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28. 彼の中の彼の事

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 余りの眠気と怠さのせいか、終始無表情で半分瞼が落ちたようなヨシュアと朝食を取った後、エリィはすることもなく、庭に出てお茶を飲みながら静かに読書に耽ることにした。本当ならば学園に行ったり、セシルも見に行くという白鷺の塔を見に行きたかったのだが、外出を禁じられているために大人しくしているしかない。こんな時、健康的であったならシャロムを引き連れてあっちこっちに飛び回る所だろうが、そうできない不便な身がエリィは苛立たしく思えた。

「そう言えば、シャロム」
「はい」

 ふと、思いついたことがあって控えているシャロムに声を掛ける。するとシャロムは何事かと数歩近づいてきた。

「聞きたいことがあるのよ」
「私でわかる事でしたら、なんなりと」
「ノエルの事なの」
「ノエル殿下の……?」
「夜会の帰り、襲われたでしょう?それなのに、ノエルは次の日も、昨日も夜に出かけているわよね。大丈夫なの?」
「と、申されますと?」
「外出は控えた方がいいのではないかしら、と思って。問題が解決していないのなら、特に夜なんて危険ではないの?」

 読みかけの本を裏返して膝の上に置き、そう尋ねれば、シャロムはなるほどと言った様子で頷いた。
 ヴィスタから、ノエルがその命を狙われていると聞いたのはあの夜会の日だ。その話を聞いたすぐ後にノエルが狙われているのを、運がいいのか悪いのか、エリィは目撃している。それに関してシャロムもヨシュアも、ヴィスタもその後話題にした様子はない。ということは、既にその問題が片付いてしまったか、あえて話題にする必要もないほど頻繁に起きて日常化しているかのどちらかではないかと、エリィはふと思ったのだ。

「大丈夫か大丈夫ではないかとお答えするのならば、大丈夫ではないでしょうか」
「もう襲われないからって事?」
「いえ。外出時には護衛が付いておりますし、ノエル殿下自身がお一人の時に襲撃されても何ら問題ない程の腕をお持ちですから」
「……そうなの?とてもそうは見えないけれど」

 あの時、確かにノエルはシャロムに庇われていた。その姿を思い出せば、とてもじゃないが一人では大丈夫だとは思えない。彼の雰囲気や仕草からも、荒事が得意な様には全く見えないのだ。

「夜会の時の事でしょうか?」
「そうね。とてもああいうのが得意には見えなかったわ」
「私も不思議だったのです」
「不思議?」
「あの時、確かにノエル殿下は襲撃者がいたであろう場所を見ておられたのです。そして馬車のステップに足をお掛けになり、そこで立ち止まって私に話しかけられたのです」
「何と言ったの?」
「いえ、お言葉自体は問題のある物ではありませんでした。エイリーズ様をよろしく頼むと」
「じゃあ何が問題だったと言うの?」
「お言葉を掛けられる行為がです」

 シャロムの話にエリィは首を傾げて考え込む。シャロムの言わんとしている事が理解できなかったからだ。ノエルの見ていたという場所を考えれば、彼は襲撃者の存在を認識していたことになる。その後にエリィを頼む、と言った事は決して不自然な行為ではない筈だ。それをシャロムが不思議に思う理由がエリィにはわからなかった。

「私を心配してくれたのでしょう?」
「……そうではないのです。襲撃者の存在は私も気づいておりました。ですから、ノエル殿下に攻撃が加えられることのないよう、私の体で襲撃者からの視界を遮っておりました」
「そう言えば、馬車への案内をシャロムがやってたわね。考えてみればシャロムが私から離れてまで行くのは変ね」
「狙いが明らかにノエル殿下だと分かったので、お傍を離れさせて頂きました。ノエル殿下を狙えなければ仕掛けてこないと判断いたしましたので。結果、ノエル殿下を狙える瞬間はほぼ無かったと思われます。馬車に乗り込む瞬間以外は」
「なるほど」
「ですが、ノエル殿下はステップに足を掛け、一段登られた後に立ち止まり、私に言葉を掛けられた。その数秒間は襲撃者達にとって恰好の的だったのです」

