神喰らいの蛇レイ・スカーレット

海水

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亡国の姫と神を狩る者

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 あのお方は、あのお方こそ在り続けるべきお方であったのにもかかわらず、私に血を与えて姿を消してしまった。そして死に損ないの近衛に命じた最後の使命は、来る日まで国宝を守護することと、巫女より預かりし物をレイ・スカーレットという女に届ける。その二つの使命だった。





 

 絶望、それ以外今の私たちを現す言葉はなかった。全能の黄金の女神フィニカスの子の一人、黄金神族の炎帝イグマルスが率いる炎帝軍によって、私の祖国クリフォート王国は壊滅した。
 陛下、いやお父様の命で私は王城に避難した民たちと共に王国北のロンクームを目指して逃避の行進を行っていたが、道中で待ち構えていた人攫いのノーデン人の一団に奇襲され、見るも無惨な結果となった。
 皆奴隷として売り捌かれ、労働の末に死ぬのを待つだけだった。そして王族の私は、民を守る事さえできない齢十三の愚かな姫は高貴な血で価値があることから、白鯨海を越えた先の女神フィニカスが降り立った神話の地、ホワイトランドまで攫われたのだ。
 


 ノーデン人のロングシップは白鯨海からそのままホワイトランドの河川に入り込み、平坦な河をゆっくりと遡って進んでいく。
 この辺りは湿地帯となっているようで、独特の泥の臭いが時折り鼻を突く。それと同じくらい体臭を臭わせる私を攫ったノーデン人たちは、彼らなりに賭け事などで船上の暇つぶしをしつつ、交代制で見張りをしていた。
 北部に入植したノーデン人にとってもホワイトランドは決して気の緩めることができない場所のようだ。彼らに侵略されたランド人たちはいつでも復讐の好機を伺っているに違いない。
 あわよくば諍いになってくれれば、私にはまだ誰かの愛玩動物にされる未来から逃げられるかもしれない。
 そんな淡い期待を寄せた矢先、ノーデン人の人攫いたちが下品な笑い声をあげて、どこかニヤついた様子で岸辺を見ていた。女だ、少し赤みがかった長い茶髪の女が、岸辺で下履きを急いで上げて立ち上がっていた。腰には長剣を鞘に納めた状態で下げており、女は長い髪をかき上げてこちらに冷ややかな視線を向けた。

「おい、ねえちゃん。催してるんなら俺が手伝ってやろうか。」

 人攫いの一人が下心丸だしの表情で女に声をかける。
 女は溜め息を吐くと、左手で背中から弩を取り出し、素早くボルトを装填して射出した。ボルトは声をかけた男の頭を貫通して、見たまんま即死の一撃だった。

「貴様、いきなり何しやがる!」

 人攫いたちは速やかに臨戦体制をとり、ロングシップは滑らかに岸に乗り上げた。彼らは船から飛び降りて女を包囲する。

「おいおい、私は高くねえだけだぞ。そいつは脳みそをぶちまけるという形で対価を支払っただけだ。生憎、利子は遠慮しておくよ。」

 彼女の挑発にまんまと大斧を持った一人が乗っかり斧を振り上げて飛びかかるが、女は素早く懐に入り込み弩で男の顎を殴り飛ばした。男は一撃で意識を失ったようでそのまま川の中に落ちた。
 そのまま人攫いたちは怒りに任せて彼女に襲い掛かり、私の見張りを担当する者まで加勢してきたが、女は嫌そうに弩を仕舞うと近接格闘で一人を倒した。それから剣を奪って、後に続く三人全員を一瞬で撫で斬りにした。
 彼女は血濡れた剣を川に捨てると、私の方へ歩み寄る。私の首と両腕を拘束する鎖の枷を見た瞬間、彼女は顰めっ面を浮かべた。それはそうだ死体のうちの半分以上は川に落ち、そのうちの誰かがこの枷の鍵を持っているはずなのだ。

「はあ、本当はこんな事のために使うつもりはないんだけどな。」

 彼女は溜め息混じりに腰に下げた長剣を抜く。蒼銀の美しい刃は直線的な独特の刃紋を浮かべ、赤い光の粒のような粒子が剣身から仄かに出ていた。
 ルーンソードと呼ばれるこの剣は、この剣を持つ者がどんな人間か誰もが知っている。かつて文明を滅ぼした悪行で、大陸連合軍によって拠点とする都市国家テオゴニアごと滅ぼされた者たち、今となっては伝説の存在になった“神狩り”だ。

