生きている壺・その他

川喜多アンヌ

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生きている壺

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 大輔が勤務する買い取り専門店『太平堂』は、百貨店の八階にある。そろそろ昼の交替時間、と思ったとき、エスカレーターを昇って来る頭が見えた。

 色付き眼鏡をかけた年配の女性。キャリーバッグを引っ張っている。エスカレーターを降りると入口の看板を確かめて、大輔の方にやってきた。

「いらっしゃいませ」大輔は頭を下げた。

「買い取っていただくのは、ここでいいの?」

 どうぞ、と大輔はカウンター前の椅子を勧める。女性はキャリーバッグを床に平らに置き、ジッパーを開け、ヨイショと中から大きな壺を取り出した。

「これ前の住人が置いていったの。大家さんに言ったら、連絡つかないんで、もう処分してくれって。売れるかしら?」

 大輔は、捨ててもらった方がいいですよ、と言いそうになるのを抑えた。どうせガラクタだ。この客が身に着けている物で一番値が張るのは眼鏡だ。とはいえ一応仕事をする。

「拝見します」高さ五〇センチほどのテラコッタの壺だった。南米やメキシコなどの古墳から出土したものとは違う。仕上げが粗雑な量産品だろう。両手で持ってみると、けっこう重い。

「かわった模様ですね」

 レリーフだろうか。よく見ると、テラコッタに浮き出ているのは人の顔のように見えて来た。

「なんだか、お客様に似ていますね」

 客は眉をひそめて首を伸ばし、壺を見た。

「まあ、嫌だ。そんなことあるわけないでしょう」

「……ですよね」

 所定の契約書を客に記入してもらい、大輔は壺の上下及び三六〇度の写真を撮った。

 客が帰ると店長が言った。

「なんだ?」

「ガラクタです。五〇センチあるので普通に捨てられないから持ってきたのかな」

 一週間後、大輔は壺の客に電話をした。留守番電話になっていたのでメッセージを残す。わずかな買い取り値と、契約通り指定の銀行口座に振り込むと言っておいた。

 壺は預かり品を保管する倉庫に運ばれた。



 その年の台風の一つが『太平堂』の倉庫を浸水させた。何人かの社員が預かり品を避難させるために駆け付けた。店長もその一人だったが、作業のさなか、浸水した地下倉庫で脚立から転落して頭を打ち、即死してしまった。前代未聞の事故だった。

 緊急時、優先順位が高いのは値がつく預かり品だ。そうでないガラクタは廃棄される。

 皮肉なことに高価な物が水につかり、ゴミ袋に入れられていたガラクタは無傷だった。例の壺もその一つだった。

 店長のあっけない死に実感が湧かない。葬儀の後、大輔は、助かった品の写真を社内のサイトで見ていた。例の壺だ。

「あれ?」

 なんとなく記憶と模様が違う。拡大してみる。……おかしい。あの時自分は、あの女性客の顔に似ていると思ったのだが。

 翌日、大輔は倉庫に出向き、例の壺を見た。今見ると男の顔に見える。しかも……店長に似ている。……馬鹿な。おれはどうかしている。

「先輩、廃棄品、持って行きます」新人の大川が、段ボールを乗せたカートを押して来た。

「いや、これはまだいい」

 大輔は壺を持ち出し、『太平堂』の鑑定士を訪ねた。今までの顛末を話すと、鑑定士は壺を検分した。

「安物の大量生産品に見えるがね」

「でも、この写真を見てください。レリーフが違うでしょう」

「壺がすり替わったんじゃないのか?」

「そんなことはありません」

「これは迷信の類だから、聞き流してくれていいが、持ち主の手を離れたがらない物があると聞いたことがある。無理に手放すと、祟るというんだね」

 二人の間に置かれたテラコッタの壺は、全くただの壺に見える。

「もとの持ち主はどうしている?」

 そういえば、あれ以来あの女客と話をしていない。確か前の住人が置いて行った物で、前の住人とは連絡が取れなかったとか……?

