幸せの大樹

高崎司

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第14話 文化祭前日

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 牧野先輩の誤解を解いてからこっち、俺は文化祭準備に忙しく動き回っていた。
 クラスの出し物で使用する材料の買い出しや調理器具の準備に追われ、気が付けば、文化祭はもう明日に迫っていた。
 そんな前日の放課後。クラスに残って作業している皆の目を盗み、こっそり教室を抜け出すと、俺は三階へと向かうべく廊下を一人歩いていた。
 廊下の窓から下を覗けば、いつもの中庭が眼下に広がっており、秋の色彩を深めていた。
 そんな景色を見ながら歩を進めていると、反対側からタイミングよく牧野先輩がやってきた。
 実に数週間ぶりの邂逅である。お互いに歩調を弛めると、示し合わせたかのようにぴたりと立ち止まる。
「お久しぶりです、牧野先輩」
「海斗くん。元気にしてた?」
「はい。と言っても文化祭の準備でくたくたですけど」
「そっか。準備頑張ってね」
 二言三言話すと、牧野先輩はそのまま歩き出そうとしてしまう。
「あっ、牧野先輩!」
 思いの外大きな声が出てしまい、牧野先輩もビクッと体を震わせて再度こちらを振り返る。
「急にどうしたの?」
「すいません。実は牧野先輩に用事があったんです」
「なんだ。それなら最初にそう言ってくれればいいのに」
 有無を言わせず立ち去ろうとした人の台詞とは思えないが、こうして立ち止まってくれたので良しとしよう。
 ごくりと生唾を飲み込み気持ちを落ち着ける。
「あの、牧野先輩は、明日か明後日のどちらか空いてますか?」
「え? それって……もしかして、お誘い……?」
「えっと、はい。もし空いているのなら、一緒に文化祭を見て周りませんか?」
「どうして私なのかな? 夜野さんはいいの?」
「夜野さんとは何もないって、先輩には話しましたよね?」
「あ……ご、ごめん」
 思いの外強い否定の言葉が口をついて出てしまった。
 先輩も気まずげに顔を伏せる。
「俺は牧野先輩と一緒に周りたいんです。ダメ……ですか?」
「ううん、ダメなんかじゃないよ。私でいいなら一緒に周ろうか」
「はい、お願いします。それじゃあ呼び止めてすいませんでした」
 最後に頭を下げ、牧野先輩が去るのを見送ってから、ふーっと長い息を吐き出す。
 柄にもなく緊張していたのか、シャツが大量の汗を吸い肌にべっとりと張り付いていた。
「こんなところに居たのね。何をしていたの?」
 背後からかけられた声に、振り返らずに答える。
「ちょっと野暮用がありまして。夜野さんには関係ないことですよ」
「あら、つれないのね。ところで、文化祭は誰と周るか決まっているのかしら?」
「ええ、一応。ちなみに誰かは言いませんよ」
「牧野先輩でしょ?」
「…………」
「そう。黙っていたらそれは正解だと言っているようなものだと思うけど、まぁいいわ。早く戻ってきて手伝ってちょうだい」
「わかりました。すぐに戻りますよ」
 背後から足音が遠ざかっていくのを聞きながら、拍子抜けしたような気分になっていた。
 てっきり根掘り葉掘り聞かれると思っていたのだが、思いの外あっさりと身を引いたものだ。
 そして、しっかり足音が聞こえなくなるまで待ってから、俺も教室へと戻った。