「あなたは、なの?」

 女はルーンソードで容易に私の枷を切断して破壊する。彼女は私の言葉を聞いた瞬間、私の首に剣を突きつけて小刻みに動かした。
 一瞬、恐怖から身体が強張ってしまったが、首枷が抜け落ちるように、私の背面に音を立てて落下した。

「・・・・・・かつてはな。お嬢ちゃん、名前は? 見たところ学のある高貴そうなご身分だ。あんたの親からの謝礼が期待できそうだな。」

 どうやら器用に剣で枷を破壊したようだった。剣とは到底思えない恐ろしい切れ味だ。
 それにしても、いきなり欲丸出しの言葉をかけられるとは思わなかった。金と契約に忠実な人間は下手な忠誠心よりも信頼できると、お父様の古き友人から聞いたことがあるが、果たしてどうなのだろうか。

「ま、まずは助けていただき感謝いたします。私はリナリア・セレナ・ゴデッソン、大陸のクリフォート王国の王女です。是非恩人であるあなた様のお名前もお聞かせください。」

 女は顰めっ面を浮かべて、顎に手を当てて長考する仕草を見せた。

「王族かあ、厄介事に首を突っ込んじまったか。私はレイ、レイ・スカーレットだ。ただそれだけの女だよ。」

「レイ殿、どうか私にお力添えいただけませんか。今王国は炎帝軍に攻め込まれて存亡の危機なのです。私は姫としてノーデンの人攫いに捕まってしまった自国の民を救いたいのです!」

 神狩り、レイ・スカーレットは深く溜め息を吐くと、項垂れるようにその場にしゃがみ込んだ。

「そうかの野郎、遠征に誘ったりして来たがそういうことか。今回は随分でかい行動に出やがって、デイモスの悪行によってはただじゃおかないと忠告したはずだったが。」

 彼女はどこか上の空で何か彼女にしかわからない話を一人で呟いている。

「礼なら、一生不自由しない暮らしを提供します。どうか、後生のお願いです!」

「それで、今目の前に偶然現れた神狩りだった女に泣きつくのか? 私はお前の最悪かもしれないんだぞ。」

 この人は助けておいて何を言っているの。現状私にある選択肢はこの人しかないのに、絶対に引き下がってやるもんか。
 結果的に私を救ったレイを強い眼差しで見つめる。彼女は如何にも嫌そうな目で私を見ていたが、深くため息を吐いて顔を横に振った。

「わかったよ。どうせ暇だからな、付き合ってやる。」

 彼女は私の手を掴んで立たせる。

「酷い格好だ。一国のお姫様に相応しい服を用意するのは論外だが、最低限の身だしなみは整えるぞ。でなきゃ私が人攫い扱いされてしまう。」

 そう言いながらレイは私に背を向けて先を行く。謎が多く、とても危険な女性。今の私にはそういうふうにしか見えなかった。
 だが、彼女は震える左手を静かに握りしめて歩いていたのだ。
 


 


 レイ・スカーレットに導かれて、私たちは森林の中を進んだ。湿地帯の荒れた景色から一転し、緑豊かで優しい木漏れ日の降る森へと変わった。
 私の気分とは裏腹な周囲の様子に、正直複雑な気持ちになる。
 レイ・スカーレットは銅貨を数枚、茂みに投げ込むと不自然に生えた二本の樹木の間を通り抜ける。
 
「リナリア、お前の分も支払ってある。私の後をついて来るだけで良い。」

 彼女は右手で私を手招きする。不自然に右腕だけ手甲を装着していると思ったが、金属の擦れる音から察するに、彼女の右腕は義手なのだろう。それに見たこともない技術で造られた義手で、人間の腕の動きを完全に再現している。これは彼女が神狩りであるが故に持つ、太古の叡智の遺物の力なのだろうか。
 レイは私が右腕を凝視していることに気づいたようで、彼女は外套から腕を出して袖を捲って見せた。彼女の右腕は肘の上まで機械仕掛けの義手となっていた。

