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二章8
追跡の果て
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日が暮れた。
マフラー越しの吐息すら白くなるほどに気温が下がっている。
路地裏の隘路で、騎士達へ指示する笛の音の出所を耳で探る。
恐らくあの方向、程度にしかわからず、結局騎士達に出くわして戦う。
この繰り返しだ。
確実にこちらの体力を削りに来ている。
実際に俺の身体は震えが止まらない。
「じり貧だな」
整えた呼吸も震えている。
べっとりと血に濡れたコートが重く冷たい。
水を弾くように作られているという話だったが、より粘性の高い血液にはあまり効果が見られない。
中まで染み込んでないだけマシではある。
どこかで代わりになる服を手に入れねば。
防寒具一式を積んだ馬は街の関所で預けた。
回収は難しい。
走り回って解ったのは、街に一般人の姿が無い。
恐らく戒厳令によって家屋内にこもっているのだろう。
こちらとしても、あちらとしても都合が良い。
一般人の巻き添えが望ましくないのは同じだ。
だがこの状況では背に腹は代えられない。
隘路を形成する民家の窓を覗く。
木製の、雨戸を兼ねる造りであるため、中は見えないが、両開きの窓中央にかんぬき式の簡素な鍵がわずかに見えた。
ショートソードを右手で抜く。
ブレイドの薄さを利用して、窓の隙間にねじ込む。
そしてゆっくりとかんぬきを押し上げる。
片側を回転式の留め金で留められたそれは、かたん、と音をたてて外れた。
ショートソードをテコの様に横へ捻る。
きぃぃ
小さな軋みと共に、窓が開く。
中の様子を覗く。
倉庫の様だった。
予備の防寒具でもあれば良いが。
と目だけ動かして探すと、あっさりと見つかった。
冬用の物らしく、首元にファーの付いたコートだ。
俺は血に濡れたコートを脱ぎ捨て、屋内へ飛び込む。
ファー付きコートを手に、路地に戻って身につける。
『すまんな』
言葉に出さず家主に詫びつつ、再び走り出す。
やがてコートはその役目を果たし始める。
暖かい、というのがいかにありがたいか、文字通り身にしみる。
ぴぴぃ!ぴっ!
笛の音だ。
監視され、捕捉されている。
だが、そう離れた場所でもないと感じた。
第一目標はこの街、領から脱出した後に帰還する事だ。
『耳』の処分は優先事項ではないが、放っておけば厄介極まりない。
平屋の家屋ばかりのこの街では、監視に向く高台は無い。
だとすれば、
ふっ!
短く鋭い呼気と共に、民家の屋根の端を掴んで自らの身体を持ち上げる。
不自然なほど簡単に、その姿は見つかった。
五、六軒先の屋根に立つ人影。
罠の可能性は消せないが、俺を待っている、と言わんばかりに逃げる素振りが無い。
「……」
数瞬考えて、俺は屋根の上を走る。
民家の間を何度か跳び越え、迫る。
「何のつもりだ?」
あっさりと俺の間合いまで接近を許した『耳』に問う。
隠すつもりなど微塵も無いのだろう、団服を着ている。
「少し話そうと思ってな。俺のことはクリンと呼んでくれ」
確か『楔』という意味だったか。
クリンはイゴールと同じく、北方人の特徴を有していた。
彼より少し濃い金髪、スカイブルーの瞳。
薄い布を何重かに巻いたマフラーで、顔の下半分は見えない。
「何を話す? 裏切り者が」
いつでもショートソードを抜ける様に、両手を軽く開いておく。
クリンが鼻で笑った。
「裏切り者? 面白いな。最近じゃ『牙』はジョークの訓練もしてるのか?」
「そうかもな。長官と剣を交えるっていうジョークみたいな訓練は受けたよ」
辺りが静かだ。
「はは! そいつは確かにキツいジョークだ」
クリンは目尻を下げて笑う。
「……さっきの合図は騎士達をここへ集めるものじゃないのか?」
そうならばこんなに静かなはずがない。
クリンの顔から笑みが消える。
「そうだ。別の地点へ誘導した」
「なぜ」
短く問う。
「さっき言ったろう。話がしたかったからだよ」
