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1. 私だけのヒト

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―― 話をしよう。


 あれは今から3年……いや、15年前の事だったか。
……まぁ、いい。
私には90年前の出来事だったが、君たちにとっては多分……明日の出来事だ。
彼女には幾億通りの名前があるから、何て呼べばいいのか。
……確か、最初に公開された名前はノエル・フィリム。
そう、彼女は最初からいう事を聞かなかった。
もう少しシナリオ通りに動いていればな……。
まぁ、いい子だったよ。



―― そんな人生で大丈夫か?

「大丈夫だ、問題ない」

―― 神は言っている。ここで死ぬ運命さだめではないと。 









 エイリーズことエリィは夜も更け皆が寝静まったころ、夜着の上にカーディガンを羽織ると極力音をたてぬようにドアを開け、廊下へと出た。廊下の明かりは既に落とされており、かなり薄暗い。わざと乱暴に一歩踏み出してみたが、厚い絨毯はエリィの靴音をしっかりと吸収してくれていた。その事に感謝しつつ、エリィは目的の部屋まで迷いなく歩み始める。

 エイリーズ・ディレスタは侯爵令嬢だ。元々は伯爵家の令嬢であったが、10年前に父が他界した。男の嫡子が居なかったこともあり、混乱に乗じて父の弟に家を乗っ取られたのは自然の流れだったのかもしれない。母と2人で追い出されそうになっていたところを、美しい母を見初めた侯爵に拾われ、母は再婚を決めた。義父となる侯爵は前妻との間に男子が2人いたが、妻に先立たれていたこともあって何の問題もなく彼女は母と共に侯爵家へと入ったのだ。

 さて、そんな彼らの人となりを振り返ってみる。

 義父の名前はヨハネ・ディレスタ(39)。社交界では知らない者のいない程美貌と知性を兼ね備えたチート男だ。金髪碧眼で優男と言う言葉がピッタリの美丈夫だ。その有り余る色気を惜しみなく振りまき、王の覚えもめでたい。

 長男はセシル・ディレスタ(19)。前妻似の美しい黒髪に菫色の瞳をした優し気な雰囲気と爽やかさがいい仕事している感じの美青年である。その線の細そうな外見とは裏腹に騎士の称号を持つ。義父に負けずチートっぽい。ちなみにシ……いや、この話はいずれ分かるだろう。王の信頼も厚く、第一王女の婚約者でもある。

 次男の名はヨシュア・ディレスタ(16)。名前からしてわかるかもしれないが、どう見ても義父の遺伝子が猛威を振るったとしか思えないほどの美少年だ。この年ではありえない色気が溢れ過ぎるほど溢れている。通常時はとてもいい子ではあるのだが、それに騙されて一体何人の令嬢が彼の餌食になったのだろうか。美少年の皮をかぶった狼の実態を知って居る身からすれば同情を禁じ得ない。まぁ、所謂エロ担当の年下美少年だ。

 母の名はディアナ・ディレスタ(37)。ピンクがかった金髪と菫色の瞳を持つおっとりとした可憐な美女で、若かりし頃は王に求婚されたこともあるとかないとか。今でも母のファンを名乗る数々の貴族から時々贈り物があるらしい。

 そして。

 そんなチート過ぎる美男美女に囲まれた私、ことエイリーズ・ディレスタ(17)。ごくごく普通の女子である。いや、母親の遺伝子もそれなりに頑張ってはくれたので、母譲りのピンクがかった金髪と菫色の瞳は可憐っぽくみえる。この少し吊り上がり気味の瞳も見ようによっちゃ猫の目みたいで愛らしい。薄い唇も小さい鼻も、こじんまりまとまっていると言えばまとまっている。母のように少したれ目のクリッとした瞳とぽってりと愛らしい唇、スッと通った鼻筋が羨ましくなんかない。ないんだったら。実父の遺伝子が頑張ってるだけなのだ。それは誇るべきところなのだ、うん。

