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第1話 女装しても俺は男で、必ず君を守りたい
しおりを挟むママの手料理、アップルジュース、お菓子はとくにタルトタタン。
白嶺響をつくるものは、ママから与えられるもの。
髪も、服も、言葉遣いも、ママが好きなものでできている。
「響くんの髪ってミルクティーみたいだよね」
「ミルクティー……?」
「優しい色してて、ふわふわくるくるしてて、とっても綺麗」
ママも、白嶺美世子も毎日響を抱きしめて『ママの大切なお姫様』と言う。
小学生になってもママは響に女の子の服を強制する。着ないとママは悲しんでしまう。
お受験に合格できなかったのが響に無理矢理スカートを穿かせていることが原因だと、ママは気づいてくれない。もうママに『響、男の子だよ』とは言えなくなっていた。母親に言葉が届かないと子どもは傷つく。
好きな女の子に『綺麗』と褒められても喜べなかった。
ヘアブラシでブラッシングされて三つ編みに結われているときに言われたら、響の中の悲しみが込み上げて刺々しい声を出していた。
「俺は嫌い」
嫌いだ、大嫌いだ、長い髪もワンピースもリボンもフリルもレースも──ママも。
やっと認めてくれる人に出会えた響には、亜咲千鶴からの初めての女の子扱いが耐えられなかった。
奥歯を噛み締めて手の平に爪を立てる響を、鏡越しの千鶴は目を瞑らずに抱きしめた。
「わたしは好き。ごめんなさい響くん、わたしは大好きだよ」
千鶴の家に遊びにきたら、古い鏡台の前で響は女の子から男の子になれる。
魔法をかけてくれる大切な子は、否定しないで必ず救ってくれる。弱音を口にしても男らしくない響を認めてくれる。
最近本で読んだ執着という単語にもチクリと棘になったが、これは恋、恋だと信じている。
「気持ち悪くない……?」
「女の子の格好してたって響くんは響くんだよ。わたし、ちゃんと知ってる」
「うん、俺、男。男だよ……。千鶴ちゃんは、世界で一番、俺のこと男扱いしてくれる」
「男の子だもん!」
西洋人形のような女の子と、黒髪の尻尾が元気な女の子。
ママの陰に隠れて辛そうに『ごめんな』と謝るパパのことも諦めているから、たった一人千鶴だけが味方だ。
「はい、でーきた! 遊びにいこう、響くん!」
服を貸してくれる、千鶴は活発に走れるズボンをママに内緒で着させてくれる。
初めてスカートではないものを身につけられた響に千鶴は笑わず、泣きやむまで頭を撫でてくれた。
「千鶴ちゃん……。次は絶対、俺が守るから」
「うん!」
帽子を被って走れる自由を、千鶴だけが届けてくれる。
ママが見せるプリンセスの映画の王子様のようになりたった。
響は男だ、女の子の格好をさせられていても千鶴よりかわいいとバカにされても、響のお姫様は亜咲千鶴だ。
§
醤油ラーメン、焼きそばパン、カレーライスにタルトタタン。
白嶺響を構成する好物は、まだ、翳りが差している。
階段から下りるときには勇気がいった。
再び伸ばすことになってしまった髪は手を加えなくても完璧なウェーブになり、丈の長い制服は骨格を隠すように細い腰を強調している。詰めものをした胸で曲線を描くタイがリボンでなかっただけマシというものだ。
できればリビングのドアを開きたくなかったが、彼女が待っている。
「千鶴ちゃん……久しぶり」
小学校で出会ってから幼馴染みの、響の大事な女の子。
陰鬱な表情とは裏腹に絶世の美少女と言わんばかりの出来映えになった響に対して、同じ格好をしている千鶴はやや着せられている感があった。
それでも千鶴が世界で一番かわいい。ポニーテールがいつも似合っている。
「久しぶり! 響くん!」
驚いた様子はなく、ダイニングテーブルでマグカップを持っていた千鶴が立ち上がる。
身長はやっと彼女を抜かせた。女子のほうが成長期が早いとはいえ、前回会った中学一年生の秋までは響は性別を間違えられる華奢さがあり、高身長の千鶴とはお姫様とナイトなどと揶揄された。
これで千鶴を守れるなどと思い上がってはいけない。