もう忘れたのか、と言わんばかりにクリンは大袈裟に肩をすくめた。
「……お前、マグダウェルに忠誠心なんぞ持っちゃいないだろ。だから『裏切り者』なんて言い回しが笑えるんだよ」
薄闇の中、彼の目が光った様な錯覚を覚える。
俺を試すような、そんな目つき。
「そう警戒するな。上に言いつけやしないよ。俺だってそうだ。この見た目と北方人の血が流れているという理由で、ここへ派遣されただけだからな」
命令に忠実だったからではない、という事か。
「まあ、もともと浮いた存在だったし、それはいいさ」
何とも言い難い。
イゴールがそうであったように、クリンも差別的な扱いを受けたのだろう。
「しかし、ここへ来て驚いた。この寒さ。この貧しさ。腹一杯に食うって感覚を知らない子供もいるかもしれん」
クリンは眼下に広がる街並みを、撫でる様に両腕を広げた。
見ろよ、と。
「この領の最近の評判は知ってるはずだ。ケルベロスなら」
「領主と軍が独裁に近い体制を取っていて、領民がより貧しい生活を強いられている、か?」
機能に支障は生じない程度であるが、と前置きされた報告書は目にした。
俺は『中央でしくじった領主』が治める領地ならあり得ると、考えていた。
「ありゃ嘘だ。俺とイゴールが口裏合わせて、でっち上げた。ここじゃ肩を寄せ合わなきゃ生きていけねぇ」
奇妙な話だ。
悪評を立てて、ここに住む誰が得をするというのか。
「普通そんな報告があればどうなる? フュネス領みたいに政務官が出張るだろ。少なくとも俺にはその証拠を確保せよ、と追加調査を命じるはずだ」
クリンは一息にまくし立てた。
ふぅ、とマフラー越しに白い息を吐いた。
一拍置いて、
「試したのさ。マグダウェルが、国王がどう反応するかを。だが待てど暮らせど、なんのお達しも無しだ」
吐き捨てるように続けた。
彼の眉尻が吊り上がり、眉間にしわが寄る。
ずいぶん乱暴で危険な試し方をするものだ。
「ふん。何もいきなりやったわけじゃないぞ」
考えはお見通し、とばかりにクリンは笑う。
どこか自嘲気味に感じる。
「イゴールは何年もの間、数ヶ月ごとに国王へ書簡を送り続けていた。食料の援助要請、周辺の領とのより自由な交易の許可、檻みたいなクソうざったい森の大規模な伐採の許可……」
クリンは俺に見せつける様に、手袋に包まれた手を突き出し、指を折って一つ一つ挙げた。
「全部。全部却下だ。そもそも書簡が国王に届いているかも怪しい。ただ北方人の血を引くというだけで、マグダウェル公国に産まれ、育った人間が……」
クリンの手が、拳に変わる。
「同じ国民が、なぜこうも理不尽を強いられてんだ? なぜこの国は、ここを無い物かの様に扱うんだっ!?」
同じだ。
彼の怒りはイゴールと同じだ。
「俺だってケルベロスの人間だ。最初はただここで暮らし、情報を集めて送る。異変があれば報告する。ただの仕事だった」
クリンは腕を下ろし、目を伏せた。
「だが見ちまった光景は、感じてしまった理不尽は、無視できなかった」
これは心を冷やした『耳』が言える言葉じゃない。
こいつは『耳』から人間に戻ったんだ。
「だからといって、反乱は無いだろう。下手すればこの領は潰されるぞ」
疑問もある。
「それに俺達を本気で殺しにかかって来てるよな。うっかり死んだらどうする」
殺されるつもりも、ここの騎士達に殺せるとも思っていないが。
「まず、潰されたとしても生活は元々最低水準だ。そう変わりゃしない。次にイゴールから受け取っただろう? あれを渡す相手が変わるだけだ」
あれ、血判状だな。
「ここで『耳』に続いて『牙』が消えたとなれば、公国軍ではなく、『爪』が来る」
確実に長官はそうするだろう。
「我々が制圧されても、『爪』は長官に届け、国王が必ず知る事になる。あとの処理は完全に賭けだが、イゴールの書簡より確実だ」
我々、か。
すっかりサイティエフの領民だ。
「これもな」
クリンが懐から油紙に包んだ紙束を取り出す。
俺はイゴールの時の様に警戒はしなかった。
「これは?」