 そんな普通女子の私が何故この夜中に灯りも付けず廊下を歩いているのかと言えば、窓の外から馬車の音が聞こえたからだ。見つかる前に早く移動をしてしまわないといけない。
 私は、少しだけ灯りの漏れた目的の部屋へ急いで駆け寄ると躊躇せずに3回ノックをした。すると、間を開けずにスッと扉が開かれ、私は急いでその隙間に飛び込んで部屋の主の反応を待たずにドアを閉める。目の前には苦笑するセシル兄さま。

「まだ寝ていなかったのかい?明日も学校だろう。早く寝なくてはいけないよ」
「寝ますわ、これから」

 唇を少し尖らせながらカーディガンを脱いで近くの椅子へ無造作に掛ける。そのまま兄さまのベッドへ、さも当然と言った様子で潜り込むと、兄さまは小さく肩をすくめベッドに歩み寄る。

「兄さまと一緒に寝てもいいでしょう?」
「もちろん、と言いたいところだけど……エリィ、君ももうレディなのだからいくら兄とはいえ男性である私と一緒に寝るのは卒業したらどうだい?」
「……兄さまは私が嫌いになったの?」

 苦言を呈する兄さまに、少し頬を膨らませてベットから見上げると、兄さまは困ったように笑った。

―― 何と言われようが、ここで自分の部屋に戻るわけにはいかないのだ。

 可愛らしく振る舞いつつも実のところ内心は必死である。この時間の馬車は確実に泥酔ヨシュアの帰還だからだ。
 ヨシュアは酒に酔って帰ってくると必ずと言っていいほど私の部屋へ襲撃に来る。最初はいつの間にか布団に潜り込んできて、朝目が覚めると隣に寝ていてビックリする程度だった。それがだんだんと最近はエスカレートしてきたのだ。半年前は後ろから抱きしめられ、3ヶ月前はキスをされかけ、先月に至っては胸を触られた。どうもヨシュアは酔うとセクハラ男になるらしい。なんとか防いで逃げ出したものの、行く場所が無く最終的にはセシル兄さまのベッドに潜り込む。それはもう習慣化していた。だって、そのまま寝てたら確実にヤられる……!そう思ったら安全な場所に逃げ込むしかないのだ。日中は本当にいい子だから残念なことこの上ない。
 そんなこんなで最初は母様の部屋に逃げ込もうとしたのだが、義父と母がイチャイチャしようとしてたところに飛び込む羽目になり……ってか、あの気まずさはもう思い出したくもない。と、なるとあとはヨシュアが追いかけてこない場所はセシル兄さまの所のみ。そもそも清廉潔白と言っても良いぐらい真面目な兄さまには同意のない女性に手を出すなどありえない。ましてや義理と言えども、妹なのだ。
 それに、だ。兄さまは、そう、いわゆる超シスコンなのである。私が侯爵家へときてからと言う物、まさに猫かわいがりと言ってもいいぐらいの対応だ。今でさえ口ではダメと言いつつも追い出す素振りなどみじんも見られない。いつも、どんなときでも甘やかしてくれる。この年になってから一緒に寝ることは少なくはなっていたが、昔は毎日のように一緒に寝たものだ。もちろん、本当にダメなことをした時は怒るときもあるけど、それでも私には飛び切り優しい。私からすれば、何があっても守ってくれると信じることが出来るただ一人の人なのだ。って考えたら、私も相当なブラコンと言えるのかもしれない。

「兄さま、お話ししながら寝ましょう」

 いつも兄さまが寝る辺りをポンポンと軽くたたいて見せると、兄さまは小さく笑って私の横に体を滑り込ませた。すぐに擦り寄る様にして兄さまに身を寄せると、兄さまはまた小さく笑って私の背中に腕を回し、トントンとあやす様に優しくたたいた。そうしているだけでささくれだった心が落ち着くのがわかる。