「ここを通る時間には限りがある、聞きたいことは歩きながら話そう。」

 彼女はそう言うと私に背を向けて先へ進む。歩きながら話す間もないので、私もレイの後を追って木の間を通り抜ける。すると眩い陽光が正面から照らされ、私たちは森の中の開けた場所に出た。
 真っ先に目に飛び込んだのは素朴な煉瓦の家だ。二階建てで、庭は煉瓦の石壁で囲われていて幾つかの種類の野菜が育てられている。鳥の囀りが心地よくて穏やかな場所だ。
 レイは家へと続く石畳を歩いて進む。

「ここはパトロンから借りている私の拠点だ。幾つかの決まった場所から、決まった手順でないと来る事ができない。原理はよくわかっていないが、何らかの太古の叡智の遺物の力なのは間違いない。戻るのは数ヶ月ぶりかな、根無草の私には素敵な家というのは性に合ってなくてね。」

 彼女が私にそう説明していると、家の扉が強く開け放たれてメイド服を着た浅黒い肌の若い女性が、すごい剣幕でこちらに向かって歩いて来る。そしてそのままレイの胸元に掴み掛かった。

「レイ・スカーレット、このクソアマ! またよくも私をここに閉じ込めたな!」

「落ち着けエズメラルダ、苦情ならお前の雇い主のフォボスか結社に送り出した父親に言え。私を懐柔しようなんて発想が、そもそも結社にとって悪手なんだよ。父親の大人しく恩返しに付き合ってやるんだな。」

 レイに掴み掛かった少女エズメラルダは、そのまま怒りに任せてレイの顔面に右手の拳を叩きつける。しかし、レイは微動だにせず寧ろエズメラルダが右手を抑えて呻き声を上げた。

「こ、この化け物ババア!」

「てめえ、言って良いことと悪いことがあるだろうが。父親にチクるぞ。・・・・・・まあその前にひとつ仕事だ。そこにいるクリフォート王国の王女殿下を綺麗にして、まともな服を用意してやれ。無礼は働くなよ、何せ王女殿下だからな。」

 レイは私にお茶の席で詳しい話をしようと言い残し、先に家の中へと消えた。
 エズメラルダはレイの方を見ながら舌打ちをして私の元へ歩み寄り、平民ではできない美しい所作で上流階級の人間の礼をする。

「お初にお目にかかります。私はハイランディア王国のエグバード家のエズメラルダと申します。王女殿下は見たところ、炎帝軍にしてやられて人売りに捕まったところを、あのババアに助けられたみたいですね。あっ、私の口の悪さはもう直らんので勘弁してくれ。」

「私はリナリア・セレナ・ゴデッソン。クリフォート王国の王女です。その・・・・・・。」

「いいよ、いいよ。聞きたいことはいっぱいあんだろ。まずこの家はな、私の親父があのババアに貸し出しているんだ。元々結社の隠れ家のひとつなんだが、親父が貸しを作っちまったもんだから、今はこんな様なんだよ。私は私で、身の回りの世話を押し付けられた哀れな後継ぎ娘なだけさ。」

 エズメラルダに手を引かれて家の中に招き入れられる。

「それはそうと、人攫い共はお姫様に随分と酷い扱いをするんだな。臭いなんてもんじゃないぞ。」

 エズメラルダに面と向かって直接言われると、流石に来るものがある。傷物にはできないが、あのノーデン人の男共には酷い目に遭わされた。それこそあんなものを擦り付けられたり・・・・・・思い出すだけで吐き気がする。これは間違いなく墓場まで持っていかなければならない屈辱だ。

「茶の匂いが台無しだから、さっさと洗い流して来い。リナリア、エズメラルダはその事に関しては赤ん坊みたいに無垢だからな、聞かれても何も答えなくていいぞ。」

 玄関から入ってすぐの台所の入り口にレイが壁に寄りかかりながら立っていた。装備を脱いで、袖の無い黒い服だけを来た非常に身軽な格好だ。そして彼女の二の腕から下の機械仕掛けの義手が剥き出しになっていた。そして彼女の胸には銀色の環のような物が鈍く光っていて、思わずその不可思議な物を凝視してしまう。
 そして、どうやらレイには私の身に起きた事が想像がついているようだ。さらに彼女が言うには、エズメラルダにはそういう知識が全く無いとのことだ。私よりも歳上だと思うが、貴族階級ぐらいの人でその教育を今も受けていないのは珍しいと思う。