「もしこの壺が、そういう類の性質を持っているのだとすると、持ち主から離れる時に持ち主の生気を吸い取る」

 大輔の背中が急に冷たくなった。

「君はこれ、誰の顔に似ているって言った?」

「……亡くなった店長です」

「ふうん……。僕にはなんだか、これ、君に似ているように見えるけどな」

 鑑定士が壺のレリーフをこちらに向けた。レリーフを凝視する大輔は震えだした。

「そ、そんな……」

「まあまあ、そう慌てなさんな。迷信だよ」



 捨てなければいいんだろう。

 大輔は壺を家に持ち帰った。明かりの下でよく見る。今、壺の表面は凹凸もなく滑らかだ。三六〇度の写真を撮ってから、大きな風呂敷に包み、押入れの奥に入れた。

 週末、壺を持ち込んだ女客の住所を訪ねた。二階建てアパートの部屋に行くと表札の名前が違う。隣の敷地が大家の家なので、呼び鈴を押し、前の住人は、と尋ねた。

「おたく、どちらさん?」

 玄関が開き、黒縁眼鏡をずり上げて、七十代とおぼしき男が言った。

 大輔は名刺を渡し、預かった品が高額で売れたので、代金を支払うために本人に連絡したいのだ、と言った。
「へえ、あの人、何を売ったの?」

「壺です」

「あの大きいやつ? そんなに価値あったの?」

 大輔は頷いた。連絡先を訊くと、

「実はね、亡くなったんだよ」

「えっ!」

「もともと持病があったんだけど、急でね。保証人と部屋を片付けてさ……」

「あの人の前の住人はどこにいますか?」

「どうして?」

「あの壺は前の住人の忘れ物だと聞いていたので、代金をその人に支払いたいんです」

「おたくに勝手に教えるわけにはいかないよ」

 大輔は『太平堂』の「買い取り額二割増し券」を三枚渡し、そこをなんとか、と頼み込んだ。

 大家は廊下の固定電話で前の住人に電話をかけた。

「で、いくらで売れたの?」

「それはちょっと……」

「いいじゃないか。十万くらい?」大輔は首を振った。

「もっと高いの? まさか、百万?」大輔は曖昧に笑っておいた。

 しかし電話はつながらなかった。その番号は使われていない、というメッセージが流れた。俯いた大輔に、大家は、

「そんなことなら、あの壺、うちで預かっとけばよかったよ。百万円はどうなっちゃうの?」

 大輔は、挨拶もそこそこに辞去した。



 あの壺は絶対に手放してはいけない。押入れを開け、壺の無事を確かめる日々が続いた。

 新人の大川真由美に仕事を教えるうちに、いつしか恋人づきあいをするようになった。仕事もプライベートも充実した日々だった。

 そんなある日、例の大家が『太平堂』に現れた。カウンターにいた真由美が応対した。

「うちにも何かないかと思って探したら、こんな壺があったんだ」

 壺を見て、真由美はガラクタだと思った。しかし、「買い取り額二割増し券」を三枚も出して、客は引き下がらない。真由美は店の奥にいた大輔に相談しに来た。大輔は、一応預かって追い返せ、と言った。

 夜、二人でベッドに入ると、真由美が言った。

「あのお客さん、大輔さんが百万円を着服したとか変なこと言うのよ」

 大輔はドキリとした。

「前に大きな壺を売って儲かったけど、客に払っていない金だ、とか言って」

「……馬鹿な」

「だから、言ってやったわ。そんな壺は売れていないし、売れない物は廃棄するって。そしたら、廃棄するなら自分にくれって」

 その時、押入れの方からゴトリと音がした。「何?」大輔はベッドを降りて押入れを開けた。風呂敷に包まれた壺が倒れている。

「これに触った?」念のため表面を手で撫でる。特に凹凸は感じない。

「ううん。なあに、それ?」

「なんでもない」

 数日後、真由美は困り果てた顔をしていた。例の客が、二割増しで出した買い取り金額に納得しないのだ。

「百万円があるはずだから、その半分でもとか、しつこいの」

「買い取り金額を振り込んで、ほっておけ」

「帰りにアパートまでついて来そうな勢いなの」

「そんなことあったら、おれに言えよ。警察を呼ぶから」

 棚卸し作業で遅くなった日。大輔が帰ると、アパートの明かりはついたまま、真由美がいなかった。携帯に掛けるが応答しない。

 押し入れの戸がちゃんと閉まっていない。開けてみると、壺がなくなっていた。

 大輔はアパートを飛び出した。

 真由美一人が手で運ぶには、あの壺は重い。あてもなく近所を探していると、近づいてくる救急車のサイレンが聞こえた。大輔は走った。人垣ができている。道路では車が一台止まり、警官がいる。サイレンを消した救急車の赤いランプが周囲を照らす。

「なんか、すごい重そうな物を引きずって、道の真ん中で動けなくなっていて」運転手らしき若い男が警官に答えていた。

「私は、関係ない! たまたま通りかかっただけで……」

 そう言ったもう一人の男は、あの大家だ。

 道路に倒れて動かない人影は、真由美だった。

 さては、あいつが真由美にあの壺を渡せと――。

 大輔はゆっくり後ずさり、人垣の外に出た。トン、と何かが脚に当たった。見ると、倒れて転がった壺だった。レリーフがあるのか……? 

 街灯の明かりの中に浮かび上がったのは――真由美の顔だ。

 ああ……大輔は瞑目した。ふと、反対側にもう一つレリーフがあるのに気づいた。男のようだ。まさか! いや、自分じゃない。眼鏡をかけている……?

 はっとして、警官と話す大家を見た。

 しかし何も言わず、大輔は壺を置いたまま、一人アパートに向かった。(了)
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