 そこまで話されて、エリィはやっとシャロムの言いたいことを理解した。ノエルが馬車に乗り込む瞬間など、ほんの一瞬だ。狙ったとしても十中八九当たらないし、仮に当たったとしても致命傷を負わせる確率は低い。ならば、その場での襲撃を断念するか、馬車が屋敷を離れて人気が少なくなった所で襲う方が確実だ。だが、ノエルはその場所で立ち止まった。馬車に乗る前のノエルの視線からすれば、彼は襲撃者の存在を認知していたのは間違いない。その彼がわざわざその唯一狙える場所で自ら隙を作ったのだ。

「確かにおかしいわね」
「とっさにノエル殿下を地に伏せさせていただいて事なきを得ました。そこで、何故危ない真似をなさるのですかとお尋ねしましたが答えて頂けず……」

 何故わざわざ隙を作ってまで狙わせたのか。それにシャロムが疑念を抱いているようだった。ノエルが命を掛ける意義がそこにあったのだろうか?そう考えるとエリィにもノエルの不可解な行動に首を傾げるしかない。まるで彼が死を望んでいるようではないか。そう考えるとエリィは不安な気持ちが胸を占め、居ても立っても居られない様な気持ちになった。
 エリィが屋敷の2階を見上げれば、カーテンで閉め切られたノエルの部屋の窓が見える。まだ彼もヨシュアと同じように寝ているのだろう。そこからノエルの心の内を覗けたらどんなに楽だろうと思った。よくよく考えてみれば、エリィは親友だ、親友だと言いながら彼と2人で話す時間をほとんどとっていない。常に誰かと一緒で、落ち着いて2人で話したのなんて最初の1回きりだ。だからこそ、彼が隣国でたった一人の電子の王位継承者である事に気づきもしなかったし、それ故に王妃から命を狙われているなんてことも考えすらしていなかった。
 すっかりゲームでのノエルと一緒の気になっていたのだ。自分の分身であった主人公ノエルの事を何でもわかった気になっていた。主人公ヒロインでなくなった男であるノエルが何を考え、何を思っているのかを知ろうともしていなかった。その事実に気付いてエリィは酷く後悔した。浅はかな自分に嫌気がさした。
 ノエルはいつもニコニコとしていて、周りに気を遣い、エリィに不安なそぶりなど一切見せなかった。だが、命を狙われてて不安に思わないものが果たして居るのだろうか。ヴィスタはノエルがこの国で勉学を収めて、帰国後すぐに即位すると言っていた。つまり、この国に来たのは恐らく自国に居るよりも安全だからではないだろうか。そして、ゲームのヒロインになりえない以上、この国を留学先に選ぶ理由がない。別にこの国ではなくともよかった筈だ。しかし、ノエルはこの国を選んだ。もちろん、強制力が何らかの形で働いたとも考えられる。だが、それだけでなく、ノエルがエリィと言う存在に癒しを求めていたのではないだろうか。ノエルとエリィは親友と言う設定になっている。それを前世の記憶があるノエルは知っていたはずだ。ならば、エリィと言う存在に一時の癒しを求めてこの国を選んだとしても不思議はない。
 ノエルの部屋の窓を見上げながらエリィはため息を一つ吐く。ここで悶々と悩んでいても何も解決は得られない。それならば、ノエルと話すべきだとエリィは思った。彼の中の気持ちを、穏やかに笑っている彼の中の本当の彼の気持ちを聞くべきだと思った。

「お茶を、もう一杯貰える?」

 話はこれで終わり、と言うようにエリィは空になったカップをシャロムに差し出す。そうすれば、シャロムは黙ってそれを受け取り、サービスワゴンへと歩み寄ると手早くお茶を入れ始めた。その間にエリィは膝の上の本を再び表に返して視線を落とす。本の内容はちっとも頭に入っては来なかったが、それでも良かった。取りあえずは、考えなければいけないことがいくつもあるのだ。動き回れない以上、思考をその分動かすしかない。そう考えてエリィは入れたてのお茶を受け取ると、視線を本に向けたまま一口飲んだ。



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