「わたしよりずーっとかわいくなっちゃって」
「一年半会わなかったけど、あんま変わんないねそっちは」
「そうかな? 響くんも変わってないじゃない」
その一言にどれだけ救われているか、千鶴は半分もわからない。しかし彼女は白嶺響が異性装をしても心は男子であることをけっして忘れない。
今すぐにでも髪を切って、クローゼットの奥に仕舞い込んだすでに切れなくなった公立中学の学ラン姿になりたい。
だが、これから二人が入学するのは、私立姫之條女学院──女子高だ。
「おはよう、響。あとはお前だけだから座りなさい」
「そうだよ響くん、お父さんの朝ご飯食べな」
「千鶴ちゃんは、食べてきたの?」
「いつもの和食。目玉焼きと納豆」
シックで、いかにもお嬢様学校といったロング丈のワンピースで、千鶴は無邪気にVサイン。
湯気の立たない彼女のマグカップに視線を向けてしまった響は、苦い思いをしながら尋ねるしかなかった。
「それ……なに飲んでるの?」
「カフェオレ。角砂糖二つ」
「俺は、ブラック」
「見栄張るな。牛乳ね」
とっくに母は死んでいる。あの人はミルクティーが好きだった。
響は紅茶を飲めなくなっている。忌々しいが、甦る母との思い出、絵本の中のような美しい虚飾が今でも心の中にある。
「八時出発だって。あと三〇分もないよ響くん」
「父さん、遅くなったら車飛ばして」
「急ぐ努力をしなさい」
母が遺した“遺言”に従い、響は三年間だけ女をする。
母の母校で、母と同様に寮生活をするなど御免蒙りたいが、箱入りのお姫様育ちの琳城美世子の祖父は政界にも影響を及ぼす絶対的な権力者であり、この強制的な女学院入学を拒絶すれば好きな子の家族と彼女の家が経営する店に被害が及ぶ。
亜咲千鶴を守るためなら女装上等だったが、彼女と三年間同室で過ごすのは耐えがたい“苦痛”だ。
こんな馬鹿げた状況ですら千鶴は笑顔を絶やさない。
ゆえに絶対に、彼女を守る。
§
この日のために手配された父昌義が運転する黒塗りのハイヤーに乗り込み、後部座席で千鶴と並ぶ。
見つめれば、髪型を失敗したとぼやいていた彼女が振り向く。
こんなに好きな女の子と同室の寮生活。あり得ないが、坂を転がり落ちるボールのように響達は円を描くように山道を登っている。
「グルグル回って、どういう場所なんだか。千鶴ちゃん、車酔いしてない?」
「平気。それより、響くんが……、顔真っ青」
「……そっかな」
「無理、してるよね」
「千鶴ちゃん……ほんとにごめんね。君をこんなことに巻き込んでさ……もう、やになるよ」
事は進み始めた。
女子高に入らなければ昌義は職場にいられなくなる。
響が小学二年生のときに離婚してこれまで男手一つで育ててくれた父に、二度とあのような謝罪をさせたくなかった。
響さえ“女の子”になればなにもかもが纏まる話だ。
「何回謝らないでって言えば覚えてくれるの? わたしは巻き込まれたんじゃなくて、戦いにいくんだよ。響くんを取り返す」
「攫われた姫じゃねーし」
「響くんわたしのこと守りたいって昔から言うけど、その気持ちはこっちのほうが強いんだから」
「千鶴ちゃんが王子様ってワケだ」
「そうやって役割にこだわらないでよ。白嶺響くんが大事だから、あなたの人生を歪めようとするものを許せないの」
中学一年生の夏休みに曾祖父に呼び出された響は、初めて母の墓参りをした。
母が死んでいたのは知らされていなかったが、琳城美世子が最期まで息子響を娘だと思い込んだままだということは察していた。
喪が明けても痩せ衰えている曾祖父に逆らえずにまたミルクティーの髪を伸ばすことになってしまったが、複雑ながらに千鶴の決意は光明だった。
「響。卑屈にならないで千鶴ちゃんの真心を受け取るんだ」
「そうだよ響くん。取り戻そう、男の子の響くんを! そのためにわたしがいるんだから。離れない。放さない。絶対に響くんを一人にさせない」
運転席の父は明るく振る舞っているが、夜遅く思い詰めた沈痛な面持ちで鬱ぎ込んでいる。人里離れた女学院まで自ら息子を連れていかされる父も辛いだろう。
父子二人きりだったらどこまでいっても暗闇だった。
