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22. 八つ当たりと後悔

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「でっ……殿下っ……」

 目の前に立った青年を真正面に捕え、そして足元に投げつけられたカツラ鬘を交互に見て、アニ―ニャは口元に手を当てて青ざめた。エリィは少しだけ立ち位置をずらし、目の前に立つヴィスタの顔を斜め後ろから覗き見る。今までなら、ヴィスタの馬鹿げた行動は”またか”と呆れて眺めていた所だが、色々知ってしまった以上、半眼してじっと観察する。そして再び後悔した。
 最初からヴィスタをよく見るべきだったのだ。そうすればすぐに怪しいと気づけたはずだ。だって、ヴィスタのその瞳の奥には冷静な光が宿っているのだから。オーバーなリアクションと、馬鹿にしたくなるような台詞、そんな上辺の物にすっかり、ころっと、あっさりと騙されていたのだ。

――本当に腹が立つ。

 実の所、エリィはその事に対してちょっと、というか結構、いやかなり腹を立てていた。1回や2回ではなく何回も何回も、何年も何年も騙されていたなんて屈辱以外の何物でもない。なにせエリィは前世の記憶があるから、同年代者たちよりも15歳以上年上のつもりで高をくくっていたのだ。だというのに、蓋を開けてみれば自分より15歳以上年下のつもりだったヴィスタに、良いように騙されていたわけだから。恥ずかしくて恥ずかしくて、一周回って怒りを感じているのだ。
 アニ―ニャの嫌味に対してだって、いつものエリィならもう少しうまく立ち回れていたはずだった。それが、ヴィスタの事で腹を立てていたために、つい喧嘩を買ってしまった。いや、”つい”というのは良く言い過ぎだろう。表面上は取り繕ってはいた物の、イラついていたのは否めない。だから”つい”ではなく憂さ晴らし・・・・・に”望んで”買ったのだ。
 そう考えると、目の前で青ざめて震えているアニ―ニャが気の毒でならなかった。エリィに八つ当たりされた上に、ヴィスタにからかわれ、いたぶられているのだから。エリィは自分の八つ当たりがこの事態を招いた張本人だと分かって居る為に、冷静になってみるとアニ―ニャに対して申し訳ない気持ちがいっぱいになった。

「殿下……も、申し訳あ……」
「遠慮する事は無い。早く手袋を拾え」

 ガタガタ震え出したアニ―ニャにアホっぽい笑顔で手袋を取る様にヴィスタは促す。だが、その目の奥は冷静で、明らかにアニ―ニャをいたぶり遊ぼうと言う意思が垣間見えた。アニ―ニャの発言がいくら不適切であったとしても、言わせたのはエリィである。そこまで怒ることもないし、何もこんなところで腹黒っぷりを発揮させなくても良いのに、とエリィは小さく嘆息する。
 この状態でフィリオ―ルやヨシュア・ノエルが混じったらどうなる事か。彼らの目はどう見てもこの事態に驚いていると言うよりも、アニ―ニャに腹を立てている。付き合いが長いせいも多分にあるのだろうが、その過保護っぷりにはいささか度が過ぎているように思えた。これで更に騒ぎが大きくなるのかもしれないと思うと、エリィは素早く行動に移さねばならないと頭を巡らす。自分のやったことの尻拭いは自分ですべきなのだ。
 さっと視線を走らせれば、あの3人は貴族として走るなどと言うみっともない真似はしていない為に、今エリィが何かをすれば先手を取れることは確実だった。

「で、殿下……本当にっ……っく……もっ、申し訳……」
「どうした?早く拾うんだ」

 アニ―ニャが泣き出してへたり込んでしまったと言うのに、ヴィスタは空気を読めないそぶりで更に促す。それを横目で睨みながら、エリィはアニ―ニャの前までツカツカと歩み寄ると、おもむろにその手袋を拾い上げた。

「いいでしょう。その決闘、私が受けますわ」

 左手を腰に軽くあて、拾った手袋持った右手をヴィスタに見せびらかす様にしてエリィは口の端を少し上げ、笑って見せた。そうすれば、また一瞬だけ時が止まった様にホール内にいる者たちが動きを止める。近づこうとしていたノエルやヨシュア、フィリオ―ルももちろん例に漏れない。

「リ……ズ……?」

 掠れた声でそう呟いたヴィスタの瞳には、もう嗜虐的な光は失われていた。何が起こっているのか分からないと言ったような間抜けな顔で、ポカンとエリィを見つめている。その表情に、エリィはスッと胸がすく思いがした。ヴィスタを出し抜いてやったことにある種の快感を覚える。

 見ればフィリオ―ルもヨシュアもノエルも、立ち止まって硬直したまま、戸惑ったような視線をエリィに送っていた。それはもちろん、ホール内にいた招待客全てそうであったのだろう。

 普段滅多に夜会に出席しないディレスタ家の箱入り令嬢が、珍しく参加した。と思えば、社交の場への参加禁止である王子がお忍びで参加していて、ドリエン公爵令嬢は何故かエリィを罵り、それを見た王子が公爵令嬢に決闘を申し込む。極め付けは、その罵られ庇われたはずの侯爵令嬢が、ドリエン公爵令嬢を庇って王子の決闘を買って出るのだから、驚くなと言う方が無理だろう。遠巻きにしていた招待客はその光景にざわざわと騒ぎ始め、その成り行きを興味津々と言った感じで眺めている。その光景にエリィはほくそ笑んだ。