差し出された物を受け取って、彼に問う。
「イゴールを陥れた奴らの名簿だ。加えて、裏帳簿、隠し財産、不法な取引の記録、取引相手のリスト。奴らの全ての泣き所を記した書類の隠し場所だ」
なるほど。
分散させて隠すほど重要かつ膨大な量なのだろう。
俺は血判状と同じく、胸元にしまい込んだ。
「お前がくたばったら、死体から回収してそれらを『爪』に渡す」
冷徹な物言いは『耳』だった。
まだまだ疑問はあるが、そろそろ潮時だ。
「あと一つ。なぜ俺に話した」
「グレイ=ランフォード」
突然呼ばれた名前。
「領に入った時からお前だというのは判っていた。相棒の方は……残念な奴だが」
確かにクワイエトは話すより実力行使を選ぶ。
「お前は疑問を持てば、調べ尽くさないと気が済まない質だ。事実確認を優先する。だから話を聞かずにはいられない、と確信したわけだ」
『耳』の分析だ。
どこか悔しい気もするが、的を射ている。
「納得した。任務を遂行するとしよう」
右手を右もものショートソードに伸ばす。
「あ。待て」
何かに気づいて、クリンが慌てた。
この期に及んで怖じ気づくとは思わない。
動きを止めて言葉を待つ。
「そのコートは脱げ。ここでは命綱になりうる重要かつ高価な物だ。血で汚してくれるな」
言うなりマフラーを解き、団服を脱ぐ。
「これなら防寒具にも、討ち取った証拠にもなるだろう」
差し出すクリンの表情は、優しかった。
頷くしかないじゃないか。
俺はファー付きのロングコートを脱ぎ、通り側へ投げた。
騎士達が発見すれば持ち主へ帰るだろう。
「ありがとよ」
団服を手渡したクリンは、更に晴れ晴れと微笑んだ。
俺は重い団服に袖を通す。
「じゃあな」
クリンは微笑んだまま、顎をわずかに上げた。
ひゅっ
右逆手で抜いたショートソードを肘打ちの要領で水平に振り抜いた。
切っ先三センチメートルが狙い過たず、彼の喉を裂いた。
噴き出す鮮血が緩く弧を描き、身体がゆっくりと後ろへ倒れていく。
それを最後まで見届ける事無く、俺は屋根から飛び降りた。
ファー付きコートを投げた逆側へ。
マフラー越しの吐息すら白くなるほどに気温が下がっている。
路地裏の隘路で、騎士達へ指示する笛の音の出所を耳で探る。
恐らくあの方向、程度にしかわからず、結局騎士達に出くわして戦う。
この繰り返しだ。
確実にこちらの体力を削りに来ている。
実際に俺の身体は震えが止まらない。
「じり貧だな」
整えた呼吸も震えている。
べっとりと血に濡れたコートが重く冷たい。
水を弾くように作られているという話だったが、より粘性の高い血液にはあまり効果が見られない。
中まで染み込んでないだけマシではある。
どこかで代わりになる服を手に入れねば。
防寒具一式を積んだ馬は街の関所で預けた。
回収は難しい。
走り回って解ったのは、街に一般人の姿が無い。
恐らく戒厳令によって家屋内にこもっているのだろう。
こちらとしても、あちらとしても都合が良い。
一般人の巻き添えが望ましくないのは同じだ。
だがこの状況では背に腹は代えられない。
隘路を形成する民家の窓を覗く。
木製の、雨戸を兼ねる造りであるため、中は見えないが、両開きの窓中央にかんぬき式の簡素な鍵がわずかに見えた。
ショートソードを右手で抜く。
ブレイドの薄さを利用して、窓の隙間にねじ込む。
そしてゆっくりとかんぬきを押し上げる。
片側を回転式の留め金で留められたそれは、かたん、と音をたてて外れた。
ショートソードをテコの様に横へ捻る。
きぃぃ
小さな軋みと共に、窓が開く。
中の様子を覗く。
倉庫の様だった。
予備の防寒具でもあれば良いが。
と目だけ動かして探すと、あっさりと見つかった。
冬用の物らしく、首元にファーの付いたコートだ。
俺は血に濡れたコートを脱ぎ捨て、屋内へ飛び込む。
ファー付きコートを手に、路地に戻って身につける。
『すまんな』
言葉に出さず家主に詫びつつ、再び走り出す。
やがてコートはその役目を果たし始める。
暖かい、というのがいかにありがたいか、文字通り身にしみる。
ぴぴぃ!ぴっ!