「何だよババア。」

「お前は黙って、リナリアを風呂に入れてやれば良いんだよ。さっさと行け。」

 レイは腕を組んだままエズメラルダの臀部を軽く蹴り、それに対して彼女は文句を言いながら私の手を引いて風呂場へと行く。
 床が一面タイルとなっている、まるで大貴族か王族の家かと錯覚する造りの部屋に水の溜められた大桶と大きな鏡があった。
 エズメラルダは赤い石を砕いて、破片の幾つかを桶の中へと放り込む。

「ほら、服を脱いで。ですぐにお湯になるから一番温かいのを逃すと損だぞ。」

 半分彼女にひん剥かれる形で、一糸纏わぬ姿にされて押し込まれるように湯船に浸かった。エズメラルダは私の頭の上から少しずつお湯をかけて薄汚れた金色の髪を梳かしてくれる。

「なんか妙にギトギトしているな。せっかく綺麗な金色の髪なのにもったいない。」

 彼女が私の身体の汚れについて言及する度に思い出したくない事が脳裏を過ぎり、複雑な気持ちにさせてくれる。何か他の話題で気を紛らした方が良さそうだ。

「ね、ねえ、さっき言っていた業火石って何なの?」

「ん? ああ、大したもんじゃないよ。黄金神族の炎帝イグマルスが炎帝軍の兵士達に支給した武器の一種だよ。炎帝の業火が閉じ込められている石さ。さっき使ったのは、火力が落ちているけど熱が残っている物だ。あのババアが炎帝兵から奪った物らしい。何かと便利だからこうして有効活用しているんだ。」

 言われて思い出した。クリフォート王国の王都に攻め込んだ炎帝軍の兵士達は皆、石を砕いて武器に業火を纏わせていた。一人一人の強さが王国の精強な騎士達を上回っていて、まさに恐怖そのものが侵略をしているといった光景だった。
 悔しい、あの絶望を覆す力、そんな力があれば国民をお父様を、救えたかもしれないのに。 
 もしくは私が小さい頃に起きたあの事件、諸国が手を結んで都市国家テオゴニアごと神狩りを滅ぼしたあの事件がなければ、神狩りが助けに来たかもしれなかったのに。よりにもよって世界で最も強い神々、王国を滅ぼした炎帝イグマルスも含む黄金神族の地で神狩りの生き残りに遭遇するとは思わなかった。
 唇を噛み締め、両腕を掴む手の爪を思わず立ててしまう。
 情けなく奴隷になるために生き残った自分が憎くなる。女で高貴な血だからという理由で、誰かの玩具にされるために生かされたことが本当に情けない。
 口の中で血の味がして、両腕からは突き刺さる痛みを感じる。

「おい、何やってんだ。血が出てるぞ!」

 エズメラルダは私の脇を抱えて湯船から立たせる。彼女は私の正面に周り込んで顔を覗き込むと、やるせない表情でため息を吐いた。

「すぐに手当てするよ。辛かったよな。いや、今も辛いよな。でも今だけは自分のことを赦してやれよ。そうしないとあのババアみたいになっちまうぞ。あいつは何もかもが赦せないから・・・・・・無理だ。私の口からはこれ以上は言えない。言う資格がない。」

 エズメラルダは俯いて、ふかふかの柔らかいタオルで私の身体を拭き始めた。すごく心地良くて、いつかあの時のように包み込まれていた幸せな気持ちのような物を感じるが、すぐに負の感情がそれを上書きしていってしまう。
 タオルを肩に羽織った状態で、エズメラルダが服を取って戻るまで風呂場でしばらく立たされていると、レイが風呂場に入って来た。

「・・・・・・自傷なんて、何のためにもならないぞ。」

 彼女はそう呟くと、タオルの下の私も裸体を舐め回すように見る。

「な、何ですか?」

「何でもないさ。王女様は良い物を食べてるから、歳の割に良い体つきだと思ったぐらいだ。」

 レイは悪戯な笑みを浮かべながらそう言ったが、なぜか左手で右腕の義手を抑えるように掴んでいた。義手の作った握り拳に力が入り、僅かに震えていた。

「ク、クリフォート王家と貴女に、何か因縁でもあるんですか?」

「おいおい、随分直接的な表現で質問するな。まあ答えは無しだ。王族と因縁なんて全く無い。それと、ひとつアドバイスをしよう。事なかれ主義は長生きの秘訣だ。その代わり何も成す事ができない。何かを成す存在になりたければ、犠牲を捧げる覚悟が必要だ。茶はまだ温かい、服を着たらすぐに居間に来い。」