千鶴がいてくれるから男であることを諦めずにいられた。
「千鶴ちゃん、俺、負けない」
手を握ってくれる彼女のためにも、心が折れてなどいられない。
屈さない、三年間、闘い抜くのだ。
「卒業したらこのウザい髪、千鶴ちゃんが切ってくれるかな」
「いいよ。呪い解いてあげる」
「──千鶴ちゃんさ、マザコン馬鹿のこと呆れたりしないの?」
「こんな言い方したくないけど、響くんは被害者だと思ってるから。お母さんからも守ってあげたい」
どんなに認めてくれなくても意見を無視されても、響は母を愛していた。
愛情を欲していた。息子に対する愛情を求めていた。
終ぞ美世子は息子の存在を頭から消したままだったが、たしかに愛されていた記憶が響を未だに縛りつけている。
これを呪いと言わずしてなんと表現すべきか。
ママが大好きだった長髪は千鶴が切ってくれる。報いたい、あらん限りの命を以てしてでも、響は千鶴に貰った恩を返したかった。
「怖い顔」
「端正な顔した美少女でしょ」
「自分で言う? でも仕草とか完璧に女の子だよね。前の響くん脚開きがちだったのに」
「徹底的にやったからね。自分の動画撮ったりとかさ。たまに女の格好で外出て、野郎の下心満載の目を鼻で笑ってたや」
「やーだぁ。その顔で口悪い」
「いいじゃんこれが俺の素。脚も開く?」
「いいけど、外では気をつけてね」
わざとらしく一・五倍に脚を広げ、革張りの座席に踏ん反り返る。
立ち方も歩き方も些細な仕草も嫌と言うほど乙女所作にした響は、気を抜くと指先まで気品が出る。
杜撰でがさつでそこらの男子と変わらない白嶺響少年を殺していく作業は、母としていたお姫様ごっこの記憶で反吐が出た。
「二人とも、窓の外見てごらん。桜が咲いてるよ」
「わ、すごい! 見て見て響くん」
「……この学校の敷地内、四季折々の花が綺麗なんだって」
「そうなんだ。じゃあ、休みの日にはピクニックしようね」
「千鶴ちゃんならそう言うと思って、小父さん、響の荷物にレジャーシート入れてるよ」
「本当ですか!」
「父さん、勝手にすんなよ」
「お前が荷造りしないからだろう」
行かなければならない重圧と行きたくない感情に振り回されていた響は窓枠に頬杖を突き、昔母が話した学生生活を思い出す。
仲のいいお友達に囲まれて、幼馴染みと寮で同室で生活し、楽しく素晴らしい日々を送った。
美世子は自分の人生を響になぞらせたがっている。
「三年後も二人で見ようねこの桜。あ、小父さんが迎えにきてくれるし、三人か」
「そこは俺と二人でいいじゃん」
「響、そろそろ、しっかり猫を被りなさい」
「口挟んでくんなよ親父」
保護者がいる空間で好きな子と話すのも一苦労だ。
響は鼻に皺を寄せて顰めっ面したあと、なんとはなしというように千鶴の細い指に指を絡めた。
「千鶴。あなたがいてくれるから、私は私を諦めずに済むわ。ありがとう」
「女の子はそれでいくの?」
「そ。典型的お嬢様。俺の見た目に合うしさ。そうだと思わなくて、千鶴。私は美しいでしょう? だから容姿に見合う言動をするの」
「やりすぎ」
「そうかしら? 私はお母様が求めていた姿をしているもの──このくらい、なんともねーよ」
高校生に上がる年になっても肉体的な成長に男らしさは皆無だった。精々鍛えたおかげで筋力があって、千鶴より手首や首が太いくらいだろうか。黒いストッキングで包んでいる足首は、靴に指定がないのをいいことにヒールを履いているのがご愛敬というやつだ。
「響くん──、わたしの幼馴染みの琳城響ちゃん。お互いに守り合って支え合って卒業しようね」
「ああ」
「そこは『ええ』じゃないの?」
「まーだ到着してないし。これから三年間女のフリしなきゃなんだから、今だけいいじゃん。ね、千鶴ちゃん、お願い」
「見た目は美少女なのに、中身変わらないね」
──君にそう言ってもらえるから男白嶺響は死なない。
今さら手を繋いでいることに照れながら、響も覚悟を決めていた。
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