「リズ、何を言っているんだ」
「あら、敵の敵は味方って言いますものね?」

 周りには聞こえない程の小さな声で、ヴィスタとエリィは言葉を交わす。ヴィスタは困惑した表情を隠せないままで、エリィはにこやかな笑顔を崩さない。

「お前の敵はそこの女だろう」
「何を言っているんですか。私の敵は殿下に決まってるじゃないですか」
「なぜそうなる?そこの女はリズに”早く死ね”などと……」
「私も殿下に”一度死んだ方が良い”と言いましたわ」
「意味合いが違うだろう」
「同じです」
「違う」
本気で思っていない・・・・・・・・・と言う点では同じです。そう言わせてしまったのは私ですから」

 そうエリィが言うとヴィスタは面白くなさそうに口を閉じた。ヴィスタがそれ以上アニ―ニャに詰め寄る気を亡くしたのを確認すると、エリィはへたり込んでしまっているアニ―ニャを振り返り、わざとらしく声を上げた。

「まぁ、アニ―ニャ様。お可哀想に。本当に酷いですわね?いくらアニ―ニャ様がこんなにお美しい方とはいえ、数々の卑猥・・なお言葉。いくら殿下が酔っていたとはいえ許されることではありませんわ。ええ、本当に。アニ―ニャ様はお怒りになって当然なのです。殿下が変装なさってたなんて知りもしなかったのですから。どこの馬の骨・・・ともわからない様な男性に、卑猥・・な言葉を掛けられたら、怒ら無い淑女なんておりませんもの。ああ、本当においたわしい」
「なっ……」

 なるべく遠くまで聞こえる様に少し大きめの声で言い、エリィはアニ―ニャに同情するように口元に手を当てて彼女の側に跪いてその背に手を添えた。そのあんまりなエリィの言葉の内容に、再び招待客らはざわめき、ヒソヒソと言葉を交わす。

 一芝居打ったのには理由がある。もちろん、一番の目的はこのバカバカしい晒し上げを一刻も早く終了させるためだ。このままフォローしなければアニ―ニャは、誰もが知っている死に至る病を持っているエリィに対して、大勢の目の前で”死ね”等と言う暴言を吐いた品位の無い令嬢とされてしまうのは目に見えていた。いくら公爵家の令嬢とは言え、醜聞は彼女の将来にも影響がないとは言い切れない。それならば、元々エリィを怒らせる原因になったヴィスタにまるっと罪を押し付けてしまおうと考えたのだ。

 それを納得しようがしまいが関係はない。そういうこと、にしてしまえばいいだけなのだ。

 エリィの言葉に最初は喉をつまらせたようにして驚いていたヴィスタだったが、すぐにエリィの意図をくみ取ったのか酷く不快そうな視線を投げたまま、押し黙った。その沈黙と視線には、不満がいっぱいだったが、あえてエリィは無視することにする。近寄ってきたヨシュアに目くばせをすると、ヨシュアは心得たと言った様子で小さく頷いた。

「ヨシュア、アニ―ニャ様をお願いね?ご気分がすぐれないみたいだから」
「ああ、わかってる。アニ―ニャ様、ちょっと失礼いたしますね?」

 ヨシュアは、アニ―ニャのすぐ横に跪くとすぐさま声を掛け、腰の抜けてしまった様子で泣いている彼女をさっと横抱きにして抱え上げた。そして使用人にアニ―ニャの退出の旨と控室に居る公爵家使用人に伝える様に言いつけると、メイドの先導に従って、彼女を抱えたまま優雅にホールから出て行った。
 その間にたどり着いたノエルは、苦笑気味にヴィスタに近づくと、しょんぼりとしたフリの彼の肩をポンポンと叩く。人の良い真っ白ノエルに慰められている、真っ黒王子のバカ演技にイラッとしながらエリィはあたりを見渡した。
 招待客は相変わらずヴィスタに注目をして、何やらヒソヒソと話していた。その視線や表情から察するに、とてもじゃないが好意的ではない。というか、どう見ても逆だ。
 元はと言えば、女性に決闘を申し込むなどバカな事をしだしたヴィスタが悪いと言えば悪い。だが、そこからアニ―ニャを助けるために、更にヴィスタの名声をエリィが追い打ちをかける様に地に落とす……いや、元々落ちている名声を上から踏みつけてすり潰した感が否めない。女性に決闘を申し込んだそもそもの原因を、女性にセクハラした事としてしまったのだから。
 エリィはヴィスタの背後に歩み寄り、彼の肘のあたりの袖を軽く引いて注意を向けさせると、少しだけ背伸びをした。そしてヴィスタの耳元に口を寄せると、ヴィスタにだけ聞こえる程度の小さな声で謝罪する。

「……申し訳ありません、殿下」

 ヴィスタは肩越しに振り向きながらもキョトンとした顔をしたのち、一瞬だけニヤリと笑って見せた。ごくごく一瞬の事であったため、その表情に気付いたのは恐らくエリィだけであろう。そのままヴィスタは普段通りのゆるい笑顔でエリィの方に向き直ると、その右手を恭しく差し出した。

「じゃあ、リズ。場所を移して決闘の内容を決めようか」
「あら、殿下。これ以上おふざけが過ぎるようでしたら、私も、ついうっかり……本当にうっかりして王妃様に無い事ない事言ってしまうかもしれませんわね?」
「私は悪いことなど何もしていないぞ!は、母上に、なんて……言わないよな?な?」
「さて、どうしましょう」

 ヴィスタの右手に自分の左手を重ねながらエリィは口角を上げて意味ありげな笑顔を見せた。そうすれば、とたんにヴィスタは眉尻を下げて情けない表情をしてみせた。しかし、瞳は明らかに笑っているし、片側の口元が一瞬だけピクリと上がったのもエリィは見逃さなかった。

――ほら、よく見ていれば面白がってるなんてすぐわかる。何故騙されていたのだろう。

 複雑な気持ちで口をへの字にして、エリィが上目遣いでヴィスタを睨めば、彼は困った様に笑った。




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