 そう言うとレイはエズメラルダと入れ替わるように去って行った。
 エズメラルダは肌着と赤いセーターと素朴な下履きを持ってきて、私の両腕の手当てをすると、すぐに私に有無を言わせずに着せた。そうして満足そうに頷くと、私を居間まで案内する。
 居間のソファにはレイが脚を組んで座っていた。彼女の身体は同じ女性とは到底思えないほど屈強だ。クリフォート王国にも女性の騎士がいたが、神狩りレイ・スカーレットは対峙するだけで妙な緊張感がある。そう、まるで蛇に睨まれているような感覚だ。

「どうぞ。エズメラルダの分もある。」

 彼女は私たちに席に着くように促す。彼女に勧められるがまま席に着くと、レイは脚を崩して前のめりの姿勢で座る。両手の指先を合わせて、両腕の膝を膝の上に乗せて身体の支えにする姿勢だ。

「さてと、リナリア。まずは仕事の話をしようか。お前の人攫いに攫われた王国の民を救いたいという話だが、すでに大幅に後手に回った状態での行動というのが大前提となる。わかるな?」

「はい。」

 そうだ、私だけホワイトランドに連れて来られて日数が経ってしまい、もう既に全員を救うという目的は不可能に等しい。

「幸い、捜索の足がかりになる当てもあるし、ノーデン王国の協力も得られる可能性も高い。私の見立てだが、ノーデン人の人攫いは往々にして国から追放された犯罪者の可能性が高い。ノーデン王まで話が届けば、国王は喜んで人攫い狩りをしてくれるだろう。闇市の捜索にも出てくれるはずだ。」

 レイの話は非常に望みがあるように聞こえる。だがどうしてだろうか、彼女の表情と声色は明らかに厳しいものだ。

「だが、ひとつ馬鹿でかい問題がある。白鯨海の影響で私たちはホワイトランドから出る事ができない。リナリアを攫った奴らは、実は船に白鯨避けオイルのランタンを下げていた。精製技術が失われたオイルだし、そう簡単に手に入る代物ではない。それこそホワイトランドで所持しているのは黄金神族かその末裔ぐらいだ。普通に白鯨海を渡るなら、春の終わりの限られた二週間だけだ。来年まで待たないと渡れない。私が言いたい事がわかるか?」

 どうして、それでは私を攫うことそのものがあの待ち伏せだったというの。レイの言うオイルが本当ならば、戦争に乗じた人攫いではなく、私を攫うことを前提として上で黄金神族かそれに近しい者があれを雇ったということになってしまう。
 
「うそ、でしょ。」

「先に謝っておくが、お前を乗せた船のところに私が現れたのは偶然じゃない。まあ、小便を見られたのは完全に想定外だったが、私は白鯨海を時期以外で渡った船を察知して調査に来ていた。正直、あの時はお前の処遇について全く考えてはいなかったが、色々纏まった今なら言おう、この件には神狩りが必要だ。ホワイトランドの秩序を守る結社も黙って見過ごせない一件だ。」

 なんという事だ。狙われたのは私たちではなく私だったのか。レイは人攫いを前提で話してくれた、もし私を攫うついでに国民たちが捕まったのであれば望みはありそうだが、最悪のシナリオは、私を捉えた後に国民たちは一人残らず殺されるというものだ。
 そして、白鯨海は来年までは越える事ができない。もし伝書鳩でレイの言うノーデン国王まで情報を伝える事ができても、私はこのホワイトランドでその成否を待つことしかできないのだ。なんて歯痒くて、何もできない自分自身に嫌気がする。
 私はどうすれば良いのだろうか。

「私は指を咥えてホワイトランドで待つことしかできないのですね。」

「大雑把に言えば、その通りだな。だが、やる事が無いなんてこともない。私だってホワイトランドを出れないからお前の国民探しができない。だから、神狩りとしてこの一件の犯人探しをするつもりだ。リナリア、お前はこの家で安全に過ごすか、私と共に行動するかの二つの選択肢がまだ残されている。お前はどちらを選ぶ?」

