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096.約束
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婚約者がいる。名前は知らない。
ある日、父が酔って仕事から帰ってきて、約束したと言った。へべれけに悪酔いした父の口調ではどうにも要領を得ず、けれどもしっかりとお前の結婚相手が決まったぞ! とだけ言い張る。母が困惑していろいろと聞いたが、結局その日は話にならなかった。廊下でいびきをかき始めてしまった父を母と私、弟で寝床へと引っ張っていく。
「婚約者だって! お嬢様みたい!」
そう揶揄ってくる弟の肩を叩いて抗議した。
それ以降、ひと月に一回、菓子折りが届き、花が届き、便りが届く。内容はまちまちだったが、手紙にはきれいな字で二十歳になれば迎えに行く、と書いてあった。
その気もないのに悪いから、と止めるように父に言ったが、青ざめるばかりで話にならなかった。
高校卒業の春、いい加減にしてくれと父に詰め寄った。相手は誰で、どのように約束したのか。勝手に決められた自分の身にもなってくれ、と。
「そんなもの居ないんだ」
揶揄ってやろうとした。婚約者ができたぞと出まかせを言った。そうしたら急に贈り物が来るようになった。だから、約束は俺が勝手に言い出した話なんだ。約束した相手なんぞいないんだ。
母は唖然として、弟も顔をこわばらせた。
怪異だ。怪異がお前を攫いに来る。
二十歳になるまで贈り物は欠かさず続いた。
母は抵抗して祈祷に行ったり、その道のプロフェッショナルに話を聞きに行き、帰ってこない日が続いた。時折、仏間にいるのを見かける。
父は会社を辞めて、家で飲んだくれる日々を過ごしていた。吐きながら俺が悪いとしきりに話す。
ぐだぐだになった家の中で、弟は淡々と生活をしていた。贈り物が届くとうへえ、と舌を出しながら私に手渡す。
諦めていたし、覚悟を決めようと思った。
父の口から出たでまかせは口に出た瞬間から、引き戻せない呪いになったのだ。責任は血縁が取るしかない。
二十歳の春、父の枕に黒い影が立った。娘を寄越せという影に父は抵抗した。
「大学を卒業するまでは行かせられない」
父はそう答え、二十歳の年に私が嫁ぐことはなかった。父は安堵していたが、その年の冬に交通事故で死んだ。
婚約者からの便りには、父と待っていると書いてあった。
大学を卒業する春、今度は母の枕に黒い影が立つ。
「独り立ちするまで行かせられない」
とっさに出た言葉だったらしい。独り立ちとはどのような状態か。どうとでもとれる意味合いの言葉を信じて母は家から私を出さなかった。果たして婚約者は諦めるだろうか……。考えている間、昇進があった。十分な給与を得た代わりに、母が急な心臓の病でこの世を去る。
便りが届き、父と母と待つと書いてあった。
弟が次は自分だと笑う。
その年の冬に電話が鳴った。両親が死んで片付けた番号だった。
「いつ来る。来ないのか」
父の声で語り掛けてくる父ではないもの。何かを引き合いに出せば、今度は弟が死ぬかもしれない。
行く、と口に出かけたのを、弟が電話を奪って代わりに言った。
「まだ行かれない。姉と桜を見たい」
桜の季節になる前に、弟は死んだ。進行の早い病だった。
「大丈夫。姉ちゃんは嫁に行かないよ」
次の春になっても、婚約者が現れることはなかった。
ある日、父が酔って仕事から帰ってきて、約束したと言った。へべれけに悪酔いした父の口調ではどうにも要領を得ず、けれどもしっかりとお前の結婚相手が決まったぞ! とだけ言い張る。母が困惑していろいろと聞いたが、結局その日は話にならなかった。廊下でいびきをかき始めてしまった父を母と私、弟で寝床へと引っ張っていく。
「婚約者だって! お嬢様みたい!」
そう揶揄ってくる弟の肩を叩いて抗議した。
それ以降、ひと月に一回、菓子折りが届き、花が届き、便りが届く。内容はまちまちだったが、手紙にはきれいな字で二十歳になれば迎えに行く、と書いてあった。
その気もないのに悪いから、と止めるように父に言ったが、青ざめるばかりで話にならなかった。
高校卒業の春、いい加減にしてくれと父に詰め寄った。相手は誰で、どのように約束したのか。勝手に決められた自分の身にもなってくれ、と。
「そんなもの居ないんだ」
揶揄ってやろうとした。婚約者ができたぞと出まかせを言った。そうしたら急に贈り物が来るようになった。だから、約束は俺が勝手に言い出した話なんだ。約束した相手なんぞいないんだ。
母は唖然として、弟も顔をこわばらせた。
怪異だ。怪異がお前を攫いに来る。
二十歳になるまで贈り物は欠かさず続いた。
母は抵抗して祈祷に行ったり、その道のプロフェッショナルに話を聞きに行き、帰ってこない日が続いた。時折、仏間にいるのを見かける。
父は会社を辞めて、家で飲んだくれる日々を過ごしていた。吐きながら俺が悪いとしきりに話す。
ぐだぐだになった家の中で、弟は淡々と生活をしていた。贈り物が届くとうへえ、と舌を出しながら私に手渡す。
諦めていたし、覚悟を決めようと思った。
父の口から出たでまかせは口に出た瞬間から、引き戻せない呪いになったのだ。責任は血縁が取るしかない。
二十歳の春、父の枕に黒い影が立った。娘を寄越せという影に父は抵抗した。
「大学を卒業するまでは行かせられない」
父はそう答え、二十歳の年に私が嫁ぐことはなかった。父は安堵していたが、その年の冬に交通事故で死んだ。
婚約者からの便りには、父と待っていると書いてあった。
大学を卒業する春、今度は母の枕に黒い影が立つ。
「独り立ちするまで行かせられない」
とっさに出た言葉だったらしい。独り立ちとはどのような状態か。どうとでもとれる意味合いの言葉を信じて母は家から私を出さなかった。果たして婚約者は諦めるだろうか……。考えている間、昇進があった。十分な給与を得た代わりに、母が急な心臓の病でこの世を去る。
便りが届き、父と母と待つと書いてあった。
弟が次は自分だと笑う。
その年の冬に電話が鳴った。両親が死んで片付けた番号だった。
「いつ来る。来ないのか」
父の声で語り掛けてくる父ではないもの。何かを引き合いに出せば、今度は弟が死ぬかもしれない。
行く、と口に出かけたのを、弟が電話を奪って代わりに言った。
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