笛の音だ。
監視され、捕捉されている。
だが、そう離れた場所でもないと感じた。
第一目標はこの街、領から脱出した後に帰還する事だ。
『耳』の処分は優先事項ではないが、放っておけば厄介極まりない。
平屋の家屋ばかりのこの街では、監視に向く高台は無い。
だとすれば、
ふっ!
短く鋭い呼気と共に、民家の屋根の端を掴んで自らの身体を持ち上げる。
不自然なほど簡単に、その姿は見つかった。
五、六軒先の屋根に立つ人影。
罠の可能性は消せないが、俺を待っている、と言わんばかりに逃げる素振りが無い。
「……」
数瞬考えて、俺は屋根の上を走る。
民家の間を何度か跳び越え、迫る。
「何のつもりだ?」
あっさりと俺の間合いまで接近を許した『耳』に問う。
隠すつもりなど微塵も無いのだろう、団服を着ている。
「少し話そうと思ってな。俺のことはクリンと呼んでくれ」
確か『楔』という意味だったか。
クリンはイゴールと同じく、北方人の特徴を有していた。
彼より少し濃い金髪、スカイブルーの瞳。
薄い布を何重かに巻いたマフラーで、顔の下半分は見えない。
「何を話す? 裏切り者が」
いつでもショートソードを抜ける様に、両手を軽く開いておく。
クリンが鼻で笑った。
「裏切り者? 面白いな。最近じゃ『牙』はジョークの訓練もしてるのか?」
「そうかもな。長官と剣を交えるっていうジョークみたいな訓練は受けたよ」
辺りが静かだ。
「はは! そいつは確かにキツいジョークだ」
クリンは目尻を下げて笑う。
「……さっきの合図は騎士達をここへ集めるものじゃないのか?」
そうならばこんなに静かなはずがない。
クリンの顔から笑みが消える。
「そうだ。別の地点へ誘導した」
「なぜ」
短く問う。
「さっき言ったろう。話がしたかったからだよ」
もう忘れたのか、と言わんばかりにクリンは大袈裟に肩をすくめた。
「……お前、マグダウェルに忠誠心なんぞ持っちゃいないだろ。だから『裏切り者』なんて言い回しが笑えるんだよ」
薄闇の中、彼の目が光った様な錯覚を覚える。
俺を試すような、そんな目つき。
「そう警戒するな。上に言いつけやしないよ。俺だってそうだ。この見た目と北方人の血が流れているという理由で、ここへ派遣されただけだからな」
命令に忠実だったからではない、という事か。
「まあ、もともと浮いた存在だったし、それはいいさ」
何とも言い難い。
イゴールがそうであったように、クリンも差別的な扱いを受けたのだろう。
「しかし、ここへ来て驚いた。この寒さ。この貧しさ。腹一杯に食うって感覚を知らない子供もいるかもしれん」
クリンは眼下に広がる街並みを、撫でる様に両腕を広げた。
見ろよ、と。
「この領の最近の評判は知ってるはずだ。ケルベロスなら」
「領主と軍が独裁に近い体制を取っていて、領民がより貧しい生活を強いられている、か?」
機能に支障は生じない程度であるが、と前置きされた報告書は目にした。
俺は『中央でしくじった領主』が治める領地ならあり得ると、考えていた。
「ありゃ嘘だ。俺とイゴールが口裏合わせて、でっち上げた。ここじゃ肩を寄せ合わなきゃ生きていけねぇ」
奇妙な話だ。
悪評を立てて、ここに住む誰が得をするというのか。
「普通そんな報告があればどうなる? フュネス領みたいに政務官が出張るだろ。少なくとも俺にはその証拠を確保せよ、と追加調査を命じるはずだ」
クリンは一息にまくし立てた。
ふぅ、とマフラー越しに白い息を吐いた。
一拍置いて、
「試したのさ。マグダウェルが、国王がどう反応するかを。だが待てど暮らせど、なんのお達しも無しだ」
吐き捨てるように続けた。
彼の眉尻が吊り上がり、眉間にしわが寄る。
ずいぶん乱暴で危険な試し方をするものだ。
「ふん。何もいきなりやったわけじゃないぞ」
考えはお見通し、とばかりにクリンは笑う。
どこか自嘲気味に感じる。
「イゴールは何年もの間、数ヶ月ごとに国王へ書簡を送り続けていた。食料の援助要請、周辺の領とのより自由な交易の許可、檻みたいなクソうざったい森の大規模な伐採の許可……」