 私は体の弱い少女だった。それは、前世でも、今でも。そう、私は前世の記憶を持っている。前世での私は心臓病を患い、生まれてから十数年病院のベッドの上の生活をしていた。その時気休めにと用意されていた携帯ゲーム機で遊んだゲーム。人生初の乙女ゲーム「Bel Canto~眠るように、祈るように」と出会ったのは私が16の頃だったと思う。ファンタジー世界の恋愛模様に私は直ぐに夢中になった。特に騎士のセシルは私が想像する王子様像そのもので思い入れが強かった。そんな私は成人になることもなくその人生を終え、生まれ変わった。皮肉にも、あんなに愛してやまなかった彼の妹として。ゲーム内では悪役でこそなかったが、ヒロインの親友と言う名の”ヒロインが攻略対象と恋愛へ発展させるための踏み台”といってもいい役だった。心を開かない体の弱い義妹の為に、中々恋愛に目を向けれないセシルの真面目で不器用な一面に徐々に惹かれていくヒロイン。そしてそんな中でエイリーズは彼の献身の介護の甲斐も無く死ぬのだ。そして、その喪失感を埋めるのがヒロインだ。
もちろん、ヒロインがセシルのルートに入らなかった場合はセシルは王女と結婚する。その場合でもエイリーズは死ぬ。エイリーズの死はいわば共通ルートイベントのようなものなのだ。攻略キャラそれぞれと何かしら関わりがあるエイリーズ。その死によってそれぞれイベントが起こるのだから。

 前世でも、今世でも20才になる前に死ぬ事が決まっているとは皮肉なものだ。

 いわゆる悪役令嬢物ならばその原因となる行動を取らなければ死を回避できたはずだ。事故死であれば、事故に合わないように避けることが出来るだろうし、死以外の結果であるならば、頑張れたと思う。だが、エリィは病死なのだ。流行病とかそういうものでもない、生まれつきの病。生まれた時から決まっている寿命のような物。いや、私の魂に刻み込まれてしまっている運命と言う物なのではないのだろうか。
 幸いなことに、私は物心ついた時から既に前世の記憶を持っていた。だからこそその考えに到達したし、悔いのないように生きてくことが出来てきたと思う。ゲームの中では母が侯爵家に入った時に馴染めずに家族と少なからず確執を持っていたエリィだったが、私は素直にそれを受けいれ、家族との関係を良好に保った。ゲームでは冷たい義姉を密かに想い続ける色気垂れ流しのヨシュアだったが、弟としてとても可愛がった結果、イイ感じなツンデレ爽やか美少年に成長した。もちろんセシル兄さまにも素直に好意をぶつけ、ブラコン三昧をした結果、典型的ないきすぎシスコンにしたことも許してほしい。ゲームが始まるのは3か月後の4月。そこから1年以内に私は死ぬ。生きてるうちに兄さま、いやセシルに甘え倒したかった。

「エリィ、何か心配なことでもあるのかい?」

 黙り込んだ私を心配したのか、兄さまは心配そうに顔を覗き込む。私は暗くなった表情を見られないようにわざと兄さまの胸に顔を擦りよせる。

「ううん。兄さま、大好き」

 そうして兄さまの背中に腕を回してギュッとしがみつくように抱きしめると、再び小さな笑い声が漏れ、優しい手が頭を撫でた。

「エリィはいつまでたっても子供だね」
「お兄様は意地悪ですわ。私はもう立派なレディですもの」
「ごめんごめん。そうだね、私のレディ」

 笑いながら言う兄さまの言葉は明らかにからかいまじリと言った感じだったが、それでも良かった。子供と思われてもいい。こうやって甘えることが出来て、側に居られるなら。時間の許す限り。後悔の無いように。兄さまが私だけの騎士(ヒト)でいてくれる期間は今だけなのだから。


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