作はそう言うと、すいかを掴んで物凄いスピードで家を飛び出していった。完全に予想外の出来事に文治も愛華も全く反応できなかった。

 長作を追って外に出た二人を待っていたのは、捜査一課の刑事達だった。時間はかかったが、警察も桜田を容疑者として見張っていたのだ。

「おまえら、あの家で何してたんだ?なんで桜田長作は急に家を飛び出していった?」

「そんな事をあなた達に言う義務はありません。」

 愛華が刑事達を睨みつける。

「バカヤロー!あいつは連続殺人鬼、チェンジヘッド事件の重要参考人なんだよ!」

 長作が連続殺人事件の容疑者だったという事に、愛華は驚愕した。



 手柄を独り占めしようとしただの、あいつを捕まえて一課に戻ってこようとしているだの、見当違いの暴言を浴びて愛華の心はボロボロになっていた。しかし、どれだけ言葉を尽くしても刑事達の誤解を解く事はできなかった。愛華は築いてきた信頼が無くなってしまった事に深い落胆を感じて、何も言い返す事ができなくなってしまった。

 桜田邸から少し離れた堤防で、二人は滔々と流れる川の流れを見つめていた。急に降ってきたバケツをひっくり返したような豪雨に、文治は慌てて車に戻ろうとしたが、愛華はその場から動こうとしなかった。

「山本さん?」

 不審に思って文治が声をかけると、愛華は寂しそうに笑った。

「もう疲れちゃいました。」

「山本さん。」

 文治は黙って愛華を抱きしめた。文治にはどうして愛華が伊集院と不倫してしまったか、深い事情は知らない。知りたいとも思わなかった。ただ、真面目で優しい愛華がここまでひどい扱いを受けている事に心が痛んだ。そして、愛華を守りたいと強く思った。

「少し、休みましょう。濡れたままにしてしまったら、体を壊してしまう。」

 文治と愛華は休める場所を探して移動した。



 朝になり、愛華と文治がホテルから出ると、空には夏の晴天が広がっていた。

「少し気持ちの整理ができました。ありがとうございます。」

「それは良かった。」

 文治はそう言って愛華に微笑んだ。兄が作ったすいか爆弾のせいで、多くの人に大きな負担をかけてしまっている。後は警察に任せて、大人しく待っていたほうがいいのではないのか。

「最後まで探しましょう。」

 その迷いを断ち切ったのは愛華の一言だった。

「良いのですか?」

「爆弾を探せという命令は、まだ撤回されていません。それに。」

「それに?」

「私にも意地があるんですよ。」

 そう言った愛華の目には光があった。

「愛華さん。ありがとう。」

 こうして最後の一日が始まった。
しおりを挟む

処理中です...