 レイは右手の義手で指を人差し指と中指を二本立てて私に見せる。きっとどちらにせよ、彼女は行動を起こすに違いない。きっと私はここに引きこもっている方が、安全で攫った者たちの思惑も容易に挫くことはできるはずだ。
 でも・・・・・・ふと、お父様に珍しく剣の稽古をつけてもらったことを思い出した。昔から侍女たちからはお転婆と呼ばれて、よく将来の結婚の心配をされていたっけか。そしてお父様は誰にも私をを止めることはできないと言った。私はお父様の若かりし頃にそっくりで、お父様も周囲の静止を振り切って突き進む人間だったそうだ。私も一人で勝手に訓練場に入って、訓練用の木剣を振り回したものだった。剣の腕は上達する間もなく、このような事態に陥ってしまったが。
 誰にも私を止められない。私は、私自身を取り戻すべきだ。私を奪おうとした誰かを突き止めて、一矢報いなければ腹の虫が収まる気がしない。

「もちろん、共に行きます! 暗躍する者たちのせいで、狂わされた王国の民たちの運命の無念を直接晴らさないと納得できない!」

 レイは口角を上げて、少し嬉しそうな表情で紅茶を啜った。一方でエズメラルダは不満気な表情で紅茶を一気に飲み干す。そして彼女は呻き声を上げて、慌ててティーカップを机の上に戻すと、立ち上がってレイに向かって何かを言いかけて彼女の上に倒れ込んだ。
 レイは至って冷静に倒れ込む彼女を受け止める。次から次へと起きる事が多すぎて、そろそろ私の頭で理解する限界が近くなってきた気がする。

「リナリア、気にしなくて良い。エズメラルダもエズメラルダで訳ありでな、彼女を極力ここに閉じ込めておくのが、私と彼女の父親との約束なんだ。というわけで、寝室に運び込むのを手伝ってくれ。」

 エズメラルダを担いだレイは、二回に上がるまでの間で少々困惑気味に、エズメラルダが睡眠薬入りの紅茶を飲んだのがこれで五回目だと呟いた。
 彼女も彼女でどうやら狙われている存在らしい。そして護るためには今のところ閉じ込めておくのが最善措置なのだそうだ。
 レイ曰く、この家に来るには特定の道で通行料を支払う事が条件だそうだが、エズメラルダは通行料を払わずに無理矢理連れてきたため、彼女は出て行くためには莫大な金額を払うか、同じ条件、つまりは第三者に誘拐される形でないと出ていけないそうだ。
 既にレイが誘拐する形で連れて来たため、エズメラルダはまた別の人物の手引きで、荷物として運ばれない限り出れないのだそうだ。この条件を知っているにはレイとエズメラルダの父親だけなのだそう。正直逃げる心配は無いのだが、念には念をといつも眠らせているらしい。
 レイはエズメラルダを寝室のベッドに寝かせると、優しくゆっくりと扉を閉めた。

「よし、では私たちは早速行動に出よう。まずはノーデンの協力を得るためにある人物の元へ行くぞ。」

 そう言うとレイは居間に置いていた自身の装備品を手に取り、袖を通してベルトを締め、外套を再び羽織って出会った時と全く同じ格好になった。それから彼女は、居間の隅に置かれたクローゼットを開けて新緑色のポンチョとポーチを取り出した。

「昔、私が使ってた物だ。今のリナリアに丁度良いだろう。お姫様にお下がりを着せる無礼ぐらいは許してくれよ。」

「あっ、ありがとうございます。」

 彼女からポンチョとポーチを受け取り、さっそく装備する。ポンチョは見た目以上に丈夫でいざ羽織ってみるととても暖かい。ポーチも手頃な大きさで、中にはいくつかの銀貨と遠眼鏡が入っていた。

「マシな道具は後々揃えよう。」

 レイはそう言うと先に玄関へと向かい、扉を開けた。実はここまでまともに睡眠をとるような休みを取ることなく活動しているが、この家に来てからは不思議と疲労感が全く無いのだ。これが太古の叡智の遺物の不思議な力なのだろうか。
 人智を超えた神々も恐れる太古の叡智の遺物、神狩りは元々それを破壊、または回収して保管する事が使命だったという。それがいつの日か、とある神狩りの過ちによって彼らは滅ぼされる運命となってしまった。
 レイ・スカーレット、彼女はきっと生き残った最後の神狩りだ。何故彼女は生き残ったのか、何故彼女は戦うことなく潜伏し続けていたのか、今の私ではまだ知ることができない。
 神狩りレイ・スカーレットと私の邂逅が、彼女の運命と宿命、さらには世界をも巻き込む巨大な戦いの始まりにすぎないのは、今の私には想像もつかなかった。







第一話「亡国の姫と神を狩る者」完
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