 教室に戻ると内装が文化祭仕様になりつつあった。
 俺もメイド喫茶に行ったことなどなかったが、たぶんこんな感じの内装なのだろうと思わせるほどには完成度が高かった。
 全体的に可愛らしさを前面に出しつつ、清潔感も出ていて素人目に見てもよくできていると思った。
「どう海斗? すごいと思わない?」
「夜野さん主導でやったんですか?」
「いいえ。内装班がネットを使って調べてくれたのよ。実際の店舗を真似て作ってあるから完成度は高いと思うの」
「そうなんですか。いや、素直にすごいと思いますよ。まさかこれほどの作りになるとは思ってもみなかったです」
「でしょう。もっと褒めてもいいのよ」
「別に夜野さんの手柄ではないでしょう。よくそこまで自信満々に言えますね」
「それが私だもの。よく知っているでしょう?」
「そうですね」
 慣れ親しんだやり取りにこめかみを押さえつつ、ついに迫った文化祭へと思いを馳せる。
 牧野先輩と約束はできた。
 後はこのまま何事もなく終わってくれればいいのだけど……。
「海斗は調理器具のセッティングをお願いできるかしら?」
「わかりました」
 率先して指示を出している彼女の指示に従って調理器具をセッティングする。
 と言っても、ガスボンベ式のミニコンロを所定の位置に置き、食材を適切な場所へと配置するだけなのだが。
 当日はオムライスとドリンク数種類という無理のないメニュー作りになっている。
 オムライスは一応手作りではあるが、料理が得意な人間を数人配置する予定なので、よほど混まない限りはさばける見込みだ。
「配置終わりましたよ。次はどうすればいいですか?」
 自分の仕事が終わった報告と次の予定を聞く。
「悪いんだけど、体育倉庫に行って、椅子を取ってきてくれないかしら?」
「椅子ですか? わかりました」
 そこまで混雑するとは思えなかったが、リーダーに言われては仕方がない。
 おとなしく力仕事をこなすことにした。