クリンは俺に見せつける様に、手袋に包まれた手を突き出し、指を折って一つ一つ挙げた。
「全部。全部却下だ。そもそも書簡が国王に届いているかも怪しい。ただ北方人の血を引くというだけで、マグダウェル公国に産まれ、育った人間が……」
クリンの手が、拳に変わる。
「同じ国民が、なぜこうも理不尽を強いられてんだ? なぜこの国は、ここを無い物かの様に扱うんだっ!?」
同じだ。
彼の怒りはイゴールと同じだ。
「俺だってケルベロスの人間だ。最初はただここで暮らし、情報を集めて送る。異変があれば報告する。ただの仕事だった」
クリンは腕を下ろし、目を伏せた。
「だが見ちまった光景は、感じてしまった理不尽は、無視できなかった」
これは心を冷やした『耳』が言える言葉じゃない。
こいつは『耳』から人間に戻ったんだ。
「だからといって、反乱は無いだろう。下手すればこの領は潰されるぞ」
疑問もある。
「それに俺達を本気で殺しにかかって来てるよな。うっかり死んだらどうする」
殺されるつもりも、ここの騎士達に殺せるとも思っていないが。
「まず、潰されたとしても生活は元々最低水準だ。そう変わりゃしない。次にイゴールから受け取っただろう? あれを渡す相手が変わるだけだ」
あれ、血判状だな。
「ここで『耳』に続いて『牙』が消えたとなれば、公国軍ではなく、『爪』が来る」
確実に長官はそうするだろう。
「我々が制圧されても、『爪』は長官に届け、国王が必ず知る事になる。あとの処理は完全に賭けだが、イゴールの書簡より確実だ」
我々、か。
すっかりサイティエフの領民だ。
「これもな」
クリンが懐から油紙に包んだ紙束を取り出す。
俺はイゴールの時の様に警戒はしなかった。
「これは?」
差し出された物を受け取って、彼に問う。
「イゴールを陥れた奴らの名簿だ。加えて、裏帳簿、隠し財産、不法な取引の記録、取引相手のリスト。奴らの全ての泣き所を記した書類の隠し場所だ」
なるほど。
分散させて隠すほど重要かつ膨大な量なのだろう。
俺は血判状と同じく、胸元にしまい込んだ。
「お前がくたばったら、死体から回収してそれらを『爪』に渡す」
冷徹な物言いは『耳』だった。
まだまだ疑問はあるが、そろそろ潮時だ。
「あと一つ。なぜ俺に話した」
「グレイ=ランフォード」
突然呼ばれた名前。
「領に入った時からお前だというのは判っていた。相棒の方は……残念な奴だが」
確かにクワイエトは話すより実力行使を選ぶ。
「お前は疑問を持てば、調べ尽くさないと気が済まない質だ。事実確認を優先する。だから話を聞かずにはいられない、と確信したわけだ」
『耳』の分析だ。
どこか悔しい気もするが、的を射ている。
「納得した。任務を遂行するとしよう」
右手を右もものショートソードに伸ばす。
「あ。待て」
何かに気づいて、クリンが慌てた。
この期に及んで怖じ気づくとは思わない。
動きを止めて言葉を待つ。
「そのコートは脱げ。ここでは命綱になりうる重要かつ高価な物だ。血で汚してくれるな」
言うなりマフラーを解き、団服を脱ぐ。
「これなら防寒具にも、討ち取った証拠にもなるだろう」
差し出すクリンの表情は、優しかった。
頷くしかないじゃないか。
俺はファー付きのロングコートを脱ぎ、通り側へ投げた。
騎士達が発見すれば持ち主へ帰るだろう。
「ありがとよ」
団服を手渡したクリンは、更に晴れ晴れと微笑んだ。
俺は重い団服に袖を通す。
「じゃあな」
クリンは微笑んだまま、顎をわずかに上げた。
ひゅっ
右逆手で抜いたショートソードを肘打ちの要領で水平に振り抜いた。
切っ先三センチメートルが狙い過たず、彼の喉を裂いた。
噴き出す鮮血が緩く弧を描き、身体がゆっくりと後ろへ倒れていく。
それを最後まで見届ける事無く、俺は屋根から飛び降りた。
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