 職員室に行き体育倉庫の鍵を借りる。
 鍵を使って体育倉庫を開けると、中は少し埃っぽかった。
 目的の椅子を何脚か重ね持ち運びやすいようにしていると────バタン。
 背後から物音が聞こえた。作業を一時中断し振り返る。
「何をしているんですか、あなたは……」
 そこには後ろでにドアを閉め、こちらを見つめる夜野葵が立っていた。
「こうでもしないと二人きりになれないでしょ。だって、海斗ったらいつも逃げるし」
「それはそうでしょう。俺はあなたと話すこともなければ、二人きりになんてなりたくないんですよ」
「それは、牧野先輩に勘違いされたくないからってことで、いいのかしら?」
「どう思ってもらってもかまいませんよ。ただ、このドアって内側から開けられるんですか?」
「それは無理じゃないかしら」
「じゃあ、どうやって出るんですか?」
「さぁ。そのうち助けが来るんじゃないかしら」
 俺は額に手を当て頭を振る。
「あなたは先走った行動をとりすぎです。それに巻き込まれる俺の気持ちも考えてください」
「あら、海斗が怒るなんてめずらしい。ひょっとして、私ったらピンチ?」
「ピンチなのはお互い様です。どうするんですか本当に……」
 出るに出られずしばらくの間ここで二人きり。
 状況は最悪と言わざるえなかった。
「とりあえず座ったら?」
 敷いてあったマットに腰を下ろしながら、リラックスした様子で隣をぽんぽんと叩く。
「あなたのせいだってこと、自覚してるんですかね。まったく」
「出られなくなってしまったものは仕方がないでしょう? とりあえず、ゆっくり話でもしましょうよ」
 どこまでも自分勝手な人だ。
 言っていることはもっともだが、釈然としないものを感じるのもまた事実で。
 とりあえず、少し距離を空け、腰を下ろしてから会話を続ける。
「それで、話したいことってなんですか?」
「せっかちなのね」
「いいかげんにしないと、怒りますよ」
 半眼で睨みつけるものの、キャーっと白々しく怖がる素振りを見せて楽しんでいる様子の葵。
「前にも話したと思うけど、海斗と別れたことを後悔しているのよ」
「それこそ今更な話です。俺はもう気にしてませんから」
「そう……。海斗の中では、もう終わったことなのね」
「ええ。だから、あなたの気持ちには答えられないんです」
 訪れる沈黙。そっと葵の顔を盗み見ると、俯いた葵の表情を長い髪が覆い隠していた。
「でも私は諦めないわ。牧野先輩にも負けない。それだけはわかってほしい」
 顔を上げ俺の目を見つめながらの宣言。
 その瞳には真剣な色が宿っていた。
「……そうですか。あまり騒ぎ立てないのであれば、俺は他人の気持ちまで否定するつもりはありませんよ」
 葵からの好意は正直、戸惑いの方が大きい。
 しかし、恋をする権利は自由なのだ。
 俺が否定してしまっては、それはエゴというもの。
「良かった。まだ私にもチャンスはあるってことだよね?」
「それは……ほとんどないと言っておきます」
「えー!? ちょっとひどくない!?」
「しょうがないでしょう。あんなことがあったのですから」
「それは……反省してるけど。でも、遠慮はしないからね!」
「ほどほどにお願いしますよ」
 そんな他愛無い会話ができるほどには、葵との確執は薄れているのかもしれない。
 過去のことだって、現在(いま)の葵を見ていると、葵が言っていることが事実なのかもしれない。
 そう思い始めている自分の心に気付く。
「俺も甘いのかもしれませんね」
「なにか言った?」
「いえ、なんでもありませんよ」
「そう? とりあえず、作戦の立て直しが必要かしらね」
 パンパンとスカートに付いた埃を手で払い、葵が立ち上がる。
 同時に、ガチャガチャと鍵が差し込まれるような音が聞こえた。
 ────ガラガラガラ。
 暗闇に慣れた目に、痛いぐらいの光が飛び込んできた。
 思わず顔をしかめていると、男の声が耳朶を打つ。
「なにしてるんだ、こんなところで」
 薄目を開けて確認すると、陸上部の顧問をしている先生が立っていた。
 大方、部活で使う物を取りにきたのだろう。
 なんにしても、助かったことに変わりはなかった。
「実は文化祭で使う椅子を取りに来たのですが、ドアが閉まってしまい、出るに出られなかったんです」
 葵が自ら閉めた事実は伏せ、現状を説明する。
「それは災難だったな。これからは気をつけるように」
「はい。助かりました。ありがとうございます」
 先生にお礼を述べ、ようやく開放される。
 久しぶりに吸い込む新鮮な空気は、とてもおいしく感じた。
「う~ん……。結構楽しかったね」
 背筋を伸ばしながら笑顔を浮かべる葵。
「もうこれっきりにしてくださいよ」
「海斗は楽しくなかったの? 結構スリルがあって、私は楽しかったな」
「もし出られなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「う~ん。その時は、その時じゃない?」
 あっけらかんと事も無げに言う葵は、清々しいまでに楽しそうだった。
 そんな葵を見て怒る気の失せた俺は、行き場のない怒りを溜息とともに吐き出した。


「明日から文化祭だね~。お客さん、来るといいね」
 並んで歩く二つの影は、すっかり茜色に染まっていた。
「どうでしょうね。たぶん、お昼時までは暇なんじゃないですか」
「お客さんを呼び込むのも、メイドの務めってね!」
「ほどほどにしてくださいよ? あと、変なお客さんとかいたら、すぐに助けを呼んでくださいね」
「心配してくれるの?」
「全員に言えることですから。別に葵だけを心配しているわけじゃありません」
「ふふっ。素直じゃないんだから」
「俺はいつでも素直ですよ」
 それきり無言で歩く。
 コンクリートを踏む足音だけが、コツコツと響いていた。
「それじゃあ私、こっちだから。また明日ね」
「はい。また明日」
 葵と別れ、歩き出そうとしたその時。
「わたし諦めてないからっ!」
 背後から聞こえた声に振り返ると、軽快に走り去る葵の後姿が見えた。
 その姿はどこか弾んで見え、俺の心をざわつかせるのだった。
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